雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

不孝者の報い ・ 今昔物語 ( 20 - 31 )

2024-03-12 08:00:02 | 今昔物語拾い読み ・ その5

      『 不孝者の報い ・ 今昔物語 ( 20 - 31 ) 』


今は昔、
大和国添の上郡に住んでいる一人の男がいた。字(アザナ・通称)をミヤスという。
この男は、朝廷に仕える学生(ガクショウ・大学寮の学生。)である。日夜、漢籍を学んではいたが、物の道理の分らない心の持ち主であったのか、母に対して不孝者で、養おうとしなかった。

その母が、子のミヤスの稲を借りて使い、返済に充てる物がなかったので、返済しなかったが、ミヤスは厳しく返却しない事を責めて、母は地面にすわり、ミヤスは板敷きの上にいてうるさく責め立てたので、これを見ていた人がミヤスをなだめて、「あなたはどうして、母を責めるなど不孝な振る舞いをなさるのか。世間の人は、父母に孝養を尽くすために、寺を造り塔を建て、仏像を造り写経をして、僧を供養します。あなたは、家は豊かであるのに、どうして母が借りた稲を厳しく取り立てて、母を嘆かせるのです」と言った。
ミヤスは、この忠告を聞いても承知せず、なおも責めるので、これを見る人たちは見るに見かねて、その母が借りた稲をその数通りに弁済して、母を責めないようにしてやった。

すると、母は泣き悲しんで、ミヤスに言った。
「わたしは、お前を育てている間、日夜休む事がなかった。世間の人が親孝行しているのを見ては、『やがて自分も、あのようにしてもらえる』と思って、お前を心から頼りにしていたものだ。ところが、今、わたしに恥をかかせて、借りた稲を強引に取り立てるとは、本当に情けない。それならば、わたしも又、『お前に呑ませた乳の代価を取り立てよう』と思う。そして、今ここで母子の縁は切ろう。天道様、この事の是非をお決め下さい」と。
ミヤスは、母の言葉を聞いても、何も答える事なく、立ち上がって家の中に入った。

ところが、突然、ミヤスは気が狂ったようになり、心は錯乱し身は痛みだし、長年の間、人に稲や米を貸して利息を付けて返済させる証文を取り出して、庭の中で、自ら焼き捨ててしまった。
その後、ミヤスは髪を乱し、山に入って、あちらこちらと狂ったように走った。  三日たって、突然火事となり、ミヤスの内外の家も倉も、皆焼けてしまった。
その為、妻子は食べる物もなく、みな路頭に迷った。ミヤスも又食べ物がなく、遂に飢え死んでしまった。
不孝によって、現世で報いを受けるのは遠い先の事ではない。これを見聞きした人は、ミヤスを憎み謗(ソシ)ったのである。
されば、世の人は、心を込めて父母に孝養を尽くし、不孝の心を抱いてはならない、
となむ語り伝へたるとや。

      ☆   ☆   ☆

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灰地獄に堕ちた男 ・ 今昔物語 ( 20 - 30 )

2024-03-09 08:00:29 | 今昔物語拾い読み ・ その5

      『 灰地獄に堕ちた男 ・ 今昔物語 ( 20 - 30 ) 』


今は昔、
和泉国和泉郡の下の痛脚村(シモのアナシムラ・泉大津市辺りか?)に一人の男がいた。
邪見(よこしま)な心の持ち主で、因果の道理を知らない。常に鳥の卵を求めて、焼いて食う事を日常としていた。

さて、天平勝宝六年( 754 )という年の三月の頃、見知らぬ人がこの男の家にやって来た。その姿を見ると、兵士の格好をしている。
その人は、この男を呼び出して、「国司殿がお前をお召しだ。速やかに私について参れ」と言った。
そこで男は兵士について行ったが、その兵士をよく見ると、腰に四尺ばかりの札を付けている。やがて郡内の山真(ヤマタエ・山直とも)の里まで来ると、山の辺りに麦畠があったが、その中に男を押し入れ、兵士は見えなくなった。
畠は一町(百メートル四方ほど)余りの広さである。麦は二尺(六十センチ余り)ばかりになっている。その時、突然地面が火の海となり、足の踏み場もなくなった。そこで、畠の中を走り回って、「熱いよう、熱いよう」と叫び続けた。

その時、村人が薪を取りに山に入ろうとしていたが、ふと見ると、畠の中を泣き叫びながら走り回っている男がいた。
村人はこれを見て、「奇異なことだ」と思って、山から下りてきて男を捕らえて引き出そうとしたが、男は抵抗して引き出されないようにする。それを力いっぱい引っ張って畠の外に引きずり出した。男は地面に倒れ伏した。
しばらくすると、息を吹き返したように起き上がった。そして、やたら叫びだし足をひどく痛がった。
村人は男に、「あなたは、どうしてこのような事をしているのだ」と訊ねた。
男は、「兵士が一人やってきて私を連れ出し、ここまで連れてきてこの中に押し入れました。地面を踏むと、地面は火の海となり、足を焼くこと煮られるようです。四方を見ると、周りは火の山で囲まれていて、出ることが出来ず、叫びながら走り回っていたのです」と答えた。
村人はこれを聞くと、男の袴をまくって見ると、ふくらはぎが焼き爛れていて骨が表れて見えていた。
一日経って、男は遂に死んでしまった。

人々はこれを聞いて、「殺生の罪によって、目の前に地獄の報いを示したのだ」と言い合った。
されば、人はこれを見聞きしたならば、邪見を止めて、因果の道理を信じて、殺生をしてはならない。
「『卵を焼いたり煮たりする者は、必ず灰地獄(クエジゴク・熱灰の流れる地獄。)に堕ちる』と言うのは本当の事である」と人々は言った、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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畜生も前世では父母 ・ 今昔物語 ( 20 - 29 )

2024-03-06 07:59:40 | 今昔物語拾い読み ・ その5

      『 畜生も前世では父母 ・ 今昔物語 ( 20 - 29 ) 』


今は昔、
河内国[ 欠字。郡名が入るが不詳。]郡に一人の男が住んでいた。名を石別(イワワケ・伝不詳)と言った。瓜を作って、これを売って世を過ごしていた。
ある時、馬に瓜を負わせて売りに行こうとして、馬が負うことが出来る力以上の瓜を背負わせた。
それでも馬は、これを負って行ったが、途中で堪えられなくなって立ち止まってしまった。石別はこれを見て大いに怒り、馬を鞭打って、なおも重い荷を負わせたままなので、馬は二つの目から涙を流して、悲しそうな様子であったが、石別には哀れみの心はなく、さらに追い打って行き、瓜は売ってしまったが怒りは治まらず、その馬を殺してしまった。
このようにして馬を殺すのは、度々の事であった。

その後、石別は自分の家で釜で湯を沸かしたが、石別が湯沸かし場に行き、釜の近くに行ったとき、石別の二つの眼が突然抜けて、釜の中に入って煮えてしまった。石別は嘆き悲しんだが、どうする事も出来なかった。
「これはひとえに、度々馬を殺した罪によって、現世での報いを受けたのだ」と人々は言って謗(ソシ)った。

これを思うに、畜生なりと言えども、皆、自分たちの前世での父母なのである。従って、殺生はぜひとも止めなければならない。それを守らない故の現報はかくの如くである。これからすれば、後世の苦しみはどれほどかと思いやられる、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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現世で罪を蒙る ・ 今昔物語 ( 20 - 28 )

2024-03-03 07:59:55 | 今昔物語拾い読み ・ その5

      『 現世で罪を蒙る ・ 今昔物語 ( 2 - 28 ) 』


今は昔、
大和国[ 欠字。郡名が入るが不詳。]郡に住む一人の男がいた。生まれつき猛々しく、哀れみの心など全くなかった。ただ、昼も夜も生き物を殺すことを好み、それを仕事としていた。

ある日のこと、その男は野に出て、兎を捕らえて、生きながら兎の皮を剥ぎ、死骸を野に棄てて置いた。
その後、この男は幾ばくも経たないうちに、悪性の瘡が身体中に広がり、膚がひどく爛れ、痛み苦しむこと限りなかった。医師を呼んで、薬で治療したが治ることなく、数日経って、遂に死んでしまった。
これを見聞きした人は、「これは他でもない。あの兎を殺したことによって、現世でその報いを蒙ったのだ」と言って謗(ソシ)った。

これを思うに、殺生は人にとっては遊びや戯れに過ぎないが、生類が命を惜しむことは人間にも勝る。
されば、自分の命を惜しむのは、生き物も同じだと思って、絶対に殺生は止めるべきである、
となむ語り伝へたるとや。

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長屋王異聞 ・ 今昔物語 ( 20 - 27 )

2024-02-29 07:59:06 | 今昔物語拾い読み ・ その5

      『 長屋王異聞 ・ 今昔物語 ( 20 - 27 ) 』


今は昔、
聖武天皇の御代、奈良に都があった時、天皇は天平元年( 729 )二月八日に、左京の元興寺(ガンゴウジ・蘇我馬子が飛鳥の地に建立したものを奈良の地に移築した。観音堂など一部が現存。)において盛大に法会を行い、三宝を供養し奉った。
その折、太政大臣である長屋親王(ナガヤノミコ・長屋王のこと。)という人が、勅を承って諸僧を供養した。

その時、一人の沙弥(シャミ・見習い僧。ここでは半僧半俗の正式でない僧。)がいて、無作法にもこの供養の飯を盛っている所に行き、鉢を捧げて飯を乞うた。
親王はこれを見て、沙弥を追い払い殴りつけると、沙弥の頭を傷つけ、血が流れた。沙弥は頭を撫で血を拭いながら泣き悲しんでいたが、突然姿を消した。どこへ行ったか全く分らない。
法会に出席していた僧俗の人たちはこれを聞いて、ひそかに長屋親王を謗(ソシ)った。

その後、長屋親王をねたましく思う人がいて、天皇に讒言(ザンゲン・陥れるために事実を曲げて告げ口すること。)して、「長屋は、『王位を倒して国位を奪おうとしている』と思っているので、あのように、天皇が善根を催された日に、不善を行った」と告げた。
天皇はそれをお聞きになると、たいそうお怒りになって、大軍を遣わして長屋親王の屋敷を包囲させた。
その時に、長屋親王は、「私には罪がないのに、このように咎めを蒙った。きっと、殺されるであろう。そうであれば、他の者に殺されるよりは、自害する方がましだ」と自ら思って、まず、毒を取って子や孫に飲ませ、即座に殺してしまった。その後、長屋も又自ら毒を飲んで死んだ。

天皇はこれをお聞きになると、人を遣わして、長屋の死骸を取って、都の外に棄てて焼かせ、河に流し海に投げ棄てた。
ところが、その骨は流れて土佐国に着いた。すると、その国の百姓(人民の意味)が多く死んだ。百姓はこれを愁えて、「あの長屋の悪心の邪気によって、この国の百姓が多く死んでいます」と申し出た。
天皇はそれをお聞きになって、王城からさらに遠ざけようと、長屋の[ 欠字。「骨」か ]を、紀伊国海部郡のハジカミの奥の島(有田市の沖にある「沖島」か)に置いた。
これを見聞きした人は、「あの沙弥を罪も無いのに罰したため、護法神がお憎みになったからだ」と言った。

されば、頭を剃り袈裟を着ている僧を、事の善悪を問わず、貴賤を選ばず、畏れ敬うべきである。その中に、仏や菩薩の化身が身を隠して、交じっていらっしゃると思うべきである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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乞食僧も三宝の内 ・ 今昔物語 ( 20 - 26 )

2024-02-26 08:04:50 | 今昔物語拾い読み ・ その5

      『 乞食僧も三宝の内 ・ 今昔物語 ( 20 - 26 ) 』


今は昔、
備中国の小田郡に白髪部猪麿(シラカベノイマロ・伝不詳)という者がいた。邪見(ジャケン・よこしま)な心の持ち主で、三宝(仏法僧。ここでは、仏の教えといった意味。)を信じることがなかった。また、人に物を与える心が全くなかった。 

ある時、乞食僧が猪麿の家にやってきて食べ物を乞うた。ところが、猪麿は食べ物を施すどころか、乞食僧を罵り殴りつけて、乞食僧が持っていた鉢を打ち壊し、追い払ってしまった。
その後、猪麿は用事があって他の村に行くことになったが、その途中で、にわかに雨が降り風が吹き出した。その為、先に行くことが出来ず、しばらく他
人の倉の軒下に立ち寄って、雨風の止むのを待っていたが、突然その倉が倒れた。それで、猪麿はその下敷きになって死んでしまった。
妻子や一族の者に、何も言い残すことなく、不慮の死を遂げたので、「これは他でもない。乞食僧に食べ物を施さず、罵り殴って、鉢を打ち壊した罰である」と知って、これを見聞きした人は皆、現世での報いを受けたのだと言って謗(ソシ)った。

されば、乞食僧を見たら、喜んで、多少に関わらず、すすんで物を施すべきである。まして、罵り殴るなどは、けっしてしてはならない。乞食僧といえども、みな三宝のうちなのである。その中でも、乞食僧の中にこそ、昔も今も仏・菩薩の化身が在(マシマ)すのである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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乞食僧を殴る ・ 今昔物語 ( 20 - 25 ) 

2024-02-23 08:00:03 | 今昔物語拾い読み ・ その5

      『 乞食僧を殴る ・ 今昔物語 ( 20 - 25 ) 』


今は昔、
古京(コキョウ・平城京より前の京。飛鳥京、藤原京などを指す。)の時に、一人の男がいた。
愚か者で、因果というものを信じようとしなかった。

ある時、乞食(コツジキ・乞食修行)の僧がやってきて、その男の部屋に入ってきた。
その男は乞食僧を見て、大変怒り殴ろうとしたので、乞食僧は逃げて田の水の中に逃げたが、その男は追いかけていって殴りつけた。乞食僧はどうすることも出来ず、常に受持している呪(真言)を唱え、「本尊様、お助け下さい」と念じた。
すると、その男はたちまちのうちに呪縛された。そして、突然あちこちと走り回り、倒れもだえた。
その間に、乞食僧は逃げ去った。

その男には、二人の子がいた。父が縛られたのを見て、父を助けようと思って、ある僧房に行き、貴い僧を招こうとすると、その僧は「何のために招くのか」と尋ねた。
二人の子が事の次第を詳しく話すと、僧はその事を恐れて行こうとしなかった。
それでも、二人の子は父を助けんがために、礼を尽くして懸命に頼んだので、僧は渋々ながら行った。
その間も、父は狂ったようにもだえていた。
ところが、僧が法華経の普門品(フモンボン・観音経)の初めの段を唱えると、たちまち父の呪縛は解かれたので、父は心から信仰心を起こして、僧を礼拝した。二人の子も喜んで、礼拝恭敬した。

されば、努々(ユメユメ・くれぐれも)乞食僧を軽蔑し殴ったりすることは、たとえ戯れであってもしてはならない、
となむ語り伝へたるとや。   

     ☆   ☆   ☆

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銭を惜しんで毒蛇となる ・ 今昔物語 ( 20 - 24 )

2024-02-20 07:58:36 | 今昔物語拾い読み ・ その5

     『 銭を惜しんで毒蛇となる ・ 今昔物語 ( 20 - 24 ) 』


今は昔、
奈良に馬庭山寺(マニワノヤマデラ・所在未詳)という所があった。
その山寺に一人の僧が住んでいた。長い間その所に住んで、熱心に修業を積んでいたが、知恵がないために邪見(ジャケン・よこしまな考え方)の心が深く、人に対して物を与えることを惜しみ、何一つ与えることがなかった。

このようにして、長年を過ごしているうちに、僧もすっかり年老いて、病にかかり、遂に臨終を迎えた時に、弟子を呼んで告げた。「私が死んだ後、三年の間は、この僧房の戸を開けてはならない」と言い残すと、すぐに死んだ。

その後、弟子は師の遺言通りに僧房の戸を開くことがなかったが、七日を過ぎて、ふと見てみると、大きな毒蛇がその僧房の戸の前にとぐろを巻いていた。
弟子はそれを見て恐れおののき、「あの毒蛇は、きっと我が師の邪見ゆえに生まれ変わられたに違いない。師の遺言があるので、『三年の間は僧房の戸を開けない』とはいえ、師を教化(仏道を説いて人を善道に導くこと。師僧を毒蛇からの転生を願って仏道を行うこと。)しよう」と思って、すぐに僧房の戸を開いてみると、壺屋(納戸)の中に銭三十貫が隠されていた。
弟子はそれを見つけると、その銭を、ただちに大寺に持って行き、誦経料として師の罪報消滅を祈った。
弟子たちは、「師僧は銭を貪り、これを惜しむあまり、毒蛇の身となって、なおもその銭を守っていたのだ」と知った。そのため、「三年の間、僧房の戸を開けてはならない」と遺言したのである。

これを思うに、まことに愚かな事である。「生きている時に、銭を『惜しい』と思うことがあったとしても、その銭を以て、三宝(仏法僧を指す)を供養し、功徳を積んでいれば、けっして毒蛇の身を受けることはなかっただろうに」と、人々は語った、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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極楽往生の心得 ・ 今昔物語 ( 20 - 23 )

2024-02-17 08:00:00 | 今昔物語拾い読み ・ その5

     『 極楽往生の心得 ・ 今昔物語 ( 20 - 23 ) 』


今は昔、
比叡の山の横川(ヨカワ・東塔、西塔と共に比叡山三塔の一つ。)に一人の僧がいた。
道心を起こして、長年の間、弥陀の念仏を唱えて、ひたすら極楽に生まれることを願っていた。法文に関しても知識が深かったが、ただひたすらに極楽往生のみを願って、全く他の事には興味を示さなかった。されば、他の聖人たちも、「この人はきっと極楽往生を遂げる人だ」と皆が尊んでいた。

このようにして、この聖人はこの願いを怠ることなく、長い年月を重ねているうちに、七十を過ぎた。身体は強健であったが、ややもすれば風邪をひきがちになり、食欲も衰え、体力も弱くなっていったので、聖人は、「死期が近くなってきたのだ」と覚悟して、ますます道心を深めて、念仏を唱える数も増したゆむことがなかった。

やがて、重態になったが、病床に伏しながらも、ますます心を込めて念仏を唱えた。
弟子たちにも、「今は私に、ひたすら念仏を勧め、他の事は一切しないで、極楽往生のことだけを話して聞かせよ」と命じたので、弟子たちは尊い往生の事などを言って、聖人に念仏を途切れることなく勧めた。
こうして、九月二十日の申時(サルノトキ・午後四時頃)の頃に、心臓が弱ってきたように思われたので、枕元に阿弥陀仏を安置して、その御手に五色の糸を付け奉って、それを持って、念仏を唱えること四、五十遍ばかりすると、寝入るが如くに息絶えた。
そこで、弟子たちは、「長年の本意に違わず、きっと極楽に参られた」と尊び喜んで、没後の葬儀などがすべて終り、七々日(ナナナノカ・四十九日)も過ぎると、弟子たちは皆散り散りに去って行った。

ところで、弟子の一人は、その僧房を受け継いで住んでいたが、師の聖人がいつも酢を入れて置いていた、白地の小さな瓶があったのを、受け継いだ僧房の主がそれを見つけて、「故聖人がお持ちになっていた酢の瓶はここにあったのか。『なくなった』と思っていたのに」と言って取り出して、洗わせようとしたとき、瓶の中に動く物がいた。覗いてみると、五寸ばかりの小さな蛇がとぐろを巻いていた。恐くなって、離れた間木(マギ・長押の上などに設けた棚のようなもの。)の上に上げて置いた。

その夜、僧房主の夢に、故聖人が現れて、このように告げた。「私は、お前たちが見ていたように、ひたすら極楽往生を願い、念仏を唱えることの他は何もしなかった。臨終を迎えたときには、『余念を抱かず念仏を唱えて息絶えよう』と思っていたが、棚の上に酢の瓶があるのが、ふと目について、『これをだれが持っていくのだろう』などと、口では念仏を唱えながら、心の中ではたった一度思ったが、それを罪とも思わず、『わるいことを考えた』とも思わず、反省することなく息が絶えた。その罪によって、その瓶のうちに小さな蛇となって生まれ変わったのだ。速やかに、その瓶を布施として、ねんごろに私のために仏像と経典を供養してほしい。そうすれば、私は極楽往生が出来るだろう」と言って姿を消した、と見たところで夢が覚めた。

その後、僧房主は、「それでは、あの小さな瓶の中にいる小さな蛇は、故聖人でおありであったのか」と思うと、たいへん悲しく、明くる朝に、夢のお告げのように、小さい瓶を中堂に誦経料として奉った。そして、ただちに仏像と経典を準備して、ねんごろに供養し奉った。

これを思うに、あれほど尊く信じ込んで息絶えた聖人でさえ、最後につまらぬ物に目が奪われたために、小さな蛇に生まれ変わったのである。いわんや、妻子に囲まれて死ぬ人は、たとえ深い信仰心を起こしていても、よほどの仏縁でもなければ、極楽に往生することは難しい事であると思えば、なんとも悲しい事である。
されば、「臨終の時には、つまらない物は取り隠して、仏以外の物を見てはならない」と、横川の源信僧都(ゲンシンソウズ・942 - 1017 日本浄土教の大成者。)はお話になられた、
となむ語り伝へたるとや。

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後世での償い ・ 今昔物語 ( 20 - 22 )

2024-02-14 08:01:04 | 今昔物語拾い読み ・ その5

     『 後世での償い ・ 今昔物語 ( 20 - 22 ) 』


今は昔、
紀伊国名草郡の三上の村に一つの寺を造って、名を薬王寺(伝不詳)と名付けた。
その後、喜捨を募って多くの薬を備えて、それをその寺に準備しておいて、すべての人々に施した。

さて、聖武天皇の御代に、その薬の費用に充てる稲を、岡田村主(オカダノスグリ・伝不詳)という者の姑の家に保管していた。
ところが、その家の主人がその稲で酒を造り、それを人に与えて利益を上げようとしたが、その時、どこからか斑の子牛がやってきて、薬王寺の境内に入り込み、いつも塔の下の辺りに伏せるようになった。
寺の者がその子牛を追い出したが、すぐに返ってきて寝そべり去ろうとしない。寺の者たちはこれを不思議に思って、「これは誰の家の牛なのか」と、あちらこちらと尋ねたが、一人として「わが家の牛だ」という者がいない。
そこで、寺の者が子牛を捕まえて、繋いで飼っているうちに、子牛は年を経て大きくなり、寺の雑役に使われるようになった。
そうして、いつしか五年が経った。

その頃、寺の檀家の岡田石人(オカダノイワヒト・伝不詳)という者の夢に、この牛が現れて、石人を追いかけて角でもって突き倒し、足でもって踏みつけた。石人は恐れおののいて叫ぶと、牛は石人に尋ねた。「あなたは我を知っていますか」と。石人は、「知らない」と答えた。
すると、牛は放れて後ろに下がって、膝を曲げて地面に臥して、涙を流して「我は、実は桜村の物部麿(伝不詳)なのです。我は前世でこの寺の薬の費用に充てるべき酒二斗を借用して、まだそれを返さないうちに死んでしまいました。その後、牛の身となって生まれ、その借りを償うために使役されているのです。使役される期間は八年に限られています。既に五年が経ったので、残りはあと三年です。寺の者たちは哀れみの心がなく、我が背中を打ってこき使います。痛くてたまりません。あなたのような檀家以外に誰に訴えることが出来ましょう。それであなたに訴えているのです」と言った。
石人は、「そう言われるが、それが本当かどうか、どうしたら分るのですか」と尋ねた。
牛は、「桜村の大娘(ダイジョウ・長女のこと。)に尋ねていただければ、嘘か本当か分るでしょう」と言った。その大娘というのは、酒を造っている主であり、岩人の妹にあたる。

このような夢を見たが、夢が覚めた後、大いに驚くと共に不思議に思って、妹の家に行き、この夢のことを話した。
妹はそれを聞くと、「それは本当です。言っていたように、その人は酒二斗を借用して、未だ返さないうちに死にました」と言った。
石人はこれを聞くと、多くの人に話したので、寺の僧である浄達(ジョウタツ・薬王寺の住職か?)がこれを聞き、牛を哀れに思い、牛のために誦経を行った。
その後、牛は八年すると姿を消した。その行方は全く分からず、遂に見つからないままになった。まことに不思議なことである。

これを思うに、人の物を借用した場合には、必ず返すべきである。まして、寺の物であれば、大いに恐れるべきである。死後に、このように畜生として生まれて償うということは、実につまらないことである、
となむ語り伝へたるとや。

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