雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

貴重な一日

2020-02-29 19:26:43 | 日々これ好日

        『 貴重な一日 』 

     本日2月29日は 4年に一度の閏日
     貴重な一日なのか おまけの一日なのか
     個人的には 微妙な一日だったが
     夕方の 新型コロナウイルスに関する
     安倍首相の会見は 国民に向かっての 力強いものだった
     新型コロナウイルスとの戦いにおいて
     貴重な一日であったとなるように 切に願いたい

                   ☆☆☆  

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今昔物語 巻第十四  ご案内

2020-02-29 15:29:09 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          今昔物語 巻第十四  ご案内

 本巻は、全体の中の位置付けとしては、『本朝付仏法』です。  

 法華経の功徳や、様々な経典の力、あるいは真言の験力など、仏教色が特に強い巻ともいえます。
 同時に、物語としての魅力も十分秘めてい
て、読み物としても楽しめるものが多く収められています。

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銭を隠す ・ 今昔物語 ( 14 - 1 )

2020-02-29 15:26:14 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          銭を隠す ・ 今昔物語 ( 14 - 1 )

今は昔、
比叡山に無空律師(ムクウリッシ・真言宗の僧なので、比叡山の僧というのは正しくない。第二代金剛峯寺座主。)という人がいた。
幼くしてこの山に登り出家して後、戒律を犯すことがなかった。また、心は正しく仏道心が深かった。そこで、僧綱(ソウゴウ・・僧の官職で、僧正・僧都・律師の三官。)の位まで昇ったが、やがて、現世の栄華や名声を棄て去って、後世の菩提をひたすら願うようになった。そのため、寺に籠って、ひたすら念仏を唱え続けることを怠ることなく、これを一生の勤めとした。
その生活ぶりは、常に衣食に困窮し貧しい限りで、いわんや、僧房には塵ほどの貯えもなかった。

ところが、この律師は、ふとしたことから一万という銭を手に入れた。その時、律師は、「自分が死ぬ時、きっと弟子共に迷惑をかけるだろう。されば、この銭を人に知られぬように隠しておいて、死後の費用に充てることにしよう。そして、死に臨んだ時に、弟子共に伝えよう」と思って、僧房の天井の上に密かに隠し置いた。
その後、弟子共はこの事を全く知らなかった。そのうち律師は病気になり苦しんでいるうちに、あの銭を隠し置いていることを忘れてしまい、弟子共に告げないままに、とうとう死んでしまった。

その頃、枇杷の大臣(ビワノオトド・左大臣藤原仲平のこと)という人がいらっしゃった。名を仲平という。この人は、律師と長年にわたって師檀(シダン・師僧と檀那の関係。)の間柄として親交が深く、何事につけ相談相手として頼りにしていた。律師が亡くなったことを特に悲しく思っておられたが、大臣の夢の中に、律師が汚らしい衣服を着け、衰え果てた姿で現れて、「自分は生きていた時、ひたすら念仏を唱えることのみに努め、『必ず極楽に生まれよう』と思っていましたが、自分には蓄えがないので、『死後に弟子共に迷惑をかけるだろう』と思って、銭一万を死後の費用に充てるために僧房の天井の上に隠し置いていました。『死に臨んで弟子共に伝えよう』と思っていましたが、病に苦しんでいるうちにその事を忘れてしまい、告げずに死んでしまいました。いまだ誰もその事を知りません。自分はその罪によって、蛇の身を受け、銭の所で量り知れないほどの苦しみを受けています。自分が生きておりました時、あなたと大変親しくさせていただいておりました。願わくば、あなたがその銭を見つけ出していただき、法華経を書写供養して、私のこの苦しみからお救い下さい」と言った。そこで大臣は夢から覚めた。

そこで、大臣は嘆き悲しんで、ただちに、使いを遣わすこともなく、自ら比叡山に登り、律師の僧房に行き、人に天上の上を調べさせると、まさに夢のお告げのように銭があった。その銭に蛇が巻き付いていた。その蛇は人を見て逃げ去っていった。
大臣は、その僧坊にいる弟子共にこの夢のお告げを話されると、弟子共はそれを聞いて、泣き悲しむこと限りなかった。

大臣は京に戻り、早速この銭でもって法華経一部を書写供養なさった。それからしばらく経って、大臣の夢の中に、あの律師が鮮やかな法服姿で、手に香炉を持って現れて、大臣に向かって、「私はあなたのご恩によって蛇道から離れることが出来ました。また、長年の念仏の功徳によって、今、極楽に生まれようとしています」と言うと、西に向かって飛び去って行った。そこで、大臣は夢から覚めた。

そこで、大臣は喜び尊ばれて、広く世間に語られたのを聞き継いで、
語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

 

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蛇と鼠 ・ 今昔物語 ( 14 - 2 )

2020-02-29 15:25:08 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          蛇と鼠 ・ 今昔物語 ( 14 - 2 )

今は昔、
[ 天皇名の明記を避けた意識的な欠字。]天皇の御代に、信濃守[ 姓名の明記を避けた意識的な欠字。]という人がいた。
任国である信濃国に下っていたが、任期が終わり上京する道中、大きな蛇がこの上京する一行についてきた。一行が留まって休息すると、蛇も留まって藪の中に入っていた。昼間は一行の前になり後ろになってついて来る。夜は御衣櫃(ミソビツ・衣服を保管する箱。)の下でとぐろを巻いている。

「これは、実に怪しいことだ。奴を殺してしまおう」と従者たちが言うと、守は、「絶対に殺してはならない。これは、きっと何かわけがあることだろう」と言って、心の中で祈念したことは、「この蛇が追って来たのは、この国の神様でいらっしゃるのか、あるいは悪霊の祟りが成すことなのか、私には分かりません。たとえ私があやまちを犯していたとしても、凡夫である私にはそれが分かりません。どうか、速やかに夢の中でお示しください」というものであった。
すると、祈念して寝たその夜の夢に、まだら模様の水干(スイカン・民間男子の平服)を着た男が現れて、守の前にひざまずいて、「私の長年の怨敵の男が、前から御衣櫃の中に籠っています。その男を殺害するために毎日ついて来ているのです。もしその男を得ることが出来れば、すぐにここから引き返しましょう」と言った。そこで、守は夢から覚めた。

夜が明けると、守はこの夢の事を従者たちに話し、すぐに衣櫃を開けてみると、底に老いた鼠が一匹いた。とても恐れている様子で、人を見ても逃げようとせず、衣櫃の底にかがみこんでいる。従者たちはそれを見て、「この鼠をすぐに放り棄てよう」と言った。
守は、「あの蛇と鼠は前世からの怨敵だったのだ」と知って、たちまち深い慈悲心を抱いて、「もし、この鼠を棄てれば、あの蛇に必ず呑まれてしまうだろう。されば、ここは善根を行い、蛇も鼠も共に救ってやろう」と思って、その場所に留まって、蛇と鼠の為に一日のうちに法華経一部を書写し供養し奉ろうとした。
多くの従者が一人一人協力して書写したので、一日のうちにみな書き終わり、ただちに、同道していた僧に命じて蛇と鼠の為に決まり通りに供養し奉った。  

その夜、守の夢の中に、二人の男が現れた。二人とも姿形が麗しく、微笑をたたえ、立派な衣装を身に着けていて、守の前までやって来て、敬い畏まって守に申し上げた。「私たちは、前世において怨敵の関係となり、互いに殺し合ってきました。されば、『今回も殺害してやろう』と思って追いかけてきたところ、あなたが慈悲の心で私たちを救うために、一日のうちに法華経を書写し供養してくださいました。その善根の力によって、私たちは畜生の報いから離れ、今、忉利天(トウリテン・天上世界の一つ。)に生まれ変わろうとしています。この広大なご恩は、世々生々(セゼショウジョウ・生き変わり死に変わり永劫に。)を経てもお返し尽くすことは出来ないでしょう」と言うと、二人はともに空に昇って行った。その間、美しい音楽が空に満ち満ちていた、と見たところで夢から覚めた。

夜が明けて後、見てみると蛇は死んでいた。また、衣櫃の底を見てみると、鼠も死んでいた。この様子を見た人々は、みな尊び感動すること限りなかった。
まことに、守の心はまれに見る立派なものであった。守もまた、世々生々に渡って蛇や鼠らとの良き仏門の友であったのだろう。また、法華経の験力も不可思議なものである。
この話は、守が京に上ってから語ったのを聞き継ぎ、
かくの如く語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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ひたすらに僧を慕う ・ 今昔物語 ( 14 - 3 )

2020-02-29 15:23:54 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          ひたすらに僧を慕う ・ 今昔物語 ( 14 - 3 )

今は昔、
熊野に参る二人の僧がいた。
一人は年老いていて、もう一人は若くして容姿美麗であった。
牟婁の郡(ムロノコオリ・紀伊国)までやって来て、民家を借りて二人一緒に泊まった。その家の主は、寡(ヤモメ・夫のいない女。未亡人に限らず、未婚者も含め、独り身の女を指した。)の若い女であった。女の従者が二、三人ばかりいた。

この家主の女は、泊まることになった若い僧の美麗なのを見て、深く愛欲の心を起こし、心をこめて世話をし、もてなした。
やがて、夜になり、二人の僧は寝てしまったが、夜中ごろになると、家主の女はひそかに若い僧が寝ている所に這い寄り、着ている着物を僧の上にかけ、そのわきに添い寝して、僧を揺り起こした。僧は驚いて目覚め、その状態に恐れ狼狽した。
女は、「私の家には、これまで他人をお泊めしたことは一度もありません。それなのに、今夜あなたをお泊めすることにしたのは、昼間にあなたに初めて会った時から、この人を夫にしようと深く心に決めたからです。それゆえ、『あなたをお泊めして、わたしの思いを遂げよう』と思いましたので、こうしておそばに参ったのです。わたしには夫はなく、独り身でございます。わたしを哀れと思し召し下さい」と言った。

僧はこれを聞いて、大いに驚き恐れて起き上がり、女に答えて、「私には宿願があり、これまでずっと心身の清浄を保って、遠い道のりを旅して、熊野権現の社前に参ろうとしていますのに、にわかにここで宿願を破るのは、お互いに罪深いことになります。ですから、あなたも速やかにその気持ちを捨ててください」と言って、強く拒絶した。
女は懸命に恨みのほどを訴え、一晩中僧を抱きしめて、身を震わせて戯れ続けたが、僧は様々な言葉を尽くしてなだめて、「私は、あなたのおっしゃることを拒絶しているのではありません。ですから、これから熊野に参詣して、二、三日かけて御灯明や御幣を奉って帰って参りますので、その時には、あなたの申されることに従いましょう」と約束した。
女はこの約束を頼りにして、自分の部屋に帰っていった。
夜が明けると、僧はその家を出立して、熊野に向かった。

その後、女は約束の日を指折り数えながら、他の事に気を取られることなく、ひたすら僧を恋い続け、様々な準備をして待っていたが、僧は帰途につくも、この女を恐れ、その家に近付かず、別の道を通って逃げるように去ってしまった。
女は、僧がなかなか帰ってこないのを待ちかねて、道端に出て、往き来する人々に尋ねていたが、熊野から帰って来る一人の僧に出会った。女はその僧に、「これこれの色の衣を着ている、若い僧と老いた僧の二人連れが熊野から帰って来るのに会わなかったでしょうか」と訊ねた。訊ねられた僧は、「その二人の僧は、早くにお帰りになり、もう三日ほどになりますよ」と答えた。
女はそれを聞くと、手を打って、「さては、他の道を通って逃げて行ってしまったのだ」と思うと、大いに腹を立て、家に帰ると寝室に閉じ籠ってしまった。物音もたてないまま、しばらくして死んでしまった。
家の従者たちが、これを見て泣き悲しんでいると、五尋(イツヒロ・一尋は成人が両手を広げたときの端から端までの長さ。)ほどもある毒蛇が突然寝室から出てきた。それが、家を出て道路に這っていった。そして、熊野からの帰り道を走っていった。人々はそれを見て、ひどく恐れおののいた。

さて、かの二人の僧は、ずっと前方を歩いていたが、自然と噂が聞こえてきた。「この後ろの方で奇怪なことが起こっています。五尋ばかりもある大蛇が現れて、野山を越えて凄い速さでやってきていますよ」と。
二人の僧はこれを聞いて、「さては、あの家主の女が、約束を破ったので、悪心を起こして大蛇となって追いかけてきたに違いない」と思って、大急ぎで逃げて、道成寺(ドウジョウジ・・安珍・清姫で著名な道成寺と同じ寺)という寺に逃げ込んだ。
寺の僧たちは、この二人の僧を見て、「何事があってそんなに走ってきたのですか」と訊ねた。二人の僧は事の次第を詳しく話して、助けを求めた。
寺の僧たちは、集まってこの事を相談して、鐘を引き下ろして、この若い僧を鐘の中に隠し入れて、寺の門を閉じた。老いた僧の方は寺の僧と共に隠れた。

しばらくすると、大蛇がこの寺まで追いかけてきて、門を閉じていたが、乗り越えて入り、堂の周りを一、二周すると、あの僧を隠している鐘楼の戸のもとに来ると、尾でもって扉を百度ほどたたき続けた。とうとう扉をたたき破り、蛇は中に入った。
蛇は鐘に巻きつき、尾でもって竜頭(リュウズ・釣鐘の頂部にある竜頭形のつり手。)を二時、三時(4~6時間)もたたき続けた。寺の僧たちはこの様子を恐ろしく思いながらも不思議に思って、四方の戸を開いて集まってきて様子を見てみると、毒蛇は両の眼(マナコ)から血の涙を流して、鎌首をもたげ舌なめずりをしてもと来た方に走り去った。
寺の僧たちが、そのあとに行って見ると、あの大きな鐘が蛇の毒熱の気で焼かれて盛んに炎をあげていた。とても近づくことなど出来ない。そこで、水をかけて鐘を冷やして、その鐘を取り除けて中を見ると、僧はすっかり焼失していて、一かけらの骨さえ残っていない。わずかに、灰があるだけであった。
老いた僧はこれを見て、泣き悲しんで帰っていった。

その後、その寺の上席の老僧の夢の中に、この前の蛇よりもさらに大きな蛇が真っすぐにやって来て、この老僧に言った。「私は、鐘の中に隠されていた僧です。悪女が毒蛇となり、私はとうとうその毒蛇のとりことなり、夫にされてしまいました。そのため、蛇道に堕ちて、蛇身となり量り知れないほどの苦しみを受けています。今この苦しみから逃れたいと思っていますが、私の力ではとても及びません。生きていた時、法華経を信仰しておりましたが功徳とすることが出来ません。願わくば、聖人の広大な恩徳を蒙りまして、この苦しみからお救い頂きたいと思っています。特別に、広大無辺の大慈悲の心を起こし、心身を清浄にして法華経の如来寿量品を書写して、私たち二匹の蛇の為に供養して、この苦しみを免れさせてください。法華経のお力でなければ、苦しみから逃れることは出来ません」と。そして、大蛇が帰って行った、と見たところで夢から覚めた。

その後、老僧はこの夢のことを思うと、たちまち道心が起こり、自ら如来寿量品を書写して、衣鉢を投げて(僧が私財を投ずることを言う。)多くの僧を請じて、一日の法会を営んで、二匹の蛇の苦しみを免れさせようと供養を行った。
その後、老僧の夢に、一人の僧と一人の女が現れた。二人とも笑みを浮かべ、喜んでいる顔つきで道成寺にやって来て、老僧を礼拝して言った。「あなたが清浄の善根を営んでくださいましたおかげで、私たち二人は、たちまち蛇身を捨てて善所(ゼンショ・浄土を指す)に趣くことが出来、女は忉利天(トウリテン・天上界の一つ)に生まれ、私は兜率天(トソツテン・天上界の一つ)に上ることになりました」と。そして、こう告げた後、それぞれ別々に空に上って行った、と見たところで夢から覚めた。

老僧は喜び感激して、法華経のお力をいよいよ尊ぶこと限りなかった。実(マコト)に法華経の霊験はあらたかである。蛇身を棄てて新たに天上に生まれることは、ひとえに法華経のお力である。
これを見聞きした人は、皆法華経を尊び信じて、書写したり読誦したりした。また、老僧の心も立派なものである。それも、前世において、この二人と仏縁があったからであろう。
これを思うに、あの悪女が僧に愛欲の心を起こしたのも、みな前世の因縁によるものであろう。

されば、女人の悪心が激しいことはまさにこのようなものである。それゆえに、女に近付くことを仏は強く戒めているのである。これをよく理解して、女に近付くことは避けるべきである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆



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大臣と女の霊 ・ 今昔物語 ( 14 - 4 )

2020-02-29 15:22:49 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          大臣と女の霊 ・ 今昔物語 ( 14 - 4 )

今は昔、
奈良に都があった頃、聖武天皇の御代に、都の東に一人の女がいた。容姿がたいへん美しい女だったので、天皇はこの女を召し出して、一夜契りを結ばれたが、お気に召されたのであろう、金(コガネ)千両を銅(アカガネ)の箱に入れて下賜された。女がこれを賜った後、いくばくも経たないうちに天皇は崩御された。
また、女もそれからしばらくして亡くなったが、女はその時、「この千両の金を、私が死んだ後には必ず墓に埋めてください」と言い残した。されば、遺言通りにこの銅の箱に金を入れて墓に埋めた。

ところで、東の山に石淵寺(イワブチデラ)という寺があった。その寺に参詣する人は一人として帰ることなく死んでしまう。それで世間の人は誰もお参りしない。人々は大変恐ろしいことと思っていた。
その頃、吉備の大臣(キビノオトド・吉備真吉備)という人がいた。その人がその石淵寺に参って、その噂のことを確かめてみようと思って参詣した。夜にただ一人でそのお堂に入って、仏の御前に座っていた。この大臣は、陰陽道の達人なので、このように恐れることがなかったのである。
そして、身を呪術で固め心を静めて座っていると、真夜中頃に、ふつうでない恐ろしげな心地がしてきた。お堂の後ろの方から風が吹いてきたと思うと辺りの様子が変わり、物の怪がやって来るような気配がした。

大臣は、「さては噂通りだ。鬼が出てきて人を食うのだな」と思って、いっそう心を引き締め身を固め呪文を唱えていると、後ろの方から一人の美しい姿をした女が静かに歩み寄ってきた。灯明の光で見てみると、まことに怖ろしくはあるものの、その姿は何とも美しい。少し離れて横向きかげんに座っている。
しばらくすると、女は大臣に話し始めた。「わたしは、申し上げたいことがあって、ここ数年このお堂に来ているのですが、人は私の姿を見て怖れをなし、皆死んでしまいます。わたしは決して人を殺そうとは思っておりませんが、人々の方が勝手に怖気ずいて死んでしまうことがたび重なっております。ところが、あなた様は少しも怖気ずくことがございません。わたしは、たいそう嬉しゅうございます。わたしが長年思い願っていた事をあなた様にお話しいたしましょう」と。

大臣は、「あなたが思い願っている事とはどういうことか」と訊ねた。
女の霊が答えた。「わたしは、これこれの所に住んでおりました。生きておりました時、天皇のお召しにより、ただ一度契りを結びました。そして、天皇はわたしに千両の金を下さいました。わたしは、生きている時にはその金を使うことなく、死ぬ時に、『その金を墓に埋めてください』と遺言しましたので、金は墓に埋められました。わたしは、その金に執着する罪によって、死後、毒蛇の心を受けて、その金を守り墓の周りを離れずにいるのです。そのため、量り知れないほどの苦しみを受け、とても堪えられない思いでございます。その墓は、これこれの所にあります。このままでは、いくら経っても蛇身から逃れることが出来ません。ですから、あなた様、どうかその墓を掘って、その金を取り出して、五百両を以って法華経を書写供養してわたしをこの苦しみからお救い下さい。あとの五百両はお力添えのお礼としてあなた様のものとしてお使いください。この事を告げようと思ってきましたが、どなたもわたしの姿を見て怖気ずいて死んでしまうので、今までお話することが出来ず嘆いておりましたが、幸いにもあなた様にお会いして申し上げることが出来ました。嬉しい限りでございます」と。
大臣は、女の話を聞いて、女の霊の願いを承知した。女の霊は喜んで帰っていった。
やがて、夜が明けたので大臣も帰った。大臣が帰ってきたのを見聞きした人は、大いに驚き、「やはりこの人はただの人ではない」と言って褒め称えた。

大臣は、その後、多くの人を集めて、さっそく女の霊が話した墓を捜して、その場所に行き墓を掘らせた。人々はこれを見て、「墓を掘るなどすれば、必ず祟りがある。どうしてこのような事をするのか」と言い合った。
それでも大臣は、気にすることなく墓を壊し地面を掘って行くと、土の下に大きな蛇が墓に巻きついていた。大臣は蛇に向かって言った。「昨夜、はっきりとお話されたことがあるので、その約束を果たすためにこのように墓を壊したのに、どうして、あなたはここから出て行かないのか」と。
蛇は大臣の言葉を聞いて、すぐさまそこから這って去り姿を隠した。そのあとを見ると、一つの銅の箱があった。箱を開けてみると、砂金千両が入っていた。
そこで大臣は、それを取り、さっそく法華経を書写し、大々的に法華講を営み、定められたとおりに立派な供養を行った。お礼にと言っていた分を残さず、すべてを供養にあてた。 

その後、大臣の夢の中に、あの石淵寺で現れた女の霊が、実に美しい衣装を身につけ、光を放って、大臣の前にやって来て、笑みをたたえて大臣に告げた。「わたしは、あなたが広大なお慈悲によって法華経を書写し供養してくださいましたことにより、今、蛇身を棄てて兜率天(トソツテン・天上界の一つ。内院は弥勒の浄土。)に生まれようとしています。この御恩は、未来永劫忘れることはございません」と。そして、大臣に礼拝して、大空に飛び上がって行った、と思ったところで夢から覚めた。

大臣はその後、大変哀れで尊いことと思われて、この事を広く世間に語られた。これを聞いた人は、まことに法華経の霊験が殊勝であらたかなことを尊んだのである。また、この大臣のことを世間の人はたいへん褒め称えた。
そして、あの女の霊が、法華経の利益を蒙ることができたのは、もともとそうなるべき宿縁が深かったから、この大臣に会うことが出来たのであろう。同じように、大臣もまた、前世の宿縁が深かったからこそ女の霊を救ったのであろう。

されば、この話を知った人は、多くの人に勧めて、みな心を合わせて善根を修めるべきである。というのも、大臣と女の霊は前世からのよい仏門の友であったのだろう。また、何といっても法華経を書写し奉る功徳は、経に説かれていることと少しも違うところがない。このように、兜率天に生まれたということは、まことに尊いことである。
されば、あの女の霊が住んでいた所を一夜半(ヒトヨワ・所在不明)と名付けられたのである。天皇が女とただ一夜お寝になっただけで金(コガネ)を賜ったので、一夜半というのであろう。
今でも、奈良の京の東にその場所はあると聞いている。あの石淵寺もその東の山にあった。

この事は、確かに記録されていた話を見て、
かく語り伝へたるとや。

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狐との契りを守る ・ 今昔物語 ( 14 - 5 )

2020-02-29 15:21:10 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          狐との契りを守る ・ 今昔物語 ( 14 - 5 )

今は昔、
年若くして姿形美麗なる男がいた。どういう人かは分かっていないが、侍(サムライ・貴人の家に仕えて、事務や警備にあたった者。)程度の身分の者であったようだ。
その男は、どこからやって来たのか、二条朱雀を過ぎ朱雀門の前を通っていると、十七、八歳ばかりの姿形が美しい女が、きれいな着物を重ね着して、大路に立っていた。男は、その女を見ると、そのまま行き過ぎがたい気がして、そばに近寄って、その手を取った。

そして、朱雀門の中の人のいない所に女を連れて行き、二人並んで腰を下ろし、あれこれと話し合った。
男は女に、「このように、あなたとお会いできたのは何かのご縁でしょう。それゆえ、私があなたを想っているように、あなたも私を愛してください。そして、私の言うことを聞いてください。これは本心から思っていることですよ」と言った。
女は、「嫌だと申すつもりはありません。お言葉に従おうとは思いますが、もしわたしがあなたの申されることに従えば、わたしが命を失うことは疑いのないことなのです」と答えた。
男は、女が言っていることの意味が分からないまま、「ただ、断ろうとしているのだ」と思って、むりやりこの女を抱こうとした。女は、泣き泣き言った。「あなたは、世間で認められている人であって、家には奥様やお子がおありでしょうに、ほんの行きずりの気持ちからのことでしょう。ところが、そのような一時の戯れのために、わたしはあなたに代わって長く命を失うのは悲しいことです」と。
このように女は拒み続けたが、とうとう女は男の言うままになってしまった。

やがて、日も暮れて夜になったので、その近くの小屋を借りて、女を連れて行ってそこに泊まった。
すぐに共寝して、終夜(ヨモスガラ)行く末までの変わらぬ契りを交わしたが、夜が明けると、女は帰ろうとして男に言った。「わたしはあなたに代わって(この辺りの話の筋が分かりにくい。)命を失くすことは間違いありません。ですから、わたしのために法華経を書写し供養して、私の後世を弔ってください」と。
男は、「男と女が交わるのは世間で普通のことですよ。必ず死ぬなどということがあるはずがない。けれども、もしあなたが死ぬようなことがあれば、必ず法華経を書写し供養し奉りましょう」と言った。
女は、「あなたが、わたしが死ぬことが事実か否かを見ようと思うなら、明朝、武徳殿(ブトクデン・大内裏内の殿舎の一つ。武技を演じた殿舎。)の辺りに行ってご覧ください。その時の証(アカシ)の為にこれを」と言って、男の持っていた扇を取ると、泣きながら別れていった。
男は、これを本当のことと信じることもなく、家に帰った。

明くる日、「女の言っていたことは、もしかすると本当かもしれない。行って見てみよう」と思って、武徳殿に行って、そこを廻って見ると、髪の白い老いた嫗(オウナ)が現れて、男に向かって激しく泣いた。
男は媼に訊ねた。「あなたはどなたですか。どういうわけで、そのように泣くのですか」と。媼は答えた。「わたしは、昨夜、朱雀門の辺りであなた様があった女の母なのです。あの娘はもう死んでしまいました。『そのことをお知らせしよう』と思ってここに来ていたのです。その亡くなった娘は、あそこに横たわっています」と指を指して教えると、掻き消すように消えてしまった。
男は、「奇怪なことだ」と思って、指さされた方に行って見てみると、武徳殿の中に、一匹の若い狐が扇で顔を覆って死んで横たわっていた。その扇は、昨夜男が持っていた扇であった。
これを見て、「さては、昨夜の女はこの狐だったのか。すると私は、この狐と契りを結んだのだ」と、その時はじめて気がつき、哀れにも不思議に思いながら家に帰った。

早速その日から、七日ごとに法華経一部を供養し奉り、あの狐の後世を弔うことを始めた。すると、まだ四十九日にならない頃に、男の夢の中に、あの在りし日の姿の女が現れた。その女を見てみると、天女とかいう人のように身を飾っていた。また、同じように美しい装いの百千の女が、その女の周りを取り巻いている。
その女は男に告げた。「わたしは、あなた様が法華経を供養してわたしを救ってくださいましたので、永劫に罪を滅して、今、忉利天(トウリテン・天上界の一つ)に生まれようとしています。この御恩は量り知れないほどです。この後、世々を経ても忘れることはございません」と言って、空に昇っていった。その時、空には妙なる音楽が聞こえてきた、と思ったところで夢から覚めた。
男は、しみじみと胸に迫り尊く思い、いよいよ信仰心を強くして、法華経を供養し奉ったのである。

この男の心は、まことに立派なものである。女の遺言があったとしても、約束を違えることなく、ねんごろに後世を弔うことはなかなかのことである。それも、前世からのよき仏門の友であったからであろう。
この話は、男の語るのを聞き継いで、
語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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猿の宿願 ・ 今昔物語 ( 14 - 6 )

2020-02-29 15:20:17 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          猿の宿願 ・ 今昔物語 ( 14 - 6 )

今は昔、
越後の国三島の郡に国寺(クニテラ・正しくは乙寺(キノトデラ)が正しい。誤記されたものらしい。)という寺があった。
その寺に一人の僧が住んでいて、昼夜法華経を読誦することを仕事として、他のことは何もしなかった。

さて、いつの頃からか、二匹の猿がやって来て、お堂の前にある木に座って、この僧が法華経を読誦するのを聞くようになった。猿たちは、朝にやって来て、夕方には帰っていく。
このようにして三か月ばかり過ぎたが、毎日欠かさずやって来て、同じように、木に登って聞いている。僧は、これを不思議なことと思って、猿のもとに近付き、猿に向かっていった。「これ猿よ。お前たちは何か月もこのようにやって来て、この木に登って、法華経を読誦するのを聞いている。もしかすると、法華経を読誦したいと思っているのか」と。
猿は僧に向かって頭を横に振って、否定している様子である。
僧はまた言った。「それでは、経を書写したいと思っているのか」と。
すると、猿は喜んでいる様子をみせた。僧はその様子を見て、「お前たちが、経を書写したいと思っているのであれば、私がお前たちのために経を書写してやろう」と言った。猿はこれを聞いて、口を動かし、さらに[ 欠字あるも不詳。]て喜んでいる様子で、木から下りて帰っていった。

それから、五、六日した頃、数百匹の猿が、それぞれ皆何か物を背負ってやってきて、僧の前に置いた。見てみると、木の皮をたくさん剥ぎ集めて、持ってきたのである。僧はそれを見て、「この前言った写経のための紙を漉(ス)けということらしい」と感じ取って、奇妙なことだと思いながらも、たいそう尊いことだと思った。
それから、その木の皮をもって紙を漉き、吉日を選んで法華経を書き始めた。すると、書き始めた日からずっと、この二匹の猿は毎日欠かさずやって来た。ある時には、山芋や野老(トコロ・山芋の仲間?)を掘って持ってきた。ある時には、栗、柿、梨、ナツメなどを持ってきて僧に与えた。僧はその様子を見て、ますます「奇妙なことだ」と思った。

やがて、この経の第五巻を書き奉る時になったが、この二匹の猿が二、三日姿を見せなかった。
「何かあったのか」と僧は怪しく思い、寺の近辺に出て、山林を廻って見ると、あの二匹の猿は、林の中に山芋をたくさん掘り置いて、その土の穴に頭を突っ込んで、二匹とも同じように倒れて死んでいた。僧はこれを見て、涙を流して泣き悲しみ、猿の屍(シカバネ)に向かって、法華経を読誦し念仏を唱えて、猿の後生を弔ったのである。
その後、猿のために始めた法華経は書き終えず、仏の御前の柱を刻んで、その中に込めて置いた。そして、その後四十余年が過ぎた。

その頃、藤原子高朝臣(越後守などを歴任し、従四位まで上った人物。)という人が、承平四年(934)という年、この国の守となって下ってきた。国府に着任した後、まだ神事も行わず、政務も始めない前に、まず夫婦そろって三島郡にやって来た。
従者も国府の役人も、「どういうわけで、この郡に急いでやって来たのか」と不思議に思っていると、守は国寺に参詣した。そして、住持の僧を召し出して尋ねられた。「もしかすると、この寺に書き終えていない法華経はございませんか」と。僧たちは驚いて捜したが、見つからなかった。

すると、あの経を書いた持経者が年は八十余りで、老耄の様子ながらまだ生きていて、その者が出てきて守に申し上げた。「昔、私がまだ若かりし頃、二匹の猿がやって来て、これこれの次第で私に書かせた法華経がございます」と。そして、昔のことを詳しく語った。
これを聞いて、守はたいそう喜んで、老僧に礼拝して、「速やかにその経を取り出してください。私たちは、その経を書き終えさせていただくために、人間界に生まれて、この国の守に任じられたのです。その二匹の猿というのは、今の私たちがそうなのです。前世において、猿の身に生まれ、持経者が読誦なさいました法華経を聞かせていただいたおかげによって、信仰心を起こして、法華経を書写しようと思っておりましたが、聖人のお力によって法華経を書写することが出来ました。されば、私たちは聖人の弟子なのです。心から尊び敬い申します。私がこの国の守に任じられたことも、いい加減な縁ではありません。極めて有り得ないようなことですが、それもひとえにこの経を書き終わらせたいためなのです。願わくば聖人様、速やかにこの経を書き終わらせて、私の願いを遂げさせてください」と言った。
老僧はこれを聞いて、雨のように涙を流した。そして、すぐさま経を取り出して、心をこめて書き上げた。
守もまた、別に三千部の法華経を書き奉って、老僧の経に添えて、一日の法会を営んで、作法通りに供養し奉った。

老僧は、この経を書き奉った功徳により浄土に生まれ変わった。二匹の猿は、法華経を聞くことによって法華経を書写する願を立て、猿の身を棄てて人間界に生まれ、国司に任じられた。そして、夫婦ともに宿願を果たし、法華経を書写し奉ることが出来た。
その後も、道心を起こし、いっそう善根を修めた。

まことにこれは稀有のことである。畜生の身であるといえども、深い信仰心を起こしたことにより、このように宿願を遂げることが出来たのである。
世間の人々は、この事を知って、深い信仰心を起こさなければならない、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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立山の地獄 ・ 今昔物語 ( 14 - 7 )

2020-02-29 15:19:10 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          立山の地獄 ・ 今昔物語 ( 14 - 7 )

今は昔、
越中の国[ 郡名が入るが欠字 ]の郡に立山(タチヤマ・立山連峰の総称。)という所がある。
昔から、この山には地獄があるという言い伝えがある。その場所の様子は、遥かに広い一帯に野山がある。その谷には、百千もの出湯(イデユ)がある。深い穴の奥から湧き出ている。岩石が穴を覆っているが、湯は荒々しく涌き、岩石の隙間から湧き出ると、その大きな岩石が揺れ動く。熱気が満ちていて、近づいて見ると極めて恐ろしい。
また、その一帯の奥の方に大きな火の柱がある。常に焼けて燃え上がっている。また、そこには高い山があり、帝釈の嶽(タイシャクノタケ)と呼ばれている。「あそこは、帝釈天や冥官(ミョウガン・冥途の役人。閻魔王の配下の官吏。)がお集まりになり、衆生の善悪の行為を協議して決定する所である」と言われている。その地獄の原の谷に大きな滝がある。高さ十余丈(数百丈という文献もある。)である。これを勝妙の滝(ショウミョウノタキ・現在の称名滝で落差350m。)と名付けている。白い布を張ったようである。
そういうことで、昔から、「日本国の者で罪を犯した多くの者は、この立山の地獄に堕ちている」という言い伝えがある。

さて、三井寺にいる僧が、仏道の修行をするために、諸所の霊験所に参詣して難行苦行を続けているうちに、あの越中国の立山に詣でて、地獄の原に行き廻っていると、山の中に一人の女がいた。年若くして、未だ二十歳に満たないほどである。
僧は女を見て、恐れおののき、「これは鬼神ではないか。人もいない山の中に女が現れたのだから」と思って、逃げようとすると、女は僧に呼びかけて、「わたしは鬼神ではありません。決して怖がることなどありません。ただ申し上げたいことがあるだけです」と言った。
そこで、僧は立ち止まって聞くと、女は、「わたしは近江の国、蒲生の郡に住んでいた者です。私の両親は今もその郡に住んでいます。父は木仏師(キブッシ・木仏を彫る仏師。)です。ひたすら仏像を造り、それを売って生計を立てて来ました。わたしは生きておりました時、仏像の代金にによって衣食としていましたので、死後にこの小地獄(地獄の種類の一つ。経典により違いがあるが、地獄には八大地獄・八寒地獄があり、八大地獄にはそれぞれに十六の小地獄があるとされる。)に堕ちて、堪え難い苦しみを受けています。どうかあなたの慈しみの心をもって、この事をわたしの父母に伝えて、『わたしのために法華経を書写供養し奉って、わたしの苦しみを救ってください』と話してください。この事を申し上げるために、わたしは現れてきたのです」と言った。

僧は、「あなたは地獄に堕ちて苦しみを受けているというのに、このように自由に姿を現すことが出来たのはなぜですか」と訊ねた。
女は、「今日は十八日で、観音様のご縁日にあたります。私は生きておりました時、『観音様にお仕えしたい』と思い、また『観音経を読み奉ろう』と思っておりました。そうは思っておりましたが、そのうちそのうちと思っているうちに、行わないうちに死んでしまいました。しかしながら、十八日にただ一度だけ精進して観音様を拝み奉りましたことがありましたので、毎日十八日に、観音様がこの地獄においでになられ、丸一日、わたしに代わって苦しみを受けてくださるのです。その間、わたしは地獄を出て、安らかにあちらこちらに行けるのです。それで、わたしはこのように来ているのです」と言うと、掻き消すように姿を消した。

僧は不思議に思いながらも恐ろしくもあり、立山を出て、女の言ったことが事実かどうか知るために、その近江の国蒲生郡に行って捜してみると、父母が実在していた。
僧は女が話したことを詳しく語った。父母はそれを聞いて、涙を流して泣き悲しむこと限りなかった。僧は、この事を伝えると帰って行った。
父母は、さっそく娘のために法華経を書写供養し奉った。

その後、父の夢の中に、あの女が美しい衣服を着けて現れ、合掌して父に告げた。「わたしは、法華経の威力と、観音様のお助けによって、立山の地獄から出て忉利天(トウリテン・天上界の一つ)に生まれ変わろうとしています」と。父母は喜び感激すること限りなかった。
そして、あの僧もまた、同じような夢を見た。僧はそのことを伝えようと父母の家に行き、夢の事を話すと、父もまた自分の見た夢を話したが、二人の夢は全く同じで違う所がなかった。
僧はこれを聞いて尊いことだと思って帰り、世間に語り伝えたのである。それを聞き継いで、このように、
語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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千部の経を供養する ・ 今昔物語 ( 14 - 8 )

2020-02-29 15:17:52 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          千部の経を供養する ・ 今昔物語 ( 14 - 8 )

今は昔、
越中の国に一人の書生(ショショウ・書記生。国府に仕える下級官吏。)がいた。
その書生には男の子が三人いた。書生は朝晩国府に出仕して、公務に勤めていた。
ある時、書生の妻が急な病気になり、数日患っただけで死んでしまった。夫と子供は泣き悲しみながら死後の供養を営んだ。その葬儀を行う家に僧たちが多数籠って、七々日(ナナナヌカ・四十九日)の間心をこめて仏事を営んだ。

やがて、七々日が終わったが、思い嘆き恋い悲しむことは鎮まらず、この家には忘れ草(悲しみを忘れさせるという。)も生え育つこともないのであろう。
「我が母がどのような所に生まれ変わったとしても、もう一度会ってみたい」などと言い合っていたが、その国には、立山(タチヤマ・立山連峰。)という所がある。極めて尊く、深い山である。道は険しく、容易く人が行けるところではない。その中には、様々な地獄の湧き湯があり、堪え難いほどに怖ろし気な様子の所である。
ある時、書生の子供三人が話し合って、「私たちはかくも母を恋い悲しんだとて、まったく心が鎮まることがない。されば、あの立山に詣でて、地獄の燃ゆるのを見て、我が母の今の境遇を推し量って、それによって心を鎮めようではないか」と決めて、皆でお参りすることになった。尊い聖人も同行した。

地獄を一つ一つ見て回ると、まことに堪え難いほど恐ろしい。一帯が燃え焦げている。その地獄の有様は、湯が沸き立っている炎は、遠くから見ているだけでも我が身に降りかかるような心地がして、熱くて堪え難い。いわんや、煮られている人の苦しみを思うと、何とも哀れで悲しく、僧に頼んで、錫杖を振って供養させたり、法華経を読誦させたりしていると、地獄の炎は少しおさまったように見える。
このようにして、地獄を十ばかり回り歩いたが、その中に一段と激しく恐ろしげな地獄があり、前のように経を読誦し、錫杖を振るなどしていると、炎が少しおさまったように見える。

その時、姿は見えないが、岩の隙間から、明け暮れに恋い慕っていた母の声で、「太郎(長男を指す)」と呼ぶ声があった。この声を聞いて、思いがけないことであり不思議に思え、空耳かと思ってしばらく答えないでいると、しきりに同じ声で呼ぶ。
恐ろしくなりながらも、「どなたが、お呼びになっているのでしょうか」と訊ねると、岩の隙間からの声は、「何を言っているのですか。自分の母の声を分からぬ人がありますか。わたしは、前世に罪をつくり、人に物を与えようとしなかったので、今、この地獄に堕ちて量り知れないほどの苦しみを受けています。それは、昼も夜も休む時がないのです」と言った。
子供たちはこれを聞いて、奇怪に思った。亡くなった人が、夢などに現れることはよくあることだが、このように、現実にこのように話しかけてくるのは、世間であまり聞かないことであるが、まさしく母の声なので、疑うわけにもいかない。
そこで子供たちは、「どのような善根を行えば、この苦しみを免れることが出来るのでしょうか」と言った。岩の隙間の声は、「罪が深くて、容易くこの苦しみを免れることは出来ません。広大な善根を積むためには、お前たちは貧しくて力が及ばず、わたしのために善根を積むのは無理です。されば、わたしは永劫にこの地獄から逃れられることはありますまい」と言う。
子供たちは、「そうだとしても、どれほどの善根を積めば地獄から逃れることが出来るのでしょうか」と尋ねた。
岩の隙間の声は、「一日に法華経千部を書写供養し奉ることだけが、この苦しみから逃れさせてくれるでしょう」と言う。子供たちは、「一日に法華経一部を書写供養することでさえ、よほど財力がある人ができることだ。いわんや、十部でもなく、百部でもなく、千部までとなれば、思いもよらないことだ。それでも、現実に母の苦しみを見た上は、このまま家に帰って、安穏に暮らすことなどできようか。ただ出来ることは、私たちも地獄に入って、母の苦しみに代わろう」と思っていると、同行の聖人が、「親の苦しみを子が代わって罪を蒙ることは、この世だけのことである。冥途には、それぞれ業(ゴウ・善悪の所行。)によって罪を受けるものなので、代わろうと思っても、それは出来ない。ただ、家に帰り、自分の力の及ぶ限り、たとえ一部でも法華経を書写供養し奉れば、少しであっても苦しみは軽くなるだろう」と言った。
これを聞いて、子供たちは泣く泣く家に帰り、この事を父の書生に話した。
書生はこれを聞いて、「ほんとうに悲しいことであるが、法華経千部までの力はとてもない。ただ、心を尽くして、力の及ぶ限り書写申し上げよう」と言って、まず三百部の書写供養を計画した。

そうした時、ある人が国司の[ 欠字あり。姓名が入るが不詳。]という人に、この事を話した。国司は仏道心がある人だったので、その話を聞くと書生を召して、直接に聞いて見ると、書生は詳しく申し上げた。
国司はそれを聞くと慈愛の心が起こり、「わたしも協力してその計画を実行しよう」と言って、隣の国々である能登、加賀、越前などの縁を辿って協力を求めた。こうして、国司が心を合わせて行ったので、ついに千部の法華経を書写し、一日の法会を営んで供養した。

そこで、子供たちの心は安らぎ、「我が母は、今はもう地獄の苦しみを免れただろう」と思っていると、その後、太郎の夢に、母は美しい衣服を着て現れて、「わたしはこの功徳によって、地獄を離れて忉利天(トウリテン・天上界の一つ。)に生まれることになりました」と告げて、天空に昇って行った、と見たところで夢から覚めた。
その後、この夢のお告げを多くの人に語って、喜び尊んだ。しばらくして、子供たちは再び立山に行って、前と同じように地獄を廻り歩いたが、その時には、岩の隙間から声はなかった。
その立山の地獄は、今も存在しているという。

この話は、[ 欠字あり。年号などが入るが不詳。]の頃、比叡山に八十歳ほどの老僧がいたが、若い頃に越後に下ったことがあり、「私も、その時越中の国まで行って、その経を書いた」と語った。その頃までに、すでに六十余年が過ぎていたようだ。
まことにこれは珍しい話である。地獄に堕ちて、それを夢のお告げではなく、現実に言葉で告げたなどということは、未だ聞いたことがない事である、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆





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