雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

小人の船 ・ 今昔物語 ( 31 - 18 )

2023-06-28 08:17:41 | 今昔物語拾い読み ・ その8

      『 小人の船 ・ 今昔物語 ( 31 - 18 ) 』


今は昔、
源行任朝臣(ミナモトノユキトウアソン・生没年未詳。醍醐源氏。1019 年に越後守を解かれている。)という人が越後の守としてその国に在任中、[ 欠字。郡名が入るが不詳。]の郡にある浜に、小さな船が打ち寄せられた。幅が二尺五寸、深さが二寸、長さが一丈ほどである。

これを見つけた人は、「これはどういう物だろう。誰かが面白半分に造って、海に投げ入れたのだろうか」と思って、よく見ると、その船のふなばたにそって、一尺ほどの間隔で櫂の跡がついている。その跡は、長く使われたらしくすっかり潰れている。
そこで、見つけた人は、「実際に人が乗っていた船だったのだ」と判断して、「どれほど小さな人が乗っていた船なのか」と思って、あきれるばかりであった。
「漕いでいる時には、ムカデの手のようであろう。世にも珍しい物だ」と言って、国司の館に持っていくと、守もこれを見てすっかりあきれてしまった。

すると、ある古老が、「前々にもこのような小船が流れ着いたことがあった」と言ったが、そうすると、その船に乗る程度の小さい人がいるに違いない。
このように、越後国に度々流れ着くのを見ると、ここより北に小人の国があるのだろう。他の国には、このように小船が流れ着いたという話しは聞いていない。
この話は、守が上京し、従者たちが語ったことを聞き継いで、
此くなむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

流れ着いた巨人 ・ 今昔物語 ( 31 - 17 )

2023-06-25 08:18:37 | 今昔物語拾い読み ・ その8

      『 流れ着いた巨人 ・ 今昔物語 ( 31 - 17 ) 』


今は昔、
藤原信通朝臣(生没年未詳。1024 年に常陸国守( 介 )に就いている。
)という人が、常陸の守として在任中のことである。
その任期が終るという年の四月の頃、風がものすごく吹いて大荒れの夜、[ 欠字。郡名が入るが不詳。]郡の東西の浜という所に、死人が打ち寄せられた。

その死人の身長は、五丈(約 15m )余りもあった。さらに、半ば砂に埋もれているのに、臥せっている胴の高さは、背の高い馬に乗って近寄ってくる人が持っている弓の先が、少しばかり見えるだけである。これでその高さが推し量れるだろう。
その死人は、首から切断されていて頭がなかった。また、右の手、左の足もなかった。これは、鰐(ワニ・鮫の古称。)などが喰い切ったのであろう。それらがもとのようについていれば、大変なものであろう。
また、うつ伏せになって砂に埋まっているので、男女いずれかも分からない。ただ、体の様子や肌つきからは女のように見えた。
国の者どもは、これを見て、驚きあきれ、周りを取り囲んで大騒ぎした。

また、陸奧国の海道という所において、国司の[ 欠字。人名が入るが不詳。]と言う人も、「このような大きな死人が打ち寄せられた」と聞いて、家来を遣って検分させた。
砂に埋もれていて、男女の区別が分からない。「女であろう」と推定したが、学識ある僧などは、「この全世界に、このように大きな人が住んでいる所があるとは、仏も説いておられない。思うに、これは阿修羅女などあろうか。体の様子などもたいそう清気なので、そうかも知れない」と推測した。

さて、国司は、「これは希有の事なので、何よりもまず、朝廷に報告しなければならない」と言って、京に使者を送ろうとしたところ、国の者どもは、「報告すれば、必ず朝廷の使者が検分に下向されるでしょう。そうなれば、その使者の接待が大変厄介です。この事は、ひたすら隠しておくことです」と進言したので、守も報告せずに隠し通してしまった。

ところで、その国に[ 欠字。人名が入るが不詳。]という武者がいた。その武者は、この大きな死人を見て、「もし、このような巨人が攻め寄せてきたら、どうすれば良いのか。矢が立つかどうか、試してみよう」と言って、射ると、矢は深々と突き立った。
そこで、これを聞いた人は、「よくぞ試した」と誉め称えた。

さて、その死人は、日が経つにつれて腐乱し、十町二十町もの間には人も住めず、逃げ出してしまった。あまりの臭さに耐えられなかったからである。
この事は隠していたが、守が京に上ったので、いつしか世間に伝わり、
此く語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨人が住む島 ・ 今昔物語 ( 31 - 16 )

2023-06-22 08:00:17 | 今昔物語拾い読み ・ その8

      『 巨人が住む島 ・ 今昔物語 ( 31 - 16 ) 』


今は昔、
佐渡国に住んでいる者が、所用があって大勢で一艘の船に乗って出かけたが、沖合において、にわかに南風が吹き出し、船を北の方向に矢を射るが如くに吹き遣ってしまったので、船中の者どもは、「もうこれまでだ」と覚悟して、艪を引き上げて、ただ風に任せて流されて行くうちに、沖の方に一つのの島影を見つけたので、「何とかあの島に着きたいものだ」と願っていると、願い通りにその島に流れ着いた。

「まずは、しばしの命は助かった」と思って、慌てて降りようとすると、島の中から人が出て来た。
見れば、大人の男でもなく、子供でもなく、頭を白い布で包んでいて、その人の背丈は極めて高い。
その様子は、とてもこの世の人とは思えない。船の人たちはこれを見て、恐怖を感じた。
「あれは鬼に違いない。我等は鬼の住んでいる島とは知らずに来てしまったのだ」と思っていると、島の人が、「ここにやって来たのは、どういう人だ」と訊ねた。
船の人は、「我等は佐渡国の者です。船に乗ってある所に向かっていたところ、にわかに大風に遭って、思いがけずこの島に流れ着いたのです」と答えた。
島の人は、「決してこの地に降りてはならない。この地に上陸すれば、悪い事に遭うぞ。食物などは持ってきてやろう」と言って、帰って行った。

しばらくすると、同じような姿の人が、十余人ばかりが出て来た。
船の人は、「我等を殺すつもりだろう」と思い、彼らの背丈からして、その力のほどが思いやられ、怖ろしいこと限りなかった。
島の人たちは、近寄ってくると、「この島に上陸させてあげたいが、上陸すればあなた方にとって悪い事が起るので上陸させないのだ。これを食べて、しばらく待てば、そのうち風が変わるだろう。その時に、本国に帰るなり、然るべき所に行くのが良い」と言うと、不動という物(不詳)と芋頭(イモガシラ・里芋の仲間か?)という物を持ってきて食べさせてくれたので、十分に食べた。不動という物も極めて大きく、芋頭もふつうの物よりずいぶん大きかった。
「この島では、これらの物を常食にしているのだ」と島の人は言った。
その後、風が順風になったので、船を出して本国に帰ることが出来た。

されば、島の人は鬼ではなかったのであり、神などであったのかと疑った。
「このような奇怪な事があった」と、その船に乗っていた人たちが、佐渡国に帰ってから語ると、聞く人もたいそう恐がった。
その島は、他国ではなかったのであろう、言葉がわが国のものであった。ただ、背丈が大きく立派な体格は、日本人とはかなり違っていた。この事は、ごく最近の出来事である。
佐渡国にこのようなことがあった、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白犬と暮らす女 ・ 今昔物語 ( 31 - 15 )

2023-06-19 08:02:43 | 今昔物語拾い読み ・ その8

      『 白犬と暮らす女 ・ 今昔物語 ( 31 - 15 ) 』


今は昔、
京に住んでいる若い男が、北山の辺りに遊びに行ったが、いつの間にか日がすっかり暮れてしまい、どことも知れぬ野山の中に迷い込み、道が分からなくなってしまった。帰ることも出来なくなったが、一夜の宿を借りる所もないので、途方に暮れていると、谷あいに小さな庵がかすかに見えたので、男は、「あそこに誰か住んでいるに違いない」と喜んで、草木をかき分けてそこへ行ってみると、小さな柴の庵があった。

人が来た気配を感じて、庵の中から、年のころ二十歳余りの若くて美しい女が出てきた。男はこれを見て、ますます「嬉しいことだ」と思ったが、女は男を見て不思議そうな様子で、「そこにいらっしゃるのは、どなたでしょうか」と訊ねたので、男は、「山に遊びに行ったのですが、道に迷ってしまい帰ることが出来ず、日が暮れてきましたのに泊まる所もなく困っていましたが、ここを見つけて喜びながら急いでやって参りました」と答えた。
女は、「ここには[ 欠字。「ふつう/一般」と言った言葉らしい。]の人はやってきません。この庵の主人は間もなく帰ってきます。ところが、あなたが庵にいらっしゃると、きっとわたしの親しい人と疑うに違いありません。そうなれば、いったいどうなさいますか」と言うので、男は、「どうか、うまく話して下さい。とにかく、帰る方法がありませんので、今夜一晩だけはここに泊めていただきたいのです」と頼むと、女は、「それではお泊まり下さい。『長年会っていない兄に会いたいと思っていましたところ、思いがけず、その兄が山に遊びに行って道に迷い、ここにやってきました』と、主人には言っておきましょう。その事を心得ていて下さい。それから、京にお帰りになった後で、決して『こういう所にこうした者がいた』と他の人には言わないで下さい」と言った。

男は喜んで、「大変ありがたいことです。その様に心得ておきます。また、その様に仰せですから、決して他言は致しません」と約束したので、女は男を呼び入れて、奥の一室に筵(ムシロ・敷物)を敷いてやった。
男がその部屋に入って座ると、女は近寄ってきてささやくように、「実は、わたしは京のこれこれという所に住んでいた者の娘です。ところが思いもかけず、あさましい者にさらわれ、その妻にされて、長年ここに居るのです。その夫が間もなくここに来ます。その姿がどのようなものかご覧になれるでしょう。ただ、暮らしに不自由するようなことはないのです」と言うと、さめざめと泣く。
男はそれを聞いて、「どういう者だろう。鬼ではないだろうか」などと怖ろしく思っているうちに、夜になって、外でものすごく怖ろしげにうなる声がした。

男はそれを聞くと、恐怖に肝も身も縮み上がり、「怖ろしい」と思ってすくんでいると、女は出ていって戸を開けたので、入ってきた者を男が見ると、堂々とした大きな白犬であった。
男は、「何と、犬だったのか。あの女は、あの犬の妻だったのだ」と思っていると、犬は入ってきて男を見つけると、うなり声を上げた。
すぐに女がやって来て、「長年、会いたいと思っていた兄が、山で道に迷って、思いがけずここにやってきましたので、とっても嬉しくて」と言って泣くと、犬はそれを納得したかのように、入ってきて竈の前に臥した。女は苧(オ・麻や苧の皮から作った糸。)という物を紡ぎながら、犬のそばに座っていた。そして、食事を立派に調えてくれたので、男は十分に食べて、寝た。
犬も部屋に入って、女と共寝したようだ。

やがて夜が明けると、女は男のもとに食物を持ってきて、男に密かに言った。「くれぐれも、決して『ここにこのような所がある』と人には話さないで下さい。また、時々おいで下さい。あなたのことを兄と申しましたので、あの者もそう思っています。何か必要な物でもあれば、叶えて差し上げましょう」と。
男は、「決して人に話すようなことは致しません。また、お訪ねいたします」と丁寧に礼を言って、食事が終ると京へ帰った。

男は京に帰り着くとすぐに、「昨日は、然々の所に行ったところ、このような事があった」と、会う人ごとに話したので、これを聞いた人はおもしろがって、また、他の人に話したので、多くの人が知ることになってしまった。
その中で、血気盛んな若者で、恐い物知らずの者どもが集まって、「いざ、北山に人を妻にして住んでいる犬がいるそうだ。そこへ行って、その犬を射殺して、その妻を奪い取ってこようではないか」と言って、人を集めて、この行ってきた男を先に立てて出掛けた。
一、二百人ほどもいたが、手に手に弓矢や刀剣を持って、男の案内に随って、その場所に行き着いてみると、確かに谷あいに小さな庵があった。

「あれだ、あれだ」などと、それぞれが大声で言い合っているのを、犬が聞きつけて、驚いて外に出て見てみると、この前来た男の顔があった。それを見た犬は、庵の中に入り、しばらくすると、犬は女を前に立たせて、庵から出ると山の奥の方に逃げて行った。
大勢で取り囲んで多くの者が矢を射たが、まったく当たらず、犬も女も逃げて行くので、追いかけて行ったが、鳥が飛ぶかの如くに山の奥に逃げ込んでしまった。
そこで、追ってきた者どもは、「あれは只者ではないぞ」と言って、全員帰っていった。
あの前に行った男は、帰ってくるなり「気分が悪い」と言って寝込んでいたが、二、三日して死んでしまった。

そこで、物知りの者が言うには、「あの犬は、神などであったのだろう」と言うことであった。
まことにつまらないことを言いふらした男である。されば、約束を守らない者は、自ら命を滅ぼすことになるのだ。
その後、その犬の在処を知る者はいない。近江国にいたと言い伝えている人がいた。
きっと、神などであったのであろう、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異郷に迷い込んだ修行僧 ( 2 ) ・ 今昔物語 ( 31 - 14 )

2023-06-16 08:05:03 | 今昔物語拾い読み ・ その8

      『 異郷に迷い込んだ修行僧 ( 2 ) ・ 今昔物語 ( 31 - 14 ) 』


  (  ( 1 ) より続く )

修行者が家に入ると、女が言った。
「長年、このような情けないことを見てきましたが、わたしの力では、どうにもなりません。けれども、『あなただけは何とかしてお助けしたい』と思います。わたしは、あなたがいらっしゃったあの御房の主の妻なのです。ここから下に少しばかり行った所に、わたしの妹にあたる女が住んでいます。こうこう行った所です。その妹だけがあなたをお助けすることが出来ます。『わたしに聞いてきた』とそこをお訪ねしなさい。手紙をお書きしましょう」と言って、手紙を書いて渡し、「二人の修行者をばすでに馬に変え、あなたを土を掘って埋めて殺そうとしているのです。『田に水があるか』と見せに行かせたのは、掘って埋めるためだったのです」というのを聞くに付け、「よくもここまで逃げてこられたものだ。たとえ少しの間でも生き延びられたのは、仏のお助けだ」と思って、手紙を受け取ると、女に向かって手を合わせて泣く泣く伏し拝み、すぐに走り出て、教えられた方に向かって、「二十町ばかりは来ただろう」思った時、人里離れた山のほとりに一軒の家があった。

「ここだろう」と思って、近寄り、召使いに、「これこれの御手紙をお渡し下さい」と案内を請うと、手紙を持って入って行き、戻ってくると、「どうぞお入り下さい」と言ったので、中に入った。
すると、そこにも女がいて、「わたしも長年『情けない事』だと思っていましたが、姉もまたこのように書いて寄こしましたので、『お助けしよう』と思います。但し、ここは大変怖ろしい事がある所です。しばらくは、ここに隠れていらっしゃい」と言って、奥の一室に隠れさせて、「決して音など立てないで下さい。ちょうどその時刻になりましたから」と言うので、修業者は「何事だろう」と恐ろしく思って、音も立てず、身動きもしないでいた。

しばらくすると、恐ろしげな気配がする者が入ってきたらしく、生臭い臭いが漂ってきた。何とも恐ろしい。
「これもまた、いかなる者なのか」と思っているうちに、家の中に入ってきて、この家主の女と話しなどして、共に寝たようだ。聞き耳を立てていると、情を交わして、帰っていったようだ。修業者は、「さては、ここの女は鬼の妻で、いつもやって来ては、このように情を交わして帰っていくのだ」と分かったが、極めて気味が悪い。

その後、女は行くべき道を教えて、「実に、死ぬべき命を助かったお方だ。ありがたい事だとお思い下さい」と言ったので、修行者は前の時と同じように、泣く泣く伏し拝んで、その家を出て、教えられたように歩いて行くと、夜も明け方になった。
「もう、百町は来ただろう」と思う頃には、夜は白々となってきた。見れば、いつの間にか、通常の正しい道に出ていた。
その時になって、やっと安堵の気持ちになってきて、「嬉しい」などという言葉ではとても表せないほどだ。
そこから人里を尋ねて行き、とある人の家に入って、然々の事があったとその有様を話すと、その家の人も、「なんとまあ、
驚いたことだ」と言った。
里の者たちも聞き継いで、やって来ては子細を訊ねた。
その逃げてきた所は、[ 欠字 ]国の[ 欠字 ]郡の[ 欠字。いずれも不詳。]郷 
である。

さて、あの二人の女が修行者に強く口止めして、「このように、助からないはずの命をお助けしました。決して、『このような所がある』と人に話してはなりません」と繰り返し言っていたが、修行者は、「これほどの事を、どうして話さずいられようか」と、会う人ごとに話したので、その国の血気盛んな若者で腕に覚えのある者たちが、「軍勢を集めて行ってみよう」などと言い出したが、行く道も分からないので、そのままで終った。
だから、あの主の僧も、修行者が逃げたが、「道もないのだから逃げることなど出来まい」と思って、急いで追おうとはしなかったのである。

さて、修行者は、そこから国々を廻って京に上った。
その後、「あの場所がどこにある」と言うことを聞くことがなかった。現に、人間を打ちすえて馬に変えるなど、とても信じられない。あの場所は、畜生道などであったのだろうか。
その修行者は、京に帰った後、二人の同学の僧のために、熱心に善根を修した。

これを思うに、いかに身を棄てて修行すると言っても、むやみに知らない場所に行ってはならないのである。
この話は、修行者が自ら語ったものを聞き伝えて、
此(カ)く語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異郷に迷い込んだ修業僧 ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 31 - 14 )

2023-06-13 08:01:09 | 今昔物語拾い読み ・ その8


     『 異郷に迷い込んだ修行僧 ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 31 - 14 )  』


今は昔、
仏道を修行している僧が三人連れだって、四国の僻地、つまり、伊予・讃岐・阿波・土佐の海辺のことだが、その僧たちはそうした所を廻っていたが、思いがけず山に踏み入ってしまった。深い山中に迷い込んでしまったので、何とかして浜辺に出たいと願っていた。
しかし、とうとう人跡も絶えた深い谷に入り込んでしまったので、いよいよ嘆き悲しみ、茨やからたちを分けながら歩いているうちに、一つの平地に出た。

見ると、垣などを廻らして囲っている所がある。
「ここは人の住処に違いない」と思うと、嬉しくなって、垣の中に入ってみると、家が何軒もある。
たとえ鬼の栖(スミカ)であっても、今となっては仕方がない。道が分からなくなっていて、どう行けばよいか考えもつかないので、その家に近寄って、「ごめん下さい」と声を掛けると、家の中から、「どなたかな」と返事があった。
「修行中の者ですが、道に迷って来てしまいました。どう行けば良いのか、教えて下さい」と言うと、「しばらくお待ちを」と言って、中から出てきた人を見ると、年の頃六十余りの僧で、その姿は大変恐ろしげである。

その僧が呼び寄せるので、「たとえ、鬼であれ、神であれ、どうすることも出来ない」と思って、三人の僧は板敷きの縁に上がって座ると、その僧は、「あなた方は、お疲れなのでしょう」と言って、間もなくきれいに調えられた食膳を運んできた。
「どうやら、この僧は普通の人間なのだろう」とたいそう嬉しく思い、出された食事を食べ終わって休んでいると、家主の僧が突然大変恐ろしげな顔つきになって人を呼んだので、「怖ろしい」と思っていると、呼ばれてやって来た者を見ると、怪しげな法師である。家主の僧が「例の物を持ってこい」と言うと、法師は、馬の手綱と鞭を持ってきた。

家主の僧が「いつものようにせよ」と命じると、修行者の一人を捉まえて板敷きから引きずり落とした。
あとの二人は、「いったいどうしようとしているのか」と思っていると、庭に引き落とした修行者を、持ってきた鞭で背中を打った。確かに五十度打った。修行者は大声を挙げて、「助けてくれ」と叫んだが、あとの二人には、助けることなど出来ない。
続いて法師は、修行者の衣を引き剥がして、直接肌にさらに五十度打った。百度打たれて、修行僧がうつ伏せに倒れると、家主の僧は、「よし、引き起こせ」と命じたので、法師は修行僧を引き起こしたが、それを見ると、たちまち馬となって、胴震いして立ち上がったので、法師は手綱を付けて引き立てた。

あとの二人の修行者は、この有様を見て、「これはいったいどういうことだ。ここは人間世界ではない所だ。我等もこうされるに違いない」と思うと悲しくなり、呆然としていると、また一人の修行者を板敷きより引きずり落として、前と同じように鞭で打ち、打ち終わって引き起こすと、その者も馬になって立っていた。すると、二匹の馬に手綱を付けて引いていった。
もう一人の修行者は、「自分も引きずり落とされて、彼らのように打たれるのだろう」と思うと悲しくて、日ごろ頼み奉っている本尊に、「私をお助け下さい」と、心の中で一心に念じた。
その時、家主の僧は、「その修行者はしばらくそのままにしておけ」と法師に命じ、修行者に「そこにいろ」と言ったので、そのまま座っているうちに、やがて日も暮れた。

修行者は、「私は、馬にされるよりも、何とか逃げだそう。追いかけられて捕らえられて殺されるとしても、どうせ命を棄てることになるのは同じことだ」と思ったが、迷い込んだ知らない山の中なので、どちらに逃げれば良いのかも分からない。あるいは、「身を投げて死のう」などと様々に思い悩んでいるうちに、家主の僧が修行者を呼んだ。
「ここにおります」と答えると、「あの後ろの方にある田に、水があるかどうか見てこい」と言いつけるので、恐る恐る行って見ると、水があるので、返って「水はありました」と答えたが、「これも、私をどうにかするために言ったのではないか」と思うと、生きた心地もしなかった。

やがて、人が皆寝静まった頃に、修業者は「何が何でも逃げよう」と強く決心して、笈(オイ)も棄てて、只身一つで走り出て、足の向いた方に走り続け、「五、六町(一町は約 110m
)は来ただろう」と思った時、また一軒の家があった。
「ここも、どんな所か分からない」と恐ろしく思って、走り過ぎようとすると、家の前に女が一人立っていて、「そこを行く人は、どなたですか」と訊ねるので、修業者は恐る恐る、「これこれの者ですが、これこれの次第で、『身を投げて死のう』と思って逃げてきたのです。どうぞ、お助け下さい」と言うと、女は「なんとまあ、そういう事もありましょう。お気の毒なことです。まず、こちらにお入りなさい」と言うので、家に入った。

                   ( 以下 (2) に続く )

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒の泉のある里 ・ 今昔物語 ( 31 - 13 )

2023-06-10 08:00:52 | 今昔物語拾い読み ・ その8

      『 酒の泉のある里 ・ 今昔物語 ( 31 - 13 ) 』


今は昔、
仏道修行をしながら旅をする僧がいた。
大峰という所を通っている時に、道を間違えて、何処とも知れぬ谷の方に入っていくと、大きな人里に出た。
僧は、「良かった」と思って、「どこかの家に立ち寄って、『この里は何という所か』などを尋ねよう」と思いながら歩いて行くと、その里の中に泉があった。石などで築いた立派な泉で、上は屋根を造って覆っている。
僧はこれを見て、「この泉の水を飲もう」と思って近寄ったところ、その泉の水の色はたいそう黄ばんでいる。「どうして、この泉の水は黄ばんでいるのだろう」と思って、さらによく見ると、この泉は、何と水ではなく酒が湧き出ていたのである。

僧は、奇怪なことだと思って、立ち尽くしたままじっと見ていると、里の人たちが大勢出てきて、「そこにいるのは、どういうお方か」と訊ねるので、僧は、「大峰を通っている間に道を間違えて、思いがけずここに来てしまったのです」と、来てしまった経緯を述べた。
すると、一人の里の人が、「さあ、いらっしゃい」と言って、僧を連れて行くので、僧は言われるままに、「いったい何処に連れて行こうとしているのだろう。私を殺すために連れて行こうとしているのだろうか」と思ったが、拒絶する事でもないので、この案内する人の後ろについていくと、大きく裕福そうな家に連れて行った。すると、その家の主らしい年配の男が出てきて、僧にここにやってきた様子を訊ねたので、僧は前と同じように答えた。

その後、その家の主は僧を家の中に呼び上げて、食事をさせてから、若い男を呼んで、「この人を連れて、例の所に行け」と命じたので、僧は、「この家の主は、この里の長者などであるのだろう」と思ったが、「それにしても、私を何処に連れて行こうとしているのか」と、怖ろしく思っていると、命じられた男は、「さあ、行きましょう」と言って連れて行くので、僧は「怖ろしい」と思ったが逃れる方法もなく、言われるままについて行くと、人里離れた小山に連れて行かれた。

若い男は、「実は、お前さんを殺すために、ここへ連れてきたのだ。これまでにも、お前さんのようにここへやってきた人を、帰ってこの里の有様を人に話すのを恐れて、必ず殺しているのだ。だから、『ここにこのような里がある』ということを、誰も知らないのだ」と言うので、僧はそれを聞いて絶望しながらも、泣く泣くこの若い男に、「私は仏道を修行しています。『多くの人を救いたい』と思って大峰にまで入り、心を尽くし身を砕いて修行を続けていました。ところが、道を間違えてしまい、思いもかけずこの里に来てしまい、命を落そうとしています。人間の死というものは、決して逃れられるものではありません。されば、それを恐れているわけではありません。ただ、あなたは、殺そうとされていますが、それは大変大きな罪ですから、何とか、この命を助けてくれませんか」と言った。

若い男は、「まことに、おっしゃることはもっともなので、許してあげたいが、もしかすると、お前さんが帰ってからこの里のことを人に話すのではないかと、それが怖ろしいのだ」と言った。
僧は、「私は、この里の有様を、故郷に帰って人に話すことは決してしません。世にある人は、命に勝るものはありませんから、命さえ助けていただければ、どうしてその恩を忘れることなどありま
しょう」と言うと、若い男は、「お前さんは僧の身でおいでだ。また、仏道を修行されているお方だ。お助けいたしましょう。但し、『どこそこにこの様な所がある』と言うことを絶対に話さないのであれば、殺した振りをして許してあげましょう」と言ったので、僧は嬉しさのままに様々な誓言を立てて、決して他言しないと熱心に言ったので、若い男は、「くれぐれも他言無用ですぞ」と繰り返し口止めして、道を教えて帰してやったので、僧はその男に向かって礼拝し、来世までこの恩を忘れない旨を約束して、泣く泣く別れ、教えられた道を辿って行くと、人が行き来している道に出ることが出来た。 

さて、故郷に帰り着くと、あれほど誓言を立てていたが、もともと信義がなく口の軽い僧なので、いつしか会う人ごとに、この事を語ったので、これを聞いた人は誰もが、「それで、どうした」と言って聞きたがるので、里の有様や、酒の泉が有ることなど、たいそう得意げに何一つ漏らすことなくしゃべりまくった。
すると、年若く血気盛んな者共が、「これほどの事を聞いたからには、何としてもこの目で確かめねばならぬぞ。そこにいるのが『鬼だとか神だとか』というのであれば怖ろしいが、聞けば人間ではないか。其奴ら
がどれほど猛々しい者だといっても、神や鬼ほどのことはあるまい。さあ、行って確認してやろう」と言って、若くて肝が太く力が極めて強く、腕に覚えのある者五、六人ばかりが、各々弓矢を帯び刀剣を引っさげて、この僧をともなって、気負い立って出掛けようとするのを、年配の者たちは、「それは、つまらぬ事だぞ。彼らは、自分の土地なので、十分に備えているに違いない。こちらは知らない土地に行くのだから、とても危険だ」と言って制止したが、気負い立って言い出したことなので、若者どもは聞き入れようとしない。また、僧も盛んにけしかけたのであろうか、皆そろって出掛けて言った。

ところで、この出掛けていった者どもの父母や親類たちは、それぞれに不安に思い、歎き合うこと限りなかった。
果たして不安を感じたように、その日は帰らず、次の日も帰らず、二、三日経っても帰ってこないので、いよいよ悲嘆にくれたが、どうすることも出来ない。
さらに、長い間帰ってこなかったが、「捜しに行こう」と言う者は一人もなく、ただ歎き合うばかりであったが、遂に帰らないままになったので、きっと、出掛けて行った者は
一人残らず殺されてしまったのであろう。
本当は、その事がどのようであったのかは、皆殺しにされているのだから、どうして知ることが出来よう。
実につまらないことをしゃべりまくった僧だと言える。黙っておれば、自分も死なず、多くの人を殺さずにすんでおれば、どれほど良かっただろう。

されば、人は信義を守らず口軽きことは決して行ってはならない。また、たとえ口が軽くてしゃべったとしても、それにつられて出掛けていった者どもも愚かである。
その後、その場所については、何の便りもない。
この事は、あの僧が語ったのを聞いた人が、
語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐怖の島 ・ 今昔物語 ( 31 - 12 )

2023-06-07 08:01:46 | 今昔物語拾い読み ・ その8

      『 恐怖の島 ・ 今昔物語 ( 31 - 12 ) 』


今は昔、
鎮西(チンゼイ・九州の古称)に[ 欠字 ]の国の[ 欠字 ]の郡に住んでいる人が、商いのために大勢の人と一艘の船に乗り、見知らぬ他国に行き、また本国に帰ってきたが、その途中、鎮西の未申(ヒツジサル・西南)に当たる方角に、遙か沖に大きな島があるのを見つけた。人が住んでいる気配があるので、船に乗っている者たちはこの島を見て、「ここにこんな島があったぞ。この島に降りて、食事などをしよう」と思って、漕ぎ寄せて、その島に全員が降りた。
ある者は島の様子を見て回り、ある者は箸の[ 欠字。「代わりになる物」と言った言葉らしい。]伐ってこようとしたり、それぞれに散って行った。

しばらくすると、山の方から大勢の人がやって来る足音が聞こえてきたので、「怪しいぞ。このような見知らぬ所には、鬼がいるかもしれないぞ。危険だ」と思って、皆急いで船に乗って、岸から離れて、山の方から激しく音を立てて出てくる者を、「何者だ」と見やっていると、烏帽子を折って被り、白い水干袴(スイカンバカマ・狩衣の一種)を着ている男たちが百余人ほど現れた。
船の者たちはそれを見て、「何だ、人間ではないか。それでは恐がることなどなかったのだ。ただ、このような知らぬ土地なので、あいつらに殺されるかも知れないぞ。人数もずいぶん多そうだ。近寄せてはまずいぞ」と思って、いっそう船を遠くに出して見ていると、現れた者たちは、海岸までやって来て、船が遠ざかるのを見ると、どんどん海の中に入ってくる。

船の者たちは、もとより全員が武術に心得のある者なので、弓矢や刀剣などをそれぞれ持っていたので、それぞれが手に弓を持ち矢をつがえて、「このように追ってくるお前たちは何者だ。近寄れば射殺するぞ」と叫んだ。
その者どもは、全員が防御らしい物も付けておらず、弓矢も持っていなかった。船の者たちが、その多くが弓矢を手にしていたからであろうか、物も言わずじっと見やっていたが、しばらくすると山の方へ返っていった。
それを見た船の者たちは、「一体何を考えて、あいつらは追ってきたのだろう」と、そのわけが分からないので、恐ろしくなり、島から離れていった。

さて、鎮西に帰って後、この事を多くの人に話したところ、その中に古老がいて、これを聞くと、「それは、渡羅の島(トラノシマ・朝鮮半島の南西部にある済州島の古称。)という所に違いない。その島の人は、人の姿はしているが、人間を喰う所だ。だから、『事情も知らずに、その島に行くと、そのように集まってきて人を捕らえて、すぐに殺して喰うのだ』と聞いています。あなた方は、その者たちを近寄らせずに逃げたのは、賢明だった。近寄らせていたら、百千の弓矢があったとしても、取り付かれてどうすることも出来ず、皆殺しにされていただろう」と言った。
船に乗っていた者たちは、これを聞いて、驚きあきれて、ますます恐ろしくなった。

このように、人間の中でも、下賤の者で、ふつうの人とは違う変な物を食う者を、渡羅人というのである。( 当時、ことわざのようなものが、あったらしい。)
ただ、[ 欠字あるも、不詳。]思うに、この話を聞いて、はじめて、あの島の者たちが渡羅人だったということを知ったのである。
この事は、鎮西の人が上京した時に語ったのを聞き継いで、
此(カ)
く語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

* 「人を喰う」というのは、おそらく恐怖からくる伝承で、今昔物語の中には、琉球辺りにもそうした島があるという話が載せられています。

     ☆   ☆   ☆

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陸奧国からさらに奥地へ ・ 今昔物語 ( 31 - 11 )

2023-06-04 08:21:46 | 今昔物語拾い読み ・ その8

      『 陸奧国からさらに奥地へ ・ 今昔物語 ( 31 - 11 ) 』


今は昔、
陸奧国に安倍頼時(アベノヨリトキ・前九年の役の頃の人物。1057 没。)という武者がいた。
その国の奥地に、夷(エビス・古代のアイヌ人?)という者がいて、朝廷に従おうとしなかったので、「討伐すべし」という勅命が下され、陸奧守源頼義朝臣( 988 - 1075 )が討伐に向かったが、頼時がその夷と通じているとの風評があり、頼義朝臣は、まず頼時を攻めようとした。
すると、頼時は、「古(イニシエ)より今に至るまで、朝廷の責めを蒙った者は数多くあるが、未だ朝廷に勝ち奉った者は一人もいない。されば、わしは決して過ちを犯していないが、このように一方的に責めを蒙っては、もはや逃れる術がない。
ところで、この国の奥地からさらに海を渡った北の方に、微かに見渡せる陸地があるらしい。そこに渡って、その土地の様子を見て、人が住める所であれば、ここでいたずらに命を落すよりは、わしから離れがたく思う者だけを連れて、その地に渡って住もうと思う」と言って、まず大きな船を一艘用意して、それに乗って行った。

その一行は、頼時を始めとして、その子の廚河二郎貞任(クリヤガワノ ニロウ サダトウ)、鳥の海三郎宗任(トリノウミノ サブロウ ムネトウ)、その他の子供たち、また身近に使える郎等二十人ほどである。さらに、その従者共、食物の世話する者など、合わせて五十人ほどが一つの船に乗り、当分の食糧として、白米・酒・果物・魚・鳥など多くの物を準備して、船出して海を渡っていくと、あの遙かなる土地に到着した。

ところが、到着した所は、遙かに高い断崖の岸辺で、上は樹木が生い茂った山で、とても登れそうもないので、断崖の下の岸辺に沿って廻っていくうちに、左右が遙かまで開けた芦原の大きな河の河口を見つけたので、そこに船を差し入れた。
「人影でもないか」と見渡したが、その気配もない。
また、「上陸できる場所はないか」と見渡しても、遙かまで広がった芦原で、踏みしめられた道らしいものもない。その河は、底も知れない深い沼のようであった。
「もしや人の気配でもする所があるのでは」と思って、河を上流に向かってさかのぼったが、何処も同じようで、一日、二日と日が過ぎた。「驚いたことだ」と思っているうちに七日間もさかのぼった。
それでも少しも変わらないので、「そうとはいえ、河であるからには、源がないはずはあるまい」と言って、さらにさかのぼるうちに、二十日が過ぎた。それでも、やはり人気もなく同じような景色なので、とうとう三十日さかのぼってしまった。

その時、怪しく地が響くように思われたので、船に乗っている人は皆、「どういう人がやって来たのか」と怖ろしくなり、遙かに高い葦の間に船を差し隠し、響いてくる方向を葦の隙間から見ていると、胡国の人(ココクノヒト・中国の北方民族。)を絵に描いたような姿をして、赤い物を巻き付けて頭を結った者が一騎現れた。
船に乗っている者たちが、「あれはいったい何者か」と思って見ていると、その胡国の人らしいのが次々と姿を見せ、数も分からないほどがやって来た。
その者共全員が、河岸に並んで、聞いたこともない言葉で話し合っているが、何を言っているのか分からない。

「もしかすると、この船を見つけて話し合っているのではないか」と思うと、怖ろしくて、身を縮めて見ていると、この胡国の者たちは、一時(イットキ・二時間ほどか?)ばかり鳥がさえずるように話し合った後、河にばらばらと入って渡り始めた。千騎ばかりもいるように見えた。徒歩の者共を、騎馬の者のそばに引きつけ引きつけして渡っていった。
なんと、この者共の馬の足音が遙かに響き渡っていたのである。

胡国の者共が渡り終った後、船に乗っている者どもは、「ここ三十日もの間さかのぼってきたが、一つとして浅瀬らしい所はなかったが、彼らは歩いて渡っていったぞ。こここそが浅瀬なのだ」と思って、恐る恐る船を出して、そっと船をその場所に差し寄せたが、そこも、同じように底知れぬ深さだった。
「ここも浅瀬ではなかったのか」とがっかりして思い止まった。
胡国の人共は、なんと馬筏(ウマイカダ・以下のような方法らしい。)ということをして、馬を泳がせて渡ったのだ。そして、徒歩の者をその馬たちに引きつけ引きつけしながら渡ったのを、徒歩で渡っていると思ったのである。

そこで、船に乗っている者たちは、頼時以下が相談し合って、「これほどさかのぼってきても、この状態なので、この河は計り知れない大河だ。また、これ以上さかのぼって、何か事に遭遇すれば、まことにつまらない。だから、食糧が尽きぬ前に、さあ、引き返そう」と決めて、そこから河を下り、海を渡って本国に帰ったのである。
その後、幾ばくもしないうちに、頼時は死んだ。(戦死している。)

されば、胡国という所は、唐よりも遙かに北と聞いていたが、「陸奧国の奥地にある夷の地と繋がっているのだろうか」と、かの頼時の子の宗任法師と言って、筑紫にいる者が語ったのを聞き継いで、
此(カ)く語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同じ夢を見る ・ 今昔物語 ( 31 - 10 )

2023-06-01 07:59:40 | 今昔物語拾い読み ・ その8

      『 同じ夢を見る ・ 今昔物語 ( 31 - 10 ) 』


今は昔、
尾張国に勾の経方(マガリノツネカタ・伝不詳)という者がいた。通称を勾官首(マガリノカンジュ)と言っていた。何もかも不自由のない者であった。
その経方が長年連れ添っている妻の他に、別に愛している女がその国にいたので、本妻は、女の習性とはいえ、ひどく焼きもちをやいていたが、経方はその女とはとても別れないほど愛していたので、何だかんだと理由を作って忍んで通い続けていた。
本妻は、必死になった尋ね回り、「経方がその女の許に行く」と聞きつけたので、顔色を変えて、平常心をなくして嫉妬心に狂った。

そうしているうちに、経方は京に上る用事が出来て、数日準備に追われていたが、いよいよ明日は出立という日の夜、「何とかして、あの女の許に行きたいものだ」と切実に思ったが、本妻が強く嫉妬するのがわずらわしくて、[ 欠字あるも不詳。]にまかせて、あからさまに行くことが出来ず、「国府からのお召しだ」と言いつくろって、経方はその女の許に出掛けていった。

経方は、その女といろいろ話しながら横になっていたが、そのうち、ぐっすり寝込んでしまった。
すると、経方はこんな夢を見た。「本妻が突然ここに走り込んできて、『まあ、お前さんは長年の間こうして二人で寝ていたのね。それでいて、何もやましいことはない、などと言えたものね』などと、様々にひどい悪口雑言を言い続けながら飛びかかり、二人が寝ている間に入り引き裂いて大騒ぎする」と見たところで、夢が覚めた。

その後、何とも怖ろしく気味悪いので、経方は急いでその女の許を出て家に帰った。
夜が明けると、経方は京へ上ることの準備などしながら、「昨夜は国府の事の打ち合わせなどがあって、急いで退出することも出来ず、ほとんど寝ていないので、すっかり疲れてしまった」と言って、本妻のそばに座った。
本妻は、「食事を早くなさい」などと言ったが、その頭の髪を見ると、一度にさっと立ち上がり、一度にさっと伏した。
経方は、「怪しく、何と怖ろしい有様だ」と見ていると、本妻は、「お前さんは、何と面の皮の厚いこと」と言って、さらに「昨夜は、まさしくあの女の許に行き、二人で抱き合って寝ていながら、すまし顔とは、ね」と言うので、経方は、「誰がその様なことを言ったのか」と訊ねると、妻は、「なんと憎らしや。わたしの夢で、はっきりと見たのですよ」と答えた。

経方は、「不思議な事だ」と思って、「どんな夢だったのか」と訊ねると、本妻は、「お前さんが昨夜出掛ける時、『きっと、あの女の所へ行くに違いない』と思っていましたが、それに合わせて、昨夜の夢で、わたしがあの女の家に行ってみると、お前さんはあの女と二人で寝ていて、しきりに話をしているのをしっかりと聞かせてもらってから、『あら、お前さんはここには行かないと言っていながら、このように二人で抱き合っているではないですか』と言って、引き離してやると、あの女もお前さんも起き上がって大騒ぎしていましたよ。まあ、こんな夢でしたよ」と言った。
それを聞いて経方は驚いて、「それでは、その時、わしはどんなことを話していたのだ」と訊ねると、本妻は、経方があの女の許で話していた事を、一言も漏らすことなくすらすらと言ったが、自分が夢で見たことと少しも違わないので、経方は怖ろしと言うのも愚か、[ 欠字。「あきれる」といった言葉か?]ばかりであった。
しかし、自分の見た夢のことは本妻には話さず、後に、他の人に会って、「これこれの驚くべき事があった」と語った。

されば、心に強く思うことは、必ずこのように夢で見えるのである。
これを思うに、その本妻はどれほど罪深い事であっただろうか。「嫉妬は罪深いことである。必ず蛇に生まれ変わったことだろう」と、人々は言い合った、
となむ語り伝へたるとや。

     
☆   ☆   ☆

* 最終部分などは、現代人には納得しがたい考え方ですが、当時の世相や仏教などにも、こうした部分が色濃くあったようです。

     ☆   ☆   ☆

     

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする