天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

冬のねこ

2010-11-30 | ねことか
お久しぶりの、京都のももちゃんです。
冬が近づいてきたせいか、本能の赴くまま凄い食欲が出てしまい、
ごはんを食べまくってるとのこと。


でぶねこになる日も近い?


こちらは、既にでぶねこになってる、熊本の我が家のふくちゃん。
寒い日はダンボールハウスに入り浸って、何が気にくわないのか知らないけど朝から仏頂面。

さよなら、「あそ1962」で秋の阿蘇へ行こう その4

2010-11-29 | 鉄道
夕陽に輝く「あそ1962」の車体ロゴマーク

さよなら、「あそ1962」で秋の阿蘇へ行こう その3からの続き

阿蘇神社から宮地駅に戻ってくると、
ちょうど「あそ1962」が側線から引き出されてプラットホームに据え付けられるところでした。




さて、熊本に帰りますか…
15:37、帰りの熊本行き「あそ1952」が宮地駅を発車します。


阿蘇駅で10分停車して、特急「九州横断特急 6」号と行き違い。
「あそ1962」の重厚な焦げ茶色塗装のキハ58系は、軽快な特急型のキハ185系よりも威厳がありますねぇ


阿蘇駅を出ると、車窓には晩秋の阿蘇高原の田園が広がります。
夕陽を浴びて、郷愁そそる風景です。


風力発電所の風車も、夕焼け色に染まっています。


そして、「あそ1962」の車体も黄金色に染まりました。
今日は楽しかったね、お疲れ様「あそ1962」…

今日の日はさようなら。ちょっぴり切ない、「あそ1962」の帰り道です。

そんな「あそ1962」の旅のフィナーレを飾る、ビッグプレゼントがありました!
なんと、熊本駅到着直前の「あそ1962」の車窓に、「SL人吉」 が現れたのです!


実は「あそ1962」と「SL人吉」は同時刻に熊本駅に到着するダイヤが組まれていて、
豊肥本線と鹿児島本線の分岐点付近で出会ってそのまま熊本駅まで併走するという粋な演出が用意されていたのです。
客室乗務員さんによると
「時々、タイミングが合わなくて並走できないこともあるんですが、今日はバッチリでしたね!」とのこと。
やったー!!


17:21、観光列車「あそ1962」は熊本に到着しました。


「SL人吉」もお疲れ様。

「あそ1962」は、今年の12月26日の運行を最後に引退、阿蘇路から去ります。
でも、来年春からは九州新幹線全線開業に合わせて新しい観光特急、その名も「あそぼーい!」 がデビューして後を継ぎます!
今後、ますます楽しくなりそうな九州・阿蘇の鉄道の旅に期待大です!!

そして…
「あそ1962」も、出来れば引退後も廃車解体などされずに、門司港の九州鉄道記念館あたりで保存されるといいな!
阿蘇の山を降りたら、レトロな港町で静かに余生を送るなんて、素敵じゃない?

JR九州の関係者の皆様、どうか「あそ1962」のキハ58系の保存を宜しく御検討下さい。
天燈茶房亭主mitsuto1976 拝

さよなら、「あそ1962」で秋の阿蘇へ行こう その3

2010-11-29 | 鉄道
宮地駅構内で休む「あそ1962」

さよなら、「あそ1962」で秋の阿蘇へ行こう その2からの続き

終着の宮地駅に到着した「あそ1962」は、乗客を降ろすと駅構内の側線へと引き揚げます。









宮地駅の構内の一角には、かつて「SLあそBOY」の蒸気機関車58654が使用していた転車台(ターンテーブル)がそのまま残されていました。

主を失った転車台、いつの日かまた蒸気機関車を載せて元気に回る日は来るのでしょうか…

さて、僕は宮地駅のプラットホームで「あそ1962」を眺めながらお昼ごはんを食べることにしましょう。
「あそ1962」車内で限定予約販売の特製弁当「阿蘇のうなり弁当」 です!

車内で買ってたんだけど、食べる暇がなかったんですよね(笑)
気持ちのいい秋空の下、いただきま~す。

阿蘇のうなり、とは、
僕はてっきり「阿蘇山が噴火するときの地響きの唸りを表現してるのかな?」とか思っていたんですが、
掛け紙を見ると、阿蘇神社の御膳料理として神様に捧げられる食べ物を意味しているんだそうです。

神様のお弁当、素朴な阿蘇の郷土料理が詰まっていて美味しかった!


それに、どことなく御馳走の詰まった重箱のようなデザインの「あそ1962」を眺めながらのお弁当は最高!

お弁当を食べ終わったら、腹ごなしにちょっと駅の外に散歩に行ってみましょう。

宮地駅前の交差点では、なんと新幹線さくら号がお出迎え(笑)

宮地駅前の道をまっすぐ、15分ほど歩いて行くと…

「阿蘇のうなり弁当」が捧げられる神様、そして日本全国にある阿蘇神社の総本社、阿蘇神社 があります。
「日本三大楼門」の一つだという立派な楼門が目を引きます。


ここは縁結びの神様だそうなので、
もうすぐきんせいちゃんに会えるあかつきくんの恋路が成就するように祈っておきましょうか…



さよなら、「あそ1962」で秋の阿蘇へ行こう その4に続く

「はやぶさ」の帰還カプセルに会えた!

2010-11-28 | 宇宙
小惑星探査機「はやぶさ」地球帰還カプセルの展示へと続く行列(佐賀県立宇宙科学館)

今日、平成22年11月28日。遂に、帰ってきた彼と会うことが出来ました。
佐賀県立宇宙科学館で九州初公開された小惑星探査機「はやぶさ」の地球帰還カプセルに会ってきました!

地球帰還カプセルが初めて一般公開された、今年夏の相模原で、
あまりの人の多さに恐れをなして見学を断念
して以来、4ヶ月を経てようやく念願の対面を果たすことが出来ました!



午前10時半、開館から1時間後の佐賀県立宇宙科学館に到着すると、既に館外まで続く大行列が出来ています。
でも、今日は恐れをなす訳にはいきません!

待ち時間は45分。



行列はジリジリと、大階段を登って進みます。


遂にここまで来ました。
この扉の向こうに、彼がいます!
ここからは一切撮影禁止。呼吸を整え、心を鎮めて心眼を研ぎ澄ます気分で、彼のもとへ!

…やっと会えたカプセル(搭載電子機器類、インスツルメントモジュール、背面ヒートシールド、パラシュートの実物が展示されました)。
既に何度も、報道写真で見ていますが、
本当に何億キロも旅してイトカワから帰ってきた彼の、生きた証しが今ここにある…!
…胸が、震えました。

「やっと、やっと会えたね…おかえり、はやぶさずっと待ってたんだよ」



カプセル君と会えた後は、佐賀県立宇宙科学館の企画展「飛ぶ ~ 空へ 宇宙へ ~」を見ました。
熱気球からロケットまで、あらゆる「飛びもの」の展示は見応えがあります。

企画展の目玉展示はこれ。

イオンエンジンのエンジニアリングモデル
こうして見ると、本当に小さいですねぇ…
でもこれが、不死鳥「はやぶさ」の翼であり、心臓なのです。

※企画展「飛ぶ ~ 空へ 宇宙へ ~」の展示物の写真は、許可を得て撮影・掲載しています

「はやぶさ」地球帰還カプセルはこの後、
今週末からはいよいよ彼が地球から翔び立った故郷の地、内之浦宇宙空間観測所へと移動して公開されます。
僕も、彼の故郷への凱旋 を祝福すべく駆けつける予定です。

内之浦宇宙空間観測所「はやぶさ」カプセル特別公開
(平成22年12月4~5日)

もう一度行列に並び直して、再びカプセルを目に焼き付けてから、
内之浦での再開を楽しみにしながら帰ります。

「故郷でまた会おう、はやぶさ!」

さよなら、「あそ1962」で秋の阿蘇へ行こう その2

2010-11-26 | 鉄道
南阿蘇鉄道の立野橋梁

さよなら、「あそ1962」で秋の阿蘇へ行こう その1からの続き


熊本駅を発車して約1時間、「あそ1962」は阿蘇山の入り口である立野駅に到着しました。
ここで列車は20分間停車します。

「あそ1962」が停車している間、なんと乗客の皆さんは列車を降りて駅を出て散歩に行くことが出来ます。
客室乗務員さんに先導されて、駅から線路沿いに歩くこと約5分…


着いたのは、こんな綺麗な鉄橋のたもとです!

これは立野駅から分岐する南阿蘇鉄道の立野橋梁
あの有名な旧・餘部鉄橋と同じ構造、トレッスル橋です。
熊本発の「あそ1962」に乗ると、鉄橋を見に散歩に行けるんです。これは楽しい!




「あそ1962」の客室乗務員さんに、立野橋梁をバックにポーズを取って貰いました。
(許可を得て撮影・掲載しています)

「皆さん、『あそ1962』に乗りに来て下さいね~♪」

駅の方から「あそ1962」が鳴らす汽笛が聞こえてきたら、発車時間が迫っています。
乗り遅れないように、急いで駅に戻りましょう。


立野駅の南阿蘇鉄道のりばには、トロッコ列車「ゆうすげ号」が停車中。
以前は、ちょうど立野橋梁を見に行っている時間に合わせて同区間を通過するダイヤだったそうです。トロッコに手を振るのが楽しかったとのこと。
これは、今後のダイヤ改正で復活して欲しいですねぇ!

散歩から戻った乗客を乗せた「あそ1962」は立野駅を逆向きに発車します。
名高い「立野スイッチバック」です!

逆方向に暫く走ると、一旦停車して再び進行方向を変えます。
車窓の眼下に、さっき逆向きに走ってきた線路が見えています。
阿蘇の外輪山に刻まれた谷間の急勾配を縫って、阿蘇高原へとにじり寄り、登っていく為に編み出された鉄道のテクニックです。

古豪キハ58系がエンジン音を豪快に谷間に轟かせながら、風光明媚なパノラマの景色の中を突き進んで往くこの区間は「あそ1962」の旅路のハイライトですが、
かつて同区間を走っていた「SLあそBOY」の蒸気機関車58654の車体に急勾配登坂の過酷な負荷を掛け、遂には台枠を歪め息の根を止めた魔の区間 でもあります。
(現在、「SLあそBOY」の蒸気機関車58654は奇跡的に修復に成功して復活、「SL人吉」として生まれ変わって走っています)


立野スイッチバックを登り切ると、列車は爽やかな阿蘇高原に躍り出ます。
ようやく平坦になった線路を、「あそ1962」は快調に駆け抜けます。涅槃像に例えられる阿蘇五岳(阿蘇カルデラの中央丘である活火山群)がきれいに見えてきたら、阿蘇観光の拠点である阿蘇駅や終点の宮地駅も間近です。



熊本駅を発車してから約2時間、
12:15に「あそ1962」は宮地駅に到着しました。

さよなら、「あそ1962」で秋の阿蘇へ行こう その3に続く

長崎で的川泰宣先生特別講演会「『はやぶさ』帰る!」を聴いてきました

2010-11-24 | 宇宙
「はやぶさ」の手作り模型を手に講演される的川泰宣先生(許可を得て撮影・掲載しています)

平成22年11月21日、長崎大学の『未来の科学者養成講座』として、
元・JAXA対外協力室長、宇宙教育センター長として広報と教育活動に尽力され、現在もNPO法人「子ども・宇宙・未来の会(KU-MA)」会長として宇宙を通じて「いのちを大切にする」ということを語り続けておられる「宇宙教育の父」
的川泰宣先生の特別講演会が開催されました。

九州で的川先生にお会いできるチャンスです、これは是非とも参加聴講せねば!
という訳で熊本県の自宅から愛車を飛ばして、長崎市へ行ってきました。

特別講演会の会場は、長崎市科学館。講演会開始の1時間前に到着。
受け付けの方もスタッフの皆さんも、とても親切で気持よく対応して頂けました。




エントランスには、小惑星探査機「はやぶさ」の紹介コーナーが作られていましたよ。

と、ここで講演会関係者の方々と歓談されながら展示を見ておられる的川先生にばったり遭遇!
ちょっと緊張しながら
「先生こんにちは。いつも熊本から寝台特急『はやぶさ』に乗って相模原まで『はやぶさ』に会いに来てた者です」
と御挨拶すると、すぐに「ああ、お久しぶりです!」と気付いて下さったので感激!!

的川先生に「では後程、講演会でお世話になります、聴講させて頂きます」と挨拶してから、講演会会場の講堂へ早めに入ります。
最前列中央の席を確保、やっぱり“アリーナ席”で的川先生のお話を聴きたいですよね(笑)





講堂の後方では、ちょうど巡回展「日本の宇宙科学の歴史」が開催中でした。

やがて聴講者が集まり始め、200席ほど用意されていた席がほぼ埋まりました。
やはり子どもを連れた家族連れのお客さんが多いですね。


演台脇に、地元の中学校の校長先生が手作りされたという「はやぶさ」とイトカワの模型が運び込まれ、午後1時半に講演開始です。

さて、今日の講演会は「日本の宇宙科学の歴史」-ペンシルロケットからはやぶさの帰還まで-という仮題がついていたのですが、
冒頭で的川先生がいきなり
「今日は、急遽資料を作ってきました。予定を変えて、はやぶさの話をしたいと思います。いいですか?」
と切り出されたので、会場はビックリ!そして満場の拍手で、講演タイトル変更決定!

かくして的川先生特別講演会「『はやぶさ』帰る!、開演!



「昨日は長崎大学で講演してきたんだけど、昨日聴きに来られてた方はおられますか?
昨日は講演の内容が難し過ぎると言われちゃったんで、今日は子どもが多いからやさしい話で分り易くします。
…ホントに子どもたちが多いなぁ、あ!赤ちゃんもいるけど、日本語わかるかな?」(場内笑)
「まず、皆さん『はやぶさ』って知ってますか?『はやぶさ』と聞いてわからない人、全然知らなかった今日はじめて聞いたって人いる?」

(流石に知らない人はいなかったようだけど、ここで「はやぶさ」の基礎的な説明)

「『はやぶさ』の7年間について、本気で話せば7年かかっちゃうけど今日は1時間でやります。」
(以下、的川先生の講演内容を記載します)

(星の誕生から死までの説明)

…このように太陽の生まれ方は、何となく解るんですが、惑星のでき方はよく解らない。
その解明に『はやぶさ』は役立つのではないか。
現在、40数万個の小惑星が太陽系内で見つかっている。これらは、重力が小さいのでその組成が誕生当時から変わっていない。

「はやぶさ」は史上初めて、月以外の天体からのサンプルリターンを行う。世界で初めてのことを行う実験機である。
でも正直、打ち上げ前は帰ってくるとは思っていなかった
打ち上げ前に仲間内で(「はやぶさ」の成果について賭けた)トトカルチョをしたが…あ、お金は賭けていませんよ、チョコレートか何かを賭けました。
帰ってくると賭けた人はいなかった。
打ち上げ当時は日本にも元気な人がいて、だから実験機として実現した。

「はやぶさ」の旅は、私たちのルーツを探るもの
私たちはどこから来たのか?
そして、いのちを大事にするということ
いのちの意味を、ルーツを探ることで考えたい。

(ターゲットマーカに88万人の名前を刻んだ「星の王子さまミリオンキャンペーン」についての説明)

会場に来ている子どもたち、「星の王子さま」読んだことある?
まだなければ、ぜひ読んでみて。私は小学校の終わり頃に読んだんだけど…

「星の王子さまミリオンキャンペーン」には、大阪の人から事務局に電話があって「ミリオンというからには100万円くれるのか」と聞かれた。それはないと答えると「何だ」と切られて(笑)

応募の中には名前だけでなく、メッセージが添えられたものもあった。
末期がんの方の生きたいというメッセージ、
最近子どもを亡くしたお母さんから、本当の星にしてあげたいというメッセージ…
それらは、「はやぶさ」が共感を呼んだということ。

(「はやぶさ」を打ち上げたM-Vロケットの説明)

このロケットは総重量が140トンもある。
私の総重量は0.1トンなので、私が1400人集まるとこのロケットと同じ重さになる。
しかし「はやぶさ」本体にはこんな巨大なロケットとは別に、もっと小さいエンジンが搭載してある。それがイオンエンジンとヒドラジン・ガスジェット。

(イオンエンジンと化学スラスタ、そしてリアクションホイールによる姿勢制御の説明)

ガスジェットをちょっと吹くと「はやぶさ」の機体が回転するので、姿勢制御出来る。
でもガスジェットだと回転だけでなく本体がちょっと動いてしまうので、精密な姿勢制御を行うためにリアクションホイールを使う。
このリアクションホイールは途中で1個壊れてしまったが、最初から「まぁ1個くらいは壊れるよね」と想定していたので、すぐガスジェットを用いて代用することが出来た。
しかしその後、もう1個壊れてしまったが、これもガスジェットを用いて代用。

イオンエンジンには4つのスラスタがあるが、打ち上げ直後にAスラスタが壊れた。
おかげで皆から「Aの野郎め」とか悪口を散々言われたが、結果的にこのAスラスタが「はやぶさ」の危機を救い地球帰還に導くことになる。わからないものだ。



(「はやぶさ」イトカワタッチダウン時のミッション説明)

イトカワにいる「はやぶさ」は、ちょうど家出した息子みたいに時々連絡をくれる。
タッチダウン時は、運用室の若い人が高度を叫ぶのだが、「現在高度7m」までいって、もうじき着陸だなと思ったら、着陸している筈なのに地球からの距離が延びていく。
「これはおかしい!」と、川口プロマネが緊急で離陸命令を出した。

結果、不時着していたことが判ったのだが、川口くんに「記者会見やりなよ」と言っても「みっともないからいやだ」という。
仕方がなく、直陸の記者会見を私一人で寂しく行った。
新聞には「『はやぶさ』小惑星に着陸」の見出しの横に「思いもかけず」と書かれていた(笑)

第2回目のタッチダウン。
サンプラーホーンが弾丸を発射すればモニタにWCTと表示が出ることになっている。
普段はボソボソとしゃべる橋本樹明サブプロマネが大声で「出たー!!!」と叫んだ。
だから皆、弾丸が発射されたことより、橋本さんのその声にびっくりした(大笑)
川口プロマネだけは冷静で「本当に弾丸が発射されたのか、これからゆっくり調べましょう」と言っていたが満面の笑みだった。
(結果として、プログラムのバグで弾丸は発射されていなかったことが分かった)

(タッチダウン後、「はやぶさ」帰還についての説明)

ガスジェットが推進剤漏れを起こし、リアクションホイールが1個しか残っていないので「はやぶさ」を回転させる方法がない。
そこで川口プロマネがとんでもないことを言い出した。
「イオンエンジンでキセノンガスを使え!」

二子玉川の団地の役員会に出席中だったイオンエンジン担当の國中先生が呼び出された。
「今、役員会中なんですけど」
「いや、役員会より大事な事だ!」
というやりとりの後、宇宙研にやって来た國中くんと「はやぶさ」機体回転のためにキセノンを使う方法を協議、若い人がイオンエンジンの中和器からキセノン生ガスを吹けばノズルが長いので姿勢制御に使えるという案を出して、採用された。

これで姿勢制御は上手くいくようになったが、しかし、その後「はやぶさ」は通信途絶してしまう。
運用チームの女性が「家出息子から連絡が来なくなった」とつぶやくと、皆が「お前、子供いないだろう」と突っ込んでいた。

そんな中で、川口プロマネは毎日、運用室の隅に毎日魔法瓶を置いていた。
毎日、新しいお湯に替えてある。
「俺は諦めないぞ」 と言いたかったのだろう。
おかげで元気が出ます、と若いスタッフが言っていた。

(最後の危機、イオンエンジン全停止とクロス接続による復活)

(イオンエンジン クロス接続の説明に引き続いて)
國中くんは「正直、『はやぶさ』そのものよりイオンエンジンのほうが可愛い」と言っていた。
ダイオードによるイオンエンジン回路のクロス接続は、
「はやぶさ」の打ち上げ直前になってNECの堀内さんと國中くんが男と男の約束をしてこっそりつけたもの。
でもこれは、明らかなルール違反です(笑)

(「はやぶさ」の地球帰還)



プラネタリウムの全天周映像作品「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」という作品が作られた。
これは「はやぶさ」の地球帰還前に作られたものだが、全部事実と同じ、完璧な作品でした。
たった一つ違っていたのは、カプセルが地上に降りた後、実際は地面でバウンドしてひっくり返っていたんだけどそれがひっくり返ってない(笑)

「はやぶさ」の地球帰還は、完全なるフィナーレでした。

(NASAのDC-8が撮影した地球帰還画像を見ながら)
2回、爆発しています。
青い光は、残っていたキセノンが爆発したもの。オレンジ色の光は、ガスジェットの酸化剤の爆発です。

地球帰還3日前に、川口プロマネが「はやぶさ君に、地球を見せてあげたい」と急に言い出して、あのラストショットが撮られた。
何枚も撮って上手くいかず、最後の一枚に地球が写っていた。

画像提供:JAXA

画像が滲んでいるので「はやぶさの涙」と呼ばれている。「はやぶさ」が泣く筈はないんだけどね…



(漫画家の里中満智子さんから届いた「はやぶさ」の応援イラストの紹介)
このイラストを紹介したいと、海外の新聞社などから問い合せメールが何故か里中さんではなくて私のところに来る。
里中さんの事務所に「メールが来てますので転送しましょうか?」と聞くと「英文だからイヤだ」と(笑)
中には「うちの新聞に載せたいんで、掲載料を送りたい。規定で200ドルということになっているが、200ドルでいいか?」と聞かれたことも。里中さんに確認したら「すべてお任せします」って(苦笑)

最後に、「幻のあすかちゃん」からの手紙を紹介して、的川先生の講演は終了。



引き続き質疑応答。
早速、僕が質問させて頂きました。

mitsuto1976のQ:的川先生は「はやぶさ」には当初、「あとむ」という名前をつけたいと考えておられたと伺っております。
現在、「はやぶさ」のあとに続く「はやぶさ2」の計画があり、正式に予算が出るまであと一歩というところまで来ていますが、
先生は「はやぶさ2」の正式な名前は何とつけたいと思われますか?

的川先生のA:え~っと、何てつけようかね(笑)
(ここで、「はやぶさ2」計画についての説明)
「はやぶさ」命名の際には、私は以前打ち上げた衛星に「ひのとり」という名前をつけたときに手塚治虫先生に挨拶に行ったら「次は、アトムなんてどうです」と言われて、
しかも「はやぶさ」の打ち上げられた2003年は「鉄腕アトム」が産まれた年という設定になってるんですよ。
それで、これはピッタリだと思っていたら宇宙研の上杉邦憲先生と川口プロマネの工作で「はやぶさ」と決まってしまった。
「はやぶさ」は鳥のハヤブサのようにさっと舞い降りて獲物を掴んで舞い上がるイメージがあっていると言うんだけど、糸川英夫先生の設計した飛行機の「隼」や、
昔、内之浦でロケット実験をやっていたときに、糸川先生は飛行機でさっさと行ってしまうんだけど、我々は飛行機代が出ないんで特急寝台の「はやぶさ」号で29時間かけて行くんですよ。これがとにかく、きつくてね。(笑)そのイメージです。
「はやぶさ2」の名前ですが、
「はやぶさ」がこれだけ有名になったので、「はやぶさ2」にせざるを得ないかも?
もう今更「あとむ」はないでしょうが。
一応、手続き上はもう一度、名前を付け直すことになるよ。

…そうですね。今や「小惑星へ行って帰ってくる船=はやぶさ」でイメージが固まってしまった感もあるし、そのまま正式な愛称も「はやぶさ2」の方がしっくりくるかも知れませんね。
でも先生、あんまり寝台特急「はやぶさ」に乗るのは大変だった、つらかったと仰らないでください!
僕は宇宙の「はやぶさ」も地上の「はやぶさ」も、どちらも同じ位に愛してるんですから!(笑)


続いて、先の大戦中に海軍のロケット兵器「桜花」の訓練をされていたという方からの質問。

Q:「日本の宇宙科学の歴史」の展示を見たが、糸川先生は兵器としてのロケットを基にペンシルロケット等を開発されたのでしょうか?

A:日本では昭和7年に、陸軍と海軍でロケットの開発を始めました。
昭和9年に神奈川県の辻堂の海岸で、後に戦艦大和の開発などもされた方が自作のロケットを上向きに打ち上げたのが日本で最初の打ち上げだと言われています。もっとも、後で憲兵に大目玉を喰らったそうですが。
その後、固体燃料の「桜花」、液体燃料の「秋水」というロケット兵器が産まれました。
この時点で、日本はドイツに次いで世界で2位のロケット技術を持っていたが、戦後その資料はほとんどすべて失われたので、ペンシルロケットには受け継がれませんでした
もし戦前の技術を継承できたら、日本はもっと高みからロケット開発を始めることが出来たでしょう。

続いて、子供を連れたお母さんからの質問。

Q:的川先生の子供時代について聞かせて下さい。どんな子でしたか?

A:野球が大好きで、広島カープの選手になりたいと思っていました。
中学校からはテニスを始めました。
その後、夜釣りに行った時に見た月や、ペンシルロケット、スプートニクを思い出して、大学では宇宙工学コースに進みました。
でも実は、宇宙工学は新設されたばっかりで3人しか募集がなかったので、これは少人数だからきっと大事にしてもらえるぞと(笑)
大学に入ったらテニスばかりしていましたね。
不勉強だったので、天文学は何となく受け身だと思っていまして、まぁそれは間違いなんですけど。受け身でなくこちらから出て行く宇宙工学を、と思っていました。


Q:「はやぶさ」のイオンエンジン開発者の方は、勝手にクロス接続をしたので処分はあったのですか?
もし正規の手続きを踏んでいたら、クロス接続は可能でしたか?
また、的川先生ならどうされていましたか?

A:処分などはありません。
正規の手続きだと、打ち上げ直前の衛星をいじるなんて絶対無理です。あの時はNECの人もいたので、実現できました。
國中先生の執念なので、(勝手にクロス接続は)そうせざるを得なかったと思います。
あれくらいに切羽詰ったら、私もやると思います。でもそれは切腹覚悟です
執念のルール違反です。


Q:「はやぶさ」地球帰還の3年延長は想定していたのですか?

A:帰還を延長しても、キセノンの消費量には大差はありません。
でも、キセノンを大量に詰め込んでいたおかげで心の余裕ができました。
結果として、川口プロマネの慧眼でした。


…以上、時間一杯まで質疑応答を受け付けて、
的川先生の特別講演会「『はやぶさ』帰る!」は無事に終了しました。
そのまま大勢の親子連れに取り囲まれて、サイン会に応じる的川先生に、「今日はありがとうございました!再来週、内之浦でまたお目にかかります」と御挨拶。
それから、僕もサインを頂いちゃいました。

先々週、佐世保で吉川先生に表紙ページにサインを入れて頂いた「星の王子さま」の本の、
最後のページ、僕が一番好きな挿し絵の中に、的川先生にサインして頂きました。
この後、僕の名前も書いて頂いたのですが、何と的川先生は僕の本名をフルネームで憶えていて下さって感激!

的川先生、ありがとうございました。
内之浦でまたお会いできるのを、楽しみにしています!

(講演会レポ終わり。次は12/4、内之浦で「おおすみ」40周年記念式典の講演会に参加予定!)

さよなら、「あそ1962」で秋の阿蘇へ行こう その1

2010-11-20 | 鉄道
熊本駅で出発を待つ「あそ1962」

国鉄時代の急行列車用気動車の傑作、キハ58系をレトロ調を活かし大胆にリニューアルしたJR九州の観光列車
「あそ1962」
その名のとおり、熊本と阿蘇・宮地駅を結んで走る人気列車ですが、これまたその名の示すとおり1962(昭和37)年生まれの高車齢なキハ58、
寄る年波には勝てず、今年中の運行を最後に勇退することがこの程決定しました。

よく晴れた秋の週末、去りゆく「あそ1962」に名残乗車して阿蘇に行ってきました。
さようなら乗車記、絵日記風に綴ってみます。

(乗車日:平成22年11月20日)


朝9時半頃、「あそ1962」の始発駅である熊本駅に行くと、ちょうどこの列車が発車していくところでした。

「SL人吉」です!


年間の平均乗車率が9割を超えるという文字通りの超人気列車「SL人吉」、この列車にも乗りたいですねぇ…

「SL人吉」が発車して行った熊本駅の0番プラットホームに、「あそ1962」が入線してきました。




「あそ1962」の車体は、キハ58本来のベージュに朱帯とは全く趣の異なる、焦げ茶に金の飾り帯というモダンでお洒落な出で立ちに改められています。
また車内は、国鉄の標準型ディーゼルカーであったキハ58系の原型を留めつつ大胆に手が加えられています。




客室部分は、座席などには変更がありませんがテーブルが追加され、布地や壁紙の色合いがシックなレトロ調に改められています。


車体の端の方は、座席が取り払われサロンに変身しました。
立食カウンターを備えたお洒落な空間です。でも、これは実はただのサロンではないのですよ。


何と!このサロンは自転車搭載スペースを兼ねているのです!
カウンターの下の銀色の金具が自転車スタンドです。「あそ1962」で阿蘇まで自転車を持って行って、サイクリングが楽しめるという趣向なんですね!
それにしても、サロンと自転車置き場を融合させるという発想は凄い。このアイデアを考えたのは、そうJR九州のデザイン顧問、水戸岡鋭治先生その人です。こんな奇抜なアイデア、水戸岡先生でないと考えつきませんよ実際!


サロンにはファイナルランまでの手作りカウントダウンボードが。
「あそ1962」が走るのは、あと13回だけ…

10:12、「あそ1962」は熊本駅を発車。
豊肥本線に入り、熊本市内と近郊の住宅地を走っていきます。

客室乗務員さんの車内検札が行われ、同時に記念乗車証が配られました。

豊肥本線の電化区間が終わる肥後大津駅を過ぎると、車窓はだんだん高原らしくなってきました。

俵山の風力発電所が見えてくると、阿蘇はもうすぐ…


線路はどんどん高度を上げていきます。
やがて、阿蘇外輪山の入り口である立野駅に到着します。

さよなら、「あそ1962」で秋の阿蘇へ行こう その2に続く

佐世保市少年科学館「星きらり」開館記念 吉川真先生講演会「はやぶさ奇跡の生還 そしてはやぶさ2へ」

2010-11-20 | 宇宙
イトカワ模型を手に講演される吉川先生(記事中の写真は佐世保市少年科学館の承認を得て撮影・掲載をしています)

平成22年11月7日、長崎県佐世保市に於いて、佐世保市少年科学館「星きらり」の開館記念講演会
「はやぶさ奇跡の生還 そしてはやぶさ2へ」が開催されました。
講演されたのは、JAXA宇宙科学研究所の吉川真先生

小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトサイエンティストであり、
そして「はやぶさ2」ではプロジェクトマネージャを務められることになる吉川先生の講演会、これは絶対に聴き逃せない!
という訳で、熊本から愛車を飛ばして佐世保へと向かいました。


会場となる佐世保市少年科学館「星きらり」は、
今年10月にオープンした「佐世保市総合教育センター」の中核となる施設とのこと。
軍港と佐世保バーガーで知られる佐世保市の、閑静な山の手の住宅地に位置しています。



だいぶ早めに到着したので、吉川先生の講演会が始まるまで「星きらり」の中を見て回ります。
屋上には立派な天体観測室があり、昼間の金星を見せて頂きました。


この他、ドーム径8mとやや小さめですが、
デジタル式全天周投影機「バーチャリウムII HD」が設置されたプラネタリウムもあります。
(全天周映像対応とのことなので、担当の学芸員さんに今後「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」の投影も検討して頂けるようお願いしておきました。)

やがて昼過ぎとなり、講演会の時間となりましたので講堂に移動。
今日は講演会の前に子どもの科学賞の授賞式が開かれていたようで、その受賞者の子供たちと保護者家族を含め多数の参加者で講堂はほぼ満席。


少年科学館館長の講師紹介に引き続いて、吉川先生の講演開始。

「はやぶさ」帰還時の話しから、ミッション全体についての概略の説明の後、自己紹介。
藤原顕先生の定年を引き継いでプロジェクトサイエンティストとなった経緯(※参考記事:藤原顕先生の講演会レポ→「京都で、お帰りなさい!『講演会 小惑星探査機「はやぶさ」―7年の旅を終えて』」)。
現在は「はやぶさ2」準備チーム長(吉川先生は今後「はやぶさ2」のプロジェクトマネージャを務められる予定)。
「はやぶさ2」は既にプロジェクト開始の準備ができているが、あとは予算次第…


「先ず最初に、『はやぶさ』への応援ありがとうございました。
そして今日来ている子どもたちには、是非一緒に次の挑戦を!」

「はやぶさ2」は2020年に地球に帰ってくることになるので、今ここにいる子どもたちは「はやぶさ2」ミッションに直接参加することができる。
また、ミッションを利用しての科学の広報普及も重要だと考えている。

「はやぶさ」が教えてくれたこと

アメリカのNASAは多数の探査機を飛ばして、世界初のものを色々と見ているが、今回の「はやぶさ」では我々日本人が世界で初めて小惑星イトカワの姿を見た。
これはやはり、感動する。
また「はやぶさ」にはチームワークの素晴らしさがあった。今後も、こういうチームをつくっていきたい。
いいチームがあったから、数々のトラブルを乗り越えることが出来た。
予期せぬトラブルは次に活かして、信頼性・ロバスト性(技術高度化)の向上を図りたい。

若い世代へ、冒険を伝える。
これが、今日の講演のまとめと言えること。




「はやぶさ」の地球帰還後は、カプセルの展示に人が大勢並んで大変なことになった。
ここまでカプセルの人気が出るとは予想していなかった。
(ここで、カプセルと「はやぶさ」本体についての図解と説明)

相模原の宇宙研本部には実物大の「はやぶさ」模型があるが、
現在「はやぶさ」模型はきれいに埃を払われて上野の国立科学博物館で開催中の「空と宇宙展」に展示されているので、九州からは遠いが機会があればぜひ見に行って頂きたい。
(この後、「はやぶさ」模型と共に展示されている「イカロス」についての説明)

「はやぶさ」の歩み

現在、宇宙から地球に帰ってきた探査機はアメリカの「スターダスト」「ジェネシス」
そして「はやぶさ」の3つだけ。
このうち、他天体へのタッチダウンを行ったのは「はやぶさ」だけである。
(引き続きJAXA公式のミッションCGと、「祈り」短縮(早送り)版での「はやぶさ」ミッション説明)

「はやぶさ」に搭載しているイオンエンジン、ターゲットマーカ、ミネルヴァ、サンプル採取装置についての説明。
「本当は、先にもう一つの探査機を送って現場の様子を調べたかった。」
(筆者注:でも、実は「はやぶさ」自身がその“先に行って確かめる探査機”なんですよね、だって工学実証ミッションなんだもの。
だからこそ、あとに続く理学ミッションとしての「はやぶさ2」の実現が重要になってくるのです。)

続いて、「はやぶさ」のイトカワでの探査活動について。リハーサルと本番、合わせて5回のイトカワへのタッチダウン。
「最初はタッチダウンに3回もリハーサルをやらなくてもいいと思っていたのだが、これが大変で…」
2005年11月に実施したタッチダウンでは、5回ともスタッフは全員徹夜!でも、みんな興奮していた。
「はやぶさ」プロジェクトに参加しているNASAの人はきちんと交替していたが、日本側はみんなぶっ通しで働いた。

「はやぶさ」の最期の姿。
(カプセルの火球を捉えた、NASAのDC-8からの観測映像。)

ここで、吉川先生ご自身が携帯電話のカメラで撮影された、カプセルの相模原搬入の様子の画像を公開。
深夜にもかかわらずマスコミが群がる、「異様な光景でした」

「アメリカは多分、小惑星に行っても面白くないと思っていたんだろう。
でも「はやぶさ」で、それが面白いと分かった。」



「星の王子さまが、小惑星で立って歩くのは実は難しい。
秒速15cm、時速0.5キロで宇宙に飛び出してしまい、自分自身が小惑星になってしまう。」



「はやぶさ」の帰還時、上空5kmでパラシュートを開いた。本来は10kmで開く予定だった。
地上に落ちたカプセルが見つからないときは、砂漠をみんなで横並びして歩いて探すつもりだった。歩かなければならないのは、そこがアボリジニの聖地だから(筆者注:聖地なので自動車の乗り入れは躊躇われたと思われる)。
私も歩くつもりでいたが、すぐに見つかった。

次の「はやぶさ2」では、水と有機物の多いタイプの小惑星へ向かうことになる。

ここから、質疑応答。

Q:「はやぶさ2」ではインパクター(爆発物)を持って行って探査を行うが、爆発により地球の物質が持ち込まれることにならないか?
また、爆発による熱の影響は?
A:爆弾は小惑星の地表では爆発せず、上空で爆発して銅の弾を地表に飛ばすことになる。銅は後で簡単に分離できるので、サンプルへの影響は問題ない。
また熱の問題は、弾がぶつかった地点以外、周辺部ではそんなに高温にはならないことが分かっているのでこれも問題はない。
(筆者注:爆発によって大きさが数メートルから5メートル程度の「人工クレーター」がつくられる)

Q:「はやぶさ」はMVロケットの重量制限があったが、H-IIAロケットで打ち上げることになる「はやぶさ2」では重量に余裕が出ないか。
A:H-IIAは静止軌道投入用に特化した設計なので、実は惑星探査には全然向いていない。惑星探査にはMVのように3~4段式のロケットが最適だが、H-IIAは2段式。
だからH-IIAで打ち上げた金星探査機「あかつき」と「イカロス」の重量も、「はやぶさ」と大差がないせいぜい500キロ程度。
また、「はやぶさ2」の本体を重くするとその分イオンエンジンの能力も上げないとならない。
それでも、「はやぶさ2」は「はやぶさ」より数十キロは重く出来る。

筆者も質問しました。
(尚、質問内容は事前にTwitter宇宙クラスタの方々から募集した「吉川先生に聞いてみたいこと」の中から選びました)
筆者Q:「はやぶさ2」では、ミネルヴァを2つとドイツで開発したランダー等、ローバーを多く搭載する計画があるが、それに伴う工夫を教えてください。
A:現在、ローバーを基本開発中であるが、重量が重くなりつつあるので軽量化を検討している。
ローバーが重くならなければ、言うとおりミネルヴァ2機とドイツのローバーを1機搭載したいと思う。

なるほど、やはり軽量化が最重要課題なのですね。ありがとうございました!

予定時間ギリギリまでの質疑応答の後、佐世保市総合教育センター長の謝辞で吉川先生講演会は一旦閉幕。
引き続き、吉川先生が持って来られた資料の展示会です。



吉川先生といえばお馴染みの「イトカワ模型」。
シャーレに入った同縮尺の「はやぶさ」模型を着陸地点の「ミューゼスの海」に乗せてみたところ、これが大受けで写真撮影大会状態に(笑)


「イカロス」のセイルの、実物サンプル。
実際には一辺14mと巨大なイカロスですが、何とA4のクリアファイルに挟まれて登場です。皆さん触ってみて「薄ーい!」と驚きの声をあげます。何しろ0.0075mmしかありませんからねぇ。

ここで、イトカワやイカロスを片付けに来られた吉川先生が登場。
「先生、お疲れ様です。いつも質問に答えて下さってありがとうございます」と挨拶してから、
「あの~、先生にお願いしたいことがあるんですが…」

という訳で、特別にお願いしてこんな素敵なものを頂きましたよ。
 
持参した愛蔵書、「星の王子さま」の表紙ページに、サインをして頂きました!
先生ありがとうございます!


素晴らしいお土産を手に、幸せな気分で熊本に帰ります。
今日はいい一日でした。佐世保も素敵な街だったね…

「あーっ!しまった、佐世保に行ったのに佐世保バーガーを食べるのを忘れてた!!」

(講演会レポ終わり。次は11/21、長崎市で開催の的川泰宣先生講演会に参加予定!)

星のかけら

2010-11-16 | 宇宙
画像提供:JAXA

旅人の彼が、ぼくらにくれた星のかけら。
それは、彼の大いなる旅路の証し。旅した彼の生きた証し。

ぼくたちは、彼のいのちそのものを、そして宇宙をもらったのかも知れない。

はやぶさカプセル内の微粒子の起源の判明について
(JAXAプレスリリース)

夜空を見上げよう。

…火星軌道に眠る「のぞみ」 よ、貴女の弟は、貴女の果たせなかった想いをこんなにもしっかりと受け継ぎ、そしてやり遂げたよ。

金星を目指す「あかつき」 「イカロス」 、きみたちの自慢の兄さんは、やっぱり宇宙一の偉大な旅人だったね!

そして、星になった「ミネルヴァ」
イトカワの近くから、きみのちょっと頼りなかったりもしたパートナーの栄誉が見えているかい?
彼が旅を続けることができたのは、いつも一緒にいた、きみの励ましがあったからこそだということをぼくは知っているよ。
だからきみも、大いに誇り胸を張って、人類が初めて到達してそして後にした記念すべきちいさなラッコと共に、輝き続けていてくれ。
ラッコの上には、一緒に旅した88万のぼくたちの想いもまだそこにあるよ。

そしていつか、ぼくもそこへ行くよ…


画像提供:JAXA

旅人の名は、はやぶさ。
ぼくは、彼が生きた旅の日々のことを永遠に忘れません。
彼と、彼の旅を支え続けたすべての方々に心からの祝福と、そして感謝を捧げます。


天燈茶房亭主mitsuto1976

宇宙ステーション補給機(HTV)、愛称決定!

2010-11-11 | 宇宙
宇宙ステーション補給機(HTV)打ち上げイメージ画像 提供:JAXA

宇宙ステーション補給機(H-II Transfer Vehicle: HTV)の愛称が決定、先程JAXAより発表されました。
約1ヶ月間に渡って公募され、17,236件もの応募作の中から選ばれた愛称は…

「こうのとり(KOUNOTORI)」 です!


また、JAXAの特設サイトもオープンしています。
こうのとり2号機/H-IIBロケット2号機特設サイト
H-IIBロケット2号機による「こうのとり2号機」の打ち上げは平成23年1月20日(木)15時29分頃
う~ん、熊本からだとギリギリ日帰り可能な時間帯だけど…休みを取って、見に行けるかな?

「こうのとり」の選定理由は
「大切なもの(赤ん坊、幸せ)を運ぶ鳥としてのイメージがあり、国際宇宙ステーション(ISS)に重要な物資を運ぶHTVのミッション内容を的確に表しているため」(JAXAプレスリリースより引用)
とのこと。
宇宙ステーション補給機(HTV)の愛称選定について
(JAXAプレスリリース)

なるほど、言われてみれば確かに「幸せを運ぶ補給機」っていい感じかも。
でも、海外の関係者はKOUNOTORIって発音に苦労しそうだなぁ(笑)

ところで、僕もHTVの愛称募集に応募していたんですが…
かなりの自信作だった「みずほ」は、この次…そうだな、「はやぶさ2」の愛称募集まで温存しておくことにしましょうか。

「はやぶさ」のプラモデルを作ってみようか その7、とりあえず完成!

2010-11-07 | 宇宙
「はやぶさ」のプラモデルを作ってみようか その6、細部の塗装と仕上げ、ハイゲインアンテナ取り付けからの続き

最後まで塗装していなかったパーツを仕上げます。
イトカワ地表を目指して「はやぶさ」から投下されるも、イトカワに到達すること無く星になった悲劇のローバー、
ミネルヴァです。

…あまりにも小さいので、つまようじを突き刺して(何故かミネルヴァには小さな孔が開いている)一気に塗り上げます。
メタリックブルーを塗って、はいミネルヴァ一丁上がり!(笑)

さあ、最後の大仕事です。「はやぶさ」本体に太陽電池パドルを取り付けます!
先ずは本体にパドル基部を仮付けして、接着剤を本体裏面から塗布して本体ごとひっくり返し、固着を待ちます(こうしないと、パドルが自重で垂れ下がってしまう)。

パドルが接着できたら、ハイゲインアンテナを取り付けた天面を本体に取り付ければ完成!…なのですが、
「天面が、うまく取り付けられないー!噛み合わないー!!」
塗装皮膜の影響か、サイコロのような本体の天面がうまくはめ込めないのです。パドルのバリを削り取ったりと試行錯誤の末、一旦ハイゲインアンテナを取り外して、上側から力技で押し込むという無茶苦茶荒っぽい方法で何とか天面のはめ込みに成功!
ああ~パラボラ接着してなくてホント良かった!
(※この作業は本当に大変だった…おかげで、作業工程の写真を撮る余裕すらありませんでした(苦笑))

という訳で、ハイゲインアンテナを取り付け直せば、ついに完成です!!



不死鳥「はやぶさ」の命の象徴ともいうべき、運命のイオンエンジン(IES)、μ-10。
元気に地球を出発した直後の、スラスタB~Dをフル起動した姿を再現してみました。
イオンスラスタには空色の中心に僅かに紫色を入れた、こだわりのイオン光を表現しています。

…かくして、作り始めてから1週間で完成しました、「はやぶさ」プラモデル(試作モデル)
いや~、楽しかったですね!
自分が愛し応援していたものを作るというのは、やっぱり面白いです。
ところで、今回完成したのはあくまで試作モデル。ということは、
そう、このあと本番のフライトモデルを作らないと!それも2機も!!(笑)
フライトモデルの組み立ては試作モデルの経験を活かして、本体を組み上げやすくするために接着面に塗装皮膜を作らないように工夫しないといけないな。
あと、IESは地球帰還時の1スラスタ運転を再現してみよう!

(「はやぶさ」のプラモデルを作ってみようか とりあえず終)

「はやぶさ」のプラモデルを作ってみようか その6、細部の塗装と仕上げ、ハイゲインアンテナ取り付け

2010-11-06 | 宇宙
「はやぶさ」のプラモデルを作ってみようか その5、化学スラスタと中利得アンテナ取り付けからの続き

前回、化学スラスタや中利得(ミディアムゲイン)アンテナを取り付けてしまったので、ほぼ「はやぶさ」の各部位は完成しました。
一晩置いて接着剤も固まったので、細部の塗装を行ないます。


先ずは化学スラスタのサイド部を塗装。
12個のスラスタのうち、「はやぶさ」の翼であり心臓であるイオンエンジン(IES)「μ-10」が設置されている面にある6つは「側面は黒、内部は銀」とTwitter宇宙クラスタの方に教えて頂いたので、側面をつや消し黒で塗装します。
ちなみに、μ-10が設置されている面は、本体も銀色になっています。
IESのジンバルとμ-10内側もつや消し黒で塗ります。IESのイオンスラスタは、まだ塗りません。
サンプラーホーンは基部を銀塗装した上で、下塗りした銅色をスプリング状に表面の凹加工部に残したままつや消し黒を塗ろうとしたのですが…上手くいかないので、黒で塗りつぶしました(苦笑)

ここまで塗ったところで、再び一晩放置して乾燥。

翌日は、本体を展示台に戻して作業を進めます。

化学スラスタの内側面を銀塗装して、細部を仕上げていきます。
ちなみにこの時点で、もう製品に付属している組み立て説明書は全く見ていません。
すべて、ネットなどで漁ってきた資料画像と、Twitter宇宙クラスタ諸氏の助言を基に塗装を進めています


本体の天板部も、同様に仕上げます。
塗装を終えた天板に…


ハイゲインアンテナのパラボラと、サンセンサー等を組み立てて取り付けます。
これはかなり取り付け難そうだったので覚悟して作業に臨んだのですが、始めてみればあっけなく完成してしまいました。
但し、パラボラは塗装皮膜の影響か本体天面の取付け孔になかなか挿し込めなかったのですが、おかげで接着剤を使わずに固定することが出来ました。
三脚のように立っているステイも、本体天面への取り付け基部は接着していません。本体に乗っかってパラボラの孔に支えられてる状態ですが、倒れずにしっかり立っています。

パラボラ取り付け後、剥がれてしまった金色を塗り直したりして、さあ後は太陽電池パドルを取り付けるだけです!
完成間近!!

「はやぶさ」のプラモデルを作ってみようか その7、とりあえず完成!に続く

「はやぶさ」のプラモデルを作ってみようか その5、化学スラスタと中利得アンテナ取り付け

2010-11-03 | 宇宙
「はやぶさ」のプラモデルを作ってみようか その4、太陽電池パドルとイトカワ(展示台)の仕上げからの続き

さて、前回「(はやぶさ本体は)このまま展示台にセットした状態で作業を進めたいと思います」とか宣言しておきながら、いきなり本体を展示台から降ろしてひっくり返した状態で今夜の作業スタートです。


サンプラーホーンを取り付けました。
イトカワにタッチダウンする際に、地表に接触するこの機器、その名の通りツノのように本体から伸びています。
3つのパーツに分かれていたサンプラーホーンを組み上げて接着しておいてから、本体に取り付けました。
本体に取り付けてから塗装するつもりですが、伸展部にだけは(伸展スプリングの色が銅色っぽく見えた気ようながしたので)銅色を下塗りしてあります。

次に、化学スラスタを取り付けます。

イトカワへのタッチダウン後の機体トラブルで全ての推進剤を失い、完全に機能停止した因縁の化学スラスタですが、はやぶさ本体の各所に合計12基も取り付けられています。
ちっちゃいパーツなので、ピンセットでつまんで12個も取り付けるのは一苦労…
取付け孔に慎重に接着剤を流し込んで、角度がズレないように取り付けていきます。これも、本体への取り付け後に塗装するつもりです。

化学スラスタと、ついでに中利得(ミディアムゲイン)アンテナも取り付けてしまいました。

気が付けば、後はもう本体にハイゲインアンテナのパラボラと太陽電池パドルを取り付ければ組み立ては完了してしまいます。
でも、まだ仕上げの細部塗装が待っていますけどね…


組み上がった部位を全て箱に収めて、今夜の作業は終了。
だいぶ完成形が見えてきましたね!
接着剤が乾くのを待って、今夜はもう寝ます。続きはまた明日の夜。

「はやぶさ」のプラモデルを作ってみようか その6、細部の塗装と仕上げ、ハイゲインアンテナ取り付けに続く

「はやぶさ」のプラモデルを作ってみようか その4、太陽電池パドルとイトカワ(展示台)の仕上げ

2010-11-02 | 宇宙
「はやぶさ」のプラモデルを作ってみようか その3、太陽電池パドルのスプレー塗装からの続き

丸一日置いてメタリックブルー吹付塗装が乾いたので、今夜は太陽電池パドルの仕上げをします。


片翼3枚の太陽電池を接合している部位を銀色でタッチアップ塗装。
細い筆先をちょんちょんとタッチしながら、少しずつ銀を乗せていきます。
本来は、パドル上にある、「はやぶさ」打ち上げ時に機体をMVロケットの狭いフェアリング内に搭載するためにパドルを折り畳んで留めていた部位も銀色塗装して金属感を出した方が良いのでしょうが…
僕の腕前だと、パドルを汚すだけの結果に終わるのが目に見えているので省略(苦笑)

裏面も同様に、太陽電池接合部を銀でタッチアップ塗装。

こちらも本来なら、刻印で表現されたパドル上を這い回る配線類を白く塗って浮き上がらせるとベストなのでしょうが…
表面同様の理由で省略、残念…

本体にパドルを結合するステイ部と、エッジをつや有りの黒で塗り上げて、太陽電池パドルの仕上げは完了!


小惑星「イトカワ」を模した台座を明灰白色で重ね塗りして、つや消し黒を塗ったスタンドを結合。接着しなくても挿し込むだけでがっちり固定できるようです。

イトカワの展示台の完成です。
「はやぶさ」のプレートも付いています。これは当初はつや消し黒で塗った後に、文字部だけを金色で塗って浮かび上がらせて、実際の宇宙科学研究所の正門に掲げられている表札プレートのようにしたかったのですが…
失敗して汚してしまったので、金色で塗り潰してみました。


早速、「はやぶさ」本体を展示台にセットしてみました。
これから、本体に化学スラスタを取り付けて銀色に塗る細かい作業が待っていますので、このまま展示台にセットした状態で作業を進めたいと思います。

「はやぶさ」のプラモデルを作ってみようか その5、化学スラスタと中利得アンテナ取り付けに続く