今日は3月11日、平成23年東北地方太平洋沖地震による東日本大震災から6年目の3.11。
過去ログを読み返してみると、直接東日本大震災に言及したのは、翌年の2012年だけで、改めて6年目の今日に、大震災を考えてみます。
この震災に直接関与したわけではないですが、我が国未曾有の超大災害。
この機を経験したものとして、次世代に繋いでいかねばなりません。
改めて、2011年(平成23年)3月11日の午後3時前の地震発生時に、どこで何をやっていて、どうやって知ったかを書いてみます。
この日、名古屋市東区のナゴヤドームで、フラワードーム名古屋、国際蘭展が開催され、叔母と見学に行きました。遅いお昼を食べて、会場に戻ったのが、午後2時40分頃。押し花の展示販売が行われているブースの横を通ると、仕切りの衝立が微妙に揺れています。誰かが当たったのなら、その当たった人がいるべきものですが、数歩の距離以内には誰もおらず、衝立の揺れは地震によるものと直感です。
こういうところに、地学に詳しい私の知恵が発揮されます。
他の人は全く気付いていないようですが、私はすかさず歩を止め、隣にいた叔母にも歩くのを制止させました。
すると数秒後にハッキリわかる揺れ。しかもゆったりゆさゆさ、振幅の長い揺れです。
その揺れ幅とゆったり具合から、遠方の巨大地震、すなわち憂慮されている南海トラフの地震が起こったのか!と思いました。が、南海トラフだと距離が近く、ゆさゆさ具合からもう少し遠い所だろうと頭の中で、推定震源地を考えます。
そんなこと考えている中でますます揺れが大きくなり、あちこちで「キャー」の声。その時の時刻は午後2時49分
直ちにNHKラジオの電源を入れました。既に地震速報が始まっていました。東北地方や北関東の地名が出ています。
すると緊急警報放送開始のチャイムが入り、津波警報が発表されたとのこと。
その警報発表海岸が東北地方から関東地方にかけての海岸で、その時点ではまだ震源地の場所を聞いていませんでしたが、ひょっとして日本海溝の地震だろうか?とも思いました。
やがて、携帯電話のメール着信。中部電力からのもので、地震速報メール。中電の管内で震度3以上の揺れを感知すると、地震情報メールが送信されるものです。
それによれば、三陸沖でマグニチュード7.9。海底でM7.9だと必ず津波が起きる、と直感した私は、叔母の持つ携帯電話がワンセグ対応なので、NHK総合チャンネルで、津波のニュースがあるだろうと、点けてもらいました。どこかの港ですが、倉庫に押し寄せる様子を写しておりました。
(マグニチュード7.9は速報値で、最終的には9.0というとんでもない確定値となっています)
そんな津波を見るのは、その時点で何年か前のスマトラ沖地震の時で、そんな津波が現代の我が国で起きたことへの恐ろしさを、改めて感じた次第で、同時に地球は現在も活動を続けているもので、日本列島もそうした自然災害の成り立ちによってできたものと思った次第です。
自然の活動は過去のものではなく、現代にも続いているものであると、感じた次第です。
地震でこうですので、火山も、歴史的には富士山も箱根山も九州の阿蘇山、鹿児島湾の姶良火山も我が国の国土を構成させるような大規模な噴火が起きたもので、そんな噴火活動が現代では起きないとは限らないものです。
自然現象は防ぐことはできませんが、災害の規模を減らす「減災」はできます。
できる所から、減災への努力をせねばなりません。と言いながら、このブログ主はどうなんだ、と言われそうですが。
ところで、Yahoo!Japanで、「3.11」と検索すると、検索した一人に10円ずつが東北復興への募金になります。⇒こちら。
過去ログを読み返してみると、直接東日本大震災に言及したのは、翌年の2012年だけで、改めて6年目の今日に、大震災を考えてみます。
この震災に直接関与したわけではないですが、我が国未曾有の超大災害。
この機を経験したものとして、次世代に繋いでいかねばなりません。
改めて、2011年(平成23年)3月11日の午後3時前の地震発生時に、どこで何をやっていて、どうやって知ったかを書いてみます。
この日、名古屋市東区のナゴヤドームで、フラワードーム名古屋、国際蘭展が開催され、叔母と見学に行きました。遅いお昼を食べて、会場に戻ったのが、午後2時40分頃。押し花の展示販売が行われているブースの横を通ると、仕切りの衝立が微妙に揺れています。誰かが当たったのなら、その当たった人がいるべきものですが、数歩の距離以内には誰もおらず、衝立の揺れは地震によるものと直感です。
こういうところに、地学に詳しい私の知恵が発揮されます。
他の人は全く気付いていないようですが、私はすかさず歩を止め、隣にいた叔母にも歩くのを制止させました。
すると数秒後にハッキリわかる揺れ。しかもゆったりゆさゆさ、振幅の長い揺れです。
その揺れ幅とゆったり具合から、遠方の巨大地震、すなわち憂慮されている南海トラフの地震が起こったのか!と思いました。が、南海トラフだと距離が近く、ゆさゆさ具合からもう少し遠い所だろうと頭の中で、推定震源地を考えます。
そんなこと考えている中でますます揺れが大きくなり、あちこちで「キャー」の声。その時の時刻は午後2時49分
直ちにNHKラジオの電源を入れました。既に地震速報が始まっていました。東北地方や北関東の地名が出ています。
すると緊急警報放送開始のチャイムが入り、津波警報が発表されたとのこと。
その警報発表海岸が東北地方から関東地方にかけての海岸で、その時点ではまだ震源地の場所を聞いていませんでしたが、ひょっとして日本海溝の地震だろうか?とも思いました。
やがて、携帯電話のメール着信。中部電力からのもので、地震速報メール。中電の管内で震度3以上の揺れを感知すると、地震情報メールが送信されるものです。
それによれば、三陸沖でマグニチュード7.9。海底でM7.9だと必ず津波が起きる、と直感した私は、叔母の持つ携帯電話がワンセグ対応なので、NHK総合チャンネルで、津波のニュースがあるだろうと、点けてもらいました。どこかの港ですが、倉庫に押し寄せる様子を写しておりました。
(マグニチュード7.9は速報値で、最終的には9.0というとんでもない確定値となっています)
そんな津波を見るのは、その時点で何年か前のスマトラ沖地震の時で、そんな津波が現代の我が国で起きたことへの恐ろしさを、改めて感じた次第で、同時に地球は現在も活動を続けているもので、日本列島もそうした自然災害の成り立ちによってできたものと思った次第です。
自然の活動は過去のものではなく、現代にも続いているものであると、感じた次第です。
地震でこうですので、火山も、歴史的には富士山も箱根山も九州の阿蘇山、鹿児島湾の姶良火山も我が国の国土を構成させるような大規模な噴火が起きたもので、そんな噴火活動が現代では起きないとは限らないものです。
自然現象は防ぐことはできませんが、災害の規模を減らす「減災」はできます。
できる所から、減災への努力をせねばなりません。と言いながら、このブログ主はどうなんだ、と言われそうですが。
ところで、Yahoo!Japanで、「3.11」と検索すると、検索した一人に10円ずつが東北復興への募金になります。⇒こちら。
私は阪神淡路大震災のときはまだ影も形もなかったから、東日本大震災が人生初の「大震災」でしたので(もちろんあの日はまだ大震災とは呼ばれていませんでしたが、おそらく「東日本大震災」とのちに呼ばれることになるだろうと遅くとも22時頃には思っていました)、来るべき南海トラフ地震等に備えるためにも「今日この日を可能な限り記憶しなければならない」と子どもながらに思っていました。その結果これだけのことを6年たっても思い出せますので、あの日の自分は褒めてやりたいと心底思っています。
それにしても、今になって驚くのは津波に飲まれてゆく宮古や釜石のライブ映像を、非常に冷静に「ああ流されていくな」くらいに思いながら見ていたそのときの自分です。私は流血とかそういうものがものすごく苦手で、そういうものが出てくる映画やドラマは近現代の戦史物(戦争の記憶は受け継いでいかなければならないと思っていますので。名古屋大空襲の様子を祖母から聞いて育つことのできた、おそらく最後の世代として)以外敬遠しているのですが、あのライブ映像は今まさに大量の犠牲者が出ていることを示すもの以外の何物でもないのに、表情一つ変えることなく見ることができたことに我ながら驚いてしまいます。そしてそれは、実は今でもそうなんですよね……あの津波の映像は奇妙なほど冷静に、細部まで見ることができてしまうのです。膨大な死を前にすると、人は案外冷静になってしまうのかもしれませんね。
95年の阪神・淡路大震災以降の御生まれなんですね。
阪神・淡路大震災は実際に経験しました。
いえ、地震そのものの遭遇は、一宮の自宅でしたが、災害の現場へも行きまして、芦屋市や東灘区の街並みはよく知っている(というか知りつつあった頃)所なので、その変わり果てた姿にはショックを受けたものです。
こうした災害で、何が一番辛いかというと、亡くなった方の扱い。
「扱い」などと書くとぞんざいに聞こえますが、要するに丁寧にできないこと。
実際に目にしましたが、倒壊した町を歩くと、道端に毛布が置いてあります。
近づくと、大きさと、凸凹具合から、亡くなられた方を置いてあったものです。
倒壊した家屋からなんとか出してこられたのですね。
私にはどうすることもできず、手を合わせてそのまますぎるしかありませんでした。
そんな光景があちこちであった事ともいます。
そんな経験をして、16年後。
東北地方は直接、私には縁の無かったところですが、日本自体が大きな転換点ともなりうるような気がしました。
当時の東京都知事が妙なことを言っていましたが、あながち遠からずなところがありました。
津波も、造山運動による地殻変化、地質時代のでき事かなと思っていたことに対して、改めて地球は現在進行形で活動していることを悟った次第です。
更にこうした災害は、決して忘れてはならないことも、身をもって知りました。
原発の件は、その日の夜にラジオの緊急のニュースで知りました。
その時は「誤報」ということでしたが、結局誤報ではなかったわけです。