キッチン・トランスレーターつれづれ日記

つれづれなるままに日々のよしなしごとを綴ります。本、風景や花や料理、愛犬の写真などをご紹介。

黒塚古墳

2021-11-23 11:54:27 | 歴史
    

    

    天理市柳本町、山の辺の道近くに黒塚古墳はあります。全長130メートルほどの

    前方後円墳です。古墳時代前期3世紀ごろの古墳ですから、ちょうど卑弥呼の時代。

    

    1998年、そこから中国から贈られたと思われる三角縁神獣鏡が30個以上も出てきた

    ため、すわ、卑弥呼の墓ではないかと大騒ぎになり、邪馬台国畿内説がますます有力

    になったのだそうです。近くにこれも卑弥呼の墓ではないかと言われる、黒塚古墳の

    2倍の大きさの箸墓がありますが、これは宮内庁管轄の陵墓で発掘できないとのこと。

    古代ロマンが広がります。

    

    

    しかし、今から1800年ほど前のお墓ですから、幾多の変遷を経てきました。中世には
   
    地震に会い、戦国、江戸時代には、城郭の一部とされ、周りの堀を利用して石垣まで

    作られていたそうです。だから幸いにも盗掘が防がれたのだそうですが。

    

    今はきれいに整備され、街並みの向こうに大和三山のうちの二山、耳成山と畝傍山

    が望めます。
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二上山

2021-11-12 16:59:36 | 歴史
   

  うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)とわがみむ

  (この世の人である私は明日から二上山を弟として眺めしょう)

   天武天皇の第三皇子である悲劇の皇子、大津皇子が二上山の雄嶽頂上に葬られるとき、

   姉の大伯皇女が詠んだ歌です。奈良と大阪の境にそびえるこの双耳峰を彼女は毎日悲

   しく眺めたのでしょうね。その山を1500年も後の今、大和高田の夫の実家に帰ると、

   わたしも朝に夕に眺め、切ない思いに駆られます。

   

   

   

   

   

   

   

   山の辺の道にある古い古い桧原神社から、遥かに望む二上山も神々しくもあり、

   もの悲しくもあります。
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長岳寺 山の辺の道

2021-10-06 15:04:46 | 歴史
      

      纏向の古い宮跡や古墳を巡ったのち、山の辺の道沿いの長岳寺に立ち寄りました。

      長岳寺は天理と桜井を結ぶ山の辺の道の南コースの中間ぐらいにあります。北コ

      ースは天理の石上神宮から奈良の新薬師寺までですが、今では、山の辺の道と言

      うと、大体南コースを思い浮かべる人が多いようです。

      

      

      

      9世紀初め、弘法大師が建立したと言いますから、なかなかの古刹。数度目の
    
      訪問でしたが、いつも猫がたくさんいます。今回も門のところに番人(番猫?)

      のように、でんと坐っていました。江戸時代に猫の子を譲ったとか譲られた

      とか、謂れがあるようです。猫を目当てに来る観光客も多いそうです。

      

      今は庫裏として使われている旧地蔵院。建物もお庭も素敵です。ご本尊は

      平安時代の作の阿弥陀三尊。堂々とした美しいみ仏たちです。

      

      

      境内には、萩や秋海棠の花が咲いていました。秋です。
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纏向で古代を偲ぶ3 桧原神社

2021-10-06 12:01:10 | 歴史
      

      相撲神社から少し桜井寄りの山の辺の道沿いに、桧原神社があります。

      

      垂仁天皇の先代の崇神天皇の時代創建というから3世紀、何しろ古い。宮中で

      お祀りしていた天照大神を伊勢にお連れする際に、ここで一時お祀りしたと

      いうので元伊勢とも呼ばれます。知る人そ知るパワースポットで、大神神社

      を遥拝する場所にあるとか。以降の神社とは形の違う本殿が、変な言い方で

      すが、ちょっとしゃれています。

      

      

      後の時代の悲劇の皇子、大津の皇子の眠る二上山を遥かに望むことができ、

      感動的です。
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纏向で古代を偲ぶ2 古代の宮跡

2021-10-06 11:40:33 | 歴史
      

      纏向には4世紀ごろの垂仁天皇の珠城の宮(たまきのみや)と次の景行天皇の

      日代の宮(ひしろのみや)と伝えられるの二つの宮跡があります。景行天皇

      は日本武尊のお父さんです。4世紀というから、天智天皇などの飛鳥時代より

      さらに2世紀も古い古墳時代、神話の時代です。

      

      飛鳥に比べると丘陵地です。今はただ田んぼが広がっているばかり。

      

      すぐそばに、景行天皇陵があります。

      

      

      纏向日代の宮跡から少し上ると、ほんとに小さな相撲神社というのがあります。

      穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうずじんじゃ)という古い由緒ある神社

      の摂社です。垂仁天皇の御代、ここで野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速

      (たいまのけはや)が初めて天覧相撲を行なったとか。それにしても、古代の

      名前は難しいですね。人名も地名も神社や宮の名前も、漢字では読めません。
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纏向で古代を偲ぶ1 箸墓古墳

2021-10-06 10:54:58 | 歴史
     

     山の辺の道の桜井寄りの一部に纏向(まきむく)と言う地域があります。

     その中でひときわ大きい古墳が、卑弥呼の墓ではないかと言われる箸墓

     古墳です。3世紀後半から4世紀ごろの前方後円墳です。万葉集や日本書記

     に箸墓の名の由来のちょっとえぐいけれど面白い逸話があります。

     

     

     宮内庁では第7代孝霊天皇の皇女倭迹迹稚屋姫命(やまとととひももそひめのみこと)

     という舌を噛みそうなお名前の皇女さまのご陵ということになっていて、

     内部の発掘調査はできないようです。できれば色々分かるかもしれませんね。

     天皇のご陵ではないからか、有名な割にそれほど手入れもされず、木々が

     うっそうと生い茂り、ひっそりと素朴な佇まいです。

     

     かたわらに咲く真っ赤な彼岸花が唯一の色どりでした。
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飛鳥寺

2021-09-16 13:20:29 | 歴史
        

    

    

     飛鳥寺は6世紀末に蘇我馬子が建立した法興寺が期限です。相当な大寺だった

     ようですが、元のお寺は平城宮への遷都とともに奈良へ移り、元興寺となり、

     今はそのほんの一部が残るだけです。

    

    でも、日本最古の大仏様がいらっしゃいます。飛鳥時代独特の面長なアルカイック

    スマイルをたたえた素敵な仏様です。創建当時の部分があまり残っていないため、

    十分でしたが、最近の調査でお顔は当初のままであることが分かり、国宝になる

    のも、そう遠くないとか。

    

    

    ここは、珍しく写真撮り放題。横の16歳の聖徳太子像美しいお姿です。

    

    田んぼの真ん中につつましく建つ古寺です。

    

    裏門を出てすぐのところに、入鹿の首塚と言うのがあります。飛鳥板蓋の宮で

    中大兄皇子や中臣鎌足に暗殺された蘇我入鹿の首がここまで飛んできたとか、

    逃げた鎌足を追いかけてきたとか。古代歴史の生々しい舞台ではあります。
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岡寺

2021-09-15 10:20:10 | 歴史
    

    岡寺は草壁皇子のお住まい岡の宮を義淵僧正がお寺になさった所だということです。

    飛鳥の石舞台や橘寺などの近くです。

    

    

    

    

    すっきりした端正な趣のお寺です。議渊僧正が悪龍を退治して小池に閉じ込め蓋を

    したので、龍蓋寺とも呼ばれます。御本尊は日本最大、最古の塑像観音像です。

    その他奈良のお寺にはよくあることですが、国宝、重文がざくざくあります。

    石楠花や紅葉の名所でもあります。

    

    

    

    

    コロナで柄杓の使えないお手水所にビー玉が敷き詰められていて、きれいでした。
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晩夏大和路

2021-09-14 10:31:49 | 歴史
      

      藤原京跡から大和三山の一つ耳成山を見渡す風景です。清々しい。

      昔ここに宮殿があって、天武天皇や持統天皇がお住まいになって

      いたのだと想像すると、何か不思議な気分になります。

      

      

      9月初めの一日、藤原京から、飛鳥の方へとドライブしました。

      途中石舞台古墳に寄り、

      

      

      近くの、食堂で名物のにゅう麺と赤い古代米のカレーを食べました。

      

      

      

      辺りには、桔梗、萩、女郎花、秋の七草の咲く季節です。
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弥勒如来さま

2020-08-27 09:39:30 | 歴史
     

       奈良大和高田市にお堂が一つだけの弥勒寺という小さなお寺があります。

       荒れ果て倒れかけていたこのお寺に、10年ほど前お堂の中を仏様をお守り

       したいという奇特なご住職が移り住まれ、そこから奇跡が起こりました。

     

       元々由緒ある仏様らしいということは伝わっていたようですが、たまたま

       訪れた奈良県文化財課の方が、何と立派な仏様と驚いて、調べてみると、

       千年以上前、平安時代の一木造りの仏様であることが分かりました。150

       センチもある座像ですから、とても大きな木から彫り出された仏様です。

     

     

       平成22年には奈良県の重要文化財、24年には国の重要文化財にと、とんと

       ん拍子の出世をなさいました。荒れ果てたお堂の中に顧みられずにお座り

       になっているのが、おいたわしくて、お堂の周りの草を刈り、掃除をし、

       お勤めを続けられたご住職と奥さまの心が通じたようで、今では新しいお

       堂の中で、ゆったりとして、微笑んでいらっしゃいます。心和むやさしい

       お顔の弥勒様です。光背は弥勒さまや如来さまはふつう舟形なのだそうで

       すが、お堂が小さく入りきらないので円形になっているそうで、それがま

       た、仏様にはぶしつけながら、かわいらしい印象なのです。

      

      

    
       今年関西は例年にもまして猛暑の夏ですが、それでももう境内に黄花コス

       モスが咲き始めています。
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