田母神俊雄 『自らの身は顧みず』 ( p.18 )
田母神さんは、論文投稿はシビリアンコントロールにも違反していない、と主張されています。
シビリアンコントロールについては、「問題の解決に軍を使うのか否かの決定権を政治がコントロールするということ」 にとどまらず、「予算、部隊編制、交戦規定などにより政治が軍をコントロールする体制」 をも含む、と解すべきだと思います。たしかに、「軍の細部にわたり政治が介入することではない」 とは思いますが、シビリアンコントロールの趣旨に鑑みれば、軍の大枠を政治が決定することには、なんら問題はないと思います ( というか、それがシビリアンコントロールではないかと思います ) 。
そして、( 歴史問題に関する ) 政府見解の決定は、その大枠にあたると思います。すなわち、田母神さんはシビリアンコントロールにも違反したのではないかと思います。
なお、田母神さんが自衛官でなければ、シビリアンコントロールは問題になりませんが、その場合も、「政府見解に反する見解を外部に発表してはならない」 と解すべきだと思います。すなわち、たとえば 「外交官が同様の論文を発表することも、許されない」 と思います。その根拠は、「田母神航空幕僚長解任の是非」 に書いています。
私の論文投稿が、シビリアンコントロール違反だと言うのも違和感がある。シビリアンコントロールの根幹は、問題の解決に軍を使うのか否かの決定権を政治がコントロールするということであり、軍の細部にわたり政治が介入することではない。民主主義国家においては、すでに予算、部隊編制、交戦規定などにより政治が軍をコントロールする体制は整えられている。そして自衛隊ほどシビリアンコントロールが徹底している軍は世界に存在しない。
田母神さんは、論文投稿はシビリアンコントロールにも違反していない、と主張されています。
シビリアンコントロールについては、「問題の解決に軍を使うのか否かの決定権を政治がコントロールするということ」 にとどまらず、「予算、部隊編制、交戦規定などにより政治が軍をコントロールする体制」 をも含む、と解すべきだと思います。たしかに、「軍の細部にわたり政治が介入することではない」 とは思いますが、シビリアンコントロールの趣旨に鑑みれば、軍の大枠を政治が決定することには、なんら問題はないと思います ( というか、それがシビリアンコントロールではないかと思います ) 。
そして、( 歴史問題に関する ) 政府見解の決定は、その大枠にあたると思います。すなわち、田母神さんはシビリアンコントロールにも違反したのではないかと思います。
なお、田母神さんが自衛官でなければ、シビリアンコントロールは問題になりませんが、その場合も、「政府見解に反する見解を外部に発表してはならない」 と解すべきだと思います。すなわち、たとえば 「外交官が同様の論文を発表することも、許されない」 と思います。その根拠は、「田母神航空幕僚長解任の是非」 に書いています。