言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

尖閣諸島での漁船衝突事件について

2010-09-13 | 日記
中国語翻訳者のつぶやき」の「尖閣諸島での漁船衝突事件をめぐる動き

尖閣諸島での海上保安庁による船舶拿捕、そして船長拘束に関するニュースが報じられる割合は、中国でも日に日に多くなっています。とはいっても、今朝の読売の朝刊には、船長が自分から巡視船にぶつかったことを認めたとの記事が掲載されていましたが、当然中国メディアにはそのような報道はありません。

昨日の記事でも紹介しましたが、中国漁船から衝突したのか、日本の巡視船から衝突したのか、それとも正面衝突したのかということは、7日当初中国国内メディアでも表現がばらばらでした。しかし、そのあと中国外交部からの強い通達があったようです。各メディアでは現在、「中国渔船遭日本巡逻艇冲撞」といったように「日本側からぶつかった」という表現に統一されています。

中央テレビでは8日、漁船の船主の男性のインタビューが伝えられました。船主は、「こちらの漁船は小船であり、大きな船である巡視船にぶつかってあれほどの損害を与えるとは考えられない」と主張し、あくまでむこうからぶつかったとの認識を示しました。

このような報道に伴い、中国国内でも反日感情が高まりを見せています。8日には中国の尖閣諸島防衛団体による抗議集会が開かれたとの報道も伝えられました。


 読売朝刊には、「船長が自分から巡視船にぶつかったことを認めたとの記事が掲載されてい」たが、「中国メディアにはそのような報道は」なく、逆に、「中国渔船遭日本巡逻艇冲撞」と「日本側からぶつかった」という表現に統一されて報道されている、と書かれています。



 中国側が「日本側からぶつかった」と主張する、その根拠が気になります。
中央テレビでは8日、漁船の船主の男性のインタビューが伝えられました。船主は、「こちらの漁船は小船であり、大きな船である巡視船にぶつかってあれほどの損害を与えるとは考えられない」と主張し、あくまでむこうからぶつかったとの認識を示しました。
とありますが、普通に考えれば、

   ぶつかった船ではなく、ぶつけられた船のほうが、損害が大きいはず

ですから、

   あきらかに、船主の主張はおかしい
     (つまり、漁船のほうからぶつかった可能性が高い)

と考えられます。



 そもそも、「どちらからぶつかったかにかかわらず、小船である漁船が、大きな船である巡視船に損害を与えることは考え難い」はずで、

   船主の主張は、漁船にしては (かなり) 頑丈な漁船だったことを物語っている

と考えなければなりません。とすれば、

   意図して、頑丈な漁船にしていた、
   すなわち、漁船のほうからぶつかった可能性が高い

と考えるのが、自然な受け取りかたではないかと思います。



同 「中国メディアの対日報道の変化

実は船長の母親が8日に、「うちの息子がそんなことをするわけない」と国内メディアに対して主張していました。そして祖母は、孫がまさか逮捕されるとは思わなかったようで、相当ショックを受けたようです。その祖母が急死したということで、船長の家族の行き場のない怒りの言葉も同時にニュースで報じられました。今回の事件発生後、感情に訴える報道はほとんどなかったわけですから、大きな変化と言えます。

メディアが家族に関する報道を流すことで、国内の世論を政府の都合のいい方向に向けるという手法は中国ではそれほど珍しくありません。今回祖母が死去したという報道により、中国国内の世論が一気に反日へと傾く可能性が出てきました。


 船長の母親は「うちの息子がそんなことをするわけない」と国内メディアに対して主張し、(船長の) 祖母はショックで急死したと中国で報じられている、と書かれています。



 船長のご家族が、船長を信頼し、気づかう気持ちはわからなくもありませんが、

 上記、報道されている事情・状況をみるかぎり、「中国側からぶつかった」というのが、客観的にみて、おそらく真相ではないかと思われます。