ある研修でのワークショップでのこと。
「がんの告知を受けて、泣いている患者さんにはどうするか」というテーマで話し合いました。
通訳は「泣かないで」と伝えるのかどうか。
「大丈夫だよ。私が手伝ってあげる。」といっていいのか。
ましてや「治療が決められないなら、私に任せて。」ってどうなのか。
教科書にそって皆で考えていきます。
その中で、年配の男性の方が
「泣き止むまで待つ」とおっしゃったのです。
支援者はすぐに「何とかしてあげたい」と思います。
また、「泣き止ませて前に進みたい」とも思います。
医者がいらいらしているのをみると、こちらもあせります。
でも、患者の立場からすれば
混乱する中で、考えたりましてや前に進むのはとても難しい。
相談の窓口でも
最初に面談したときに、きちんと泣いてくれた人は
次の面談から少しずつ前に進めるようになります。
だから、涙はこころを整えるのに必要なものだと思うのです。
こういうワークをしていると
参加者から教えてもらうことが少なくありません。
その男性は通訳のベテランではないかもしれませんが、
少なくとも人生のベテランだなあと思いました。
「がんの告知を受けて、泣いている患者さんにはどうするか」というテーマで話し合いました。
通訳は「泣かないで」と伝えるのかどうか。
「大丈夫だよ。私が手伝ってあげる。」といっていいのか。
ましてや「治療が決められないなら、私に任せて。」ってどうなのか。
教科書にそって皆で考えていきます。
その中で、年配の男性の方が
「泣き止むまで待つ」とおっしゃったのです。
支援者はすぐに「何とかしてあげたい」と思います。
また、「泣き止ませて前に進みたい」とも思います。
医者がいらいらしているのをみると、こちらもあせります。
でも、患者の立場からすれば
混乱する中で、考えたりましてや前に進むのはとても難しい。
相談の窓口でも
最初に面談したときに、きちんと泣いてくれた人は
次の面談から少しずつ前に進めるようになります。
だから、涙はこころを整えるのに必要なものだと思うのです。
こういうワークをしていると
参加者から教えてもらうことが少なくありません。
その男性は通訳のベテランではないかもしれませんが、
少なくとも人生のベテランだなあと思いました。