MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

こころのしこり

2016-07-12 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
バングラデシュで国際協力のために赴任していた
日本人専門家の方々がテロの犠牲となりました。

まだまだ課題が山積みの国。
貴重な志が消えたことは無念でなりません。

犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。

かつて協力隊を受験したとき
私はバングラデシュを希望していました。
募集説明会で見た要請一覧の
バングラデシュ女性プロジェクトが魅力的で、
だから野菜栽培を選んで農業大学校を受験したのです。

農業大学校1年目の年は不合格でした。
面接で「バングラデシュ以外は行きません」といったのも
ひとつの理由かもしれません。
2年目のときも同じことを聞かれて、
今度はさすがにこれ以上浪人することはままならず
「バングラデシュ以外でも・・・・行きますが」と言って
南米のパラグアイで合格通知が届きました。

それから私の南米とのかかわりが始まるのですが、
今ならバングラデシュでの農業指導は南米よりもはるかに
技術的に難しいものだったことは理解できます。

今回のテロも
テロリストとバングラデシュ人は違う。
このことをしっかり理解しておかなければいけないと思います。

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ペルー人の相談支援の仕事をしていて、
私の心の中にひとつのしこりがあります。

1991年の今日7月12日におきたワラル事件です。
JICAの農業試験場で3名の専門家の方々が
テロの犠牲になりました。
お1人は直前までパラグアイの農業試験場にいらした方なので
指導を受けたことがありました。

80年代南米はとても危険でした。

でも、私たちは
国際協力で来ているから、
日本人だから、
現地の人たちに溶け込んで同じ生活をしているから、
「大丈夫」だと思いながら活動をしていました。

でも、ペルーでJICA専門家の方々が標的になった。
これはとても衝撃的でした。

帰国して、スペイン語の相談員をはじめたころ、
多くのペルー日系人たちの来日動機が
「安全」であることをひしひしと感じました。
彼らもまた、危険な状況から安全な場所を求めていたのでした。

テロリストとペルー人は違う。
それは頭でわかっています。

でも、心がなかなか受け付けられない。
「なぜ」犠牲にならなければいけなかったのかという
しこりとして残り続けています。

今日も変わらずスペイン語の相談を受け、通訳をしています。
平和な一日であることを祈って。