バングラデシュで国際協力のために赴任していた
日本人専門家の方々がテロの犠牲となりました。
まだまだ課題が山積みの国。
貴重な志が消えたことは無念でなりません。
犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。
かつて協力隊を受験したとき
私はバングラデシュを希望していました。
募集説明会で見た要請一覧の
バングラデシュ女性プロジェクトが魅力的で、
だから野菜栽培を選んで農業大学校を受験したのです。
農業大学校1年目の年は不合格でした。
面接で「バングラデシュ以外は行きません」といったのも
ひとつの理由かもしれません。
2年目のときも同じことを聞かれて、
今度はさすがにこれ以上浪人することはままならず
「バングラデシュ以外でも・・・・行きますが」と言って
南米のパラグアイで合格通知が届きました。
それから私の南米とのかかわりが始まるのですが、
今ならバングラデシュでの農業指導は南米よりもはるかに
技術的に難しいものだったことは理解できます。
今回のテロも
テロリストとバングラデシュ人は違う。
このことをしっかり理解しておかなければいけないと思います。
************************
ペルー人の相談支援の仕事をしていて、
私の心の中にひとつのしこりがあります。
1991年の今日7月12日におきたワラル事件です。
JICAの農業試験場で3名の専門家の方々が
テロの犠牲になりました。
お1人は直前までパラグアイの農業試験場にいらした方なので
指導を受けたことがありました。
80年代南米はとても危険でした。
でも、私たちは
国際協力で来ているから、
日本人だから、
現地の人たちに溶け込んで同じ生活をしているから、
「大丈夫」だと思いながら活動をしていました。
でも、ペルーでJICA専門家の方々が標的になった。
これはとても衝撃的でした。
帰国して、スペイン語の相談員をはじめたころ、
多くのペルー日系人たちの来日動機が
「安全」であることをひしひしと感じました。
彼らもまた、危険な状況から安全な場所を求めていたのでした。
テロリストとペルー人は違う。
それは頭でわかっています。
でも、心がなかなか受け付けられない。
「なぜ」犠牲にならなければいけなかったのかという
しこりとして残り続けています。
今日も変わらずスペイン語の相談を受け、通訳をしています。
平和な一日であることを祈って。
日本人専門家の方々がテロの犠牲となりました。
まだまだ課題が山積みの国。
貴重な志が消えたことは無念でなりません。
犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。
かつて協力隊を受験したとき
私はバングラデシュを希望していました。
募集説明会で見た要請一覧の
バングラデシュ女性プロジェクトが魅力的で、
だから野菜栽培を選んで農業大学校を受験したのです。
農業大学校1年目の年は不合格でした。
面接で「バングラデシュ以外は行きません」といったのも
ひとつの理由かもしれません。
2年目のときも同じことを聞かれて、
今度はさすがにこれ以上浪人することはままならず
「バングラデシュ以外でも・・・・行きますが」と言って
南米のパラグアイで合格通知が届きました。
それから私の南米とのかかわりが始まるのですが、
今ならバングラデシュでの農業指導は南米よりもはるかに
技術的に難しいものだったことは理解できます。
今回のテロも
テロリストとバングラデシュ人は違う。
このことをしっかり理解しておかなければいけないと思います。
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ペルー人の相談支援の仕事をしていて、
私の心の中にひとつのしこりがあります。
1991年の今日7月12日におきたワラル事件です。
JICAの農業試験場で3名の専門家の方々が
テロの犠牲になりました。
お1人は直前までパラグアイの農業試験場にいらした方なので
指導を受けたことがありました。
80年代南米はとても危険でした。
でも、私たちは
国際協力で来ているから、
日本人だから、
現地の人たちに溶け込んで同じ生活をしているから、
「大丈夫」だと思いながら活動をしていました。
でも、ペルーでJICA専門家の方々が標的になった。
これはとても衝撃的でした。
帰国して、スペイン語の相談員をはじめたころ、
多くのペルー日系人たちの来日動機が
「安全」であることをひしひしと感じました。
彼らもまた、危険な状況から安全な場所を求めていたのでした。
テロリストとペルー人は違う。
それは頭でわかっています。
でも、心がなかなか受け付けられない。
「なぜ」犠牲にならなければいけなかったのかという
しこりとして残り続けています。
今日も変わらずスペイン語の相談を受け、通訳をしています。
平和な一日であることを祈って。