MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

下層に生きた作曲者

2010-06-29 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

06/29 私の音楽仲間 (176) ~ 私の室内楽仲間たち (156)



     ソルクスキィ歌劇「ボリス・ゴドノフ」
             (リース・ガドゥノー)




         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




   「この作品に、私は多大な時間を費やした。 

    作曲中は、歌劇の中で彼と共に生きた。

   (200年前の) 過去をこの現代に生きることが、

         私の課題であった。」




 これは作曲者ソルクスキィが、書簡などに記した
とされる言葉を集めたものです。




 知人から、「ボリス・ゴドゥノフ (バリース・ガドゥノーフ) を題材
にして歌劇を作ってみてはどうか」と助言を受け、彼には、
密かに期するところがありました。



 と言っても、バリースを悲劇の英雄として扱うのではなく、
主役は民衆です。 これまでにも民衆を題材として舞台
作品を書こうと試みたことはありますが、いずれも未完に
終わっていました。

 集合体である "民衆" を、「唯一の想念に捉われた偉大な
人格」と考えており、それを「歌劇の中で紐解こう」と望んだ
のが、ムソルクスキィです。 彼は実際に、そのような意味
の文章を残しています。




 彼にインスピレーションを与えたのは、あのプーシキン
同名の戯曲 (1831年) でした。 これに何度も目を通すうちに、
「自分が何を描きたいか」が、徐々に鮮明になっていきました。

 でも歌劇という特殊性を考えると、場面の数 (24) を減らし、
主題も登場人物も限定しなければなりません。 したがって、
原典が戯曲であるにもかかわらず、自ら台本を書き直す必要
に迫られました。



 こうして出来あがった歌劇 (1869年) は、娯楽的な雰囲気と
はほど遠いものになりました。 残酷と言える場面もあります。
とりわけ、「民衆が蜂起する場面をフィナーレに置く」などという
アイディアは、プーシキンの時代には考えられないことでした。

 両者の成立年代の差は、たった40年足らずですが、その数字
には見かけ以上に大きな意味があります。 この戯曲を著わした
当時プーシキンは、「革命思想を抱く危険人物の一人」として、
すでに流刑の苦渋を味わっていました。 したがって、表現に
当っては慎重でなければならず、"民衆の蜂起" などを大っぴら
に書くことは、とても出来ませんでした。

 それでも、この新たな戯曲は一旦 "発禁処分" に遭い、時の
皇帝ニコライⅠ世の "穏やかな助言" を受け入れて書き直した
後、やっと発刊を許されています。




 この点で歌劇は、戯曲よりも内容が "過激" であると言えます。
事実ムソルクスキィは、この作品を "音楽歴史劇" と呼んだ
そうです。 "歌劇" でなく。




 なおこの歌劇に限らず、プーシキンの著作を契機として
生まれた音楽作品は、極めて多岐に昇ります。 ほとんど
がロシア、ソヴィエトの作曲家による歌劇で、以下はその
一部です。

 数字は成立年代です。




ルスランとリュドミーラ (詩、1820年)
 → グリーンカ歌劇 (1842年)。

コーカサスの虜 (詩、1822年)
 → キュイ歌劇 (1858年)。

バフチサライの泉 (詩、1824年)
 → アサーフィエフバレェ (1934年)。 その他。

石の客 (小悲劇、1830年)
 → ダルガムィーシスキィ (1813-1869)歌劇 (1872年初演)。

モーツァルトとサリエリ (小悲劇、1830年)
 → リームスキィ=コールサコフ歌劇 (1898年初演)。

黒死病の時代の饗宴 (小悲劇、1830年)
 → キュイ歌劇 (1900年?)。
 → コルンドルフ歌劇 (1972年)。

けちな騎士 (小悲劇、1830年)
 → ラフマーニノフ歌劇 (1903年?)。

バリース・ガドゥノーフ (戯曲、1831年)
 → ソルクスキィ歌劇 (1869年)。

サルタン王の物語 (1831年)
 → リームスキィ=コールサコフ歌劇 (1900年)。

エヴゲーニィ・オネーギン (韻文小説、1832年)
 → (ャ)ィコーフスキィ歌劇 (1878年)。

青銅の騎士 (詩、1833年)
 → アサーフィエフ歌劇 (1939年?)。

スペードの女王 (1833年)
 → (ャ)ィコーフスキィ歌劇 (1890年)。

金の鶏の物語 (1834年)
 → リームスキィ=コールサコフ歌劇 (1907年)。

大尉の娘 (散文、1836年)
 → キュイ歌劇

不死身のカシチェィ
 → リームスキィ=コールサコフ歌劇 (1902年初演)。

マゼッパ
 → (ャ)ィコーフスキィ歌劇 (1883年)。

火の鳥
 → ストラヴィンスキィバレェ

ドゥブローフスキィ
 → ナープラヴニーク歌劇 (1895年)。




 Beethoven の「ロシアの主題」のお話をしているうち
に、思わぬ脱線旅行…。 いつのまにか帝政ロシアへ
ワープしてしまいました。




 ちなみに、この「ロシアの主題」を用いた作曲家は他にも
います。 この時点で私が把握しているのはリームスキィ=
コールサコフ
だけですが、彼は三つの作品を残しています。




 ・ 混声合唱と管弦楽のための讃歌『栄光あれ』 作品21
             (1879~1880年)

 民謡の編曲作品で、歌詞も民謡そのままです。




 ・ 3つのロシアの歌 (主題) による序曲 作品28
      (1866年作曲・初演、1879~1880年改訂)

 名高い序曲『1812年』 (1880年) に用いられた、ボロジノ村
の寂しげな民謡も登場します。




 ・ 歌劇『皇帝の花嫁』 (1898年/1899年初演)

 作曲者とチュメーネフによる台本から成り、宴会の最中に
皇帝を讃美する場面で用いられます。 最初に現われる歌詞
は、すでに民謡の歌詞とは若干異なり、 歌い継がれるうちに
さらに変化していきます。




 参考サイト



  ボリス・ゴドゥノフ (バリース・ガドゥノーフ)

  歌劇「ボリス・ゴドノフ」

  原典版 (全1幕7場 、1869年)



 上記の三つは、すでにご紹介しました。




 なお "wikipedia" には、この歌劇を扱った邦文サイトが
まだありません。 どなたか作ってみませんか…。

   Борис Годунов (опера)

   Boris Godunov (opera)




  (続く)




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      歌劇『ボリス・ゴドノフ (バリース・ガドゥノ―フ)』
               「ロシアの主題」
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