MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

「ロシアの主題」

2010-06-25 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

06/25 私の音楽仲間 (173) ~ 私の室内楽仲間たち (153)




     ムーソルクスキィ歌劇「ボリス・ゴドノフ」
             (リース・ガドゥノー)




         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




   続く第Ⅲ楽章は、A : "Allegretto" と、 B : "Maggiore" の二つの
  部分から出来ています。 実質的にAは Scherzo、Bは Trio に当り、
  これが "ABABA" のように繰り返されます。

   Aの部分はホ短調 (Mi-Minore) で、Bの "Maggiore" (長調) とは
  明確な対比を成しています。

   このBの部分に差し掛かり、ホ長調の新しい主題を歌い始めるのが
  Viola です。 … これは、"Theme russe"、つまり "ロシアの主題"
  と記されています。



 これは、前回の『幻体験の室内楽』 ③で記した一節です。
曲は、Beethoven の弦楽四重奏曲『ラズモーフスキィ』
第2番
でした (1806年作曲)。



 この同じテーマが、後に別の曲、歌劇 「ボリス・ゴドノフ」
(リース・ガドゥノー) 中に用いられたことは、よく知られて
います。 作曲者はもちろんモジェスト・ムソルクスキィ

です (1869年作曲)。




 作曲年代にはこのようにズレがあり、ボンに生まれた
Beethoven が、ヴィーンで先に使っています。

 でもこれは元々「ロシアの主題」なのですから、ロシア人
のムー
ソルクスキィが用いても当然ですね。




 ところで、貴方はどちらの曲を先に聞かれましたか?

 ちなみに自分の話ですが、このテーマを先に聞いたのは
四重奏

曲の方です。 それから一年ほどして観たのが、
映画版の歌劇で、私はたいそうビックリしたものでした。
「あ! あの曲だ!」




 両者がどう関連しているのか? またラズモーフスキィ
とは、そもそもどういう人物だったのか? それを知った
のは、さらにずっと後のことでした。

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 それでは中期の Beethoven は、この素材をどのように
扱っているのでしょうか?



 その前に、ロシアの名作オペラの方を、しばらくご一緒に
見てみましょう。

 またしても私の悪い癖、寄り道です。




 ご存知のようにこの歌劇は、摂政 (後見人) であった主人公
バリースが、皇帝に即位する直前の場面から始まります。



 やがてクレムリン宮殿の外に押し寄せた民衆は、新皇帝を
祝い、熱狂的に歌います。

 「栄光あれ! バリース万歳!」




 ここでは賛美歌調の民謡が聞かれ、その内容は、逐語訳で
次のとおりです。

   「天上の太陽の、真紅の美しきに、

             栄光あれ、栄光あれ!



 これはムーソルクスキィが記した歌詞です。




 そして、ここでご覧いただくのは、"原曲" の讃歌です。






     わ が 全 能 の た- か き かみ に さ か ー え あーれ!

 「我が全能の高き神に栄えあれ!」…といったところでしょうか。



 なお歌詞は、手元にあって判っているものだけでも16通り
あります。 上に挙げたのはそのうち最初のもので、また
ムーソルクスキィが記した歌詞に、もっとも近いものです。
おそらくこれが "一番"、あるいはもっとも広く知れ渡った
ものなのでしょう。

 最初の二語を始めとして、"栄光"、"空" など、共通する
単語が四つあります。

 しかし、肝心の "神" という語が無く、代わりに、作曲者は
「赤き太陽」と記しています。 もちろん、バリースを讃えての
ことでしょう。



 いずれにせよ、これが「ロシアの主題」で、民衆の間に広く
知れ渡った調べを、作曲者はこの場面で敢えて用いています。




 しかしこのバリースの即位は、平穏裡に行われたものでは
ありません。 その裏では様々な噂、また上層部や、バリース
本人の思惑が飛び交っていました。



 「彼は皇太子を毒殺したんだぞ!」

 「いや、あれは事故死だ。」

 「ワシは、世論に押されて皇帝になる形を取りたいのだ。
それまでもう少し隠遁するか…。」

 「おい、人民ども! バリースが皇帝になるように嘆願しろ!
今からクレムリンに集まるんだぞ。 さもないと…。」

 「やれやれ、お偉方のお指図だよ…。」




 一体、誰が、何が真実なのか?

 劇中では明白な示唆が無い場合が多く、演出によっても大きな
差異があります。 「主人公が精神錯乱の末に亡くなる」という点
では、ほぼ一致していますが。




 しかし、「この歌劇の真の主人公は、ロシアの民衆である。」
そう指摘されることの多い、このオペラです。

 それでは、その民衆自体は、バリースを心から讃えている
のか? また、作曲者は民衆をどう捉え、扱っているのか?



 この点は、一ひねりも二ひねりもしてあり、その表現手段も、
決して一筋縄のものではありません。




 音源です。



 [戴冠式の場面

   Mikhail Svetlov (3'46")

   Nikita Storojev (4'33")

   不明 (8'01")

   Theo Adam (8'12")

   Mariinsky, Gergiev (8'44")




 各音源後半の、民衆の合唱では、"слава" (スラーヴァ
= 栄光
) という言葉が頻繁に聞かれます。




  (続く)




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