飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

サルバドール・ダリに告ぐ#1・・・『ダリ回顧展』

2006-12-21 | サルバドール・ダリ
◆『ダリ回顧展』(2006年)◆


昨日は、寺山修二が愛したスポーツ、ボクシングで見事亀田選手が汚名を挽回しました。おめでとうといいたい気分です。

さて、数日前、東京・上野で開催されている『ダリ展』に行って来ました。噂には聞いていましたが長蛇の列、30分待ち。なんでこんなに人が集まるの?そもそも美術展で人が並ぶなんてここ最近の現象ではないのか、何が影響して列を作る現象があるのだろうなどと考えながらと入館までの時間を過ごしました。



絵を目の前にしたらしたで、全く前に進みません。最後まで観るまで一体どのくらいの時間がかかるのだろうと不安な気持ちでダリの絵を鑑賞。まあ、彼の絵は、意外と小さく細部まで描かれているのでじっくり観ようとプラス発想で臨みました。

ところでダリについては、ボクが美術展なるものに行き出したきっかけの記憶があり、以来ダリは忘れ難い名前となっています。

というのも今から24年前、蒼き21才の時。それまで特に美術というものにはほとんど関心がなかったのだが、それに目にいくようなきっかけは、大学生の時で先輩の下宿(今、そんな言葉使うのだろうか?)を訪問したときであった。そこに同席していた先輩の友人と先輩の会話が、今巡回している美術展の話となり、それを横で聞いていたボクは、なんか知的な感じがしてカッコイイなーと憧れたのでした。ボクもそんな会話ができるようになりたい、女の子に尊敬されるかなとかそんな気持ちがあったに違いない。

それがきっかけで、ボクも美術展なるものに足を運んでみようと思い立ち、情報誌(当時は京都に住んでいて関西で発行されていたシティロードなる情報誌を参考にしていたと記憶している)片手に、まずは巻頭に掲載されているオススメの美術展から行ってみよう、そんなノリだった。

そして初めて足を運んだのが『ダリ展』だった。それまでに何とな聞いたことがあったかなという程度だったダリ。初めて展覧会で目にしたダリ。それはイメージが炸裂するインパクトあるものだった。次から次へと眩暈がするような幻想絵画。それでもって、ボクの前にいた女性が突然気絶したので、さらにびっくり。


※これが当時のダリ展のチラシとチケットです。


ダリの強烈な絵とともにアワを吹いて倒れている女性が相俟って鮮烈な記憶として残ることになった、そんな思い出があります。

うーん、そんなことを思い出しながら、今回の展示はコマーシャルイズムが先行し、期待の割には少々ボリューム感がないのがちょっと残念だったかな、そんな印象です。


■■世界教会会議(1960年)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


比較的小さなサイズの作品が多いダリの絵の中で、この絵は大きく大作です。教皇ヨハネ23世が教会を世界会議でまとめようとしたことを称えた絵ということらしい。キリスト教的なことはよくはわかりませんが、ボクの目からは教皇を称えているというより、ガラを称えているように見えます。先の仏像ではありませんが、十字架を持って天から降りてくるガラは、まるで阿弥陀如来来迎図のようにも見えなくもありません。そして、凛々しいダリ自画像。はっきりと人物が描かれているのはダリとガラのみ、後はぼやけているか小さいかよくわからない状態。そう見るとこれはもう世界教会会議というのは名ばかりで、ダリとガラの愛の物語の賛歌のようにも見えてくるのでありました。こちらを向いているダリはなんと思っているのでしょうか?(今回展示作品)

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