飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

サルバドール・ダリに告ぐ#11・・・「ダリ」(伝記④)

2006-12-31 | サルバドール・ダリ
~ダリ展を観た。そしてダリを感じダリを知るために~

◆「ダリ」(メレディス・イスリントン・スミス著)◆

シュルレアリズム=ダリというぐらい、そのイメージが強いのですが、実際は早々とその理論的指導者アンドレ・ブルドンらによってシュルレアリスト・グループから除名されていた。そしてそのダリがアメリカに渡って大成功しお金を稼ぐとブルドンは“ドルの亡者”と揶揄する。ダリとブルドンの争い。しかし、ボクはダリの方が一枚も二枚も役者が上手と感じるのです。(以下ダリ伝記からの引用)



◆1934年のアンデパンダン展出展されたダリの「ウィルヘルム・テルの謎」には松葉杖に支えられた人物にレーニンの顔が描かれていた。“シュルレアリストは共産党員ではなかったが、マルクス主義とそのリーダーには共感していたのだ。シュルリアリストのリーダーのブルドンはダリ批判の声明を書き上げた。“ダリは、これまでに数度にわたってヒトラーのファシズムを賛美するようかのような反革命的行為をしてきた。・・・・ファシスト分子としてダリをシュルレアリスト・グループから除名し、あらゆる手段により彼を排斥することを要求する。”


◆ダリは攻撃を開始する。“私にとって、いまでも夢はシュルレアリスムに欠かせない大事な語彙であり、妄想は私的な表現のための強力な武器である。私が描いたレーニンとヒトラーは、夢を基盤にしたものふだ。レーニンの編成する尻は侮辱ではなく、シュルレアリスムに対する私の忠誠心を証明するものにほかならない。私は根っからのシュルレアリストであり、検閲であれ、論理であれ、止められない。モラル、恐怖、革命―何であれ、私に指図することはできない。シュルレアリストなら、あくまでもシュルレアリストでなければならない。いかなるタブーもあってはならない。さもないとタブーのリストを作って監視するはめになる。そうなったら、ブルドンは公式にこう宣言するようなものだ。シュルレアリスムという詩の王国は、ちっぽけなものでしかない。風紀犯罪取締班や共産党が監視の目を光らせる中、有罪判決を受けた囚人を監視する狭い家にも等しい、と。だから、アンドレ・ブルドンよ、私が今夜きみと性交する夢をみたなら、明日の朝、私はその夢の中で経験したすべての体位を細部まで克明に描くだろう。”



◆アメリカのタイム誌の表紙を飾ったダリ(マン・レイ撮影)。“シュルレアリスムがアメリカでこれほど注目をあびたのは、ひとえにこのハンサムなカルーニャの青年のおかげである。ひそやかな声と映画俳優のような端正な口髭の持主サルバドール・ダリ。”とタイム誌は書いた。ブルドンはおもしろくなくこれまで以上にダリを批判した。


◆ダリ⇒“シュルレアリスト・グループの一部に『強制された組織』が仮にも存在するようなら、疑いをさしこまずにはいられない。”
 
 ブルドン⇒“私はダリの主張を彼自身の口から聞き、それが冗談ではないことをやっと理解した。すなわち、現在の世界の停滞はすべて人種問題が原因であえい、世界を活性化するための解決策は、すべての有色人種を奴隷化することであり、そのために白人種は一致団結してことにあたるべしという。そんな主張がイタリアやアメリカのどんな扉を開くのか、まったく想像がつかない。ダリはその扉を通って行き来しているかもしれないが、どの扉が閉じられるかは私にもわかる。”
 
 ダリ⇒“私にとっては人脈を広げるための理想的な手段であり、機会だった。しかし、ブルドンはすぐ私のスカトロジー的要素にショックを受けた。糞もだめ、聖母もだめなんだ・・・・・しかし、タブーを設けるというのは、純粋な無意識的自動作用に相反する・・・・・それは検閲だ。理性や、美学や、倫理、ブルドンの趣味や気まぐれによる検閲にほかならない。彼らは、実際にある種のきわめて文学的なネオ・ロマン主義を作りあげたのだ。そこで私は余計者であり、取り調べを受け、虐げられ、要するに異端審問の場に引き出されたのだ。”
 
 ブルドン⇒サルバドール・ダリという文字をならべかえてつくったアナグラム(言葉あそび)・・・Avida Doliars(ドルの亡命者)


※『ダリ』メレディス・イスリントン・スミス著/野中邦子訳/㈱文藝春秋刊
“”部分上記著書から抜粋



■■ウィルヘルム・テルの謎(1933年)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


これがシュルレアリストたちに物議を醸し出した絵。ダリにとってウィルヘルム・テルは父親の象徴的図像であったそうだ。そしてウィルヘルム・テルの顔はシュルレアリストの父親的存在のブルドンが敬愛するレーニンに似せた。その絵を見たブルドンは怒り心頭となって杖で打ち壊そうとしたが、あまりにも高いところに絵が架かっており目的を果せなかった。ブルドンは反革命行為としてダリをグループから除名したが、思うにダリの方が一歩も二歩も上手であった。芸術運動の革命ともいえるほどのシュルレアリズムも結局は権威の罠から逃れられなかった。ダリはそこを捻った。しかし、ダリ自身も晩年は権威に媚びうる存在となってゆくのであるが。

人生ってそんなもんかよ。

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4 コメント

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トラックバックありがとうございます。 (ichihana2006)
2007-01-03 01:02:34
ダリの生育歴の詳細を知りたかったので、
本を探していたところです。

でも、飾釦さんの記事をじっくり読んで
ダリを感じてみたいとおもいます。

ありがとうございました。
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コメント (飾釦)
2007-01-03 10:12:20
ありがとうございます。タイミングよくTBさせていただいたようで、よかったです。
返信する
札幌ではダリ展2007年夏開催 (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2007-01-03 11:34:32
 トラバどうもです。
 いつもは、宣伝関係か知り合いからのトラバがほとんどなので、未知の方で、しかもちゃんと内容のあるトラバはうれしいです。
 飾釦さんのダリへの愛着の深さが文章からうかがえました。
 ただし、わたしはくだんのダリの伝記は読んでいないのですが、シュルレアリストと共産党のつながりは有名な話で、ブルトンたちもたしか1928年に入党しています(35年に決別)。当時の知識人が共産主義に寄せた期待の大きさはいまからは信じられないものがあったようです。
返信する
コメント (飾釦)
2007-01-03 21:55:51
ありがとうございます。ねむいヤナイ様のブログは北海道のアートシーンを記述するすばらしいものと敬意を表したく存じます。これからもよろしくお願い申し上げます。
返信する

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