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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

サルバドール・ダリに告ぐ#6・・・ミレー《晩鐘》の悲劇的神話/ダリ

2006-12-26 | サルバドール・ダリ
~ダリ展を観た。そしてダリを感じダリを知るために~

・ミレー《晩鐘》の悲劇的神話/ダリ

ダリが考案したアプローチ、偏執狂的批判的方法。強迫観念としてダリの中に閉じ込められたミレーの《晩鐘》が、外的なイメージとして解放され結びつく。それはダリ的なメタモルフォーズ。我々が抱く《晩鐘》のイメージがダリによって変容させられる。《晩鐘》への偏執狂的批判的方法を明かしたダリの著作物を読んだ。その巻頭には速射砲のようにイメージの連鎖が書きなぐられていた。



“《晩鐘》の驚くべき特性―

《晩鐘》の「錯乱的」知名度や強迫的効果と、このタブローの惨めで無意味な様相との説明不可能な対照性

―これらの効果を正当化できるまともな理由の絶対的欠如

―コンポジションの点から見た《晩鐘》の超=独創性―絵画史に類例がないコンポジションという現象

―《晩鐘》の精神病理学的先例

―《晩鐘》という無味乾燥で無害なシュミラークルの下で「何か起きている」

―《晩鐘》が生み出す「理解不能な不快感」とキリコの《バラ色の塔のマネキン》との関係

―ミレーとレオナルドにおける非意図的思考の露呈

―《晩鐘》が持つ「雰囲気」の検討

―夕暮の太古回帰現象

―夕暮の表層は「化石幻想」の発生に好適である

―ファーブルにおける太古回帰的な夕暮のノスタルジー

―有史以前の習性が持つ残酷な動物性

―「世界の曙における夕暮」に関係する太古回帰現象の弁証法

―《晩鐘》における女性の待ち望むよのうな姿勢/カマキリの幽霊の姿勢

―ヒステリーのイコノグラフィーに見られる祈りの姿勢(顎の下で手を組んだポーズ)

―露出趣味

―期待状態

―差し迫った攻撃 ”

※ミレー《晩鐘》の悲劇的神話/サルバドール・ダリ
鈴木雅雄・訳/人文書院



その本に記載されていたもの。《晩鐘》に身を包んで写真撮影をされながら勃起しはじめるダリ。1934年頃⇒パフォーマンスとしては空前絶後の変態性と可笑しさを有していないか?


■■ミレーの《晩鐘》の考古学的記憶の増大(1933-35年)■■■■■■■■■■■



ここは夢の中の名所か、いと寂しき平原に建つ神秘の古城。今にも朽ち果てそうな建物の周りをカラスが旋回する。そこに訪れた親子。父は「さあ着いたぞ。ここがあの・・・」と息子に語っているようだ。人型の古城は何世紀もこの親子を待っていたかのように静かな歓迎で迎え入れようとしている。不気味なのはこの城の影の位置が不自然なことだ。親子の行方はいかに。

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