ニューヨー句

1ニューヨーカーの1ニューヨーカーによる1ニューヨーカーのための1日1ニューヨー句

逃げる夜の通りに溢る貝回し

2009年09月09日 | 欧介
昨日偶然30年ぶりに中学校の同級生に会った。
中学生のころマーラーにはまっていた。最初に買ったレコードはバーンスタイン/ニューヨーク・フィルの交響曲一番だった。授業で書いた自画像には背後霊のようなマーラーを書いた。修学旅行は伊豆へ行ったが、頭の中でずっと6番が鳴っていたので、今でも6番を聴くと、湯ヶ島の霧を思い出す。ショルティ/シカゴ交響楽団の演奏が順番にリリースされ、毎日図書館へ行ってそれらを聴いた。図書館でスコアを借りて、暇があると頭の中で鳴らしていた。大晦日には、ベートーベンの第九を聴かず、マーラーを1番から10番まで順番に聴いてすごした。
マーラーの音楽は、メロディーが親しみやすいし、構造もわかりやすいので、鑑賞するのに難しくはない。しかし、最大の、ユニークな特長は、精神的に不安定でないと良さが分からないという点だ。マーラーは聴く人を選ぶ音楽である。実際私も、高校生になると、まったくマーラーを聴かなくなった。たまに聴くと、なぜこんな甘くてカッコ悪い音楽が好きだったのだろう、と不思議に思った。
今ではもちろんマーラーの曲の良さも悪さも冷静に評価できる。それでも、マーラーに熱狂している若い人たち(アメリカ人に多い)を見ると、なんとも言えない気持ちになる。
(「貝回し(ばいまわし)」はベーゴマ遊びのこと。秋の季語)