ニューヨー句

1ニューヨーカーの1ニューヨーカーによる1ニューヨーカーのための1日1ニューヨー句

五月雨や雀の宿を訪ねたし

2006年06月30日 | Weblog
アパートの玄関の戸に尻尾を挟まれて小雀が動けなくなっていた。私は危うく踏んでしまうところだった。玄関の敷き石がちょうど雀のような色なのだ。次女が見つけて、「あっ」と叫んだ。小雀は座布団の上の老婆のようにちんまりと座っている。私はできるだけ静かにドアを開けた。小雀は羽ばたいて道に飛び出したが、空には舞い上がれず落下してきた。途端に、帽子をかぶった男が躍り出て、小雀をそっと捕まえた。明らかに男はこの戸が開くのを待っていたのだ。「俺が飼うよ。籠に入れて、傷を治してやるから」と男は許しを乞うように言った。私はスタインベックの短編集にある囚人と小鳥の話を思い出した。

赤ん坊宙に揺れたる茂かな

2006年06月30日 | Weblog
セントラルパークに久しぶりに行くと、入口辺りの木々が怖いほどに茂っている。マクベスの森のようにいまにも迫ってきそうだ。「大変茂りましたね」と幻の連れに言うと、「は?」と聞き返された。それからしばらく幻とベンチに座って教育を語り合ったが、どうもつまらない。「子供のうちに好きなだけ砂で遊ばせないとだめなようだ」とか、「子供の喧嘩に親が出てはしようがない」とか、「押したり引いたりしながらやる気を起させるのが良き母親である」とか言いながら幻は時々姿を変える。母や姑の姿になりかけて中途で止まってしまうのには閉口する。小学校の時、子供の手を一人一人握って「嘘をついたら汗をかく」と言いながら泥棒探しをしたAMA先生の姿に変った時には驚いた。私は幻が怖くなって、とっておきの笑い話を聞かせた。前にこのベンチで寝ていると雨が降ってきた話だ。長いこと雨に濡れながら寝ていた、その間に子供は深い深い穴を掘っていた、目覚めると隣に金の鼻髭を蓄えた母親が座って、びしょ濡れの新聞を読んでいたことも付け加えたが、幻は笑わなかった。いや一度だけ笑ったが、そこは笑うポイントではないところだった。

老人の握りし寿司の軽さかな

2006年06月29日 | Weblog
次女も夏休みが始まった。お祝いして、というのでチャイナFNへ行く。昨夜は次女抜きでチャイナFNへ行ったら、あの子はどうしたどうしたと聞かれた。今日はまた四人で行く。チャーシューメン、ギョーザ、手巻き寿司(ツナ・ウニ・トビッコ)、もやし焼きフォーにライムをかけて食べる。まだ明るいのでバーンズ&ノーブルへ、カズオ・イシグロの“THE REMAINS OF THE DAY”を買いに行く。日本から取り寄せた“私を離さないで”がものすごく面白かったと言ったら、夫も読んでみる気になったのだ。行く道で、次女がADRYから習ったテコンドー(悪漢撃退法)をピザ屋の看板おじさん(食い倒れ人形のような物)相手に披露していると、見ていた夫の肩をぽんと叩いて、Tシャツ姿のカマスさんがそばを通り過ぎた。振り返った笑顔の爽やかなこと。あっという間のことで、手を振るのが精一杯であった。後姿を見送ってから、「お帰りなさい(イタリーツァーから)」と言えばよかったと思いついた。拳骨の手を止めて待っていた次女は、すぐに技の続きをやり出した。

ピザの箱持ちて眺むる花火かな

2006年06月28日 | Weblog
ご帰国直前のK山さんご一家に会う。次女は学校に行っていたので、長女だけしか会えなかった。K山さんは私達と同じ年にNYへ来られ、ご兄弟のどちらも同級生だったので、だいたいうちと似たような苦楽を味ってこられたのではないかと勝手に想像しているが、これからは違う。YR子ちゃんとYR君は、日本語と日本文化を本格的に学んで行かれるのだ。次女は昨夜、ADRYの家にsleep over partyに行った。今日の昼には三年生が修了し、新四年生のクラスが発表になる。このまま時が止まってくれたらと思うのは、こんな朝である。

道具しまひて帰りけり夏の夕

2006年06月28日 | Weblog
筆写用の白紙本を買う。夫は笈之小文から写し始める。私は気になっていたイエーツを写す事にする。子供にも大判のノートを買ってやる。この夏休み、国語の教科書を二年生あたりから筆写することにしたのだ。バーンズ&ノーブル書店でそれぞれ好きな表紙を選んでいるうちに、都合よく夫がトイレに行きたくなった。今うちのトイレは水を流せない。レバーの継ぎ目から水漏を起したので、JSPに来てもらったら益々ひどくなったのだ。水漏はそのままで、水が流せない状態になってしまった。JSPは、「僕にはなぜかわからない。明日九時から一時の間に奴が来ます」と、さっぱりした顔で言って帰ってしまった。今日水道修理人が来るまで、バケツで流さねばならない。夫はそれが嫌なのだ。書店で待ち合わせると、夫は必ずトイレに行きたくなる。昔からそうなのだ。本の匂いと便意との間に相関関係があるのだろうか。

蝸牛髭を生やして敬まはれ

2006年06月27日 | Weblog
“ロバ君”は、鉄の枠にロバの足が四本ついただけの胴から上のないロボットで、ロバみたいに荷を運び、雪の上も砂利道も歩き、水溜まりをよけたりする。足踏みしながらくるくる回ると、踊っているように見える。製作者である男性がロバ君の尻に当る部分を蹴飛ばして転がそうとする。ロバ君は転げずに、二三歩、たたらを踏んでこらえる。ついていない尻尾まで揺れるのが見えるようだ。その蹴り方のけっこうな強さに、製作者の愛情がにじみ出ている。

留守番を二人置きたる梅雨の宿

2006年06月26日 | Weblog
ピザには二種類しかない。うまいピザと、まずいピザだ。駅の立ち食いソバ程度の店を、ヒスパニックの夫婦が二人で切り盛りしている。痩せた無精ひげの夫はランニングシャツ姿でピザをこねて焼き、肌のきめの細かい小柄な黒髪の女房がカウンターでピザを売る。店の名は“堕落した女”というのだ。そこのピザが滅法うまい。皮の厚さ、トマトソースの味、オリーブオイル、チーズの量、焼き加減が完璧で、いつでも熱々にしてさっと出してくれる。石釜とか有機天然酵母とか関係ない。うまいピザは電気で焼いてもうまいのだ。シンプルゆえに(ラーメンと同じで)まずいものは食う気がしない。“堕落した女”の夫の作るピザは、マンハッタンの安くてうまい物ベスト3に入ると思う。ところが今日、“堕落した女”のピザを食べに行ったら、夫婦者が店から消えていた。もし彼らの歌がピザと同じくらいうまければ、オペラ椿姫に出演させたいくらいチャーミングな夫婦だったのに、客も多く回転も速く、店は繁盛していたのに、一体何が起こったのか。夫婦のかわりにデクノボウ二人組がカウンターの中に立っていた。いつものようにスライスを三つ頼んだら、「今焼いたばかりだから」とデクノボウ1が、見るからにぬるそうなピザをのろのろと出した。デクノボウ1は暗算ができずに、デクノボウ2にいくらか聞いた。デクノボウ2はレジの使い方がわからないようだった。「今日のピザはまずいね」と次女が言った。「いつものおじさんたち、バケーションでいないんじゃない?」と長女が言った。そうであることを祈る。

短夜の太陽に帆を上げて行く

2006年06月25日 | Weblog
サロネンを生で聞くためにロサンジェルスに越そう、という話が出る。子供は大喜びである。ロス支社への夫の転勤は不可能ではない。私が運転嫌いなので、マンハッタン以外の町に住むのは不可能だと思っていたが、ロスのダウンタウン再開発の記事を読むと希望がなくもない。子連れでダウンタウンに住めるものなら住んで、ロスの町の光と風(夫曰く死の影)に耐えられるものなら耐えて、あの(悪)夢のようなウォルト・ディズニー・コンサートホールで本場のサロネンを聴いてみたい。しかしもしサロネンがロスフィルを去ったらどうする。行く先がウィーンならまだしも、マゼールの引退後NYPを振ることにでもなれば、われわれもNYへとんぼ帰りするのか。それはいったんナイトを振っておいて、次でまた元通りにするようなダサイ動きである。ダサくてもいいが、引越し代が大変だ。今後十年くらいのサロネンの予定をもしやサロネンがどこかで喋っていないものか。

かはほりのあれは笑顔か泣き顔か

2006年06月24日 | Weblog
午後二時。長女は昼寝している。その前はミルクを飲んで、エッグサンドを食べていた。せっかくおしゃれをしたので、普段は行かない店へ二人で入った。小雨の中、ネクタイを緩めて裸足で校庭を走り回っていたJUANとJKSNが長女の姿を見つけて「Mik! Mik!」と叫んだ。校門を出る前にミスSPRにもう一度お礼を言った。いつもどおりの笑顔であった。階段で親友のCALとその家族と写真を取り合って別れた。机の中に残った本やノートをまとめながら、明日からキャンプに行くLZYとまた会う約束をして抱き合って別れた。卒業証書の授与まで見て、夫は会社へ急いで行った。教頭先生の話が長いので、退屈した次女は自分の教室へ戻った。長女の作曲したテーマによる卒業記念曲をクラス全員がリコーダーで吹いた。リーディング・バディーのキンダーガーテナーと一緒に歌った。車椅子のMSUとTNYを先頭に、校旗と国旗を持った生徒達をしんがりに、卒業生がジムナジウムに入って来た。「ここに三脚を立てないで」と注意され慌てて片付けた。次女の粘土作品「蛇」と、飛び出す絵本「THE BAT」を見た。ミスTTANのいない美術室は片づき過ぎて絵の具の匂いもしない。鳥の刺繍のあるピンクのブラウスとグリーンのスカートと、私のネックレスを身につけた長女の髪を結いピンクの髪飾りをつけた。今朝七時前、長女と一緒に早起きしながら、「午後の一時過ぎには何もかも終わって、家に帰って今日のできごとを最後から順に思い浮かべながら書いているのだろうなあ」とすでに淋しく考えていた。

飛行船角曲がりゆく夏至の空

2006年06月23日 | Weblog
長女のクラスの“お別れbreakfast”へ行く。ミスSPRのお好きなサックスの商品券と、「ミスSPRは素晴らしい先生です。なぜならば……」という文章の……の部分に一人一人コメントを入れた額を、花束とともに贈呈する。それからベーグルやマフィンを食べながら、今年一年間の勉強の成果をまとめたフォルダーに「頑張ったね」「よくやった」などとコメントを書き合うのだ。そこにはすべてのテストとエッセイの成績が載っている。お互いに成績が丸わかりである。長女の親友は秋から私立に行きながら、来年また長女と同じ中学を受験するという。長女は四年生をピークとしてなだらかな下降線をたどりつつあるので、六年生をもし留年すれば親友と同じクラスになるかもしれない。私がコーヒーを紙コップに注いでいると、隣にマックス君が来た。彼もコーヒーを注ごうとして、私が見ているのに気づき、「僕、もうコーヒーを飲んでもいいんです」と澄まして言って、ブラックで飲んだ。明日はいよいよ卒業証書をもらうのである。