ニューヨー句

1ニューヨーカーの1ニューヨーカーによる1ニューヨーカーのための1日1ニューヨー句

この蕾仲間に入れて槿なり

2006年07月31日 | Weblog
二週続けて日曜にミスター・Lが来る。昨日はガールフレンドの誕生日で、朝まで飲んでいた。そのまま五時半のニューハンプシャー行き電車に乗る弟を送りに行き、ほとんど寝る間もなく、教会へ行った。日曜礼拝が終わると、もうレッスンの時間だった。徹夜したので、ときどき意識が飛んでしまう、などと言いながら、チェロにもたれて、一回完全に眠ってしまった。長女が何度も名前を呼ぶと起きた。ミスター・Lが帰ったあと、百十三丁目の韓国レストランMILへ行く。コリアンタウンよりは落ちるが、近所に韓国焼肉があったらなあと思う人にとっては十分な店である、という評判がネットに書いてあった。長女の中学から歩いてすぐのところだ。小皿の品数は少なめ。ビビンバはさっぱりして、柚子の香がする。冷麺には梨でなく林檎の薄切りが入っており、蕎麦の味が強い。プルコギとカルビを焼いてもらう。子供は常のように争って食べる。おばちゃんと息子が二人でやっているのも感じがいい。コリアンタウンの半分の値段だ。急に「やっぱりこの辺に越すか」という話で盛り上がり、店や公園やアパートを見ながら歩き、JSマートへも寄る。店内で五嶋龍君のご母堂をお見かけした。


鯉化けて西瓜運んできたるかな

2006年07月30日 | Weblog
フレッシュ・ダイレクトで種無し西瓜が丸ごと届く。注文したときはこれほど巨大なものがくるとは思わなかった。とりあえず半分に切って、冷蔵庫の下段に押し込む。残りの半分のまた半分は実を切り分けて大皿に盛り冷蔵庫の中段へ、皮はダストシュートへ。あとの四半分は勢いで食べてしまう。これで全部どこかには収まった。西瓜の匂いとは、しないようで結構するものだ。二階へ物を取りに行って下りてくると、下には西瓜の匂いが漂っている。子供たちは包丁でたいしたものを切ったことがないので、西瓜を二つに断ち割って見せると、大道芸でも見るような尊敬の眼差しである。鰹だって、鰤だって切れるのだが、それは切って見せてもぜんぜん喜ぶまい。西瓜といえば、鮎屋の裏の池に鯉こくの鯉と一緒に、西瓜が浮き沈みしていたことなど思い出す。夫は、「筒井康隆がね、骨なし鮎なら食べたい、なんて言ってるよ」と言うが、夫も種無し西瓜しか食べない。

道の前まで冷房の押出して

2006年07月29日 | Weblog
三時頃から昼寝をしていると、四時すぎに夫が帰ってくる。「ほとんどモーツァルト」というコンサートを見に行くのに、コートサイド(ステージ上の席)でまさか居眠りするわけにはゆかぬ。サラダとパスタを食べて、夫はビールの小びんを一本飲んでうとうとする。七時十五分には家を出てエイヴリー・フィッシャー・ホールへ。おととい、行列のすぐ前にいた黒人のおばさんが最前列から手を振ってくれる。コート中央、指揮者と目が合いそうな席に四人並んで座る。マゼールの時ここに座れたらなあ、と夫が言う。一曲目はモーツァルト父のおもちゃシンフォニー。子供たちが出てぴいぴい吹き、じゃらじゃら鳴らす。中プロはモーツァルト八歳の作曲である交響曲一番。最後は、交響曲四十一番のジュピター。休憩なしの短いコンサートだが、指揮もオケもよい。何より席がよい。チャイナFNに寄って、Sushi for twoを四人でつまむ。
 

噴水に観光地図を広げたり

2006年07月28日 | Weblog
朝四時半にトイレに下りると、猫どもの様子が変だ。猫用歯磨きスナックというのが、魚味とチキン味で、美味しいらしいのだが、それを二十個ばかり入れて置いたタッパーが空になってころがっている。普段は一日一個を半分に切って、半分ずつしか食べさせていない。LDが棚に飛び上がってタッパーを落としたら、幸運にも蓋が開いたに違いない。MPは棚には飛び上がれないが、食い意地は張っている。当然おすそ分けに預かったに違いない。いつもならご飯をねだりに擦り寄って来る二匹が二匹とも寝そべったままである。すっかり満腹している。MPは目をそらしている。LDはかえって挑戦的な目で見ている。タッパーだけ拾って、黙って二階へ上がる。あのゴキブリの羽根を何枚も重ねたような乾き物のスナックを、二匹が仲良く、カサカサ、カサカサと、二十個もむさぼり食ったのだ。タッパーが落ちて蓋が開いた瞬間のLDの顔。転がり出すご馳走の山。駆け寄るMPの顔。「え? これみんな? 一度に食べてもいいの?」見交わす二匹の顔と顔。おかしさをこらえて二度寝したおかげで、三十分寝坊して、朝九時半、モーツァルト・フェスティバルの只券を貰う列に並ぶ。すでにロングラインだ。楽屋前から並び始め、正面入口を通過、角を曲がり、ジュリアード側から、(ということはA・F・ホールをほぼ一周して)中に入る。中もまた幾重にもとぐろを巻いている。ディズニーランドの人気乗り物くらいの待ち時間がある。残っている席はステージ上に設置されるコート席と、三階後部席であった。コート席は初めてなので、そちらを四枚貰って帰る。開演に遅れると絶対に入れない席ですよ、と念を押される。

横たはる乳房ひろがる夏の闇

2006年07月27日 | Weblog
昨日は夫が代わりに更新してくれた。TVジャパンの従業員とて、TVジャパンのことにこうまで熱くなれるものではない。夫は昨日、Eメールの代筆もしてくれた。ロバート・クラフト氏にインタヴューの申し込みをしたのだ。彼はストラヴィンスキー夫妻の親友で後に養子となった人である。ロングアイランドに健在なのだ。三十分だけでもじかに会ってお話が伺えたら感謝します、と英語で書いてもらった。よき返事がもらえるとは思わないが、たとえ断りの返事の一行すら、私には宝となるであろう。彼の著作「ストラヴィンスキー・友情の日々」は、私の愛読書中不動の一位なのだから。芸大の先輩である中島らもさんにも、自費出版(NYエッセイ)の帯の文句を書いて下さいと申し込んで、自筆の断り状をいただいた。断る理由は、「NYに行った事がないから」というものであった。

代筆の桃の破片を突き刺して

2006年07月26日 | Weblog
TVジャパンさんゑ
サッカーワールドカップについて自画自賛するのはいい加減にやめよ。新規顧客の獲得にも、既契約者の満足度向上にも失敗したはずだ。原因は録画にある。ESPNで生中継をやっているのに誰が見るのか。TVジャパンの視聴者の多くはESPNも視聴可能であることは前もってわかっていたはずだ。あなたたちに常に正しいことを求めてはいない。失敗結構。ただし、そこから学んでほしい。そして今年こそは紅白を生中継して欲しい!!!!!!!!!

烏賊よりも寂しき寝顔かと思ふ

2006年07月25日 | Weblog
夫がTVジャパンの料理番組を見ている。「このイカ、まだ生きてますよ。この腸をですね、こうやって、そうっとそうっと引き抜いてください」と料理の先生が言うのを聞いて、「これ、イカ星人が聞いたらさぞ・・・」と夫はつぶやいた。 

猫が玉を運んで来る大暑かな

2006年07月24日 | Weblog
大学が主催するファミリーBBQを楽しみに、わざわざチェロのレッスンを日曜に変更してもらったのに、悪天候でキャンセルになってしまった。お天気は口実で、参加申込が六百人を超えてしまったので中止したのではないかと疑っている。バジルがたくさん余ったので、バジルつくねを作る。「富豪刑事デラックス」を見る。滅多に声を出さない黒猫のMPが、にゃあぐお、にゃあぐおと、こもった声で鳴きながら、階段を下りて来た。丸めたティッシュを口にくわえている。それを私の足元に置き、今度はクリアな声で、にゃあ、と鳴いた。まるで警察猫のようだ。昨夜長女が鼻血を拭いて丸めて枕元に置いといた玉である。何を思って持って来たのかわからないが、とにかくこれを見せたくて必死に鳴きながら運んできたのだ。ほめてもらおうと待っていたのに、みんなテレビに夢中だったので、「おお、よしよし」くらいで終わってしまった。MPはいつのまにかまた二階に上がって寝てしまった。

みなづきの猫を見てゐる稽古場に

2006年07月23日 | Weblog
HM先生が日本で公演中なので、お友達のSK先生がバレエを教えに来てくださっている。同じ流派のバレリーナといえども、手の回し方一つにも個性があって、どちらも美しく見飽きない。先生のお手本から目を転じて、鏡のなかの自分を見るとがっかりする。足は短く、背中は丸く、腕はだぶつき、腹が出ている。夫だって体は固いし太鼓腹なのだが、なぜか夫のほうがましに見える。やはり六歳若いせいか。今日、夫はセンターでジャンプして降りたときに、「パチッ」という音を立てた。真後ろにいた私と隣にいた奥さんだけに聞こえるくらいの音であった。シャンジュマンして五番で降りた時、つい腹に力が入ってしまったのであろう。仕方のないことだが、狭くて蒸し暑い稽古場なのでハラハラした。帰ってから、「だけど、途中でスミマセンと言うのは変でしょう」と言うので、「せめて黙礼しといたら」と答えた。どんな小さなゲップにも必ずあやまる同僚たちに夫は見慣れてきたため、時折日本から来る人が音を出して黙っている場面を見ると、ぎょっとしてしまうそうだ。 

雷の止みたる部屋のがらんだう

2006年07月22日 | Weblog
エイヴリーフィッシャーホールの向かいのアパートを見に行く。次女のクラスメートが二十四階に住んでいる。三十四階と、五階のワンベッドルームを見る。どちらもいい部屋だが、高すぎる。もっと安い物件が出たら知らせてもらうよう頼んで、映画を見に行く。Monster Houseは、大林監督の「ハウス」を3Dアニメにしたようなもので、郊外の家や地下室を知っているだけに結構怖かった。郊外の住宅地の空気は独特で、見張られているような、呑み込まれてしまいそうな怖さがある。私は自分の育った村が正直言って怖かった。なんと言っても村中知らない人が一人もいないのだ。これは恐怖以外の何物でもない。中島義道先生の「狂人三歩手前」を読むと、“一つ所に何年か住み、近所が顔見知りだらけになると、引越したくて堪らなくなる”症例が出ていた。まさにこれだと思った。マンハッタンでさえ、住めば顔見知りがじわじわ増える。店に入れば黙っていても好きな飲み物が出て来る。居心地はいいのに、反面息苦しい。逃げ出したくなる。永遠に旅行者のように暮らすのが本望なのだが。