道子が咳がひどいので、学校を休む。ヴィックスヴェポラッブを塗って、加湿器をつけるとだいぶ楽だという。今はチェロを弾いているが、夜になるとぶり返す。道子の中学はビルディングの四階にあるので、階段を上がっているときが一番咳き込むという。それはアズマではないだろうか。昨日はカンフェレンスデイだったので咳き込みながら登校した。夕方私も学校へ行き三者面談した。胸に紫の薔薇の刺青のあるミスJNRに、「LG合格おめでとう。道子は我が校の誇りよ。高校生になっても訪ねてきてね」と言われた。嬉しかった。思えば過ぎし6グレードの末、生意気な担任のミズRDGZに、「道子のインテリジェンスを(もしあるならば)見せてもらいたいわね」と言われたあの雪辱を晴らした。薪に臥して胆を嘗めまではしなかったが、道子はよくやったと思う。
「新アリスタリーホール」
リオープンフェスティバルの一つ。デビッドロバートソン/ジュリアードオーケストラを聞く。メシアンの「渓谷から星たちへ」。この曲はソプラノ歌手Alice Tully(アリスタリーホールの創始者、NYチェンバーミュージックソサエティーのチェアパーソンだった女性)がアメリカ独立宣言の200年祭を祝うためにメシアンに依頼したもの。初演は1974年、旧アリスタリーホールにて。会場には老人が詰めかけていた。それは毎度のことだが、初演を生で聞いた人もいるであろうと思うと、特に感慨深い。ジュリアードオケはプロのようにうまく、半端でなく弾きこんで入れ込んでいるのがわかる演奏で、しかも曲に対するパッションにあふれていた。NYのクラシック音楽界の歴史の一頁を作っている感動を団員もかみしめているようであった。やはりロバートソンは素晴らしい指揮者である。指揮は完璧。デュダメルどころではない。しかも性格がいい。それが振り方に現れる。ラトル、デュダメルはかっこいいし華があるがこれほど性格はよくないだろうと思われるのだ。NYPの岡本さんとかにもしもどこかでお話しする機会があれば、どうなんですか実際のところ? とお聞きしてみたい問題である。ピアニストは前半後半二人だったが、どちらもうまかった。前のピアニストは歯切れよく心地よく、後のピアニストは(ロバートクラフトのように)曲にイカレているのがわかってほろりときた。アジアンのコンマスのうまさが光ってた(次期NYPのコンマス狙えそうだ)し、ビオラ、チェロの音のよさ、コンバスもいけてて、クラもよくやってて、ホルンの女の子がまた堂々たるソロを聞かせ鳥肌もので、金管の素晴らしさには感動した。NYPの金管のうまさの伝統はこうして続いていくのであるなあ。それと、パーカッションが全員殺気立っていた。木琴、鉄筋の張り、ガムランは星星の音を出していたし、渓谷のせせらぎを担当していた女の子が声優のアイドルみたいな不思議な雰囲気を出してて、目が離せなかった。しかし何より感動したのは曲の素晴らしさ。メシアンには頭で作った理屈ぽさがまるでない。「写生道のど真ん中を闊歩する」俳人岸本尚毅の俳句のようである。写生の迫力と抒情が絡み合って心が揺すぶられる。泣ける。