ニューヨー句

1ニューヨーカーの1ニューヨーカーによる1ニューヨーカーのための1日1ニューヨー句

ほうたるの光のごとき音といふ

2009年07月31日 | Weblog

「イマジネーション」
旅愁の最後のパートをやるのが楽しみでたまらない。前回はそこまでいかなかった。目玉はNOMさんのソロ。そしてまたメゾにもソロがある。最後の最後、高いド#→ミ→ファが三回続く。歌詞は、る・る・る。私はこれを、秋の夜更けに家の灯が一つずつ消えていく音、と解釈して歌っていたが、欧介は「これは蛍です」と言う。蛍は夏の季語だが、そう言われると、蛍の明滅いがいありえない。灯が消えていく音ではだめな理由は、灯っていたものが消える、のではなくて、最初暗く、灯り、消える、という「音のふくらみ」が必要だから。歌にはこのような明確なイメージが不可欠だと思う。バレエも同じ。アラベスクをするとき、伸ばした手の指先を見てはいけない。稽古場の壁を見てもいけない。はるかな山々を眺めるのである。「遠くの山を見るように」と先生に言われると、自然に鼻が高くなり、眼が澄んでくる。

「幸福」
道子がフォーレのトリオを弾いている。名曲である。欧介も暇を見つけてはバイオリンを練習している。ビオラよりも早いペースで曲になってる気がする。近い将来合奏する日が来るであろう。早く聞きたいなあ。生きている間ずっと、このように楽しみがとぎれないで続くといいなあ。このようなことを楽しみと思う人々と交わりつつ暮らしていくことが幸福だ。


河童忌の頭に響く歌のあり

2009年07月29日 | Weblog
「旅愁」
昨夜は女声アカペラの旅愁が大成功した。「まだ頭から歌声が離れない」と、欧介も朝から女声絶賛。女声賛唱。たったあれだけの時間にあれよあれよという間に盛り上がり、全員がひとつになって、汗をかきながら完全燃焼した。ジェットエンジンによる焚き火マシーンのように一気に燃えた。気持ちよかったー。八分音符を走らず歌ってください、と欧介が言った途端に声が変った。お互いが、「だったらこう歌いたい」を瞬時に伝え合って溶け合って強い声となって返す。そういうのって泣ける。「僕もオケではビオラを弾くのでわかるのですが、メゾもまたソプラノとアルトをくっつける接着剤なのですから、そのように歌ってください」と言われると、自分が糊になったような興奮が起こり、耐えて粘って歌うことができた。”アタシ、アルトを歌って支える快感を知ったばかりなのに、今度はつなぐ喜びを開発されちゃったんです。”ってか。
欧介いわく、「旅愁は完璧だった。色気もあったなあ。ウィーンフィル&ムーティーの音だった。流線型だった。あれだけ歌えたらプラハで金メダルも夢じゃない。あれはぼくの力じゃない。女声が自力でやった。あと曲もよかったのかなあ。恋しやふるさと、はやっぱ泣けるよね」
おっと、女声(自画自賛)ばかり書いて、大事なことを書き忘れるところであった。昨夜は夏休みに入る最後の練習で、バスもそろって、特訓の成果を見せつけた。久々に3大テノールもそろって堂々歌った。種子もよくできたし、〆の蔵王も素晴らしかった。秋からそろって燃えることができそうだ。紅葉のように。

「SPレコード」
芥川龍之介の遺品に、ストラヴィンスキーのSPレコードがあったそうだ。火の鳥、ぺトルーシュカを聞いていたらしい。1927年7月24日没。宮沢賢治は1933年没だから、賢治もストラヴィンスキーを聞いてた可能性はあるが、どうも賢治の作品からはそれが感じられない。芥川の河童などは、ストラヴィンスキーの影響を受けていると感じられなくもない。私の生まれた家の屋根裏には黒い長持ちがあり、まさにお雛様のお道具を大きくしたみたいなもので、開けると古い着物などの合間にSPレコードもはさまっていた。紫や赤い着物だからおばの踊りに使った衣装かもしれない。それらのしなしなした布にじかに裸で触れている黒い小さなレコードというのは美しいものである、と思ったことを覚えている。謡や筝曲や三味線の爪弾きの唄を、おじおば達が鳴らしていたように思う。手回しの蓄音機だったか、ポータブル蓄音機だったか、あれらを取っとけばよかったとは思うが、記憶の中にあるので支障ない。わたしが死ねば記憶も消えてなくなる。

「ばなな」
美人監督RNAさんが、カップケーキを焼いてくださった。ハードスケジュールの息抜きにクッキングする姿はかっこいいなあ。病みつきになるバナナ味。私は子供の頃バナナより美味しいものはこの世にないと確信していた。無医村だったので、私のお尻のおできを祖父がナイフで切開することになった。「バナナをやるけん」と言われてようやく決心がついた。Gの先生に「バナナ控えめにね」と言われたので最近は毎日食べてない。だからものすごく美味しかった。

風吹いて草の倒るる野のダリア

2009年07月28日 | Weblog
「ピアノトリオ」
道子チェロ、欧介バイオリン、私ピアノで、フォーレのトリオをやる。いつものことだが、「へたでもいいから弾いて」と熱心に頼まれ弾くと、「もういい」とすぐ首にされる。失礼だ。カーター無礼。しかたないんで、欧介のピアノで道子だけが弾く。「へただへただ」とけなしつつ、実は道子は欧介のピアノがずいぶん好きだ。気分が乗ってのびのび弾いてる。名曲である。フォーレ節が泣ける。私の死後ピアノのうまい継母が来たら、道子は一緒にトリオを何度も弾き、たまには元母はピアノがへただったなあ、と思い出すかもしれん。一瞬、SRが継母に来て、ひとりよがりのピアノを弾き、道子が舌打ち、SRも舌打ち、向かい合って腕ぐみをして、いらいら貧乏ゆすりして、二人がののしり合うところを想像してしまった。幽霊になってもそれは見たい。
デュ・プレ、バレンボイム、パールマン、ズーカマン、メータの鱒のDVDを見る。素晴らしい。が、昔素晴らしいと感動したほど、ジャッキーのチェロがすごいとは思わない。ミスターローゼンをいつも聞いているからであろう。

「とかとんとんの夢」
どんな夢を見たと聞かれ、見なかったと答えたが、実は見た。そのときは眠くて、たいした夢でもないから、と思った。思い出したら、やはりたいした夢でもなかった。私は買物袋をさげ、(阪急梅田駅の)歩道橋から足をすべらせて落ちて脳震盪を起こす。(昔、貧血で同じ体験をしたとき軽い記憶喪失になり、落ちる前に散髪に行ったことを忘れ、病院で鏡を見て、ばっさり髪を切られてるのに驚愕したことがあった。)気がつくと、トレビの泉を見下ろす部屋の窓辺で白ワインを飲んでいる。そばに背の高いひげ面の見知らぬ男がいる。君は記憶喪失になった、とへたな英語で言う。あんた誰? と私が聞くと、「アンドレス」と名乗る。ははあ、昔アパートのオーナーでギリシャ彫刻みたいに美しいアンドレスという名の教授がいたなあ、と思う。記憶喪失なのにそういうことは覚えてる。その男と私は一緒に服を着て食事に行ったりした。親愛の情のかけらも無く、言葉も通じないのに、私は家に帰ろうとしない。男の口の金属臭。古い水道の蛇口のような、どぶのような匂い。歯茎が青い。青髭みたい。キリストみたい。逃げ出したいような、捨て鉢なような、お金もないしなあ、とか思ってる。家族旅行したとき、トレビの泉に面したホテルの二階の窓が開いているのを見て、あそこで噴水見ながら裸で白ワイン飲んだら楽しかろう、と思った。それを今してるのに楽しくない。誰かが壁を、とかとんとん、とノックする。これは、殺人の予行演習に毎晩壁を叩くというコナンのエピソードを見たことと、太宰の人間失格のことを寝ながら考えていたのが、合体したシーンだと思う。

避暑人の道なき道を渡りけり

2009年07月26日 | Weblog
「七十二丁目よさらば」
今朝はマラソンの声援に目覚める。窓の下の大通りがマラソンの走路にあたっているので、騒ぎが間断なく続く。ウエストエンド通りへ越してしまえばこの喧騒もなくなる。そう思うと寂しい。私は町中に住むのが好きだ。といっても、六本木には住みたくない、神宮前がいいなあ。この違いね。下町のごみごみした、通り一本入れば妙に静かなアパートで、祭りの喧騒に目覚める夏の朝なんてのはいいね。ヘミングウェイを読むと、パリに住みたくてたまらなくなる。彼のご近所づきあいの相手はスタインとアリスのレズビアン・カップルであった。ミス・スタインは(ヘミングウェイの妻が思わず目をそむけた)みっともない安物の服を着て、本物のピカソをずらりと壁にかけていた。その部屋でアリス(アリスBトクラスの料理読本の作者)の手製の蒸留酒やランチを食べたのだ。またヘミングウェイは書き疲れると、セザンヌやモネやマネを見るために美術館へ歩いて行った。笑い話のようだが、ヘミングウェイは、「私は小説に奥行きを持たせるやり方をセザンヌから学んだ」と書いている。こういう文章を読むとやはり私も美術館と音楽堂へ歩いて行けないところへは住みたくない、と思う。ニューヨークも条件には叶ってるが、パリが勝っているのは歩いていく道々が、町々が、とても素晴らしいところ。ストラヴィンスキーの最後で最愛の妻ヴェラはニューヨークに住んでる間、私はどこを散歩すればいいの、と問うていたそうだ。

「書き終えること」
若くて素敵なTパトリのTDさんも小説を書いておられた(れる?)そうである。「書き終えるのが難しいんですよね」とおっしゃったので、彼が本気で書いてたのだな、とわかった。ぴんときた。好感を持った。私の甥も小説を書いている(いた?)そうだが、できあがったものを読ませてもらったことはない。書き終えられただろうか? 本気で小説に取り組むとき必ずぶつかる壁は、「書き終えること」なのだ。書き出すことはできても、書き終えることができないことに気づく。最初に考えたクライマックスにはどうしてもたどりつけない。無理に終わらそうとすれば、それは頭と尻尾しかない怪物になる。小説を書く意味は胴体を書くことにあるのに。結局、書けないのは尻尾でなく胴体なのだということを何度も何度も思い知る。胴体を書ききることができるようになれば、自然に尻尾が生えてくる。

蝉鳴くやベンチに一人ずつ座り

2009年07月25日 | Weblog
「落選日」
種子、旅愁、恋のバカンス、を歌って過ごす。ビブラートを二種類練習する。チェロでやるには二年くらいかかるが、喉だと結構やれる。高いラの音も出る。歌は面白くて止められん。恋のバカンスは、句会の宴会芸用。またPPNさんと一緒に歌いたい。今日は町子に頼んでハモってもらったが、いまいち色気がない。歌謡っぽさがでない。せめて伴奏つきでにぎやかに歌いたかったが、欧介が帰ってこない。UTBでWの恋のバカンスかけて一人ぼっちで歌い踊る。 引越しのダンボール箱届く。

避暑の夜心の声を聴いてゐる

2009年07月24日 | Weblog
「後の祭り」
2ちゃんの文学賞板は、すでにこのような風景。今朝(電話がなかった時点)で、新人賞の最終選考に残る望みは断たれた。NYは時差があるので、「今夜までわからん」という心の声も聞こえるが、また別の声が「だめやった」と言う。おりしも道子が「ねえ、お母さん? はかないってどういう意味? どういうときに使うの?」と聞く。「かかるはずのない電話を待っているときなんかに、はかない望み、っていうふうに使う」と答える。

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「獺の祭り」
働きざかりの若夫妻とGRにて歓談。GRへ行くときはいつも雨。獺祭を飲む。音楽の話に、映画の話。欧介が”調律師が世界を回る”ドキュメンタリードラマを小学生のとき見て、その女調律師に恋心を抱いたという話を初めて聞いた。十三年一緒に暮らしても、まだ知らない話が一杯あるのだなあ、と思った。
ところで、私も思い出した。カンツォーネ歌手のマッシモ・ラニエリ主演映画「わかれ」を中学の時に見て、寝られないほど憤った。好きな相手ができたのに離婚しないのはなんという不純! (自分・夫・不倫相手に対する)三重の裏切り! 自殺したサンドロ(マッシモ)に恋した私は、映画の音声を録音したカセットテープを毎晩布団の中に持ち込んだ。長じて、映画「マディソン郡の橋」を見たときは、まだこんな不純を飽きもせず人は繰り返してるのか、と呆れはてた。だが、今になって初めてわかる。筒井康隆の「敵」の中の「老人の性」を読むと、欲望を封じ込める効用がわかる。淡い恋情を抱きつつ、別れず、結ばれもせず、ときめきを消さず、かきたてず、じっくり味わい封じ込め、ちびちび楽しみ、ときに悲しむ。不純でもよいこともある。「煮凝やすつと遠のく恋心」という名句は、実はこういう歓びの句なのかもしれない。人生は素晴らしい。年を取るのはまんざらじゃない。こんなこともわからなかったのだから、私には到底ポルノは書けなかった。

「きもだめし」
家族で思い出話大会になった。欧介が小学生のとき、夏休みにきもだめしがあったそうだ。欧介は、当時好きだったRT子ちゃんと組になった。同級生の女子がお化けになって、「あなたの好きな女子は誰ですか?」と質問してきた。困った欧介は、「アルゲリッチ」と答えた。

寝台に蜘蛛ゐると云ふ娘かな

2009年07月24日 | Weblog
「ハリーポッター・ハーフブロッドプリンス」
最初の二十分が3Dであったが、とくに感心しない。クイディッチを3Dにしたとしてもたいしたことはない。3Dには飽きた。ハリーはだんだんヴォルデモートに似てきた。ロンは醜い。ハーマイオニーは胸がきれいであった。道子が最後の五分くらいにトイレが行きたくなり、アイマックスのちょうど中央の座席だったので出るにでられず、必死に我慢して、感動でもないエンディングを待ちかねて、さっと立ちあがると、かなりの人数が一斉にそのタイミングで、そそくさと立った。

「ポルノ」
R18文学賞に応募することに決める。欧介は、それなら宇能鴻一郎を読んだらいい、と言う。そういえば吉本か谷川か忘れたけど宇能を激賞してた。大学時代、私の創作のライバルであった(と私は思っていた)男の子から、君はポルノを書くといい、と真顔ですすめられ、馬鹿にされたと勘違いして以来、私は性を書く気になれなかった。ストラヴィンスキーが「ベートーベンに辛く当たりすぎる」とクラフトが評したように、私も性に辛く当たりすぎてきた。普通の夫ならうまくいかなかったかもしれないが、欧介の官能は音楽に向いていたので幸いであった。絶対に浮気しない、と欧介は言う。だが欧介は浮気をするより、合奏や指揮をするほうがより幸福なのだ。日本でも室内楽仲間の男女と浮気より濃密な交わりを楽曲の中で幾度もやってきた。すこぶる美人のバイオリニストなど、弾きながらぽろぽろ泣いてた。しかし音楽家とはそういったものだ。そうでないミュージシャンは駄目だと思う。

「バイオリンが来た」
NYへ来ていらい、九年来のつきあいであるSH子さんから、バイオリンを借りる。彼女はバレエの伴奏をやっている。バイオリンを弾く暇は今のところないとおっしゃるので、しばらく欧介に貸していただくことになった。

GRLさんのお庭の胡瓜。


貯水池の空に広がる夏燕

2009年07月21日 | Weblog

団の男声Nさんのキャツキルの山荘へ、チェロ二台とビオラを持って行く。途中まで電車で行き、駅前で車を借りて走ること二時間、工事渋滞でさらに二時間かかって着く。タッパンビー橋からの絶景。蓮池。



ニューヨークの水源であるというリザーボア(貯水池)から奥へ入ったところにタブミル(水車)ロードはある。山荘へ続く急な坂の小道を下って、小橋を渡り、草だらけ、花だらけの山道をゆるゆる登るとNさんの家。蟋蟀がはや鳴いて涼しい。家のそばには、長命のおじさんにあやかって名づけたシュガーメープルの大木。荷を降ろして、さっそく川ぞいに散歩。フランス人の奥さん、Fさんの案内で山の滝を見に行く。滝のそばにも山荘。フランクロイドライトの滝の家に似ている。冬は凍滝になる。
川の音滝の音へと続きけり
滝殿を建てたる主の噂かな

濡れた落葉の山道を歩み、また車道へ。山荘へ戻って、道子と町子のチェロ(クンマーのスイステーマ)を聞きながら白ワインを飲む。チーズがどれも美味。欧介はNさんのバイオリンを借りる。驚くほど安値で買われたようだが、それにしては素晴らしい音。欧介は自分のビオラと「交換しませんか?」としきりにねだる。欧介の性格にはチェロやバイオリンのほうが合っているのだ。ストラヴィンスキーの「兵士の物語」みたいな音がする。野原と川のせせらぎ。
夏草や借りて弾きたるバイオリン
井戸と呼ぶ細き筒あり蛍草



子供たちはFさんにクレープの焼き方を教わる。生地は簡単で、すぐ焼けて、甘さ控えめ。フライパンでクレープをひっくり返すのを競う。デュ・ピフ・オ・メトル(目分量)という仏蘭西のことわざを教わる。子供はチョコレートとバナナ。大人はマーマレードにブランデーを垂らして食す。ざらめとブランデーもいける。Nさんの好物のチェリーパイも贅沢な味。ディナーはNさんが味噌を塗りつけてオーブンで焼いたサーモンとサラダ。赤ワイン。日本酒。Fさんは徳利とお猪口で濁り酒をやっている。残飯は裏口から原っぱに投げる。アライグマや熊や、鹿や野うさぎが来て食べるという。前にヤマアラシが来て、背中の針で玄関をがりがり引っかいたそうだ。奴が残していった針を見せてもらう。ハチドリの羽根も見る。
ほうたるやもたれし柵のゆらゆらと
短夜の鼠の針と鳥の羽根


明け方まで起きている子供たちも山の静けさに早寝、町子だけ階下のNさんの書斎にマットレスを敷いて、レコードコレクションに囲まれて寝る。夜中に熊が来たら町子がまずやられるかなと思いつつ、まあ来ないだろうとたかをくくって寝る。シャンソンの女の声は山で聞くと結構怖い。穴に引きずり込まれるように眠る。明け方欧介が起きている気配。烏が屋根を歩き回っている。次に目覚めると、すでに朝日。ベランダの向こうに山の霧が輝く。昨夜のチーズ、オリーブパン、メロン、コーヒーの朝食は無音。木々が風にそよぐのみ。
目が慣れて青ほゝづきを見つけたり
花胡瓜金網の色新しく

朝食後、みなでドライブ。まず幌(ほろ)つき橋を見る。これは怖がって川を渡らない馬車馬のために囲われたのだそう。マディソン郡の橋に似ている。橋の下の川辺で石飛ばしをやる。愛媛でもずいぶんやった。Nさんは石を細かくジャンプさせる技を持つ。橋の中を歩くとヤギの匂い。昨夜のチーズの匂いがする。橋をくぐり抜けたところに、とうもろこし畑がある。貯水池には、ツバメが群れをなしてゼロ戦みたいに飛んでいる。そこでNさん夫妻とお別れ。レンタカー店が閉まるのが午後四時なので、遅れないよう出発する。NYのアパートに戻ると、猫たちは平和に寝ていた。
合歓の花幌つき橋の長さかな
唐黍の畑に水の来てをりぬ











夕立や四楽章の途中まで

2009年07月20日 | Weblog
NYPのパークコンサートへ。団の幹事がおそれおおくも場所取りをしてくださって、ステージのまん前(VIP席のすぐ後)で、ギルバートさんの指揮ぶりを見る。一万人くらい集まるので、友達を見つけるのは不可能。わが団は幹事の機転で、(誰かが目印に立てた)鯉のぼりのそばに陣取ってもらったのでことなきを得た。



ミスターRのレッスンを済ませ六時過ぎに駆けつけるとすでにぎっしり。ワイン、パン、チーズで乾杯。イカ明太子あえ、蕗、納豆巻、ZYのデザートなどでピクニック。道子・町子は隣の家族の子供とトランプ。欧介は団の女声&男声と歓談。お隣のコリアンのコギャルとも数語を交わす。難破か。私はガッテンで見た「低音蒸し」をコーンで試して持って行ったのだが、夫が「ナマみたいだけど?」と言ってた。そのせいか、コープランドの歌(バリトン)のときは何でもなかったが、マーラー1番が始まると、私のおなかが張って痛くなってきた。あんな密集地帯で試し放ちするわけにもゆかず、ビールで小用がいきたくもあり、無謀だとは思ったが、やむにやまれず簡易トイレに並んで行った。帰ろうとすると、あたりは真っ暗、鯉のぼりが見えない。帰る場所がわからない。寝転がる群集に分け入り、飛び石を飛ぶように毛布と毛布の間の芝を踏み歩き、「シッ」とか「ガーッ」とかののしられ、舌打ちされ、また後ろへ逃げ戻り、ふらふら歩き回るうち、VIP入り口へ来て、「入れてくださいな、ちょっとだけ」と頼んで追い返され、でも電話だけは借り、「心配ないよ」と言おうとしたが、ぶるぶるモードで誰も気づかず、結局四楽章になって風が吹き出し、鯉のぼりがはためくのが見えたので元の場所へ帰ることがきでた。したら、突然音楽がストップ。夕立が来そうなので中止、花火もなし、のアナウンスがある。出口に殺到する群衆に平等に降り注ぐシャワー。欧介は、ギルバートさんの天気予報能力、その判断の見事さに舌をまく。あと一分遅くても高価な楽器がずぶぬれであった。涼しく濡れて歩いて帰る嬉しさ。明日はNY北部の山荘へドライブだ。

水無月のサリーの女急ぎけり

2009年07月17日 | Weblog
引越しの見積りに来て頂く。ちょっとでも荷を減らすため、ゴミ出しをした。食器、金物、本、洋服、靴、おもちゃ、紙ごみなど一挙に捨てる。でもたいしてない。ここに入居するときいっぱい捨てた。欧介と二人だったらスーツケース二個ずつに、引越し先もステューディオで済むのに、子供がいると荷が四倍じゃなくて十倍くらいになるのはなぜだ。おまけに2ベッドに住まねばならぬ。2ベッドといっても、二人の子供が一ずつ寝室を使い、私と欧介と三猫は今までどおり、リビングの隙間に散らばって寝るだけである。