Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

心に負った傷は相殺できるものではない

2011-01-19 16:13:22 | 豆大福/トロウ日記
昼ごはんを食べながらテレビのワイドショーを観ていたら、1969年の今日はどんな日特集で東大安田講堂占拠事件をやっていた。いやーな予感がしながらも、テレビを消すでもなくだらだらと観る。

当時の機動隊員、機動隊の指導的立場にあった規制する側の人間、それと当時暴れていたけれども今では偉くなっているような占拠した側の人間の双方が、当時を振り返ってインタビューに答えていた。

特に、当時暴れていた側の人たち。インタビューに応じていたのは2人で、そのどちらもが、当時を反省し、あれは間違いだったという。このお二方に限らず、当時学生運動に没頭していた方々の多くは、いや、ほとんどは、このお二方と同じ心境ではないだろうか。

ひと様の過ちに対してくどくどと糾弾する資格は、とりわけ私にはない。過ちを犯した者が、自らの過去の過ちを反省するのは殊勝である。しかしその反省の中には、どれほどの他者に対する思いやりが含まれているのだろうか。自らの過ちが、善意の他者の人生を翻弄し、そこにどれほど苦悩を与えたかについての思慮は、果たしてその反省の中にどれだけ含まれているのであろうか。

大学構内に機動隊を導入し、学内から逮捕者を出すのを大学が進んでするようなことは文学部長として承認できないと、校門の前で武装した学生と機動隊との間に立ち学生を守ろうとしたある人物は、結局理事会に責任を追及され、大学を事実上解雇されるに至った。(解雇の原因は、迫っていた学長選挙で野呂芳男を推す声が高まっていたことに対する理事会側の危機感、という要素もあったが。)

学生の闘争は過激になる中、それらを煽るがごとくの一部の同僚教師たち。一方、自由であるべき最高学府の組織が、国家権力の、しかも機動隊という暴力装置の力を借りてそれらを抑圧しようとするときに、当時文学部長であった大福先生はそれを許容することはできなかった。それはたった一人の、孤独な闘いであった。

当時の学生たちが大人になり、社会的な地位も確立させロマンスグレーに差し掛かった頃、徐々に「あの頃」について振り返ることになる。中にはあの頃の自らの幼さを恥じ、大福先生に多大な迷惑をかけたことについて真摯に謝罪してくださる方もおられた。しかし一方で、「先生が青学を辞められたときには本当に心配しましたが、結局立教に就職できてよかったじゃないですか。雨降って地固まる、といいますか」と言われたときには、さすがに大福先生もへこんでしまっていた。

いや、こんな風におっしゃった方には他意はなかったのだろう。むしろ、先生が無職のままで埋没してしまうことにならずに済んで、本当によかったと言いたかったのだと思う。しかし大福先生の負った苦悩は、青学をクビになっても立教が拾ってくれたことで相殺により解消、といえる程度のものではなかった。そこらあたりの思慮のなさに、大福先生の心の傷はさらに深められることになったのである。

あの頃の話題を振り返るとき、私自身は当時ほんの幼児であったにもかかわらず、まるでその時代をリアルに生きていたかのように情景を思い浮かべることができる。今日、テレビでインタビューに応じていたお二方の「過去の過ち」に対する思いを聞きながら、昔、中学3年の頃、「あの時は子どもだったからさ、本当にごめんね、許してね」と、小学生の時に虐められた男の子に調子よく言われたのを思い出した。一度深く刻まれた心の傷を回復させるのは、不可能に近いほど難しいのである。