Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

ちょいと息抜きに書いてみる

2008-03-31 21:22:16 | 豆大福/トロウ日記
本読んでいて、頭が飽和状態。なので、休憩がてらにキーを叩こう。

先日、サブウェイで遅い昼食をとっていたら、サブウェイには不似合いなBGMが。なんとビゼーの「カルメン」が流れてきた。ファストフード店に似合わないことおびただしいこのBGMに、さほどおいしくないコーヒーを啜りつつ心を熱くして聞き入っていたのだが、次の曲が、これがまたさらに輪をかけて不似合いな曲だった。それはなんと、ベートーベン交響曲第7番。しかも、第三楽章のところから、いきなりだ。カルメン→第7番 in サブウェイという整合性のなさに、思わずのけぞってしまう。

この第7番、一体だれの指揮なのか、それが判別できるところまで私は音楽に詳しくはない。でも、カルロス・クライバーでないことだけは確かだ。

「クライバー」。この人の指揮に限って、私はベートーベンの交響曲を聴くことができる(あれ、でもクライバーの第九番って、あったかな?)。クライバーについて語ると長くなりそうなので、ここはひとことでクライバーらしさを表現するとすれば「テンポのよい完璧主義 with ドイツ人なのにちょっぴりラテン気質」。フルトヴェングラーの指揮による第7番と比べると、1.2倍速くらいのスピードで演奏が終ってしまうのではないだろうか。計ったことがないので完全に憶測だが。とにかく、私のかなり限定的知識において、私が選ぶ史上最高の指揮者ベスト3のうちのひとりが、このクライバーだ。う~む、クライバー&ウィーンフィルの組み合わせは、最高だわね。

とにかく、サブウェイで流れていた第7番はクライバーではない。……次第に、この7番が……な~んだかね、こういってはなんだけど、ナチスの行進のようにも聴こえて来るのだね、イメージ的に。勿論、ベートーベンとナチスは、少なくとも直接的には何の関係もない。しかしさらに、ここですぐさまR・ワーグナーを思い起こしてしまう。ああ、やっぱり、ワーグナーがベートーベンを崇拝していたということがよく分かる、という気持ちが、ここにふと湧いたのだった。ぞぞぞ~っと、ちょっと背筋が寒く感じた私は、連れとともに足早にサブウェイを後にした。

願いを叶えてほしい

2008-03-19 00:12:33 | 豆大福/トロウ日記
「チップス先生さようなら」。
私にとっては今更語るまでもない映画である。ジェームズ・ヒルトン原作のこの作品、もう何度も観ているからね。で「何度も観ている」というのは、1969年の、ピーター・オトゥール、ペトゥラ・クラーク出演のミュージカル仕立ての版である。原作により近いと思われる、ヒルトン作品の常連ともいうべきグリア・ガーソンが出ている版も、どうしても観たいのであるが、実は私、未だにこちらは手に入れていない。早く手に入れないと。こちらも観たいよう。

この69年版は、ミュージカルと言っても全編歌いっぱなしというタイプでなく、歌が適所随時に、実に自然に挿入されているところがとてもいい。なんといってもこの映画、音楽はジョン・ウィリアムズである(スターウォーズとかもこの人の作曲)。さすがウィリアムズだけのことはあって、どの曲も永きにわたって人々の脳の片隅にへばりついて離れない名曲ぞろいである。詞もこれがまた、うるうる~でグッド。

さて、なぜ今更この映画について取り上げるのかといえば、DVD化を切に望むからである。だれか、そういう関連の会社にいて、そういう権限のあるひと~、このエントリを読んだらすぐに「チップス先生さようなら」をDVDにして発売しておくれ、たのむよ~。(実はこう願っているのは私だけではないようで、amazon.com(米国)のレビューヤーにもこういった声がとても多いみたい。)

チップス先生の恋女房を演じた、歌手ペトゥラ・クラークの歌が抜群に上手いのは当たり前といえば当たり前だけど、やはり上手いよね、彼女。はじけるような歌声だ。そしてオトゥールのチップス先生には、まさに彼は演技の天才、と、うならされること間違いない。奥さんを亡くしたときの教室でのシーンなんて、もうなんといったらいいか……言葉がでない。中年(おそらく40代半ば)から最晩年までのチップス先生を演じたオトゥールは、当時なんと37歳!全編ほとんど、当時の彼の実年齢と比べて年齢不相応に年上(あるいは老人)役であったにもかかわらず、まったく違和感を覚えさせない。もちろん年齢の面だけではない、この映画でのオトゥールは、チップス先生そのものである。

え?歌?オトゥールの歌はどうだった、って?えーっと、はっきりいって上手くはない。とはいえ、下手すぎて、聴いていて不快になるようなことはまったくないけれども。そうね、まるでセリフの延長みたいな歌い方、と言ったらよいのだろうか、とにかく上手いとはいえない。しかーし。

彼は「チップス先生」なのだよ。チップス先生―旧弊で要領が悪くって礼儀正しすぎるほど礼儀正しくてまっすぐで頑固で優しい、イギリスのパブリックスクールで古典(ラテン・ギリシア)の先生であるところの、チップス先生役なのだよ。そのチップス先生が、まるでビング・クロスビーや秋川雅史みたいなバリトンを響かせて朗々と歌っていたら、その方が不自然に感じられると思うのだが…。

ま、敢えてオトゥールがチップス先生を演じたところの欠点なるものを挙げるとすれば、そういうチップス先生としては綺麗、つまり美しすぎるところ、かな(完全にファン目線)。

命はケルトの輪の如く…

2008-03-07 20:20:17 | 豆大福/トロウ日記
先日購入したチーフタンズのLive from Dublin – a tribute to Derek Bellという音楽CDが届いた。この場でも何回か触れたが、彼らはアイルランドの国宝級バンドとして、主にトラッドなアイリッシュ・ミュージックを長年にわたって(それはもうウン十年にわたって)世に紹介してくれているすごいオヤジたちである。

私が持っている彼らのCD のうち、ライブものはこれが始めてだが、これがすごいのなんの、何が凄いかってまず、臨場感がすごい。血わき肉踊る、老若男女、おそらくはすべての人が、自然に楽しむことになってしまうのが彼らのライブの底力だと個人的には思っているのだが、映像なしでも彼らのあのライブが、ありありと目に浮かんでくる。

副題に「デレク・ベルに捧げる」とあるように、ベルは2002年に他界したメンバーだ。彼はキーボード、アイリッシュ・ハープなどを担当していて、クラシック畑出身で、愛嬌があって、テクニックがすごくて…。彼のソロパートになると「もう、ど~にも止まらない」ほどエスカレートしていくというのがひとつの見せ場で、「誰か、あの男をとめてやれ」と他のメンバーに言われてもまだ続けるというのがお決まりのパターンで、私もそこは何度聞いても笑ってしまうのだった。

アルバムの最後に、「祭り」の後にふさわしいFarewell to Music という、ちょっとしんみりとしたホィッスルのみの曲で〆てあるものの、哀悼アルバムといっても、暗さや湿っぽさはまったくない。その代わりに、というか、アイリッシュ・トラッド音楽では当然に展開される、音楽版・ケルティック渦巻き(?)の連続。要するにほら、あれだ、唐草模様風というか、蛇が絡まったような、組み紐状に連続した輪である。この、ケルト装飾によく見られる形が、音楽にも現れているのがよく分かる。

ご想像どおり、この装飾文様は、死と復活、輪廻転生、または永遠の命の象徴であるという。(ここらの説明は、ケルト美術の専門家、鶴岡真弓氏からの受け売りなので、詳しくは『ケルト美術への招待』などをご参考に。)だから、アイリッシュ・トラッドの音楽を奏でることは、すなわち死者へのトリビュートになる、ということに等しいことになるのだろう。

それにしても、この血わき肉踊る感は、尋常でないぞっ、私。もしかして、以前のいずれかの世で私、アイリッシュだったのかも。19世紀ジャガイモ飢饉の際に餓死していたとか、あるいはもっとずっとずーっと前に、ドルイド僧だったとか…なんてね。