Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

99%への提言、あるいは愚痴

2012-05-15 14:30:17 | 豆大福/トロウ日記
人を、出身校に愛着を持つ者とそうでない者という2種類に分類した場合、両者は両極端であることが多いのではないだろうか。つまり、出身校に愛着を持つ人たちのそれへの愛情はとても大きい場合が多く、逆に愛着がない人は全くといってよい程それへの愛着をもたないことが多い。

私の場合は後者だ。小学校から数えると私は計6つの学校に通ったけれども、どの学校にも愛着がない。そこで出会った先生方や友人たちへの学恩、それは測り知れない程ではあるが、とくに箱モノそれ自体(校舎)や組織に対してとなると、本当に、ない。

しかしこと、やれ卒業証明書だの何だのが必要になったときには、どうしても過去に通った学校と連絡を取らなくてはならなくなる。ここで憂鬱なのは、アメリカの学校との連絡だ。とにかく仕事が遅い。日本では考えられないほど、怠惰で要領も悪い。一体いつからアメリカはこんな国になってしまったのか。自分の在学中(20年ほど前)にはすでに、そのような体制になってしまっていた。あるいはそれは、私の通った大学だけの体質なのか。いや、私にはそうとも思えなかった。

当時の私の目からみても、ウォール街やワシントンDC中枢で働くエリートは当時の日本の企業戦士同様、「24時間働けますか」的に稼働していたと思う。その良し悪しはともかく、しかし彼らはアメリカ人のうちのほんの一握りの人々だ。その「一握り」がさらに現在では数が絞り込まれ、そのような人々が今でいう“1%”人なのだろう。

ただ、当時はまだ、残り99%にはより細分化された階層が存在していた。つまり、中間層数と貧困層数で形成される台形型の社会構成図は今よりも縦長な形、つまり台形の底辺の角度が今よりも大きかったと思う。今はもっとその角度が小さいか、もしくはぺしゃんこ型な台形になっているのだろう、おそらく。(私は専門家ではありませんので、自らの体験を通した実感のみに基づく完全な憶測であることをお断りしておきます。)つまり貧困層は益々増え、中間層の上辺は広がり、かつその位置が低所得者層に近づいているのではないだろうか。

米国で学生として生活する中で、いろいろな場面でのあまりの仕事効率の悪さに愚痴をこぼす豆大福に対して大福先生は「僕が住んでいた頃のアメリカは、そんな国ではなかったんだけどねえ」と言っていた。確かにそうなのであろう。

卒業生宛ての寄付のお願いレター、催事や近況のお知らせメール等をも含めると、アメリカの大学からのそれらはほぼ毎週のようにくる。でも、こちらからのお願い、問い合せは、必ず滞る。これ、もはや私の中では法則化されている。

頼むから、こちらの要求する仕事、ちゃんとしてちょうだい!再ファックス、メール。何より電話の場合、あちら側のビジネスアワーに合わせるため夜中に、眠い目をこすりながら、相手側の不機嫌で不親切な対応にこちらも嫌になってくる。何度も問い合せするの、もう勘弁願いたい。

クレジットカード情報をファックス送信するだけでも内心ヒヤヒヤなのだ、こちらは。確認すると、番号は合っているのにファックスが届いてないという。前に送ったクレジットカード情報が載った私のファックス書面、大学のどこかに放置されているのだろうか。あるいは留学生の件は何かと面倒なので(見慣れない名前、住所、国外郵送料の確認とか)、その担当者、ファックス観て即シュレッダーにかけた?!セキュリティ面からすれば後者の方がまだましだが、どちらにしても腹の立つ話だ。ファックスは送信記録が残るから、いわば封筒なき中身だけの書留だ。だからさすがに「受け取っていません」としらばっくれることはできなかったようである。

「…では、これからもう一度ファックス送信しますから、今日中にそれ、処理してもらえますよね」「し、します」と電話で確認したものの。

そのファックスの内容には、「(ホームページからは詳細が分からないので)証明書発行にかかる費用を清算する前に、メールでトータルの金額を教えていただければ幸いです」との文言を入れておいたのに、一日終わってもまだ返事がない。あー。まだ続くのかなあ、この面倒なやりとり。

リコーダーみつけた

2012-05-06 18:58:52 | 豆大福/トロウ日記
実家の部屋から、小学生時代に音楽の授業で使っていたリコーダーが出てきた。木製で、背側(左親指のための穴が開いている方)にひらがなで自分の名前が書いてある。感動、というか何というか「おおっ」と思ったのは、そのリコーダーには小さくWest Germany と刻印されているところだ。自分の小学生時代にはあって今はない国名に、ちょっと感動だ。

かつて散歩の途中、西荻窪の骨董屋でOccupied Japan と書かれたSeiko社製の柱時計に出会った。そのときの感動に似ているかもしれない。プチ考古学者気分になれた感じかな。今では出会えない過去の物との出会いに感動、というような。