Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

TOEIC受けてみた

2010-07-31 18:05:38 | 豆大福/トロウ日記
今回、初めてTOEICを受けてみた。今まで、この種のテストを受ける必要もなかったし、受ける気も起こらなかったのである。

とはいえ、今、このスコアが必要かと言われれば、実はさしあたり必要もない。単立教会の牧師(司祭)であったり、いわばフリーの神学者であるような者にとっては、相変わらずそれは必要がないものだ。要は、資料を読んだり仕事を遂行する上で支障がなければ、スコア自体は無意味なのである。それにこの世界で必要なのは到底英語だけではない。

たとえばユニオン神学校で学位を得た大福先生の場合を引き合いに出せば、学位習得のための必修言語はドイツ語、フランス語、古代ギリシア語、ヘブライ語、ラテン語である。あとは、研究対象によって、任意に習得が必要な場合が生じる。ちなみに大福先生の場合、旧制中学時代に漢文を白文で学習していたのが功を奏し、中国語で書かれた経典の翻訳も遺されていたりする。あとは、一時スウェーデン語習得も目指されたようだけれども、これは挫折したみたい。研究者も人間なので限界はある。もっとも私の場合、その限界はかなり浅いところにあるわけだが。

今回TOEIICを受けてみたのは、本当になんとなく、である。世間では、ユニクロだとか楽天だとかトヨタだとか、何やら英語公用語化を決めているようだし、何だか私も、「数字」が欲しくなったのである。これらの企業が何を決めようと、自分には無関係であるのに。自分なりにこの受験を分析するならば、まるで死んで生きているようなフワフワしている自分に対して、何かしらの数字、この社会におけるひとつの基準とされてようなものを、突きつけてやりたい衝動にかられたのかもしれない。

申し込んではみたものの、引越しや何やらで、その後の生活が急に忙しくなってしまった。ほとんど何の対策をすることなしに試験を受けるというのは、それがいかなる試験であっても無謀だということは重々承知している。しかも、そのような条件で試験を受けた結果、酷いスコアに直面しなくてはならなくなることに、申し込んだ後になって気がついた。

初回受験、対策は時間的に不可能、といった条件から、弟の意見などを参考に、目標スコアはやや甘めに設定しておくことにした。とはいっても、試験なのでどうなるか分からない。結果が800点以下だったら自殺したくなるかも、なんてブラックな冗談を言っていたので、内心、弟はヒヤヒヤしていたかもしれない。

そして今週、結果が送られてきた。スコアは自殺しなくて済むものだったし、目標点もクリアできていた。でもそれはかなり甘めに設定していたからで、満足、からは程遠いスコアであったことは事実。中でもリーディングの点数が悪いのがとてもショックだ。なぜ、リーディングの出来がこんなに悪いのか、納得がいかない。そうだ、ここは年のせいにしよう。先行する45分間のリスニングで、集中力を使い果たしてしまったからだと考えることにしよう。それにしても、素材が味も素っ気もないビジネス文書、しかもチラシやメール文書の繰り返しであるにせよ、リーディングで9割以下の得点って……研究者としていかがなものか。ショック。

それでも、今のところ再受験をする気は、全く起こらないなあ。今回スコアを得ることで、一応の「基準」を自分につきつけてみても、やはり私の心情には何の変化も起こらなかった。しかしそれは、予想通りだ。

現実的にスコアが必要になる場面が今後でてきたら、今回のリーディングへのリベンジも考えなくては、とも思えるのかもしれない。

スターウォーズ、再び

2010-07-20 02:54:25 | 遥かなる銀幕の世界
今、NHK(BS hi)で、「スターウォーズ」エピソード1から6を公開順ではなく、物語の時系列順に、つまりエピソード順にしたがって毎日放映中である。とはいえ時間の都合上、それら全てを観られるわけがなく、NHKの宣伝文句にいう「フォースにまみれる7月」をコンプリートできないのが残念。

周知のとおり、オビ=ワン・ケノービ役はエピソード4以降はアレック・ギネスが、1から3ではユアン・マクレガーが演じている。とくにマクレガーにとっては、オビ=ワンをスムーズに前出のギネスに繋げるための役作りは相当大変だったに違いない。その努力の甲斐あって、それは見事に成功している。

その、オビ=ワン役移行に関して今回新たに気づいたこと、それは、声。マクレガーの普段の声がどんなものだかは知らないが、こ、これは、と時折ハッとさせられるのは……マクレガーの声までもが、ギネスに似ていることだ。いや、しゃべり方を似せているのは、それは役作りの一部としては、まあ当然かなとも思える。でも声まで真似るというのは、どういう芸当なのか。

芸なのか、それとも素からして似ているのか。とにかくすごいなあ、ユアン。さすがに顔まではあまり似ていないけど。

明日のエピソード4はたぶん観られるだろう。いよいよギネスのオビ=ワン登場だ。オビ=ワンの、ダースベーダーとの闘いで最後に言うセリフが、シリーズをとおして一番しびれる。でも、オビ=ワンて、ダースベーダーに殺されるのではなく、その瞬間、消えるんだったよね。その後、もちろん霊として復活するのだけれど(ジェダイとして生きる以上、当然である)、そこのところ、「消える」の意味が、まだ分かっていない不勉強な私。何か、どこかの神話に比類できる場面なのかもしれないけれども、これ一体、どういう意味なんだか。

ちなみに、真面目な優等生ではあるものの不器用で要領の悪いキャラクターであるオビ=ワンが私のお気に入りである一方、夫のお気に入りはヨーダ。尖がった耳、緑色、小さいがとてつもなく強いマスターであるところのヨーダ。確かに何というかこう、ヨーダには突き抜けたところがあって、エピソード1から3で登場するジェダイ評議員としてのヨーダより、エピソード5で登場する、隠遁者に成り下がった、完全にユーモアの世界に生きるヨーダの方にその「突き抜け」を見出すことができる。彼がヨーダ好きなのが、うーん、よく分かる気がするなあ。ジェダイはほぼ絶滅し、宇宙全体が暗黒面に支配されかかり、もう世の中に何の希望も持てないような時代にあって、それでも飄々としたヨーダの突き抜けた生き様に、憧れちゃうのよね。

麻酔なしの手術

2010-07-16 02:56:58 | Dr.大福よもやま話
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが、北朝鮮では注射針の消毒や麻酔なしでの手術が頻繁に行われていると指摘した、というニュースに際して、ある人々は「北朝鮮に生まれなくてよかった、日本に生まれてよかった」などと思っているかもしれない。確かにそうかもしれない。戦前の日本社会を実感できなかったり、いや、想像することさえ困難になってしまった世代の日本人にとっては、そんな風に思えるのかもしれない。しかし現在の北朝鮮の実態が、かつて日本人にとってはそれほど遠いものではなかったということを、このニュースにより思い起こした。とはいっても、私とて北朝鮮の実態についてほとんど知らないのではあるが、それでもこの、「麻酔なし手術」の話に限定するならば、そんなことを戦争中、平気でされた日本人を私は知っている。それは、まさしく大福先生である。

大福先生に実際に会ったことがあれば一目瞭然の話なのだが、先生は背が高かった。最近でこそ特別に大きいというわけではないが、同世代の人たちと比べた場合、176cmという背丈はかなり高い。一昔前は、「三高」といって背の高さがもてはやされた時期があったが(ちなみにその他の「高」は学歴と収入だったかな)、軍隊生活の中で、周囲の人々と比して体格が規格外に大きいというのは何の得にもならないものだったという。

まずは徴兵されたときに下された判定が、その体格の良さゆえに「甲種合格」である。甲、とは甲乙丙丁の甲、つまり今風にいえば、A判定という感じだろうか。名誉なこと?とんでもない。その結果、人一倍ハンデを負わされるのである。人より重い荷物を背負わされる。他の人が銃を持たされるところ、バズーカもどきの大型武器を扱わされる。労働も人一倍辛い仕事を割り当てられる、といった具合にだ。

しかし中でも、規格外の体格ゆえに先生が一番悩まされたのは、支給される服や靴が合わないことであった。当時の日本軍においては、サイズが合わないことへの配慮など全くなかったのである。サイズが合わないのなら、テメエの方でなんとか合わせろ、という。規格サイズに外れる大きい体の場合、規格の方に体を合わせろというのは土台無理な話で、特に靴の場合はどうしようもない。先生は、背の高さに比例して当然、足のサイズもでかい。だから慢性的な靴ズレに悩まされていた。

当時の軍隊においては、衛生状態が極めて悪かったことはいうまでもない。その、慢性的な靴ズレの場所からはばい菌が入り込み、右脚全体が腫れ上がっていった。8月15日の敗戦の頃には右脚を引きずりながらやっと歩いていたような状態だったにもかかわらず、その直後には、内乱の発生を恐れていた占領軍の命により、先生は横浜で憲兵をさせられることになった。人権保障の手厚い現行憲法下でしか生きたことのない私のような者の感覚からすると、「戦争が終わったのに、なんで即時に軍隊から解放されないの?」と言いたくなるが、当時の混乱した社会にあっては、そこら辺についてはかなりいい加減だったのだろう。

先生の右脚はもう、限界だった。その段階になって、やっと陸軍病院に入ることができた。すぐに手術をすることになった。

「実際、傷の状態は開けてみないと今は何とも言えないけれど、もしかしたら君の右脚は切断しなければならないかもしれないことを覚悟してくれたまえ」

と告げられた。それだけでもショックなのに、その上麻酔はなし。気付けのための、酒さえない。

執刀する軍医は慶應医学部出身で、「おっ、君も慶應か」と言われ、同窓ということを特に気にかけて診てくれたのが唯一、頼りだったという。男4人がかりで先生の四肢を押さえ込み、いざ、メスが右脚の付け根を切り裂いた。

男4人は、大福先生がどれだけ暴れてもいいように、ことさら力をこめて手足を押さえ込んだ。ところが、大福先生は暴れたり、叫び声を挙げたりということが全くなかった。先生は、手術の間中、ただただおとなしく、黙って横たわっていた。

「君は強いねえ」。「脚は、どうにか切断せずに済んだよ」

と、手術後になって執刀医から声をかけられるまでの記憶が、大福先生にはないという。今でこそ、それはエンドルフィンやらといった脳内麻薬物質が、極度の緊張によって分泌されたせいだろうとの推測は可能なものの、その当時はそのような説明さえなかったのだから、いうなればその時の先生は「まな板上の鯉」である。

こうしてその時、先生の右脚は助かった。

先生が歩く時、それはほんの僅かだが、右脚の運びが湾曲した軌跡を描くのに私はある時気がついた。(もちろんそれは、2002年7月に大腿骨頸部骨折という大怪我を負うはるか前の話である。)最初のうちは、それが先生の歩き方の癖なのかしら、くらいに思っていた。しかしどうも気になって、そのことをそれとなく先生に聞いてみた。

「僕の歩き方について、そんなことを指摘したのはあんたが初めてだよ」と言われた。指摘されたことが初めてだったのみならず、本人自身も、自分がそのようしてに歩いているとはそれまで気付かないでいたらしい。でも、言われてみればそのとおり、確かに僕の右脚は真っ直ぐには運ばないね、と仰る。そしてその、戦後直後、陸軍病院での右脚切断の危機についての詳細を、先生は縷々と語ってくれたのであった。