Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

I have been dead for 10 years…(1)

2020-04-22 16:20:13 | 豆大福/トロウ日記
10年前の4月26日の朝、連れが亡くなった。その時に、私も死んだ、とそう思った。なのに、死んでいるはずなのに、私は生きている。この先、私は何十年、こうして地獄を生きなければならないのかと、自分の肉体の若さを呪った。(言うほど若くはないが。)

それから5、6年の間に起こったことは、スケジュール帳に書き入れるような出来事についてはなんとか思い出せるのだが、自分がどのように、どういう気分で何を考えて過ごしていたのか、ほとんど記憶がない。つらい、とか、悲しい、という感情も覚えていない。ただ、記憶がない。そして心から嬉しいとか、楽しいとか、おいしい、と感じたことに至っては、一度もない。

とてもお世話になった恩人からは、「やまない雨はない」という励ましの言葉をいただいていた。その時、とても嬉しくありがたい、と思ったけれども、一方で、「確かに、雨だったらいつかはやむよね」と自嘲した。自分の心に降る雨がいつか上がるとは、せっかくだけど思えなかった。それでも、1メートル先も見渡せない視界不良の土砂降りから、今は、曇天からしとしとと降り続ける小雨、くらいには変化しただろうか。

死んだ、というのは、心が、だけではなかった。連れが亡くなったことで、私は数ヶ月後には引っ越さなければならなかった。そのことは、生のぬくもりの残滓でもよいからその場にすがっていたいという願いが、冷酷にも断ち切られたということだけを意味するのではなかった。当時、自宅の2階を伝道の場として使っていたわけで、そこを離れなければならないというのは、すなわち自分の天職を失うことも意味した。

無力な自分に打ちのめされながらも、何も考えられない。体も動かない。「とにかくユーカリスティアを続けること」だけしか考えられなかった。どんな形でもいい。ただ、続けること。考えなくてもいい、思いを持ち続けること。「思い」を糸、「身体」が人形。完全にマリオネットになるしかなかった。それでいい。私には主がいる、あとはその方に任せればよいのだから。

ぼーっとしていたし、それでいて感情は麻痺していても神経は過敏だったろうし、必死だったろうから、関わりのある人々に、自分の気づかないところで迷惑をかけてきたのだと思う。すみません。

死から一年後、ごくごく内輪、きょうだい弟子の方々との集まりを開いたことと、日本基督教団の逝去者記念礼拝に出席した以外、結局、今に至るまでお別れ会のような会を開くこともなかった。それは、私の心がそのような会に耐えられそうもなかったから、という理由が大きい。葬儀は生きている人のためにやるといわれるが、本当にそうだと思う。お別れ会に参加してくださるというお気持ちは大変ありがたいけれども、その方々の平安と引き換えに、自分の心がその場に耐えられるかというと、自信がなかったのだ。(そして、今もない。)すみません。

私は師、メンターも同時に失ったのだった。一体、自分は何をすれば、どうすればよいのだろう。このような問いさえ、5年くらいもつことができなかった。ぼーっとしていたから。やがて、自分が自立を余儀なくされているということに、最近、というかここ3、4年になってようやく気がつけるようになった。

2016年、夏。今思うと、この時のイギリスへの初旅が、ちょっとした転機だったのかもしれない。

これまでの座学––ウェスレー研究だとか今のメソジスト教会って?とか、民衆宗教とキリスト教だとか、ケルト文化だとか、神話だとか文学だとか、、、ぜんぶ、座学で済むわけないじゃん!ちゃんとこの目で確かめて来ないと!というのが、この旅に出ようと思った動機だった。旅費は?時間は?ないよ。それでも作るのさ。最終的に、「今だよ」「行きなさい」という見えない声に、押された。

20年以上の研究、あーだこーだと考えを巡らせた末に、よし、実証、と思って出かけたものだから、ものすごく忙しかった。ブリストルを始点に、イングランドの南西地方、つまり田舎では車を使ったのだが、1週間あまりの移動距離はその地方だけで800キロを越えた。加えて、毎日の歩数は2万歩を超えていた。田舎での最終日、コーンウォール州の州都トルーロで車を乗り捨てて、列車で首都に戻った後は、ウェスレーの生誕地、北東方面のエプワースへの日帰り往復、そして残り1週間、ロンドンを歩き倒す。帰国の頃には、あと一歩、歩くのもつらいという状態で東京行きの飛行機に滑り込んだ。

「とにかく続ける」ことは、すなわち自立、だったのか。自立が求められている、という考えが、旅の間、次第に沸き起こってきた。でも、自立って、なんだろか。どういう状態だろうか。

「あんた(江戸弁だとこうなる)の好きにしたらいい」と、口癖のように愛情をこめて静かに言われるのを、何度も聞いていたのが反芻された。

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