Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

プロフィール画像への注意

2011-01-28 19:12:52 | 豆大福/トロウ日記
今更ながらツイッターを始めた。ただしつぶやきたいから始めたのではなく、島田さんのつぶやきを拝聴したいという動機からである。あとは、気になる機関からのインフォメーションも手軽に得られるし。そうはいっても、常にヘッドに「いまどうしてる?」とあると、ついこちらも呟きたくなってしまう。というわけで、ずるずると自分も呟く羽目に陥っている。気が向いたとき限定ではあるが。

最初はプロフィール画像など載せる気はなかった。でもいざ始めてみると、やはりそれだと殺風景だ。ではということで。

画像の横顔は、大昔、デートのときに切り絵芸人さんに5分くらいでしゃこしゃこと作っていただいたものである。アップしていない連れ合いの方は、よくまあこんな短時間に特徴をうまく捉えられるのねと感心の出来である一方、私のは、対象が女性であることを考慮されてか、美しさ10割増しな出来である(これも芸のうち?)。

それにしても、髪型が変わっていない私。そこは今の実際とほぼ変わらないけれど、今後私と初めて会う方はとくに、実像に関しては、アップされたプロフィール画像から少なくとも2倍は希釈してくだるよう、ご覚悟のほど願いたく。

心に負った傷は相殺できるものではない

2011-01-19 16:13:22 | 豆大福/トロウ日記
昼ごはんを食べながらテレビのワイドショーを観ていたら、1969年の今日はどんな日特集で東大安田講堂占拠事件をやっていた。いやーな予感がしながらも、テレビを消すでもなくだらだらと観る。

当時の機動隊員、機動隊の指導的立場にあった規制する側の人間、それと当時暴れていたけれども今では偉くなっているような占拠した側の人間の双方が、当時を振り返ってインタビューに答えていた。

特に、当時暴れていた側の人たち。インタビューに応じていたのは2人で、そのどちらもが、当時を反省し、あれは間違いだったという。このお二方に限らず、当時学生運動に没頭していた方々の多くは、いや、ほとんどは、このお二方と同じ心境ではないだろうか。

ひと様の過ちに対してくどくどと糾弾する資格は、とりわけ私にはない。過ちを犯した者が、自らの過去の過ちを反省するのは殊勝である。しかしその反省の中には、どれほどの他者に対する思いやりが含まれているのだろうか。自らの過ちが、善意の他者の人生を翻弄し、そこにどれほど苦悩を与えたかについての思慮は、果たしてその反省の中にどれだけ含まれているのであろうか。

大学構内に機動隊を導入し、学内から逮捕者を出すのを大学が進んでするようなことは文学部長として承認できないと、校門の前で武装した学生と機動隊との間に立ち学生を守ろうとしたある人物は、結局理事会に責任を追及され、大学を事実上解雇されるに至った。(解雇の原因は、迫っていた学長選挙で野呂芳男を推す声が高まっていたことに対する理事会側の危機感、という要素もあったが。)

学生の闘争は過激になる中、それらを煽るがごとくの一部の同僚教師たち。一方、自由であるべき最高学府の組織が、国家権力の、しかも機動隊という暴力装置の力を借りてそれらを抑圧しようとするときに、当時文学部長であった大福先生はそれを許容することはできなかった。それはたった一人の、孤独な闘いであった。

当時の学生たちが大人になり、社会的な地位も確立させロマンスグレーに差し掛かった頃、徐々に「あの頃」について振り返ることになる。中にはあの頃の自らの幼さを恥じ、大福先生に多大な迷惑をかけたことについて真摯に謝罪してくださる方もおられた。しかし一方で、「先生が青学を辞められたときには本当に心配しましたが、結局立教に就職できてよかったじゃないですか。雨降って地固まる、といいますか」と言われたときには、さすがに大福先生もへこんでしまっていた。

いや、こんな風におっしゃった方には他意はなかったのだろう。むしろ、先生が無職のままで埋没してしまうことにならずに済んで、本当によかったと言いたかったのだと思う。しかし大福先生の負った苦悩は、青学をクビになっても立教が拾ってくれたことで相殺により解消、といえる程度のものではなかった。そこらあたりの思慮のなさに、大福先生の心の傷はさらに深められることになったのである。

あの頃の話題を振り返るとき、私自身は当時ほんの幼児であったにもかかわらず、まるでその時代をリアルに生きていたかのように情景を思い浮かべることができる。今日、テレビでインタビューに応じていたお二方の「過去の過ち」に対する思いを聞きながら、昔、中学3年の頃、「あの時は子どもだったからさ、本当にごめんね、許してね」と、小学生の時に虐められた男の子に調子よく言われたのを思い出した。一度深く刻まれた心の傷を回復させるのは、不可能に近いほど難しいのである。

鑑(カガミ)な人

2011-01-18 19:57:03 | 豆大福/トロウ日記
連れ合いが亡くなって、生きる意欲を失って久しい。それでも私が生きているのは、生かされているからである。この数カ月で、生きることは必ずしも生きる意志によるものではないことを思い知った。世界には、生きる意志、生き甲斐というようなものがあっていいしそれらを否定もしないけれども、およそ生きる意志など今の私とは関係ない。

生きる意志と自由意思とは別ものである。理性ある人間としては自由意思を否定することはできず、このような私であっても自由意思は死んでいない。いや、何人であっても自由意思は殺せない。きっとそれは、実存のみならず自由もまた本質に先立っているからなのだろう。しかし生きる意志は、本質である主体に帰属するにすぎない。生きる意志では、今の私の実存を説明できない。

人はなぜ生きるのか、というような、暗中模索をしながら苦悩のうちに生きる、という感覚とも異なっている。なぜなら、模索をする意欲はないからだ。暗中ぼぉーっと浮遊しながら、目の前のすべきことをしている中で、見えない力の働きが人々の有機的つながりを編み出してゆく。そのつながりが、私をその中へと絡めてゆき、そうして私はこの世界で生きることへと押し戻される。そうして改めて、見えない力を実感することになる。それら一連の循環が、「生かされている」の意味である。
***
「(出会う仕事は)一期一会だと思っています」「私とのめぐり合わせは宝くじに当たったようなもの、ご主人のお導きです」「これからも、ぜひご主人の遺志を受け継いで生きていただきたい、ただし体には注意を払いながらですが」。私が「その人」の働きに対して感謝を述べたときに、「その人」はそのように言った。こんな熱い言葉をかけて下さる方、しかもそれが公務員、稀有ではないか。これらの言葉だけを並べると、ただのロマンティックなお役人さんのように聞こえるが、「その人」の仕事ぶりは着実な有言実行型である点では公務員の鑑であり、つまり事理の見通しも実行の手段も、並外れて優秀なのであった。

「その人」の働きは結果として、こんな私を生へと押し戻してくれている。「その人」は公務員なのに、とても熱い心を持っている。できるものならどこそこの誰それと公表したいくらいだが、しかしそれはできないので、こういうお役人が日本の公務員の中にも存在していたんだという感動を示すにとどめることにする。

「その人」、まるでフランツ・カフカの生まれ変わりのような人だ。

1日かかった寒中のご挨拶

2011-01-10 22:44:41 | 豆大福/トロウ日記
予想していたことではあるが、年末年始に夫あての年賀状やクリスマスカードが届いていた。今日はそれらの返事書きで終わった。

国内向け、つまり夫の死去を知らずに年賀状を送ってくださった方々には寒中見舞いでのお返事、ということになるわけで、ある程度定型どおりに事は進む。問題は海外、というか米国の友人たちあての方である。

毎年思うことではあるが、アメリカ人のクリスマスレターに綴られる、家族一人一人の近況報告はとっても長い。ある場合には、孫の近況に至るまで細々と。若い世代はそのような習慣を捨てつつあるようだけど、夫と同世代では、その「古き良き」伝統を保持している方々がほとんどである。正直のところ、私たちにはそのような趣味はなかったので、その年1年のマイブーム的研究テーマ報告、みたいな内容が主であった。しかし趣向はたがえど、カードに添付する手紙は日本での季節の挨拶の場合のような定型文ではなく、完全に作文であることに変わりはない。

報告しなければならない内容に身を切られるような思いで泣いてしまう他、手紙を書くこと自体、それはそれでいいのだが、いざ宛名書きの段階で意外に手間を取ってしまった。適切な敬称を、なかなか思い出せないのである。Mrs., Ms.の区別はまだしも、Rev., Dr., The Rev. Dr., Prof.,…… 迷った時には夫に聞いて確かめればよかった昨年までとは違い、今年は自分のつたない記憶が頼り、ある場合には過去にいただいた手紙の内容を確かめなければならない。いっそのこと、Ms.とMr.で統一してしまおうかとも思うのだけれど、それはこちら側の事情によるに過ぎないことで、今年は差出人が若輩者である私であるだけに却って、それはできないような気がする。ましてや敬称略など。同年代の友人にならいざ知らず、私にとっては先生であるような人も含まれる夫の友人となると、絶対無理。会えばファーストネームで呼んでいたような人でも、手紙では、無理。

それでもどうしても適当な敬称を思い出せない人、1名。結局その方には、相当する蓋然性の高く、仮にはずれていても必ずしも失礼に当たらない敬称を、えいやっ、と書き入れる。ふぅ。

日本であれば、手紙の敬称は「様」「先生」で足りるのに、なんて面倒な……と辟易しかかったものの、ふと、感慨深くなる。こんな風に悩ましい思いをするのも、これが最後になるだろう。毎年の恒例行事であった敬称に関する迷いや、夫の友人に宛名を書くことそのものも、これで最後になるのだろうから。

心が休まる本

2011-01-07 15:02:30 | 豆大福/トロウ日記
昼間、道すがらにお茶の水CLCブックストアに立ち寄った。出会ってしまった。買う必要があるかと言われれば、ない、というしかない本と。今は実際に手元になくとも(倉庫入りのため)、その気になれば容易に手の届く範囲にある本だから。いやむしろ、わざわざ倉庫に保存した本であるのに、ここでお前はなぜ同じものを買うか!と言いたくなる。でも吸い寄せられるように買ってしまうのであった。それは、ジョン・ウェスレーの『明解 キリスト者の完全』(A Plain Account of Christian Perfection, Hendrickson Christian Classics)である。

早速、袋から出して装丁をまじまじと眺める。ヘンドリクソンはアメリカの出版社で、布製のハードカバーなのに値段が10ドルを切っている。どうしたらこのような芸当ができるのか。全体的には白とブルーの装丁で、題字が金字で上品だ。この著作は元来量的にコンパクトであるし、英語版なのでなおさらコンパクトである。

机の隅に置いて、勉強の合間の気分転換にしばし、読む。はぁ~緊張がほぐれる。そしてまた、退屈な勉強に戻る。(蛇足ながら、K・バルトのKDを読んでいたわけではありませぬ。)しばらくしてウェスレーを読む。はぁ~……、の繰り返し。この方法はいい、と改めて発見した。退屈な勉強のときには、とびっきりお気に入りの本を机の傍らに置いておき、こまめに「はぁ~」の時間を取る。ほんのちょっと、5行から10行ぐらいずつ読むのがまさにいいのだ。ところで携帯についている辞書、便利だなあ。

ジョン・ウェスレーの背丈が低かったことは周知であり、野呂芳男『ウェスレー』(人と思想シリーズ、清水書院)にもそのことの言及がある。でも具体的な数字は挙がっていなかったと記憶する。確か大福先生は、記念館に保存してあるウェスレーの着用していたローブの大きさから判断していたような。

今日買った本のまえがきに、ウェスレーは「イギリス人としては、当時であっても背が低かった」とある。ふむふむ、それでいかほど。「5フィート3インチ。」あれ、具体的な数字に出会ったのは初めてかも。私とは1インチ差なのね。なんと体重まで明言してある。うーん、本当かなあ。身長は、生涯それほど変わらないものだと思うけど、体重はどうなんだろう。もっともウェスレーは、今でいうプチ断食を推奨しているぐらいなので(もちろん自身、実行していた)、生涯スリムであったことは間違いないと思うけど。

もちろん背丈が低くとも、その声は雷鳴が轟くがごとく通り、カリスマ的指導者にお約束の強靭な体力の持ち主であったことの指摘もあり、それもまたお決まりの記述ではある。家に帰って調べてみると、5.3は約161.5cmだった。

さらにまえがきを読んでいてほんわかした気持ちになったのは、改めてウェスレーの教養の深さを思い起こさせられたからである。ウェスレーの、あの精力的な著作・出版・伝道その他の活動の数々とその内容の広範さは、まさにウェスレーの教養の深さと連結する。

教養主義。今の日本のアカデミズムが志向する(良く言って)実学尊重、あるいはピンポイントではあるけれどそれに固執するあまり実際には役立ちそうにもない底の浅い専門志向とは、まさに逆ベクトルに向かう、教養主義。これは日本のアカデミズムではもはや死語なのだろうが、18世紀イギリスのそれは、半端でない。産業革命期、人々の生活はかつてとは比べものにならないほど目まぐるしく変化した時代であった一方で、アカデミズムは教養主義を貫いていた。

いや、実学、大いに結構。でもこれは、大学などの高等教育機関で最重要視されるべきでない。実学志向ならば、本気で専門学校を増やせばいい。その場合、大卒と専門学校卒との学歴格差、専門学校間での学歴格差は生じるだろうから、世の学歴格差自体はぐんと広がるだろう。それでいいではないか。ほんの一握りのエリートと、それ以外の大多数が構成する社会で。ただしその社会とは、皆が何かのスペシャリストであるのだから実に多様性を帯びることになり、それだけに、ともに異質であることへの寛容を余儀なくされることになるだろう。

さて、話を教養主義に戻そう。ところで、教養とは一体何か。何をもってして、教養というのだろうか。それは私にも分からない。それらしいことは語れても、これが教養というものです、と明言できるような教養を表現することは難しい。教養と、様々な学びの習熟度ましてや学位などは一応区別されるものだし、しかしそうなると一体、「あの人には教養がある」という場合に、何を基準にそう思うのか、考えれば考えるほど分からなくなる。

ウェスレーは、子供時代には母親のスザンナによって、そして青春時代にはパブリックスールで、徹底的に規律正しい詰め込み教育を受けている。母親スザンナの教育が、子供たちの多くをスポイルする結果になったことも事実である。しかし詰め込み教育が考える力を育てない、というセオリーが誤りであることは、実際に詰め込み教育を受けて、それに対応することのできる器をもった子供が大人になったとき、しばしばとてつもない個性と創造力を発揮するという多くの現実が証明している。ウェスレー兄弟も、それに当てはまる。

そうしてウェスレーは、偉大な教養人として生涯、活動した。教養は社会の無駄である、というセオリーを採用するにあたっては、少なくとも、ジョン・ウェスレーの生涯にわたる仕事が、社会にとっていかに無駄であったかを証明してからにしてほしいものだ。

忠臣蔵、初コンプリート

2011-01-03 12:10:40 | 遥かなる銀幕の世界
年末の話題になるが、テレビ朝日「忠臣蔵―その男、大石内蔵助」を観た。主演が田村正和さんだから、観ようと思ったのだ。田村正和版大石ならば、今まで一度も忠臣蔵をコンプリートしたことがない、観る気にもならなかった私であっても、ひょっとしたら最後まで観られるかもと思ったのである。

まず、田村正和による現代劇でなく時代劇であること、これが期待できる理由1。眠狂四朗以来、タムラマサカズの時代劇は必見、と勝手に決めている。第2に、実際の当時の大石の年齢である40代半ばより、大石を演じる今の田村氏の方が年上であること。江戸時代の40代半ばは、実体的にはおそらく今と20年くらいの開きがあるのではないかと想像する。だから、大石役にはきっと、今の時代の60代くらいの体力、気勢がちょうどいいのではないだろうか。

忠臣蔵が、これまでどうも「なんだかなあ」という感じだったのは、主君の仇打ちという封建的な価値観がどうもなあということもかなりある。しかしそれよりも、浅野内匠頭の、よくいって短気、本音を言えばヘナチョコぶりが……政治家なんだから、もうちょっと大人の駆け引き、忍耐ってものを知らないと、という点に、もっとも気が萎えるのであった。四七士の忠臣ぶりがどれほど立派であろうと、仇打ちの動機であるその発端となった事件の内容を考えると、もう観る気が失せてしまうのである。かつて両国界隈に住んでいたときによく近くを通った吉良邸跡にも、残念ながら、別段何の感慨も湧かないのであった。

そのあらすじは、誰が大石を演じようと変わることはないのは確かだが、でもそこは田村正和さんだもの、私の固定観念が崩されるような忠臣蔵が観られるのではないかと期待が高まっていた。古今東西、世に2世俳優は多かれど、子世代の俳優(女優も含む)が親世代を凌駕することは相当困難である、という私の独断セオリーの例外であるところの、田村正和さん。

正直のところ、田村兄弟の第一世代、阪東妻三郎をよく知らない(作品を観ていない)。でも連れ合いの評価では、バンツマよりも息子の正和氏の方がいいという。「で、あの独特のしゃべり方、ひょっとしてお父さんもそう?息子たち皆に何とはなしに共通の、あのしゃべり方。」と聞くと、「そうね、バンツマもあんな感じだったなぁ」とのこと。全体的に受ける印象も似ているけれど、それでも何か、正和氏の方が突き抜けたものがあるという連れの評価を、私も受け売りすることにする。(ちなみに連れは高廣さんも亮さんも好きですが、今は正和さんの話題なので。)

今回、田村版忠臣蔵をコンプリートできたのは、浅野内匠頭のナイーブさとは対照的な大人の魅力を、田村氏が、そして脇を固めた俳優たち、中でも特に北大路欣也さんが示してくれたからだと思う。若いところでは、浅野内匠頭正室役、檀れいさんの凛とした美しさが際立ってよかった。役柄としても「武士の一分」のときよりずっといいし、今回の役の方が彼女に似合っている。

今回の忠臣蔵は、メラメラと燃え盛る復讐心による脂ぎった展開ではなく、仇打ちをせざるを得ない状況に置かれてしまった、そのような宿命に対して真摯に向き合う大人の悲哀の方に重点が置かれていたように思う。それがおそらく、私がこの作品を楽しめた最大の理由であろう。