円高だ!それ、amazon の「今は買わない」リスト(洋書)のチェックだ!
…うほほ~い(ふ、古い)、中には1,500円位安くなっているのもあるぞぅ。早速、優先順位の高い順にカートに戻していくと…それなりの値段だ。結局、出ていくものは出ていくことになるのか。ない袖は振れないぜ、あきらめるしかないな、というよりはましだから、まあ、仕方がないか。
我ながら、涙ぐましい努力である。円高という時期が来るまで、研究に必要な書籍の購入も控えなければならないとは。
民主党議員中心による「事業仕分け」で、科学技術関連予算の削減をめぐり、ノーベル賞受賞者たちがこぞって発言に加わった。そのニュースを目にして、私としてはかなり複雑な思いに駆られた。
「世界最高レベルのコンピューターを作る科学者を育てることは否定しない。だが、1000億円超のお金を使うことがいかに間尺に合わないか(以下、省略)。」(毎日JP)とは、ある仕分け人の発言である。
1000億円って。想像もつかない額の予算である。以下は、しがない神学研究徒・豆大福/トロウによる、ぐち、つぶやき。
確かこの事業仕分けに宇宙飛行士の毛利衛さんが出席したときだったか、(毛利さんご本人だったかは記憶が定かでない)基礎研究の重要性を訴えていた。「基礎研究の重要性、おっしゃるとおり」と、思わず、膝を打つ。
大学や研究機関が、どこもかしこも懐事情が厳しいのは、今に始まったことではない。人文科学系、特にキリスト教学や哲学、文学系の学部の統廃合は、15年から20年くらい前から始まり、ここ数年でそれがいよいよ加速してきている。いいのか、これで。いいわけが、ない。この期間に、どれだけ優秀な頭脳が、人文科学分野から流出したことか。
でも経済難だからといって、目先の利益を追求すべく、基礎研究の充実はさておき、「集客」の見込めるような、学問の名を借りた、それらしい専門を掲げた大学院を創設したりするのは見当違いも甚だしい。
かねがね、理系の人々(特に医学や薬学とか)が、チームである研究をし、業績を上げるのを、ある意味、羨ましいと思ってきた。確かに人文科学は、チームより個人単位での研究の方が適する場合も多く、自然科学のようにはいかないところもあることは事実だ。しかし、一定の大きな成果が見出せるチームによる研究-つまりこれを学閥というのかもしれないけれども-も、なかなか捨てがたい魅力がある。
人文科学といっても、私がディープに関わるのは神学という、きわめてマイナーな分野である。この分野における基礎研究といえば、さしあたり大まかにいって、聖書学、教会史学、そして組織神学が中心になろうが、現在の日本でこの分野に関わっている人材は、私見によれば、世界の中でも大変に優秀だと思っている。巷では、「科学技術立国」として日本は世界一、と言っているが、神学界だって、本来、そう捨てたものではないと私は見ている。
でもね。大学はじめ、研究機関がこれだけ統廃合などでいぢめられてしまうとね、そういった優秀な人材はてんでバラバラになってしまうのだよ。それは社会にとって宝の持ち腐れってことに、世の中がいつになったら気づいてくれるのだろうか。さまざまな神学校もまた、今や気息奄々という状態。それで一層、基礎研究分野が疎かにされてゆくという、悪循環。そんなんで、いいんでしょうかね。
…うほほ~い(ふ、古い)、中には1,500円位安くなっているのもあるぞぅ。早速、優先順位の高い順にカートに戻していくと…それなりの値段だ。結局、出ていくものは出ていくことになるのか。ない袖は振れないぜ、あきらめるしかないな、というよりはましだから、まあ、仕方がないか。
我ながら、涙ぐましい努力である。円高という時期が来るまで、研究に必要な書籍の購入も控えなければならないとは。
民主党議員中心による「事業仕分け」で、科学技術関連予算の削減をめぐり、ノーベル賞受賞者たちがこぞって発言に加わった。そのニュースを目にして、私としてはかなり複雑な思いに駆られた。
「世界最高レベルのコンピューターを作る科学者を育てることは否定しない。だが、1000億円超のお金を使うことがいかに間尺に合わないか(以下、省略)。」(毎日JP)とは、ある仕分け人の発言である。
1000億円って。想像もつかない額の予算である。以下は、しがない神学研究徒・豆大福/トロウによる、ぐち、つぶやき。
確かこの事業仕分けに宇宙飛行士の毛利衛さんが出席したときだったか、(毛利さんご本人だったかは記憶が定かでない)基礎研究の重要性を訴えていた。「基礎研究の重要性、おっしゃるとおり」と、思わず、膝を打つ。
大学や研究機関が、どこもかしこも懐事情が厳しいのは、今に始まったことではない。人文科学系、特にキリスト教学や哲学、文学系の学部の統廃合は、15年から20年くらい前から始まり、ここ数年でそれがいよいよ加速してきている。いいのか、これで。いいわけが、ない。この期間に、どれだけ優秀な頭脳が、人文科学分野から流出したことか。
でも経済難だからといって、目先の利益を追求すべく、基礎研究の充実はさておき、「集客」の見込めるような、学問の名を借りた、それらしい専門を掲げた大学院を創設したりするのは見当違いも甚だしい。
かねがね、理系の人々(特に医学や薬学とか)が、チームである研究をし、業績を上げるのを、ある意味、羨ましいと思ってきた。確かに人文科学は、チームより個人単位での研究の方が適する場合も多く、自然科学のようにはいかないところもあることは事実だ。しかし、一定の大きな成果が見出せるチームによる研究-つまりこれを学閥というのかもしれないけれども-も、なかなか捨てがたい魅力がある。
人文科学といっても、私がディープに関わるのは神学という、きわめてマイナーな分野である。この分野における基礎研究といえば、さしあたり大まかにいって、聖書学、教会史学、そして組織神学が中心になろうが、現在の日本でこの分野に関わっている人材は、私見によれば、世界の中でも大変に優秀だと思っている。巷では、「科学技術立国」として日本は世界一、と言っているが、神学界だって、本来、そう捨てたものではないと私は見ている。
でもね。大学はじめ、研究機関がこれだけ統廃合などでいぢめられてしまうとね、そういった優秀な人材はてんでバラバラになってしまうのだよ。それは社会にとって宝の持ち腐れってことに、世の中がいつになったら気づいてくれるのだろうか。さまざまな神学校もまた、今や気息奄々という状態。それで一層、基礎研究分野が疎かにされてゆくという、悪循環。そんなんで、いいんでしょうかね。