maidoの”やたけた”(ブログ版)

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喜愛香港-Y001 寄り道-001

2004-01-01 19:01:14 | 虚々実々-喜愛香港

元々寄り道ばっかりで、と言うか、適当にウロウロしてるんですが、市場や露天の値札に妙な字を書いていることが有ります。
昔は日本でもこれに似た記号を使っていたとか、いないとか。
ついでに手での数の表し方も。
10はどないするねん?とお思いでしょうが握りコブシと言う説と、指を全部ひろげた5の形でひらひらと裏表を見せると言うのがあって、通じたり、通じんかったり。
どっちが正しいのか、両方通用するのか未だに確信が持てませんねん。
そんなん言うたら、確信の持てんことだらけやねんけどね。

HK$ を元、圓、塊(魁)などと書いてるケースも良く有ります。

寄り道の寄り道になりますが、数の呼び方が広東語とタイ語が似てるんです。
ヌン、ソム、サム、シー、ハー、ホック、チェット、ぺー、カゥ、シップ。
タイ族は中国から移動していったということですし、雲南省には結構な数のタイ族が現在でも居てます。
貴州省にも居てるそうな。
雲南省には西双版納泰族民族自治区があって、行ってみたいなぁと思ってるんですが、近所へ行く用事も無く、延び延びになったままですねん。
最近、海外へ出てないので中々エンジンが掛かりません。
海外へ出るのは癖のもんですねぇ、一旦途切れると・・。
西双版納(シーサンパンナ)てタイ語では「13の町(村、地方?)の国」と言う意味にも取れます。
エエ名前ですなぁ!

余談ついでに、随分前にTVでブータンの小学校が写ってまして、子供達が声をそろえて「イチ、ニィ、サン、シィ・・」と黒板に書かれた数字を読んでいるのに魂消ました。
してみると、日本と同じ中国六朝の呉音がブータンでも使われてるんですね。
中国文明の底知れん凄さを再認識しますなぁ。
六朝と言えば、呉、東晋、宋、斉、梁、陳ですわねぇ。
当時の日本では、どうやら全部これらを全部ひっくるめて、江南一帯を呉と認識していたように思います。
呉音と言っても呉の国の発音とは限らないんだそうで、東晋の音の方が多いというんですね。
例えば「くれない」は元は「呉藍(くれあい)」江南の染物又は染料という意味で、「呉」という地域に名前と染料の総称として使われていた藍が引っ付いて出来た言葉だと言いますね。
是に対する漢音は遣隋、遣唐使が赴いた隋、遣時代の長安の音だと言うから話がややこしい。

さらに言うならば、ご存知唐音は宋(960年)以降の中国南方の音で、618年~907年の李淵が始めた唐王朝の発音ではないんですね。
言葉が伝わった時に発音も付いて来るから、一つの漢字に発音が幾つも存在してしまったんですなぁ。外国人が日本語を学ぶ時に例えば「生」という字に【イ、イキ、ウ、オ、キ、セイ、ショウ、ナシ、ナマ、ナリ、ブ、・・】と読みがあるのを知って愕然とするらしいですね。
原則一字一音の中国語でも広東語などは数は少ないとはいえ、複数の読みがある字が有ります。
広東語は古代タイ語の一種だという説もあるようです。
タイ、ヤオ、リー、ミャオなどの語族は元々は現在の浙江、福建、廣東、江西に居たのが、漢民族の膨張に押し出されてインドシナ半島へ移動したと言われているので、古代タイ語というよりも、古代揚子江以南語とでも呼ぶ方が良いかも知れません。

古代揚子江以南語は、日本語の形成の過程で南方諸語の一つとして流入したと思いますね。
琉球、南九州、四国南部、紀伊半島南部等の古日本語に、南方諸語が被さった言葉がヤマトが東へと勢力圏を拡げて行った頃の言葉ではなかろうかと思います。
その後、どんな経緯からか大陸系がヤマトの主流となり、習俗風習には東南アジアの照葉樹林帯文化を色濃く残しながら、言葉には大陸系の語彙が流入してきたのではないでしょうか。
この辺りは、余りにも専門的過ぎて、私なんかの手におえそうに有りません。
南中国、東南アジアで感じる親近感や妙な懐かしさから感覚的にそう思っているだけなんです。

2004/01/01

喜愛香港-028 新界巡り-7 元郎~粉嶺

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