maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

喜愛香港-028 新界巡り-7 元郎~粉嶺

2004-01-11 07:59:24 | 虚々実々-喜愛香港

【地図】
青山公路を走る70番系統で行けば早いのですが、別に急ぐでなし、いっそ思いっきり田舎を走る路線に乗ろうと地図の小さな字を眺めてたら、目がシバシバして来た。
どうやら64K系統のバスが良さそう。
青山公路から凹頭(アゥタゥ)で別れて錦田(カムティン)公路、粉錦(ファンカム)公路経由で桂角山と林村郊野公園の大刀屶、北大刀屶の山間を抜けて、上水、粉嶺から大埔火車站まで。
ヨシこれで行ってやろうと、LRTが真中を走っている青山公路をぶらぶらと豊年路站の元郎廣場傍のバスターミナルへ向かいました。

人通りが多くて、店の看板が気持泥臭いし、ガサガサしているんですが、妙に馴染める街ですねぇ。
観光客目当ての客引きが居ないのが嬉しいなぁ。
元郎瀝の橋の上から見ると、川底でブルドーザーとバックホーが川底の泥をアチへやったりコッチへやったり、何してるんでしょうね?
そんなことよりも、バスの時間を確かめんと、そうそう本数が無い筈。
バスターミナルに着くと、上手い具合に30分程後に出るバスが既に居てた。
発車時間まで近所をウロウロすると、直ぐ西側に幼稚園その隣が病院と盲人安老院、もう一つ西に病院、その南側には青山公路に面して元郎政務處(市役所?)。
青山公路の向側には警察署と中学校。
もともとの元郎舊墟(ガゥホイ=旧市街)の西側に新市街が出来て、その新市街も元郎瀝の本流を挟んで西側が文教官公庁地区、東が商業娯楽地区のようですね。
そして錦田河と東から流れて来る支流に囲まれた一帯が工業団地になっているんですね。

元郎瀝(山貝河)は青山公路の300mほど北で東西からの支流と合流、そこから900mほど北で錦田河と合流しています。

合流点の北側は一面のアヒル養殖場。
家鴨を開いて団扇みたいにしたラップガゥ(月+鼡、鴨)が名物なのも頷けます。
ラップガゥは春節前になると、街市(市場)やシュゥラップポ(焼、月+鼡、舗=叉焼、中国風ソーセージ類屋)に溢れるのは勿論、九龍や香港島の下町に専門の屋台が並びます。
きれいに並べてあるとまるで団扇屋。
初めて見た時は一体何か見当も付きませんでしたねぇ。
薄茶色の渋団扇の大きなのを売っているけど、縁起物かいな?と近寄って良く見たら、柄と見えたのは無念そうな顔が付いた家鴨の首。
一寸食べる気になりませんねぇ・・。
ところが一度食うと病み付きになるんです。
適当に切って炊き上がったご飯の上に置いて蒸したり、ネギなどの野菜と炒めたり、食べ方は様々なんですが、なんともいえないコクが有って美味い!
イカン!食い物の話になるとツイ取り乱してしまった・・・。

これから向かう錦田一帯はアヘン戦争の時、傍若無人に進んできたイギリス軍を農民が鳥銃、はては鍬や天秤棒、石ころを武器に襲撃したところなんです。
廣東人の村に混じって客家(ハッカ)の村も多いからさもありなんと思いますなぁ。
客家(ハッカ)については何れ書く積りですが、誇高く積極的で向上心が強い魅力的なグループですねぇ。
やりたい放題で山賊みたいに戦利品を抱えて、規律がだらけきっていた英軍が一度はコテンパンにやられたんですね。
もっとも相手は正規軍ですから、本気になられると農民はボロカスに蹴散らかされてしまったんですけどね。
それでも英軍にとっては、清朝の正規軍より錦田の農民の方が手強かったという記録が有ります
香港島や九龍半島でも南端の部分は開発が進んで、アヘン戦争当時の情景は想像し辛いんですが、新界は開発が進んだとはいえ、まだまだその頃をしのばせる風景が残っているように思います。

清朝末期の中国が西欧諸国にワヤ苦茶にされた情報が日本の危機意識を高めて、明治維新の起爆剤の一部となったと思うんです。
言っちゃぁ何ですが、新界の畑の眺めは何の変哲も無いように見えても、アジアと西欧の鬩ぎ合いの歴史が埋まっているだけに、観光の為にでっち上げた某グァム島の恋人岬などという、ミーちゃんハーちゃん向け、書き割りのバッタ物の観光地とは重みが違いまっせ。

そろそろ時間なのでバス停へ行くと、乗客は我々二人だけ?
初めてのバス停「大棠」で2~3人乗ってきたけどそれっきり乗り降り無し。
途中のバス停でも乗る客、降りる客は無く次々にバス停を通過。
あれあれと言っている間に城壁で囲まれた錦田村の南を走り抜けて山の中へ突入してしもた。
左右の山は標高5~600Mの低い山なんですが、道は小さな峠を幾つも越えてジェットコースターみたい。
亜熱帯の濃密な緑が嬉しいなぁ。
これなら、レッサーパンダ、センザンコウ、コブラ等が棲んでいても不思議は有りませんね。
全く人家が見当たらない山の中を、小学生くらいの学校帰りらしい子供が、2~3人で歩いているんですが、一体家と学校とどれだけ離れているんでしょうねぇ?

やっと山間を抜けて蓮塘尾(リントンメイ)の辺りまで来ると、一面の桃畑。
何年か前の春節前に桃の花を買いに来たのはこの辺りだったんでしょうか?
蜜柑、キンカンと桃の花の大枝は廣東の春節には欠かせないんですね。
切花等とは到底呼べない、人間の背丈程も有る太さ5cm以上の枝を買って、車の屋根にフン縛って持って返るんです。
縁起物は余り値切ったりはしないんだそうですが、桃の花は例外らしく、只でさえ値段交渉の激しい香港人同士が、歯切れの良い広東語で丁々発止とやりあうのは見物(ミモノ)でっせ。

売るほうは年に一度の商売で今稼がんと稼ぐ時が無い、見敵必殺ボッタクリの構え、この桃は花桃で実は苦渋く美味しくない。(実は以前盗み食いをして舌が麻痺したようになったんです。)
あんまり欲を掻いて売れ残ったら丸損やしね。
「春節が来てから桃の花を買う」というのは、私でさえ書くのも憚るほどの男女関係絡みの、極めつけの悪口なんですよ。

買い手は買い手で交渉力と目利きを発揮する正念場、へんな枝を高値で買うたんでは家族親戚、近所、取引先に侮られる。
はては嫁さんに愛想をつかされて、蹴り出されんとも限らん。
いかに立派な枝を安く買うかが商売に生きる香港人の正念場。
会社なら経営状態の尺度にされるから、下手にみすぼらしい桃を飾ると信用不安の火種になる。
会心の交渉で見事な枝を安く手に入れると鼻高々で自慢なんですなぁ。

上水の手前の呉屋村(グウックショォン)で粉錦公路は青山公路と合流して大埔公路となります。
ここから5kmほど北には返還前の国境が走っています。

さて、次回は香港映画の名作「女人四十」の舞台、大埔へと向かいます。

2004/01/11

喜愛香港-029 新界巡り-8 粉嶺~大埔

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