maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

喜愛香港-052 深水捗-1

2004-04-28 16:21:52 | 虚々実々-喜愛香港

深水捗(本当は土偏に歩、シャムスイポ、サムソイポ)う~ん、どっちのカナがより近いか?
そもそも、声調(メロディ)を無視してるねんからどっちでもええか・・。

地下鉄の太子(Prince Edward)の駅のほんのチョット北側に界限街(Boundary Street)という道が東西に走っています。
大まかに言えば、九龍半島のここから南の部分と香港島が永久割譲された地域で、北側は99年の租借地。
この違いは当時では大きな意味を持ってました。
インフラの整備は永久租借地の方が格段に進んでいましたし、人口も集中していました。
その境が段々無くなって来たのは80年代の末だったように思います。
結局、一緒くたに返還したんですね。
津波のように中共から難民が押し寄せた時代、この道が重要な意味を持っていました。
何とかして界限街より南に入り込めば、めでたく難民収容所に入れて貰えて、特に問題がなければ審査の結果香港に住む事が出来たんですねぇ。
中国国境と界限街の間の地区で掴まると即強制送還。
「Tach and Safe=デンしたらOK」まるでラグビーのトライですなぁ。
難民にとっては界限街突破が第一目標やったんです。

その駅のも一つ北にあるのが深水捗。
何とかして界限街を越えようと難民が夜を待って潜んでいた所なんですなぁ。
越境難民相手の商売が合法非合法入り混じって賑わっていた繁華街。
共産中国の下っ端工作員が難民に紛れ込んで九龍や香港島の暴動を起していた根拠地でもあったそうです。
嘘か本当か、高級な工作員は新華社や中国銀行、中級のは中国百貨店に巣食っていたというのがもっぱらのお話です。
1970年代はそれはもう荒んだ感じのゴミゴミした、少々危ないけど面白い所でした。
ただこの頃は大通りから眺めるだけで、とてもや無いけれど路地に入り込む度胸は無かったですね。

やっと少し落着いた1980年代に入ってから、おっかなびっくりでウロウロし始めたんです。
この頃でも何昌街周辺は、道路を不法占拠したバラックの工場がひしめいていて、地図上の道を頼りに目的地へ行こうなどと悪い了見を持つと、行き止まりの連発。
それではと路地らしき所に入り込むと、キッチリ迷子になってしまう。
何処がどうなっているのか全く無茶苦茶。

ガンガン仕事をしている工場の中を通り抜けないと、向うの道へ行けないところが結構あったりしました。
いい匂いがする食堂があって、客も多いし、まぁまぁこの辺りにしては小奇麗。
形通りに麺と時菜を注文して食べているとテーブルの間を縫ってしょっちゅう人が通るんです。
見ると入ってきた入り口の反対側にも入り口があって、絶えず人が出入りしてます。
「厭に人の出入りが激しい食堂やなぁ?」と思っていたら、なんと自転車に大荷物を積んだのまで堂々と通り抜けるんですよ。
それもそのはず、この食堂てのが道路に屋根を渡して営業してたんですなぁ。
道端どころか道路を丸々店舗にしてしもてるんです。
そういう店がそこかしこに有りましたねぇ。
客と思ったのは通行人、通行の邪魔をしていたのはコッチやったのには驚きました。

成る程、行止まりと見えたのはそういうことやったんか!
これに気付いたお陰で、やっと地図が役に立つようになりました。
しかし、中には到底仮設とはいえんような、衣料品や金物を売っている道路上の商店もあるので、そういうところに突入するのは、判ってはいても二の足を踏みまっせ。
誰かが行く後をついて行くのが確かなんですが、ついていった相手が買い物を始めたりすると、一緒になって買い物をするわけにもいかず、知ってる積りで大きな顔して奥へ入っていったらホンマの建物で壁に行き当たってようウロたえましたわ。
しょっちゅうそういう頓馬がいてるのか、間違って乱入しても特に咎められへんので助かります。
皆さん居住している近所では凶悪な犯罪はしないらしく、香港島や尖沙咀で時たま起きる、武装強盗団が宝石店や金行を襲うような事件はここではあまり有りません。
一番多いのは不法賭博、毒品(麻薬)売買、これは今でもよく新聞に出ますねぇ。
他は細々したカッパライや置き引きスリ程度で、所謂子供やチンピラが危ないんですよ。
まぁ、襲うに足りるような高価な金目のものを置いている店も無かったんですがね。

この建物は初めて深水捗に行った頃から変わってません。この2、3年行ってないんですが、まだ残ってるやろか?
左の写真の建物のズ~っと裏手、青山道の近くには所謂「私娼窟」が密集して、なんともオドロオドロシイ魅力的な地域がありました。
道端にずらりと並んだオバちゃん、婆さん、兄ちゃんの客引きに、これでもかというぐらいスリットの入った安物ペラペラの旗袍やスケスケワンピースのお姐さん。
人出を当て込んだ、腸粉、魚胆、怪しい焼き鳥風、薬のばら売りの屋台。
タバコ、チュウインガムをばら売りしてる子供達、子ずれの乞食。
どう見ても偽物の「555」を1っ本買って、道端にしゃがんでイガラッポイ煙を吸いながら眺めていると飽きませんでしたね。
そういう雰囲気は九龍の再開発がどんどん北上してきた80年代末ごろには様子が変わって、90年代に入ると相当上品(?)になりました。
今でも「私娼窟」付近は風俗店が残っていて、往年の名残を留めていますが、規模は縮小、間に普通の商店が混じって、もうかっての賑わいは有りません。

屋台の中でも、良心的で味の良い店は屋台を卒業して店舗を構えて生き残っています。
フカヒレとかアワビてな高級な物をこの町で食べようなどと思うのは大きな間違い。
臭豆腐、豆腐花、肉丸、腓骨、麺、粥、萬頭などで思いも寄らない旨いものに巡り合えます。
とんでもない不味いものにも遭遇する危険も半々。
朝飯をシッカリ食べたかったら、ここか何れご案内する北角(パッコック)がお勧めです。
尖沙咀や中環などでは早朝(6:00頃)から営業しているメシ屋があまりありません。
油麻地でさえ大体7:00にならないと店が開きません。
その点ここは働き人(ハタラキド)の街ですから、朝早くからメシ屋が営業しています。
店の前に貼り出してある品書きの値段が、決して安くないのに客が混んでいる店なら、先ず大丈夫。
値段が不明な時は、漂ってくる匂いを頼りに「勝負!」心が躍りますねぇ。

治安は、以前ほど危ない事はありませんが、深夜のお散歩はお奨め出来かねます。
80年代の終わり頃の夕方に、地下鉄の出口から幾らも離れていない「公和豆腐」前の大通りで拳銃の発射音を聞いたことが有ります。
反射的に看板の影にカミさんを引っ張りこみましたが、道にいた連中も店先や電柱の陰に入って、一時的に歩道は無人状態になりました。
暫くして、何事も無かったように元に戻りましたが、一体何だったんでしょうか?
翌日の新聞には何も出ていませんでした。
通りを歩いている人達がいっせいに極自然にそういう対処をするというのには驚きます。
日本ではそうは行きませんねぇ・・・。

次回は、混沌とした深水捗の街に出現した巨大ショッピングビル「西九龍中心」へ行ってみようかなぁ。
あれも、もう出来て10年以上たったんですねぇ、歳を取る筈や・・・。

2004/04/28

喜愛香港-053 深水捗-2 西九龍中心

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