Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

MAURIZIO POLLINI (Sun, Oct 26, 2008)

2008-10-26 | 演奏会・リサイタル
これは絶対に聴きに行く!というオペラの公演やリサイタルのチケットは、
大体発売と同時に手配することが多いのですが、
それは実際の公演日から、半年から一年前、というケースが多いです。

ここでネックとなるのは、メト、カーネギー・ホール、リンカーン・センター
(メト以外の、エイヴリー・フィッシャー・ホールなどでの公演)など、
それぞれ、シーズンのスケジュールの発表やチケットの販売開始の日にちが違うこと。
特に今年はなぜだか、行きたい公演がバッティングするケースが多く、調整にかなり頭を痛め、
十分に注意したつもりなんですが、自分の力の範囲ではどうにもならないこともあるものです。

今日10/26は、初めて生でポリーニのピアノを聴く日。
絶対に、絶対に、これは何があっても聴くに行くのだ!と、
夏にチケットをがっちり確保し、他の公演やリサイタルはもちろん、
何の予定も入れないように細心の注意を払っていたのに、
なんと9月に、タッカー・ガラの予定が発表されて、私は思いっきり固まりました。
ポリーニのリサイタルと同じ日じゃん、、、、
いやーーーーーーっ!!!!どうしたらいいのーーーーーっ!!!??

タッカー・ガラは、毎年必須だし、でも、ポリーニも絶対に見逃したくない。
落ち着け、落ち着け。
よーく時間を見ると、ポリーニはカーネギー・ホールで3時に開演。
タッカー・ガラはそこから車で十分とかからないリンカーン・センターのエイヴリー・フィッシャー・
ホールで6時に開演。
これなら、何とか両方行けるかも。

公演のはしごは、先の公演の最初から後の公演の最後まで、同じテンションで鑑賞することが難しいので、
今年は、バッティングもさることながら、メトの公演も、出来るだけ、
同じ日のマチネとソワレは避けるようにしているのですが、
この状況に至っては、背に腹は変えられん!ということで、今日は、今シーズン初の、
そして、年間でも数少ないはずの、ダブル・ヘッダー・デーです。

ポリーニはもう若くない、どころかそれなりのお歳でいらっしゃるので(66歳)、
軽いプログラムかな、なら、ダブル・ヘッダーも比較的楽かな、とたかをくくっていたらば、
カーネギー・ホールのサイトに発表になっていたプログラムを見てびっくり。
ベートーベンのテンペストと熱情に、シューマンの幻想曲ハ長調、
そしてショパンの四つのマズルカ(作品33)とスケルツォ第二番、、

すごく濃いような気がするんですが、それともピアノのリサイタル、これがスタンダード?
しかも、カーネギー・ホールに入ってすぐに聴こえてきた老夫婦の会話。
”いやー、彼(多分、ポリーニのことを言っているんだろうと推測)は、
アンコールもたくさんやってくれるしねー。”
ま、まじですか、、、。
ダブル・ヘッダー、やぱいかもしれない。
これは、途中退席になってしまうのか、、?私が最もしたくない途中退席・・。
それともタッカー・ガラに遅刻、か。

恥ずかしながら告白してしまうと、ピアノ曲はオペラほどたくさんは聴いていないせいもあるのですが、
ベートーベンのピアノ曲は、どんなにCDを聴いても、リサイタルやらで聴いても、ぴんと来ないので、
おそらく私の感性がベートーベンを受容する器官を持たずに生まれてきてしまったのだろう、と
あきらめの境地に入っていました。
これまた家にある限られた音源からピックアップした、予習用のバックハウスの録音を聴いても同じ。
正直、予習で最も気が乗らず、かつ聴いた回数が少ないのがベートーベンのソナタでした。
それに引き換え、アラウが弾くシューマンの幻想曲は、
私が彼の演奏が好き、という贔屓目もあるかもしれませんが、
熱くて、ダイナミックで、ロマンティックで、最もプログラムの中で期待が高まったわけです。
ですから、何があっても、シューマンまでは絶対に聴いて帰るぞ!と鼻息も荒く、
カーネギー・ホールに乗り込んだのでした。

大御所にもかかわらず、何の気取りももったいぶった様子もなく、
さくっと着席したかと思うと、もう弾いてる!のポリーニ。
もういつものことになりつつありますが、なかなか演奏に集中できない人たちがたくさんいるNYの聴衆、
第一楽章が始まってからも、がさごそがさごそ。
ビニール袋を開ける音、椅子に座りなおす音、咳の音、ずーはー言っている鼻づまりの音、、。
至るところから雑音が聞こえてくるのですが、驚くべきは、他の観客たちの余裕の態度。
ものすごい熱い視線を舞台に投げかけているので、
皆さんポリーニのことが大好きでいらっしゃるに間違いないのですが、
誰1人として、”もうっ!静かにしなさいよっ!!”という言葉を発する人はおろか、
白い目でそういった輩をじろりと睨みつける人もいない。
いや、むしろ、”まあ、そうやってがさがさ出来るのも今のうちでしょ。そのうち、
そんな気も起きなくなるだろうから。”というような、余裕綽々の態度なのです。
なんだ、これは?!余裕過ぎるぞ、ポリーニファン!!

しかし、彼らは実に、実に、正しかった。
年齢にしては、極めてミスタッチが少ないのも驚きでしたが、
第一楽章では比較的さらっと弾いていたように見えたポリーニが
第二楽章で、ぐつぐつと煮え始めた鍋のように熱くなりはじめ、
中盤、鍵盤の右の端の方(幼児のような表現ですみません。つまり最高音の方です。)を
ばんばん叩きながら、”うりゃあっ!”という声を発したのを境に、
私は”ここであってここでない世界”に連れて行かれてしまいました。

というか、オペラ以外では、オケのコンサートや楽器のソロのリサイタルで、
”上手い!”とか”面白い表現だな”と思うことはあっても、
今日ほどまでに、理屈ぬきで、血管の中の血が沸騰するような感触を体験したことは一度もありませんでした。
それも、ずっと苦手だと思っていたベートーベンで。
気が付けば、目の奥が熱くなていました。これは涙か?涙だ!!!
オペラのように、話の筋やドラマがあるわけではないので、
なぜ涙が出たのか、理論的には説明できないのですが、
ポリーニの演奏に、感覚を直接に刺激された、とでも言うしかありません。

こんなことは、そうはないことだから、この”テンペスト”は、
一生の思い出にせねば、、、と思っていたら、なんと、”熱情”で、またしても涙。
ベートーベンのソナタ両方で、このような状態に陥れられるということは、
もはや、まぐれでもたまたまの名演でもなく、ポリーニの演奏の何かが
そうさせているのだ、と思わざるをえない。

”熱情”のあとに入ったインターミッションで、私は大興奮状態で連れに電話。
先約のために、私以上にこのリサイタルに来たがっていたのにも関わらず、
泣く泣くあきらめた連れ。
なのに、なぜか、タッカー・ガラには無理矢理参加させられることになった連れ。(←私がそうさせたのだが。)

”もう、すごかったよー。私、こんなピアノ聴いたことない!!
このベートーベンだけでも絶対聴きに来るべきだったよ!!”と、
本人がすでに悔しがっているところを、さらにチクチク。まったくもって嫌な女である。
そして、嫌な女ついでに、肝心の用件を。
そう、素晴らしいリサイタルだ!ということを言いたいだけではなかったのだ。
”でね、シューマンの幻想曲は絶対に絶対に聴きたいの!
だから、タッカー・ガラには遅れるかもしれないけど、許して!!”
、、、おいおいおい。無理矢理誘っておいて、自分は遅刻かい!!!!
と、私なら絶対に思うところだけど、私の連れは、私より数段人間が出来ているので、
リサイタルのことも、嫉妬したり悔しがるどころか、
”へー、よかったじゃない!そんないい演奏を聴けて。”
しかも、”うんうん、そこまでいい演奏なら、そのまま居たほうがいいよ。
彼も歳だし、ずっとそんな素晴らしい演奏ができるとは限っていないんだから。”

そうだよね!!!ありがとう!!!!
”最悪、5分か10分遅刻するかもしれないけど、出来るだけ早く行くから!”
(タッカー・ガラはオペラの全幕とは違い、曲の合間に入場させてもらえるのだ。)

この時、私の頭の中で、人生最大の過ちが犯されたことを、私自身、知る由もなかった。
そして、連れは、あれ?と一瞬思ったそうだが、私の勢いに気おされて何も言えなかったのだった。



いよいよインターミッションが明け、待望のシューマンの幻想曲。
しかし、これが私の期待があまりにも高すぎたのか、今ひとつぐっと来ない。
もちろん演奏は素晴らしいのだけど、あの前半のベートーベンで感じたような、
血管がぶち切れそうなほどの興奮がないのです。
あくまで私の意見ですが、ポリーニの演奏には、私がこの曲を好きである理由の一つとなっている
ロマンティックさ、これがやや欠如しているのかな、という気がします。
ベートーベンで、あんなに若者たじたじの熱い演奏を繰り広げた彼が、
どうして、、?という気もしますが、人生への熱さとロマンティックさというのは、
全然異質なものなのかもしれません。
達筆な演奏ながら、あのベートーベンの後では、やや肩透かしを食らったような感じではありました。

この曲の終わりで時計を見てびっくり。
なんとガラの開始まで10分をきってる!
これはだめだ、、。今退場してもガラの頭の一曲は間違いなく遅刻。
この後、ショパンが残っているけど、これを全部聴いたら、とんでもない遅刻になってしまう、、。

そして、本当にこのように途中で退席することは、最も自分自身許せないことながら、
ポリーニ様に本当に心から手を合わせ、かつ、ベートーベンでのお礼を熱く申し上げ、
このシューマンをもって、カーネギー・ホールを後にしたのでした。
というわけで、残念ながら、ショパンは一曲も聴けずじまい。
(ちなみに、アンコールは、エチュードを含むショパン四曲だったそうです。)

カーネギー・ホールの階段をまさに転がる勢いで降り、
57丁目で、行きかう車に轢き殺されそうになりながら、イエローキャブを捕獲。
ちょうど開演時間5分前。今ならまだ電話で話せる!と連れの番号を携帯で押しながら、
ふと腕時計を見て、???????

5時。あれ、、、、?
あわててバッグからタッカー・ガラのチケットを引きずり出す。
開演時間 6時。

今は? 5時。
ガラの開演時間は?  6時。
ぎゃーーーーーーーーーーーあああああ!!!!
何事がおこったのかと、思いっきり振り返るキャブの運転手。

そして、電話の向こうで連れの声。”もしもし?”
”きゃああああああああああああ”
”どうした?”
”きゃあああああああああああ。お願い、今6時だと言って!”
”いや、5時だけど。今からガラに行く準備ちゃんとするよ。あれ?どうした?またインターミッション?”
”一時間、狂ってしまったんです、、、私の頭の中で、、。”
あまりのことに、意味不明の説明であるが、皆さんにはもうおわかりいただけたことでしょう。
ベートーベンの名演にすっかり興奮するあまり、
いつの間にか、一時間、私の頭の中で、タッカー・ガラの時間が繰り上がってしまっていたのです。

そして、連れがとどめの一言。
”いやー、おかしいと思ったんだよね。さっき、インターミッションで電話してきたとき、
もう、ガラに間に合わないかもしれないなんて、えらく後半が長いプログラムなんだな、って、、。”

じゃあ、言ってくださいよー!!おかしいと思ったときは、言ってくださいよー!!

”はい、着いたよ!”とキャブのおやじの声。
意味なく、ガラ開始の一時間も前にエイヴリー・フィッシャー・ホールに到着、である。
むなしすぎる。

しかし、今からカーネギー・ホールに戻ったとて、再入場はさせてもらえないし、
させてもらえたとして、そろそろアンコールに入ろうか、という時間だし。
それこそ、それを全部聴いたら、タッカー・ガラは完全遅刻である。
私のあの恐怖の一時間ワープがなければ、アンコール全ては無理だったかもしれないが、
間違いなく、プログラム本体は全部聴けたはずだ。
ショパンが、マズルカが、スケルツォが、、!!!

ポリーニさん、本当に心から、ごめんなさい。
だけれども、私はあの二つのベートーベンのソナタを聴けて幸せでした。
しかし、もう二度とダブル・ヘッダーはすまい!と、
スターバックスでふてりつつお茶を飲みながら、固く心に誓うのでした。


BEETHOVEN Sonata No. 17 in D Minor, Op. 31, No. 2, "The Tempest"
BEETHOVEN Sonata No. 23 in F Minor "Appassionata"
SCHUMANN Fantasy in C Major, Op. 17
CHOPIN Four Mazurkas, Op. 33
CHOPIN Scherzo No. 2

Carnegie Hall Stern Auditorium
Dr Circ C Mid

*** Maurizio Pollini マウリツィオ・ポリーニ ***

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4 コメント

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笑ってしまいました! (娑羅)
2008-10-29 13:17:06
すみません。笑ってしまいました
読みながら、「このプログラムで、3時間近くになるかなぁ?」と思っていたところ、とんでもないオチが待っていましたね(笑)

ポリーニは、学生時代に聴いたのが最後なので、もう10年以上前になると思うのですが、フレーズの長さに驚いたことがあります。
歌で言うところのブレスが、なかなかやってこないんです。
これだけフレーズを大きく取れるなんてすごい!って思いました。

いくつかCDを持っていますが、ショパンのエチュードは圧巻過ぎて、全然参考にならなかった覚えがあります

彼の公開レクチャーのようなものをテレビで見た時、会場から、『ワルトシュタイン』のオクターブグリッサンドについて質問が出たのですが、ポリーニが、脚をくんだ楽な姿勢のまま、「これのこと?」
と、ピアノを撫でるようにオクターブグリッサンドを披露し、会場から「おぉ~!」という歓声がわいたのが、今でも印象に残っています。

ところで。
カーネギーとMETのダブルヘッダーをやろうとしている者が、ここにいるのですが
2時からカーネギーでオケ、6時からMETでガラ。
そう、3/15のことです。
これ、無謀ですか?
返信する
頭の中の時計さえ狂わなければ (Madokakip)
2008-10-29 20:21:54
 娑羅さん、

もうとんでもなさすぎるオチで、悔やんでも悔やみきれません。
多分、私があまりピアノ曲になじみがないというのも
一枚噛んでいるかもしれません。
シューマンも30分近くある曲なのに、実演では、”あれ?これで終わり?”という感じで、
時間の感覚がどんどん狂ってしまったのでした。
むしろ、この感覚を信じればよかったんですよね。
逆に、”これで30分か、、”と思ってしまったために、
”リサイタルは時間が短く感じるのだ。世の中ではもっと時間が経っているのだ!(浦島太郎じゃあるまいし、、)”と思い込んでしまったのがまたしても間違いのもとでした。

>フレーズの長さ

なるほど、そういわれてみればそうかもしれません。
それと関係があるかわかりませんが、
特にベートーベンの二曲では、フレーズが、
波のように、次々と押し寄せてくる感覚がありましたね。
本当に水がこんこんと湧きあがってくる感じで、血が沸騰しまくりでした。

ショパンのエチュード、私も確かCDを持っているはずですが、
この事件を経た今では、このCDのタイトルを棚に見ただけでへこみそうです、、

>カーネギーとMETのダブルヘッダー

カーネギーのリサイタルがどんなリサイタルかにもよりますが、
普通の単独楽器もしくはオケのリサイタルなら、
余裕で間に合うと思います。
どうぞ、私のように脳の中の時計だけは狂わせないよう、
お気をつけくださいね。
ただ、アンコールの終了まで待って外に出ると、
車を捕まえるのがかなり大変になります。
歩いてメトに向かう時間が確保できているのが理想ですね。
20分もあれば、急ぎ足なら大丈夫ではないかと思います。
メトのガラの方は、長丁場になる可能性があるので、
どうぞ、前の日の夜は十分睡眠をおとりになってくださいね!
当日お会いできればいいですね!楽しみにしてます!
返信する
あぁぁぁ、、、 (yol)
2008-10-29 22:42:21
もう、おバカさんね。。。。
とは言え、ダブルヘッダーでは何度も失敗、そして後悔しまくっている私。すごく同調できるわ。

一番悲しいのは、後ろ髪引かれる思いで切り上げたいい公演のあとの無理して間に合わせた公演が「やっぱり残って最後まで聴くんだった」と思わせるようなモノであった時。

今回がそこまでのものではないことを切に願ってやまないわ。。。。
返信する
ダブルヘッダーは超危険行為 (Madokakip)
2008-10-30 13:25:21
 yol嬢、

>一番悲しいのは、後ろ髪引かれる思いで切り上げたいい公演のあとの無理して間に合わせた公演が「やっぱり残って最後まで聴くんだった」と思わせるようなモノであった時。

なるほどねー、わかるわー。
まあ、今回は、誰のせいでもない、自分の馬鹿さのために
引き起こされた悲劇だったので、自分で自分の叱責を厳しく受け止めたわ。
私にはダブルヘッダーなんて技は百万年早いようなので、
今後控えたいのだけど、今年は、あと数本あるのよー、それが。
今から不安だわ、、。
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