学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

アンチテーゼ

2010-02-18 | 教育
教育改革は,
これからの時代がどうなるかを想定して
行われているように見えて,
実は,今の時代しか見えていない。

いまの子どもたちが,
大人になって活躍する次代は,
21世紀の半ばである。
その時代がどのような時代か
予測可能であるわけがない。

ひとつ,アンチテーゼを提出してみよう。

小学校で必修化すべきなのは,
英語ではなく,中国語である。

学校で育成すべきなのは,
コミュニケーション能力などではなく,
ネゴシエーション能力である。

求められているのは,
創造力ではなく,持続力である。

空想的なグローバル化にまどわされるのではなく,
教育はよりドメスティックであるべきだ。

などなど。

さて,どのようにアウフヘーベンいたしましょうか?


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7 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
アンチテーゼ (yrr)
2010-02-21 15:01:30
教育は哲学ではありません。従って、統合命題を創造する必要はありません。社会に何が必要であるかを、分析すれば良いだけです。
Unknown (madographos)
2010-02-21 17:44:20
>yrr様。コメントありがとうございます。教育は哲学です。
教育は哲学か (yrr)
2010-03-04 23:50:55
教育は哲学である(或いは教育に哲学が存在する)と主張したい「気持ち」は分かりますが、哲学ではありません。存在や時間についての思索も論考もしないからです。教育は社会的活動です。そのことを踏まえないと、議論は感情的になります。
現在と未来 (ほり)
2010-03-06 00:31:30
こんにちは。

>コミュニケーション能力などではなく,
ネゴシエーション能力である。

あまりの鋭さに笑ってしまいました。

>その時代がどのような時代か
予測可能であるわけがない。

予測できないからこそ、これから生きる子供たちには、普遍的に活用できる「基礎体力」たりうる能力の育成が必要でしょう。
基礎体力があれば、あとは、その持ち主である子供たち(未来の大人たち)がそのときそのときの必要に応じて己の能力を更に開花させ、活用していくことでしょう。

教育ほど、今生きる人間(やがて死すべき存在たる大人)が持つ「時間」の有限性と、現在のおとなが決して見ることのない、今の子供たちがやがて生きる未来という時間の無限性を認識させるものはないでしょうね。
Unknown (madographos)
2010-03-06 00:55:02
>yrrさま。おっしゃるとおり,教育は社会的活動ですが,それを支えている理念は,哲学的なものです。「存在や時間についての思索も論考」のない教育理念などが果たしてあり得るでしょうか。
Unknown (madographos)
2010-03-06 01:02:33
>ほり様。コメントありがとうございます。
「教育ほど、今生きる人間(やがて死すべき存在たる大人)が持つ「時間」の有限性と、現在のおとなが決して見ることのない、今の子供たちがやがて生きる未来という時間の無限性を認識させるものはないでしょうね。」,とても貴重な認識だと思います。人間存在の有限性と子どもが生きる未来の無限性,そのはざまにしか教育は存在することができませんね。
昔の記事へのコメント (tsuguo-kodera)
2015-08-07 19:42:19
 過去の記事を連続で楽しんでいます。流石ですね。ますますフアンになりました。
 この記事で一言だけ言いたくなりました。人の思考の根幹は私は一言で表現します。創造性です。創造性を開発するのが教育であり、親も学校も社会も会社も該当者にしなければいけないと考えています。
 創造性は空理空論や絵空事ではなく手順で開発できる、誰もが持って生まれた能力だと信じています。
 学校教育で先生方が生徒さんの創造性をまず開発すべきと考えたら、仕事も簡単になるし、生徒さんの潜在能力を引き出せるのだと信じています。
 でも、誰も信じてくれません。ニムオロ塾の先生だけが信じてくれたのかもしれません。ブログの記事にもフアンがいないのは私の不徳の致すところです。
 そういえば教養で哲学をとりました。その講義で十分に高校の非常勤は務まりました。馬鹿にされつつ10年、まあ楽しめてお金もアマなのに稼げたと言うべきかも。
 ありがたいものです。波阿弥陀仏。

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