学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

現代の教育に足りないもの

2022-02-07 | 教育

ここのところ、戦前の教科書などをいろいろと見る機会があったのだが、現代の教育にはやはり足りないものがあったのではないかと思うようになった。

それは端的に言うと、教育の伝統の継承が行われていないということにある。まず何のために学ぶのか、という意味付けが現代の教育は弱いのではないかと思われるのである。

日本の歴史をたどると、勉強や学問は人格の陶冶と直結している。学ぶのは己を人格的に鍛えるためである。そして、勉強の成果は、刻苦勉励の証とされていたように思える。すなわち、どんな人も人格の陶冶をめざして努力精進するそのことが大事だということである。

昔の日本には、孝義録と言われるものがあった。そこには、名もない市井の人々の善行が集められており、功成り名を遂げた人物だけでなく、貧しくても能力がなくても善い行いをした人物が讃えられるべきであるとする思想を見ることができる。

能力よりも努力を、学力よりも人格を、成果よりも過程を重視する思想が、日本には昔からあったように思われるのである。これは長い歴史のなかで育まれてきた知恵であろう。

現代の教育や社会風潮をみるにつけ、いかに学力を伸ばすか、いかにこれからの社会にとって有用な人材をつくるかというような卑小な事柄に教育論議の焦点がおかれ、能力が高く成果をあげた人間が尊いかのような考え方が露骨になってきたことをみるにつけ、何だか薄っぺらい時代になってしまったなと感じる今日このごろである。

老人の戯言と聞き流していただきたい。