学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

学校は古い組織である

2009-11-03 | 教育
 学校の教員の資質向上というような話になると,「実社会の経験がある者を採用せよ」とか,「民間企業での経験のある者を採用せよ」などという主張がまま見られるが,そのような方法はほとんど意味がない。
 ひところは,盛んに民間人校長の登用などということをやったものだが,それで学校がよくなったという話はあまり聞かない(成果があがったかのように宣伝することに成功した例はあるが)。
 考えてみればわかることだが,学校という組織はずいぶんと古い組織である。現在の民間企業などに比べるとはるかに歴史が長い。日本の学校の歴史をたどれば,明治,江戸時代まで歴史をさかのぼれる学校がたくさんある。西洋の学校であれば,その歴史は中世まで遡ることができるものがまれではない。民間企業は,確かに古いものもあるが,学校に比べれば,はるかに若い組織が多い。
 古い組織は,組織構造が変わりにくいという特徴をもっているが,それは歴史の風説に耐えてきた知恵でもある。学校には危機は何度も訪れたが,最も優れた危機への対処法は,じたばたしないで,じっと危機が去る時が来るのを待つという方法である。
 学校は,経験豊かな老人というわけである。それに比べると,現在,脚光を浴びている民間企業は若いものが多い。老人からみれば,現在の隆盛は僥倖といってもよいものである。自信満々の若者にすぎない。栄えた者はやがて衰えるということを知らぬのは,若さである。このような若者の忠告を老人が聞くであろうか。せいぜい「世の中はそれほど単純なものではない」と諭されるのがおちであろう。
 ともあれ,今,学校は危機ではない。戦火激しく,通常の学校教育が難しくなっていた頃に若き日を過ごされた戦中世代の方にお聞きしたことだが,「戦後,我々は学力なし世代と呼ばれた」とおっしゃっておられた。それに比べれば,現在の学力低下など笑止千万である。
 学校が,たいした危機でもないのに,様々な危機に見舞われるはめになるのは,周囲が危機でないものを危機として,おびえたり,あわてたり,けなしにかかったりするからである。当たり前のことを当たり前にすることを学校に認めてやれば,学校に危機は訪れない。授業を聞かないのは,聞かないほうが悪い。宿題をやってこないのは,宿題をやらないほうが悪い。学校に来ない者は卒業できない。そんな当たり前のことをねじまげるから,わけがわからなくなるのである。授業を聞かないのは授業をするほうに原因があるだの,宿題をやってこないのは宿題の出し方が悪いだの,学校に来ないのに卒業させろだのといった論理がまかり通るから,学校が危機にさいなまれ,真面目な教員が病むのである。
 とくに学校の管理職は,配下の教員を守り,毅然として正論を通し,老成した学校教育を推進してもらいたいものである。


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18 Comments

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はじめまして (kenovs)
2009-11-04 00:14:06
はじめまして。
教育問題に興味があり、将来(教職も含め)公務員になるか民間企業に就職するか迷っているゆとり世代の大学一年生です。つい最近このブログを見つけ、勉強させていただいてます。
前半の話はあまり理解できませんでしたが、屁理屈でもとりあえず筋さえ通っていれば許されるという風潮はおかしいとしかいいようがないと思います。

ところで教育の質を高めるにはとにかく教員の地位(給与の面も含めて)を引き上げるために国庫負担を増やすしかないと思っているのですが、これについて何かご意見をいただけないでしょうか。

長文失礼しました。
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Unknown (madographos)
2009-11-04 20:54:47
>kenovsさま。コメントありがとうございます。「教員の地位(給与の面も含めて)を引き上げるために国庫負担を増やす」という案についてですが,現在の日本には,教員に対して国庫負担を増やす余裕はないと思います。国家にコストを負担する余裕がもうないのだということを前提に,これからは対策を考える必要があると思います。
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体罰・暴言などの人権侵害の根絶のために (文月)
2009-11-06 12:59:40
こんにちは、宿題の件で長文ですが失礼いたします。
私が何故これほどまでに熱心になっているのか、その理由は、
ご存知の通り、教師による体罰、暴言などの人権侵害の問題と密接につながっているからです。
体罰教師が宿題をしないから、予習をしないからということを
理由にして、暴力をふるったり、暴言を吐いたりして、生徒の心と身体を深く傷つけているからです。
近年では、拙ブログでも以前書きましたが、
某学校で、宿題を忘れた生徒が、体罰教師から暴行され骨折させられました。
宿題をしないのが悪いという考えが、体罰教師の体罰を引き起こす根源になっているのが困ったことだと実感しています。
宿題をしないのが悪いという考えが、体罰教師の頭の中に存在する限り、
「体罰教師への徹底した厳罰」導入がなされていない現状では、体罰を根絶することはできないと思われます。
体罰を根絶して生徒の心身の絶対的安全を確保するためには、宿題をしないのが悪いという考えを改める以外に根本的解決方法は
ないだろうと思います。
宿題、予習、復習をするもしないも、
服装、頭髪の問題と同じく「生徒の自由」「生徒の自己決定権に属すること」であり、
生徒の自己責任に帰すべき問題だと考えています。

宿題をしないのは、教師が悪いのではなく、生徒が悪いのでもなく、
宿題をしないということを問題として取り上げることが悪いと思っています。
何故なら、それを問題にしてしまうことが体罰を生む根源になっているからです。
体罰教師に体罰をする口実をあたえることになってしまうからです。

生徒が宿題をしてくれないのは教師としてはショックだと思いますが、生徒の心身の安全確保のために、
そこは何とか辛抱していただいて、体罰教師に「体罰の口実」をあたえる状況を阻止していただけたら、
とてもうれしく思います。
生徒が宿題をしないことを理由に、教師を責めることは許されないことであると思うし、
私は、そのことを理由に教師を責めることは決してありません。
ですので、教師の側も宿題をしないからという理由で、生徒を責めないで頂きたいのです。
「宿題をしないことで、責められる人間が存在してはいけない」と思っています。
誰も、傷つけられることなく、みんなで、仲良くしていきたいのです。
すべては体罰根絶のため、どうかよろしくお願いします。

長年、当たり前とされていたことを変えるのは難しいとは思いますが、
生徒の心身の安全確保のため何卒宜しくお願いします。
宿題とするもしないも生徒の自由、生徒の自己決定権に属し、生徒の自己責任に帰すべき問題であり、
「生徒の専権事項である」という考えが全ての教師にいきわたったとき、
宿題を忘れたからという理由での体罰は完全根絶されると思っています。
 
生徒が宿題を忘れたからという理由で、保護者が教師を責めることもあってはならないことであり、
体罰根絶のためには、保護者の意識改革も必要であると考えています。
宿題忘れを理由に教師を責める保護者の考えが教師の体罰につながっている現状もあるわけですから。
生徒が宿題をしないことを理由に、madographosさんが保護者や、教師から責められることがあれば、
私はmadographosさんを守りたいと思います。
生徒の宿題をする権利とともに、宿題をしない権利をどうか尊重していただきたいのです。
生徒は教育を受ける義務があるのではなく、教育を受ける権利があるという
日本国憲法の原点に立ち返っていただきたいのです。
生徒の人権を尊重してくださる限り、私はずっとmadographosさんを守っていきたいです。



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Unknown (madographos)
2009-11-07 21:54:35
>文月様。宿題をしてこないのは,宿題をしないほうが悪いのです。体罰は法律で禁止されていますから,体罰教師は,法に従って罰せられるべきです。宿題と体罰を関連付け,それを必然であるかのように主張するのは,論理的ではないと思います。文月さまの論理を敷衍すれば,子どもには教育を受けない権利があるということになり,子どもに学校教育を受けさせる保護者の義務と背馳します。
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異論で申し訳ないです。 (文月)
2009-11-08 01:36:20
こんばんは。
>体罰教師は,法に従って罰せられるべきです。

それについては、同感です。私も法の信奉者なので。
ただ、体罰事件に関しては、教育委員会、学校の不誠実な態度、さらに体罰教師が不起訴にされるなどで・・。
法が十分に機能していないと思われる事例が多く、
体罰教師が法に従って罰せられない現状に私は非常に強い怒りを感じています。
現状では、立派な法があるにもかからず、その法が機能していない。
つまり体罰教師の処分にかかわる人々の多くが腐敗していると思います。
その人々が法をないがしにしてしまっているのですから。
法が十分に機能していないというこのひどい状況下で体罰を防止するためには、
体罰教師の体罰をする理由をなくすことも大切だと思っています。
法が大切というのはmadographosさんと同意見です。

>宿題をしてこないのは,宿題をしないほうが悪いのです。
>子どもには教育を受けない権利があるということになり,子どもに学校教育を受けさせる保護者の義務と背馳します。

大変申し上げにくいのですが・・・、異論ですみません。
これは私の個人的見解ですが、私は宿題をしないのは悪いことだとは考えていないのです。
宿題をするもしないも生徒の自由だと考えています。
もちろん宿題をするのはいい事だと思いますが、しないのは悪いとはいえないでしょう。
生徒の自己決定権の問題なのですから。生徒の自由だと考えています。

子どもには教育を受ける権利があり、教育を受ける義務はありません。
子どもには「宿題をする権利」があり、「宿題をする義務」はありません。

保護者には普通教育を受けさせる義務があるのであり、
子どもが学校へ通うのを拒否した場合や、
ホームスクーリングで教育を受けることを選択した場合は、
子どもを学校に通わせる義務(いわゆる就学義務)はありません。
子どもが宿題をするのを拒否した場合(宿題をしない権利の行使を表明した場合)には、
保護者が子どもに宿題をさせる義務はありません。
宿題をするかしないかはあくまで子どもの自由なのです。

また、世界人権宣言にもあるように、教育については、教師ではなく親に「優先権」があります。
親が我が子の教育方針として、宿題をするもしないも我が子の自由であると表明した場合は、
教師がそれに反対してその親の子に宿題を強制することや、宿題をしないことを責めることなどは、
人権上許されないことと考えています。


こちらも大変申し上げにくいのですが・・・。
子どもに教育を受けない権利があっても、保護者の義務と背馳しない場合もあるので・・。

例えば、子どもが学校教育を受けたがらない場合にまで、
子どもに学校へ通わせる義務は保護者には存在しないのであり、
これは弁護士など法律家も私と同じ主張をされています。

子どもには学校教育を受けない権利があり、
子どもがその権利行使を表明した場合(学校へ通うのを拒否した場合や、ホームスクーリングを選択した場合)においては、
保護者の学校へ通わせる義務(いわゆる就学義務)は存在しないのです。
よって、子どもが学校教育を受けない権利の行使をした場合は、保護者にある就学義務と背馳しなくなるのです。

保護者はホームスクーリングを行うことで、普通教育を受けさせる義務を果たすことができます。
アメリカ、イギリス、フランスなどで正式な制度として確立しているのはmadographosさんもご存知ですよね。
日本では、まだ草の根運動の段階ですが、日本でも実際に多くの家庭がホームスクーリングで子どもを教育し、
学校へ通わせることなく、ホームスクーリング(ホームスクール)で
保護者としての普通教育を受けさせる義務をしっかり果たされています。
アメリカでは多くの家庭が行政当局あいてに奮闘し勝訴判決を積み重ねてきたのです。

日本でも行政から裁判を起こされた場合にはホームスクーラー勝訴となるでしょう。
こちらは弁護士の方のご意見です。私も同感です。
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「線路内人立ち入り」って何? (愛読者)
2009-11-08 01:40:12
子供のことを本気で考えるのなら、宿題を出すのは当たり前。させるのは当たり前。学校は勉強する所です。
上の方、宿題をしない権利を主張なさる前に、学校に行かない権利を国を相手に主張なさったらいいですね。
私だったら、学校で勉強する権利が侵害されていることを主張したいですけれど。

娘が学校辞めたいと言っています。勉強をやらないんですよね、真面目に。娘じゃないですよ、先生がね勉強しないんです。席替えしたり雑談したり、騒ぐ生徒に迎合して、授業が進まないんだそうです。こうやって子どもの意欲をなくさせて、介護職要員を造らなきゃならない学校があるんですよね、都知事さんのおかげで。

中3の時より絶対に英語力落ちてる、アタシって言ってるんですよね。10課中6課しかやらない先生だしね。
「自学に限るって」ね、課題があるから勉強ってするんですよね、普通。で、課題をこなしていくうちに学力が付くんですね、普通。宿題出さない先生なんて先生じゃないですよ。

高校にもなって、「勉強させてくれ」って学校に文句言うわけにもいかないでしょ。で、自殺したって責任とってくれないでしょう?そんな学校入ったから悪いんだって。自己責任?

人身事故全く聞かなくなったんですよね、最近。その代わり、線路内人立ち入りのため遅れていますだって。

もうね、勉強しなくていいんだよ。だってね、ゆとり世代なんだから。うちの子だけはいい教育をって、そうして育った大人が役人になった世の中なんてどうせ楽しいわけがないしね。学校に携帯持っていって、ゲーム持っていって、授業中騒いで、それが青春なら、それで楽しいんなら、そういう自由を許してあげなさい、彼らだってほんとはこの学校に来たいわけじゃなかったんだし。嫌なら学校やめたらいい。残念だったね。毎日宿題の百ます計算頑張ったのに、お母さんの買ってあげた教科書ぴったりテスト頑張ったのに、塾にいってる子に負けたくないって涙こぼして、あんなに頑張ったのに。



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Unknown (madographos)
2009-11-08 10:03:13
>文月さま。学校には,「宿題をしない権利」を主張する児童生徒に,学力をつけてやる方法もありませんし,義務もありません。正当な理由なく,教師が提示した課題を全うしない児童生徒に,課程修了の認定を与えることもまた,本当はできないのです。
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Unknown (madographos)
2009-11-08 10:15:52
>愛読者様。お気持ち,お察し申し上げます。授業中に騒ぐ生徒については,義務教育学校であれば,他の子どもの学習権を守るという秩序維持の名目が成立しなければ,退室を命ずることはできませんが,高等学校以上の学校であれば,授業妨害として,退室させることは可能なはずです。教師には,授業を円滑にすすめる義務がありますから,授業妨害に対しては,毅然として対応すべきです。それをしないのは,学校の怠慢としかいいようがありません。ただ,学校を非難しても,おそらく状況は改善しないでしょうし,また,だから学校をやめるという選択は一種の賭けの要素があり,リスクが高いものです。高校生であれば,自分で勉強し,自分で学力をつけると覚悟を決めて,自分から先生を質問攻めにするぐらいの意気込みでいくのがとりあえずはやってみるべき価値のある方法だと思います。生徒の質問に真面目に教師が対応しないということであれば,さらに問題は根深く,他の方法を考えなければなりませんが,おそらくは,きちんと対応してくれる先生がいるのではないでしょうか。
 生徒には,教師の指示に従う義務がありますが,教師の指示に従わない権利はありません。同様に,勉強したいという生徒の要望に,教師は応える義務があります。
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同感です。 (lock)
2009-11-08 12:23:37
政治の世界は、自民から民主に変った。
文科省はガラパゴスだ。
教育制度は、戦後の枠組みからほとんど変らない。
地域と教職員の中から地域の実態に応じた教育改革がなされることを期待している。
民主もそれに向けて動いているのであろうが。生徒にも教員にも地域にも未来を作る意欲が必要だ。

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保護者・児童生徒一人一人のニーズに沿ったきめ細やかな親切丁寧な対応が必要だと考えています。 (文月)
2009-11-08 13:07:10
こんにちは。
>「宿題をしない権利」を主張する児童生徒に,学力をつけてやる方法もありませんし,
義務もありません。

madographosさんのおっしゃる通り、
教師は、そのような児童生徒には、高い学力をつける義務はないと考えられますが、
その児童生徒が望む程度のそこそこの学力をつける義務は教師にはあると思っています。
要は、保護者・児童生徒一人一人のニーズに沿ったきめ細やかな親切丁寧な対応が教師に必要であると思っています。

私は基本的に宿題はきちんとする方ですが、
私は、そんなに高い学力をつけてほしいわけではなく、そこそこの学力でいいですよ。
宿題をしなくても、そこそこの学力はつきます。
私は三流大学でいいのです。私の母校も三流大学です。私はそれで十分満足しています。
ですから、「宿題をする権利」とともに「宿題をしない権利」を主張する私のような児童生徒には、
その児童生徒が希望する程度の学力をつけるよう指導していただければ、それで十分だと思います。

教育については、教師ではなく保護者に優先権があることもあり、
保護者の教育権の範囲内で教師は動くことが大切だとも思っています。
私の我が子に対する教育方針は、「宿題をするもしないも我が子の自由」という教育方針であります。
ですので、教師の方には、我が子に対する指導については、
私の教育方針の範囲内で動いていただくことを希望しています。

私は、保護者・児童生徒一人一人のニーズに沿ったきめ細やかな
親切丁寧な対応が教師には必要だと思います。私はそのような教師であると誓います。

私は教師として、生徒たちには授業中はきちんと静かにさせますし、宿題もしっかりと沢山出します!!
熱心に授業を行います!!
授業中に騒ぎ立てる生徒など、他の生徒の学習権を侵害する生徒には退出を命じます。
私が受け持ちの教師なら、愛読者の方のお子様の学習権を守り抜きます。
それと同時に、「宿題をするかしないかはあくまで生徒の自由」という教育方針を貫いていくことを誓います!!
私は、いわゆる熱血教師とは一線を画しています。
宿題忘れ、予習忘れ、復習忘れ、提出物忘れなどを理由とする体罰を根絶して授業中の
生徒の「心身の安全確保」に全力をあげた授業を展開していきます!!

生徒の皆様の学習権はもちろん、身体権、生命権をはじめとする人格権の擁護に全力をつくす覚悟です!!!

宿題忘れを口実に児童生徒の心身を傷つける体罰教師、いわゆる熱血教師は決して許しません。
生徒の皆様の盾となり、熱血教師どもの暴力を阻止していきます。
たとえ意見が違っていても、madographosさんと助け合いたい私の気持ちは本物です。
madographosさんに対する私の気持ちは今も昔も変わりません。
大切な友です。
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