ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

国境を渡った女性たち①

2007-03-08 | 日本のいろいろ
 イスラエルの北部辺境地域に住む日本人女性、チハルさん(仮名)に出会ったことがあります。2005年のティベリアマラソンに私を招いてくださったイスラエルチームのコーチ、アントニオの友人です。

 東京生まれのチハルさん、二十歳代の頃に仕事で来日していたイスラエル・ビジネスマンの男性と知り合い、イスラエルへお嫁に行くことを決心したそうです。紛争多いレバノンとの国境近い村に住むようになってすぐに子供に恵まれ、今では4人のお子さんのお母さまです。一番上の女の子が高校生、アントニオの長女さんと同じ高校です(05年当時)。ほかに男の子が二人、一番下に女の子~下の写真の白いパーカーの男の子は長男さんのクラスメイトだそうです。

        

 数年前に小高い丘の上に新居を構えられ、この丘には電気が通っていないためソーラーシステムで電気を自家発電、どこへ行くにも車で行かなければ行先にたどり着かないほどの、大自然の中で暮らしを楽しんでおられます。ところどころに和のエッセンスを感じるインテリア、大きな座卓で床に座る生活で、キッチンには電気釜もしつらえてありました。

        

 イスラエルの夏の強い日差しを受け、少し日焼けが残ったままのチハルさん、とても穏やかにゆっくりと語ってくださいました。

 「あっという間の20年でした、すぐに子供が生まれたので、夢中になって生活していました。」
 「こちらの言葉はヘブライ語、比較的簡単だと言われているので何とか勉強はしたけれども、まだまだ30%にも足りないくらいかしら。」
 「日本では両親がそうだったから私も仏教徒だったけれども、結婚のときにユダヤ教に改宗しました。ユダヤ教のお母さんから生まれた子供のほうが、こちらでは大事にされるようなので。」
 「どこにいても子供の世話や生活に追われるのは一緒かな、と思います。」

 家計を助けるため、近く(といっても車でないと行けない距離です)の雑貨屋さんでパートもこなしているチハルさん、長い間日本にも帰っていなくて日本人と対面して日本語でしゃべるのが久しぶりなので、「私の日本語、少しおかしくなってきているでしょ。」と微笑んでおられました。

 時々、少し遠いところに目をやっているような表情、これまでの来し方に思いを馳せておられるのでしょう。きっと大きな広い心で、人生を送っておられることと思います。


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