信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

今日こそ、なごり雪?

2012年03月28日 23時55分36秒 | Weblog
2012年03月28日(水) 記

10日間も空いてしまいました。申し訳ない。

3月に入ってから雪が降るたびに、「これがなごり雪かな」と冬と別れるさびしさ半分、春を迎える期待と嬉しさ半分、という気持ちになるのですが、いやはや今日は大雪でした。それに気温の低かったこと。


それでいても季節は着実に前に進んできています。
23日にはキジの鳴き声が、24日にはシカと何かわからない動物のだみ声の鳴き声が、27日の昨夜はキツネが軽トラの前を横切っていきました。

キツネは不思議な動物です。
ウインドウを開けて声をかけると立ち止まり、こちらを向いて首をかしげて話を聞くのです。天気の話、餌の話などをし、最後に「気を付けて」と言うと暗闇の林の中に消えていきました。
童話の「ごん狐」だの「手袋を買いに」だの、あるいは民話にもキツネが多くでてくるのはこうした「交流」ができるからかも知れません。人の行く前行く前をダダダダッと一目散に走っていくタヌキとはちょっと違う。

そして我が家のオスネコのクーちゃん。
春が近くなるとなかなか家には帰ってきません。去年の手帳を見ると1ヶ月近く戻ってこず、随分心配したものでした。すごい傷をつけてご帰宅遊ばしたときにはびっくりしました。

1年経って「寄る年波に」ですかね、今年の留守期間は平均3,4日というところでしょうか。
帰ってきたときはたらふく餌を食って日なか眠り込み、夜またご出勤です。
今朝のお帰りには右前脚にそこそこの傷を負っていました。
オスは動物も人間もつらいものです。

このクーちゃん、あまりにもかわいそうなので昨年、病気治療と去勢のために病院に連れて行ったのですが、傷があると手術できないということでした。治るのを待っていたのですが癒えたのがほんの10日~2週間前。で、また傷を負ってしまっています。


さて、このご無沙汰している期間中に読んだ本のなかに面白い内容があったので、これを紹介して今日の便りを終えることにしましょう。



幕末期、TPPと変わらない不平等条約だった日米修好通商条約を結ばせたアメリカの駐日総領事ハリスは、その著作に日本人および日本の社会についてこう書いています。

「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もいない。これが恐らく、人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私は、質素と黄金の時代を、いずれの他の国におけるよりも、より多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる」(『日本滞在記』坂田誠一訳 岩波文庫)

アメリカが日本に開国を迫ったのは、太平洋上で捕鯨するアメリカ漁船への薪炭・食糧・水の補給のためと、私たちは学校で教わりました。
たしかにそれもそうだろうけれど、実はもう一つ大きな理由がありました。
それは、『極東の野蛮国 日本』をキリスト教によって「開明」し、文明国にするためでもあった(これは大航海時代からずっとつい最近まで、欧米列国による『侵略』の大義名分であった)。
現にハリスは敬虔なキリスト教信者であり、その目的を持って彼自身が希望して日本にやってきた、という。しかし、ハリスは日本人および日本社会を見て、少しは躊躇したのかもしれない。


『日本滞在記』のこの部分を読んで、つい最近見たNHKの『地球イチバン 地球でイチバン幸せな国ブータン』を思い出しました。ハリスの著作のこの部分と、TV画面に映し出されているブータンの人々、村落の景色が重なります。
そしてブータンといえば地震・津波の被災者を見舞い、「龍」の話をして子どもたちに希望を与えて下さったワンチュク国王夫妻を思い出す。


そして我が国のあの宰相の顔が浮かぶ。
訪米の際、名誉ある米議会での演説要請を断り、40数兆円の米国債を売却しないことを約束(つまり債権放棄)してあの史上最低の大統領と言われているブッシュに「我が外交の勝利」と言わしめ、はてはギターを持ってプレスリーの真似をしてブッシュにすら馬鹿にされているにもかかわらず、国内では顰蹙を買うどころか「国民的大人気」のあの宰相の顔を。

日本人は変わったのだろうか。

フキノトウ、ウグイスそしてトンビ

2012年03月18日 23時50分03秒 | Weblog
2012年3月18日(日)

きのうの土曜日、一日中雨でした。それも暗い、気が滅入りそうな雨。
食事とトイレ以外、終日2階で読書とリンゴの参考になるサイト探しと、インターネットの電子図書館(『青空文庫』)での読書と、うたたねで過ごしました。

この図書館で面白い本を見つけました。それは
『一商人として ─所信と体験─』相馬愛蔵・相馬黒光
という本です。

相馬愛蔵・黒光といえば、食べ物に興味ある人は「ああ、パンの新宿中村屋」を、美術に興味ある人は荻原碌山(安曇野市穂高に碌山美術館がある)を、文学に興味ある人は臼井吉見の小説『安曇野』(安曇野市堀金に文学館がある)を思い浮かべる人も多いのではないかと思います。

私は黒光と碌山の「恋愛といってもいい恋」なんかも、古い古い『NHK日曜美術館』を見ていてそれを思い浮かべるのですが、愛蔵・黒光本人の言葉というか著作は初めて目にしました。まだ途中までしか読んでいませんが、先が楽しみです。

ちなみになぜ「中村屋」という屋号なのか、長い間の疑問に思っていたのですが解けました。それにこれはWikiで知ったのですが「山崎製パン」や京都「進々堂」の創業者もこの中村屋で修業したのだそうですね。へえーっという感じです。

特に「進々堂」は京都に住む息子に連れられて『花園店』で「釜焼きビーフシチュー」を食べたのですが、これがなかなか美味で、それがまた息子の京都には古いものも、新しいものも両方包み込んでいる、なんて自慢に輪をかける結果となってしまって、それが面白くなく、なにかリベンジをと考えていたところだったので、これで溜飲を下げられそうです。
「京都には新しい良いものがある、って言うけれど、おいおいそれは信州安曇野の弟子だぞ」って、ね。



随分横道にそれてしまいました。これからが、今日のお便りです。

朝起きると、天気が良くなって欲しいとの願いもむなしく、昨夜から引き続き一寸先も見えないほどの霧と雨。
相変わらず依怙贔屓するS司会者で始まった『NHK日曜討論』をしばらく見ていて、TVから携帯ラジオにかえて外に出てみると、天気は悪いながらも雨は止んでいました。

で、それっとばかりに用意しておいたシイタケの種駒と電動ドリル、木槌、チエンソーを持って、できるところまでやろうと原木の置いてある所へ。この木はマサカズさんから戴いたもの。


本来、伐木したあと1か月から1か月半程度乾燥させるのがベストなんだそうですが、菌の植え付け時期もそろそろ限界近くなってきたので20日程度しか経ってなかったけれど、植えてしまいました。

種駒数は250。やっぱり少なかったですね。ほだ木(原木に種駒を打ち込んだもの)が5本しかできませんでした。500にしようか250にしようかと随分店先で悩んだのですが、やっぱり500にしておけばよかった。

これなんですよね、見通しがきかないというか、段取りがヘタというか、中途半端というか。
リンゴでも、枝を誘引するのにヒモの長さがほんの少し足りなくて、脚立に乗ったり降りたり。農閑期の今、風呂と洗濯機と雨の排水路を作り直しているのですが、これもパイプが少し足りなくてとん挫したまま。

シイタケ菌、250追加して植えることとします。
あ、そうそう昨年は3月24日にヒラタケとナメコをそれぞれ250ずつ植えています。たしかここでお便りしました。


ひと段落ついて、ヤギさんの散歩に行ったとき、途中でフキッタマ(フキノトウ)を見つけました。今年初めてです。昨夜来の暖かい雨が、芽を出させたのでしょうか。
フキノトウといえば、フキ味噌!! いやいやこれはこのあたり一面に出るまで待ちましょう。


さてこのフキ味噌、あったかいご飯の上にのせて食べるのももちろんうまいのですが、握り飯にこれを塗ってトースターな何かで焼いて焦げ目を付け、それをほおばって食いつくと…うーん、唾が出てきます。それだけじゃないですよ。
「からし」の代わりに納豆に入れる。
フランスパンに塗ってトースターで焼く。ワオーッ。
左党には「あて」(酒の肴)にしてもいい。

そしてもう一つ、春の便りが。
春告鳥(ウグイス)です。
4、5日前、こんなことを言っちゃなんですが、初鳴きがあったことはあったのですが下手くそで下手くそで、ところが今日は実に見事な鳴き声でした。

そうそう、もう一つ忘れてはいけないもの。
トンビです。
このトンビもここの住人。今年初めてわが草庵、畑の上をゆっくりゆっくり旋回し始めました。

春になると帰ってくるものが帰ってくる…。やっぱり原発の再稼働はダメだ。
じゃ。また。

農業講座

2012年03月15日 23時53分25秒 | Weblog
2012年3月15日(木)記

今日はJAが主催する「グリーン農業講座」の閉講式でした。

昨年の4月から、月平均1回、合計10回、その時節にあった講座がありました。
たとえば4月には春野菜の栽培管理、5月には果樹技術の基礎、6月は果菜(ナス、トマト、キュウリなど)の仕立て方法、といった具合に。
もちろんこうした「農業技術」ばかりというわけではなく、1月には確定申告のやり方などの内容もありました。

そしてこの講座内容は「一般的な農業技術の習得」ということになっていて、対象が定年帰農者や農家女性、(少々大規模な)家庭菜園愛好家とされています。
しかし確かにそういう方もいますが、実際はプロの方のほうが多いようでした。
ここでいう「プロ」とは、特定の品種を大量に作って出荷する人のことをいいます。たとえばブドウ農家とか、リンゴ農家、コメ農家、ピーマンとジュース用トマトと大根を出荷している農家などです。

実はこの場合、それぞれに「部会」が組織されていて、その時節に応じた講習会があったり営農指導員(技術員)が個々に指導したり、ということをしています。
私はリンゴを作っているので「リンゴ部会」に属しているのですが、この部会の場合、その時々に応じた内容、たとえば剪定講習会だの摘花・摘蕾方法だの、『新わい化』の栽培方法についてだの、ま、専門的な講習会がいろいろあり、それだけでなく自分自身が希望すれば親切に圃場まで技術員さんが来てくれる。

ただこうした専門以外のものについては勉強の機会は案外少ないようで、親兄弟や近所などの身近な人から学んだこと、あるいは自分で勉強したという、いわゆる自己流の場合が多い。
こうした人々にとって、この講座はありがたい存在になります。
たとえばずっと農業を生業(なりわい)としていた人ですら、この講座で学んだことを「恐る恐る」試してみたら、例年に比べて格段に収量が増えた、と閉講式後の懇親会で話していました。

つまりこうした講座は、自分自身の思い込みや当たり前と思っていたことが、「それはちょっと違う」とか「新しい方法、違った方法もある」ことを気づかさせてくれるいい機会となります(こんなことは農業に限らずいろんな世界、様々な分野にあります。だから自己啓発や勉強が大切ということですね)。
さらに農薬の認可変更や使用基準も含めた農水省の新指針なり通達なりをも習得できるし、1年に1回開かれるJA地区懇談会以外の内容も知ることもできる。
それに、向上心に満ちている農家とも知り合いになれることも大きな魅力の一つです。

この講座は何年続いているのか知りませんが、受講者が年々増えているそうです。
昨年までは「何人まで」という制限があったそうですが、今年度からは希望者全員に参加してもらうようです。で人数が多ければグループ分けか、もしくは受けたい品目別(果樹だの蔬菜だの)に分けるかもしれないということを、事務局の方が懇親会の席で言っていました。

私は今年度も受講するつもりなので、受講の申し込みをしてきました。
というのも毎回知らないことを知る楽しみがあるし、長年ずっと疑問に思っていたことが一気に「そうだったのか」と腑に落ちたときの瞬間は、自分の進歩が実感できた喜びでもあります。また今年とは違った講師(技術員)がどんなことを教えてくれるのかという期待感もあります。
そして不思議なことに、自分の畑により一層の愛着を感じてくるし、他人の畑にも興味津々となってきます。


付録。
ちなみにこの講座は有料です(最近有料になったようですが、年1,000円!)。
懇親会は希望者のみで、参加費1,000円(知った人がいない中、参加するのは躊躇したのですが結論は「参加して正解」でした) 


雪の晴れた朝

2012年03月13日 23時47分28秒 | Weblog
2012年3月13日(火) 記

今日はよく晴れました。北信州らしい雪の、晴れた朝でした。
こんな景色は見慣れているのですが、出会うとやはり「ああ、きれい」と見入ってしまいます。

1枚目は2階の窓から。朝8時30分ちょうどです。
朝日が左手の山かげから上がってきて、右側の雑木(ぞうぼく)を照らし始めました。
きらきらと輝く雑木と、まだ陰影の中にある家屋やスギ林との対比が時間を追って変化していくさまはほんとに美しい。しばらくは時間が過ぎゆくままに、光の流れを追っていました。
中ほどに立つ独立樹はハナモモです。あと1か月もすれば満開になって、紅い色を周囲に発散させます。これがまた山里にはふさわしい「立ち振る舞い」です。


2枚目は畑から。
こんな景色を見せてくれるのは、春先の雪の積もった晴れた日のみ。普段はめったに見ることはできません。春の重い雪で竹がしなって普段は見えない竹林の向こうの景色が見える、というわけです。
この写真を見ると、広々とした畑に低い山という印象を受けますが、実際はそんなに広くはない畑と視界を妨げるほどの高さの山です。肉眼で見た感じの山々は青空の半分以上の高さのせり上がり感があります。
そしてそこにはシカのねぐらがあるようです。


3枚目は家の横庭から。
この場所から振り返ると朝日に照らされて白く輝く白馬三山をはじめ北アルプスの山嶺が見えるのですが、残念ながら雲に隠れていました。
正面の積み上げた薪もずいぶん少なくなっているようですが、画面左端に積みあがった薪が見えます。
薪とお米と味噌。私も古い人間だからか、この三つがあればなんとなく安心できます。


4枚目は同じ場所から。
右手で鳥が盛んに鳴いていたのでよく見ると、何かついばんでいました。デジタル望遠で撮ったので鮮明ではありませんが、鳥たちの声でなおのこと昨夜来の雪は「春の雪」との実感を深くしました。


5枚目は昨夜に引き続き除雪していると、チューリップの芽が出ていました。あやうく潰すところ、間一髪でした。
家に入ってくる道の片側に、数年前、連れ合いが3、40個の球根を植えたのですが、毎年花を咲かせてくれます。
山間(さんかん)の古い古い農家民家には似つかわしくないようですが、赤、黄、白、まだら色が咲き誇ってくれるとより一層、春の訪れを実感できます。



今日の午前中は、竹が雪でしなっているのを利用して竹の上部を切る作業。
全部はできませんでしたが、すっきりしました。
午後から夕方7時まで、昨夜に続いて除雪。春先の雪は湿っているので除雪機の吹き出し口がよく詰まるので思った以上の時間がかかります。

さて、あすの明け方は長野市内で-6℃予報です。
厄介な時期がきました。以前お便りしましたが昼間に解けた雪が凍って道がスケートリンク状になってしまいます。
明日、所要で久しぶりに下に降ります。気を付けないと。

『追悼式』報道ーマスコミはどちらを向いているのか

2012年03月12日 14時43分06秒 | Weblog
2012年3月12日(月) 記

昨日の日曜日は午後から『S組』(隣組)の総会でした。
14時から始まって事務的なものが終わったのは1時間程度。それから19時過ぎまでの7約4時間、飲んで語らい、語らい飲みました。
飲むとしんどくなって普段全く飲まない私も、このS組の仲間とはよく飲み、気分よく酔えます。

昨夜帰宅するころから降り始めた雪が今日の午後2時現在もずっと降り続いています。
やっと信州のこの地方らしい雪景色を見ながら、2階で炬燵の中に入ってパソコンを打っています。
写真は炬燵から撮ったもの。小屋根にはすでに50㎝程の積雪。そして大屋根からは雪がずり落ちてきています。大雪です。
(ちなみに太い竹は干し柿をつるすため。細い竹はネコちゃんの侵入を防ぐため)



さて、昨夜から今朝にかけて私のツイッターのタイムラインには『東日本大震災追悼式』のNHKニュースの報道内容について、様々な疑問や抗議のツイッターが寄せられています。
手短く言えば、天皇陛下の言葉の中の
「放射能の問題を克服しなければならないという」
という、この部分をカットして放送したそうです。

私も「うそだろNHK!」とツイートしましたが、今日、自分の目で確かめました。
ではNHKではどんな放送をしたのでしょう。

(以下はTVで放送した内容。NHKウェブから)

天皇陛下は、皇后さまと共に東日本大震災の犠牲者の追悼式に出席し、「国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくよう、たゆみなく努力を続けていくよう期待しています」と述べられました。
追悼式では、地震が発生した午後2時46分に黙とうが行われたあと、天皇陛下がおことばを述べられました。
天皇陛下は、冒頭、「震災により失われた多くの人々に深く哀悼の意を表します」と述べたうえで、救助や防災の活動中に命を落とした人たちが多くいたことに触れられました。
また、被災者を支援してきた大勢のボランティアや原発事故の対応にあたってきた人たちをねぎらったうえで、世界各国から寄せられた支援への感謝の気持ちを表されました。
そして、「被災地の今後の復興の道のりには多くの困難があることと予想されます。国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくよう、たゆみなく努力を続けていくよう期待しています。この大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心がけを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います」と述べられました。



では天皇陛下の「真の」言葉はどんなものだったのでしょうか。これもNHKのウェブからそのまま引用します。

(以下、引用)
天皇陛下のおことば(全文)
※クリックすると
NHKサイトを離れます
3月11日 17時0分

【天皇陛下のおことば(全文)】
東日本大震災から1周年、ここに一同と共に、震災により失われた多くの人々に深く哀悼の意を表します。
1年前の今日、思いもがけない巨大地震と津波に襲われ、ほぼ2万に及ぶ死者、行方不明者が生じました。
その中には消防団員を始め、危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事して命を落とした多くの人々が含まれていることを忘れることができません。
さらにこの震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。
再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています。

この度の大震災に当たっては、国や地方公共団体の関係者や、多くのボランティアが被災地へ足を踏み入れ、被災者のために様々な支援活動を行ってきました。
このような活動は厳しい避難生活の中で、避難者の心を和ませ、未来へ向かう気持ちを引き立ててきたことと思います。
この機会に、被災者や被災地のために働いてきた人々、また、原発事故に対応するべく働いてきた人々の尽力を、深くねぎらいたく思います。
また、諸外国の救助隊を始め、多くの人々が被災者のため様々に心を尽くしてくれました。
外国元首からのお見舞いの中にも、日本の被災者が厳しい状況の中で互いに絆を大切にして復興に向かって歩んでいく姿に印象付けられたと記されているものがあります。
世界各地の人々から大震災に当たって示された厚情に深く感謝しています。
被災地の今後の復興の道のりには多くの困難があることと予想されます。
国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくよう、たゆみなく努力を続けていくよう期待しています。
そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。
今後、人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。



見事にカットされています。
これは「皆様のNHK」のやることなのだろうか。
こんな報道を続けるNHKは、受信料で維持すべき報道機関なのだろうか。
NHKは天皇陛下の地震・津波・放射能の3重苦に苦しむ被災者を思う気持ちをどうして、捻じ曲げようとするのか。
また怒りが込みあがってくる。


最後にこんな意見がありましたので紹介します。本当にその通りだと思います。

TV報道の際、一部引用や一部カットは当たり前のことですが、
「放射能の問題を克服しなければならない」の削除には、明らかな作為を感じます。
あるいは、天皇陛下が国民に向けて一番伝えたかった事かもしれないのに。
削除の意図はわかりませんが、マスメディアの信用ガタ落ちの現状、こんなことを繰り返しているから、大本営発表の広報機関=マスゴミなどと云われるのだと思います。


今3時前。これから除雪しに行きます。これほどの積雪ですから除雪機を使わないと無理でしょう。
じゃ、また。

3.11

2012年03月12日 00時22分02秒 | Weblog
2012年3月11日(日) 記

久しぶりです。
3月に入ると陽光に誘われて野菜畑やリンゴ畑にばかりにいます。
というわけで、農繁期ではないのですがなかなかお便りはできませんでした。
冬越しした野沢菜、キャベツ、ホウレンソウ、コマツナが植わっている一角を除いて、苦土石灰を散布して耕うんした畑のカンバスに、今年は何を植えようかと思案するのも胸ときめくものです。

一年前の今日、やはり畑にいました。
午後2時46分、携帯電話に「緊急地震情報」が鳴り、大地が揺れ始めたのであわてて家に戻り、犬のロク、ヤギのナナを綱から解き放したとたん、ヤギ小屋はもちろん、大屋根や小屋根、外壁が波打っているさまは、まるでつい2、3日前のように思いだします。

あれからちょうど一年経ちました。

TV中継で津波による破壊の惨状を見ている当時は、「TV画面での出来事」のような感じでした。ただ「うわー」とか「なんと!」とか、そこには「叫び」があっても「感情」があまり出なかったような気がします。

でも、幾日、幾週間と時間が経つにつれて、「感情」がでてきました。
原発事故とその対応に対しての怒りや、津波の映像を見るごとに自然と涙が出てくるのです。
先週からから始まった「NHKスペシャル」を見て泣き、今日の特番を見ても涙が溢れ、秋川雅史と夏川りみさんの「翼をください」の歌を聴いては胸がつかえ、渡辺謙さんの朗読でもやっぱり涙がでてしまうのです。

こんなことは言ってはいけないかもしれませんが、幸いなことに私の身内や知人にはなんの被害もないのにもかかわらず、なぜかわからないけれど涙が出てきます。

きょう、3月11日。ただただ合掌あるのみです。



そして覆いかぶさってきた原発事故。原発安全神話を振りまいていた電力会社はもちろん、自民党、公明党、東大、マスコミに対し「怒り」以上の腹立たしさを感じます。
彼らに「命とお金、どちらが大事」との問いかけに誰でも即答するでしょう、「それは命だ、と」。
私は大声でいう。
「嘘つけ!それなら今、原発再稼働なんてありえないではないか!」