信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

白馬村 おびなたの湯

2007年07月28日 05時23分13秒 | Weblog

Since 24/07/2007

まず冒頭にお詫びを。
ひとつは前回の記事の中で『ニュースステーション』と書きましたが、『報道ステーション』の誤りでした。すいません。あと一つは、写真入りにしているにもかかわらず、写真が入っていませんでした。どこでどう間違ったのか、まだだめですね。今回写真を2枚入れているはずなんですが。

少し前ですが、7月8日、白馬村の温泉に行った時のこと。
家からオリンピック道路を使うと約30分で白馬に行けます。で、長野冬季オリンピックのジャンプ台を見たりして、温泉に向かいました、
でもこの道は40年近く前、私のワインディングロードへの助走の道でした。
あまりにも懐かしく、せっかくここまで来たから突き当りの白馬大雪渓の入り口『猿倉』まで行くことになりました。
途中にある今日の目的地『おびなたの湯』を通り越し、渓流沿いで絵を描いていたプロらしき若い絵描きさんと少し話をし、壊れかかった短い吊り橋で遊びながらの道行きです。途中樹木が生い茂って印象も随分変わったような気がします。

着いた猿倉は記憶に残っていたほど広くはなく、周辺を少し歩いていると、20代の好青年の2人連れがちょうど下山してきました。話しかけてみると唐松岳から不帰嶮(かえらずのけん または大キレットともいう)、天狗ノ頭を縦走し、途中の鑓温泉(やりおんせん)にも入ってきたとのこと。
かつて山を少しかじったことのある私と妻の心に俄然火が着いてしまいました。私は友人と二人で白馬大池から逆コースを、妻は小さな子どもたちや近所の友人との白馬三山の縦走を。そして鑓温泉。
「山が好きで、信州が好きで大阪からIターンしてきた」というと「いいなぁ」「いいですねぇ、うらやましいなぁ」と、さらにこちらを喜ばせるような返事。これに舞い上がってしまったのか、こてこての大阪弁で「軽トラの荷台やけど、乗っていきや」「タクシーの拾える所まで? 駅まで行ったる。遠慮せんでええ」。

猿倉からおびなたの湯を通りすごして八方交差点を左折、もう2~3分で白馬駅という直前の交番の前で、路上に立っていた警察官が「はい、こちらへ」「すいませんが免許証を」「昨日、大町で死亡事故があって、きつく取り締まるよう上司から指示されていますので、申し訳ありません」「山からの帰りですか、すいません」「シートベルト、していただけなかったのですね」「お急ぎのところ、ホントにすいません」
「いえいえ、あまりすいませんと言わないで下さい。申し訳ないのはこちらですから」と謝りながらキップをきられている間に、青年たちと別れたのですが、いかにも申し訳なさそうにこちらをふりかえり、ふりかえり駅のほうへ。おかんはこの好青年2人に手を振って。
「住所は大阪ですか?」「ここが好きで転居してきました」「そうなんですか。実は僕も山が好きで他県からこちらの警察に。山岳救助隊に属しているのですが、普段は交番勤務で」「あ、それはそれはご苦労様です。山はいいですね」「いいですね。大好きです。キレット行かれたのですか、僕も行きました…どうも申し訳ありません、3ヶ月経ったら点数が消えますから。気をつけて運転して下さい。申し訳ないです」「こちらこそ。救助気をつけて下さいね。どうもありがとう」なんと気持ちのいいキップの切られかたか。田舎の警察、大好き。
シートベルト、普段から締めているのですが、このときに限ってしていなかったんですね。そういうもんです。やっぱり山好きの青年に会って舞い上がっていたのかな。

さてやっと今日の本題の『おびなたの湯』
ざっと紹介すると、脱衣棚があって扉も仕切りもなく、すぐ露天というか野天の風呂1つのみ。その先は藪で、勢いよく流れる川(松川。白馬大雪渓の融けた水)が藪木立の間から見える。女性用は川に面しているのだけれど、目隠しのため川は見えなかった、とおかんは言ってました。
石鹸・シャンプーはあります。カランはなんと板塀に取り付けられていて、その数3つ。そしてシャワーは1つ(女性用は不明)。
長風呂のおかんを待つ間に話していた風呂番のおじさんの話では、PH(ペーハー)が11テンなんぼで強アルカリ性。「日本一はどこでもあるけれど、ここのは」ということでした。
ここから白馬岳が見えるらしいですが、この日は見えず(晩春から初秋まではどこでもそうです)。雑誌『山と渓谷』のグラビア写真家は、いい写真を撮るために10日間ほどここにいたそうです。それも朝の4時すぎから。「今がいいじゃないか」というと「いや、あの雲が」となかなか納得せず、プロとはそんなもんかいなと思った、とのこと。でも夜明けのアルプス、それはそれはホントにいい。時には朝焼けなんかして、素晴らしいですよ、一度ご覧あれ。
料金は500円。この日は「8のつく日」だったので半額でした。この近辺の土地の名『八方』にちなんでということだそうで、知らずに行ったのですがラッキーでした。
若い頃、この温泉の前をバスで通るたびに「いつか入りたい」との憧れを実現した感激込みで、星5つの最高点。洗い場、脱衣場などにこだわらない僕は、広くはないけれどゆっくり楽しめるいい温泉だと思う。
女性用は、洗い場がぬめっていたこと、目隠しのため眺望がよくなかったこと、湯は良かった、美人になれた気がする、ということで、おかんの評価は星3.5か4。
たしかに湯上りの女性は、誰でもどなた様でも美しくみえま~す。

えっ、年中新鮮なリンゴが食べれる!?

2007年07月27日 05時20分33秒 | Weblog

Since 24/07/2007

(26日発信の分です)
昨日(25日)は、早朝から家の周りの市道を、昼から暗くなるまでリンゴ園内を刈払機で草刈りをやっていたためか少々疲れてしまって、ブログ開始2日目で早速投稿はお休み。こんな調子ですが、今後ともよろしくお願いします。

さて、今日は午後から雨の予報。で午前中はリンゴに行って、雨になると仕事は中止してブログを書こうと思っていたところ、9時ごろから雨。書く時間はできたものの、リンゴは…。少々気にはなるのですが、ま、よくあるパターンです。

昨日は草刈りを考えながらの草刈りでした。ご近所のりんご園の下草はほとんどすべてまっ茶色で立ち枯れた雑草が。しばらくするとこれらも土と化するのですが、一方、青々、ボウボウのうちの園。この差は除草剤なのです。
できるだけ農薬は使いたくない、というのは誰しも考えています。でもうちの12か13aの小さな畑ですら、刈払機での草刈りはたっぷり2日かかります。加えて7月に入ってからでも2回目の草刈り。高齢化や規模拡大化の現状をみると除草剤の使用は仕方ないのかも知れません。で、草を刈りながら考えていたこととは、除草剤を使おうか、使うまいか、です。使えば病気や害虫の被害も少なくなる。草刈りの時間を「仕上げ摘果」に回すと、果実も少しは大きくなる、カタチの良いものも残せるし色もよく付く。でもこの青々とした地面は好きだしなぁ。それに草の状態でいろいろと知ることができるし、熟した実をつつくカラスもやってこない。僕もだんだん弱ってくるし、うーん…ということでした。

これから今日の本題です。
2~3日前、地震で罹災した柏崎に青森のリンゴが配られているTVニュースを見ました。カットされたリンゴがきれいな袋に入っていて、罹災した人々が「おいしい、おいしい」と食べている画像が流れていました。
青森のリンゴは冷蔵保存していて、それを市場に小出ししていくのですが、いま、保存させるのにびっくりするようなクスリができているのをご存知でしょうか。
その名は『1-MCP』という鮮度保持剤。
これはアメリカで開発されたもので、現在日本では農薬登録申請中。試験的に10月に収穫されたシナノゴールドというリンゴに使って6ヶ月経った3月中旬に食べたところ、なんと食味・食感が採れたてに比べてもまったく遜色のない「衝撃の味」だったそうです。
もしこの薬品が認可され普通に使われるようになると、おいしいいっけん新鮮なリンゴがいつまでも売れるし、つまりいつでも安く買えることになります。農業自由化論者には泣いて喜ぶうれしいニュースですよね。
でも、どうなんでしょうか。
今は、『つがる』がでて、『秋映』や『シナノゴールド』『シナノスイート』『王林』そして『ふじ』といったその時期時期の種類が私たちを楽しませてくれていますが、このクスリが使われるようになると早だし産地だけで十分間にあってしまって、そのほかの産地はつぶれてしまう可能性が極めて大。
それを日本国内だけでなく世界的に見ると、最終的に日本の産地は必要ない、ということになってしまう。24日でしたか、ニュースステーションで中国と日本の農業との関係─長野の2つの村の現状をレポートしていましたが、日本の中山間地の農業のほとんどが天龍村の梅のようになってしまうでしょうね。だってキロあたり1,000円の梅が90円になってしまったら立ち行かなくのは当然ですものね。
折りしもWTO(世界貿易機関)農業交渉、日本とオーストラリアの経済連携協定(EPA)が大問題になっていますが、この鮮度保持剤の存在を知って、ますますうーん、とうずくまる私でした。

でも、でもこうしてうずくまってしまいましたが、そこは「カネはないけどコメがある」式で行きましょう。

はじめまして。信州からの「たより」です

2007年07月24日 14時40分49秒 | Weblog
Since 24/07/2007

今日から私もブログをやり始め、『信州山里だより』を発信することになりました。
関西で生まれ、育ち、働いてきた私が、「ええ年になって」、「無鉄砲に」、「生活は?」も「将来は?」も「家族のことも考えずに!」若いころから大好きだった信州の、草深い『中山間地』に移住した私の目で見た信州、私の経験している信州を紹介していきたいと考えています。
本日以降ここで「私の信州」を綴っていくのですが、その視点は単に旅行者としてのそれではなく、また生まれ育った『土地もの』の視点でもない訳です。つまりこのブログの特徴はここじゃないかと思っています。『旅行者』にはうわべだけではないもの、『土地もの』には地元であるがゆえに気づかなかったことなどが書ければ、このブログの目的の一つを果たすことになり、これほどの喜びはありません。しかし反面このことは、『独断と偏見の信州観』でもありますし、思い込み、勘違い、知識不足による誤謬もあるでしょう。しかしそこは読者諸賢のご賢察にお任せすることとしましょう。

さて、話があちらこちらに飛んでしまう性癖のある(私の人生そのものでもありますが)私自身へのシバリも兼ねて、これからの内容について大まかに紹介します。
まず
①自然、風土、景観。温泉も…(Wonder-Land)
②『ムラ』『住民』そして『仲間たち』(Community&Friends)
③りんご、田んぼ、畑、食べ物(Farm&Foods)
④さまざまな人のさまざまな信州(Viva! Shinsyu)
そして、たまには⑤日常の生活と家族(Family’s Life)のことも加えましょう。なにしろ家族がどんどん増えてきて、まあ、大変ですが飽きない日々を送っていますので。
おっと、極めて重要なことを書き漏らしています。それは、⑥移住の実際(Manual)です。
これは家探しから今日までの移住に関しての私の知見・経験を時にふれて披露し、これから移住を考えている方々に少しでも手助けになれば、と考えています。なにしろ『過疎地』では一人でも二人でも『人間』が欲しい!(欲を言えばもちろん若い人がいいのですが…。若い人?ここらでは老人会までの人はみんな『若い人』ですよ)

最後に、お断りとお願いです。
私は信州に単なる『田舎暮らし』を楽しみに来ただけではありませんで、これからは『食に関すること』が重要産業の一つでありかつ成長産業でもあるとの希望的予測のもと、農業の出稼ぎも兼ねています。従って農繁期には記事の投稿ができない日、ときには1ヶ月近く続くこともあります。逆に冬は極めてヒマですが。
どうかこのあたりをご推察の上、このブログを末永くご愛読いただけましたら幸甚に存じます。

(初めての投稿で読みにくかったと思います。不慣れで申し訳ないです。今後、写真も入れて見やすくしていきます)