信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

よいお年を

2011年12月31日 23時50分40秒 | Weblog
2011年12月31日(土)記

2011年。
歴史に残る年となりました。
人間は往々にして、「自然を征服する」とか「自然を守る」といった不遜な考えを持ってきました。
しかし、人間はやはり「自然から守られて」おり、「時として見放されることもある」という謙虚な気持ちにならなければ、と改めて思いました。

そして、原発事故。
「事故」があったから問題ではないのです。核は制御でき、征服できるという人間の「驕り」が問題なのです。
私達はこれから数十年、数百年、数千年、「放射能」を命背負っていかねばならなくなってしまった。



済んだ青空に映えるたわわに実った柿の実。
暖かで穏やかな、でもすこし忙しかった大晦日の今日。

こんなに美しい故郷を
自然災害でなら取り戻せるけれど
放射能汚染ではいつ取り戻せるのだ!



来年は、皆様方にとって穏やかな日々の暮らしができますように。

寒い戸外のタマゴ(鶏卵)

2011年12月29日 22時05分31秒 | Weblog
2011年12月29日(木)記

今日から会社が休みのところが多いようですね。TVニュースでは帰省渋滞が始まった、と伝えています。
毎年恒例ながらと思いつつも、この年末始は去年までとは意味合いが随分違っているんじゃないか、そんな気がします。
先のお盆でも、私の住む信州の中山間地の小さな集落に、若い夫婦やその子ども達が大勢“帰って”いて、驚きました。

このお盆と年末始の時期の帰省を見るたびに、墓と先祖という縦、年老いた親と子と孫たち、兄弟やいとこ・幼馴染という横、ふるさとの山や川・雪という気候風土、寺や氏神様・祭りなどのムラの伝統や行事についての想いが馳せ、心がワクワクしつつも、何かしら切なさを感じるのは私だけでしょうか。
まして東北の被災地に住む年老いた父母を訪ねる都会からの息子・娘たちの心うちは……より一層のものがあるでしょう。


さて、この3~4日、寒いです。ここは連日-8℃、9℃まで下がって、水道は水抜きしているので被害はないのですが、湯はついに、洗面所はもちろん風呂まで凍ってしまいました。もちろん電熱線で暖めているにかかわらず、です。

こんな状態になるのは例年2月に入ってからなんですが、今年のような年内にということは、8回目の冬を経験する中で初めてです。寒さの原因はエルニーヨなんでしょうか。
この地の最低気温は、NHK全国ニュースの中の気象情報で「長野市(または長野県北部)の最低気温 何度」とあればそれに3~4℃低く見ていただければ、それになります。最高気温は変わらないのですが。

前置きが長くなりましたが、今日のお便りは戸外においておいたタマゴ(鶏卵)のこと。
こんな温度のなかでは、タマゴはどうなると思いますか? 実は私も初めて知りました。

写真、わかりますか? ひびが入っています。そう、割れているのです。
写真では、わかりやすいもの2個を撮っていますが、台所でみると15個中7個が割れていました。
家の中は暖房で暖かいので外の方がいいだろうと思って外に出していたのですが、逆効果でした。
こんなになるんですね。

で、タマゴを割ってみると異常がないのもありますが、なかには黄身がムラムラ、白身が白濁しているものもありました。

ニワトリ君たちは、こんなに寒いのにペースは落ちたとはいえセッセセッセと産んでくれています。
捨てるのは悪いので、これを玉子焼きにして食べてみました(一度に4個も!)。
味は普通のものと変わらないと思ったのですが、どうなんでしょう、食べてもよかったでしょうね?

こんなに寒いところですが、ブータン国に倣ってGNH(国民総幸福量)をみてみると、長野はいい線にいってるみたいです。で、あなたの府県、大阪? 京都? 東京? は何位?
http://www.hosei.ac.jp/koho/photo/2011/111110.html


追伸
原発事故。心が重い。引きずって年を越さねばならないんですね、君も私も。

こんな歌。少し長いですが一度聞いてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=ENBV0oUjvs0&feature=youtu.be

除雪機、初出動

2011年12月27日 00時27分51秒 | Weblog

2011年12月26日(月) 記

今夜、NHK全国ニュースの気象情報で、金閣寺に積雪、大阪で初雪と流れていました。
京・大阪が雪なら信州は推して知るべし、朝起きると積雪量40cm。これは除雪しなければならない量です。道の端が見えなくなってしまって危険だ(もちろんそれだけではないけれど)。
という訳で、除雪機を初稼動させました。

(公民館から家、そして)家から県道までの道は市道でありながら市役所からの除雪はなく、その代わりとして機械の貸与、その整備およびガソリン代は交付されます。で、作業は私の仕事。

Y区への貸与数はわずか2台。そのうちの1台は我がS組の公民館に置かれています。

(稼動前。ガソリンを入れているところ。ロクがついてきています)

機械が置かれていることからわかるように、S組には市から除雪適用除外地域が多い、ということです。
聞くところによると、理由は大型除雪機が入らないということだそうですが、数年前に起きた崖の土砂崩れの工事には大型ユンボ(バックホー)が入ってきているのを見ているので、それ以後この理由付けには「マユに唾」を付けています。

行政による「行政サービス」の提供は、5人(5軒)を単位としている、ということの原則が『行政学』か何かでやったような記憶があるので(間違っていたらゴメン)、むしろこちらのほうが理由じゃないか、なんて思っています。向かいのケサヨおばあちゃんがなくなって以降、常住世帯は2世帯になってしまっていますから。
(さらに付け加えれば、現市長の姿勢もあるように思います。『市長メール』ではかなり頻繁に「中山間地の活性化」なんていいますが、具体的な施策の立案、実行をしたことはなく、むしろ『住民自治協議会』など「行政の合理化=住民サービスの低下」が目立ちます。ちなみに彼が一番辣腕を発揮したのは地元マスコミと一緒に動き回った「田中康夫知事」追い落とし、かな)。

そして忘れてはならないのは、この作業をする負担が決まった世帯にまるまる覆いかぶさっている、ということです。

(ほぼ中間地点)

2世帯のうちの1世帯、ウシザワさんは腰痛もちで年齢が80近くなのに、数10メートルも自家製スコップを使ってやらなくてはならない。
それが辛いために、数年前20数万円も出して除雪機を買ったけれど、「オーガ」(前面の渦巻状の回転部)が首振りしないので、急カーブ、旧傾斜の道ばかりの中山間地のここでは使い勝手が悪く、結局は無駄使いになってしまった(首振りするものは50万円以上したそうだ。個人購入はそうだけど市への納入価格は半額近い、と某自動車屋さんが言っていた)

そして私。
自宅から除雪機を置いてあるS組公民館まで徒歩10分以上の急坂の雪道をズボッズボッと歩いて取りに行き、そこから作業を開始して自宅まで。そしていよいよ本命である自宅から県道までは1km弱。もちろん復路もあるので公民館からでは往復2kmはゆうに超える雪道を作業しなければならない。
加えて不都合なことに、出発点でガソリンを満タンにしても途中で燃料切れになる。

この年始め、前区長さんが見るに見かねたのか、有難いことに市役所支所に1台増設を要求してくださったそうだが、今年も前年と変わらないのでダメだったようだ。


現状は以上の如し、であるけれども、「負担で負担で」「しんどくてあほらしくて」という気持ちは全くなく、むしろ雪景色などを楽しんでやっているので苦にはならないけれど、1台、家の近くに配備して欲しいと願うようになりました。
というのも、救急車両・緊急車両の通れる道は常に確保しておかねば、という気持ちが年々大きくなってきているからです。

(雪をかぶった大屋根。昼12時で-2℃。でも雪が積もればそんなに寒くは感じない。日曜日は雪がなかったので0℃ですごく寒く感じました)

農家民泊 視察研修会

2011年12月21日 23時22分41秒 | Weblog
2011年12月21日(水)

今日、21日は農家民泊の視察研修会が開かれ、これに参加して来ました。

私達の地域では、今年から本格的に取り組み始めたばかりなのに予想以上に評判がよく、来年は受け入れ校も生徒数もかなり増える見込みです。これについてはたしか以前にお便りしました。

そこで今年の反省会はすでに開催したものの、より一層生徒達にとっても受け入れ家庭にとっても充実したものにするため、農家民泊の先進地区に行って勉強しようという訳で、この研修会が開かれました。


我が地区の近辺で先進地域といえば、鬼無里(きなさ)です。
鬼無里では『鬼無里修学旅行受け入れ隊』という会を結成して民泊に取り組んでいます。
写真は研修会が開かれた長野市鬼無里支所(このなかにJA支所や地域活性化センターが同居しています。研修会の模様は残念なことに撮り忘れました)。


鬼無里は昭和40年代に『学生村』を開設して、学生の受け入れをしていたそうです。そういえばこの『学生村』、信州のあちこちにあったことが思い出されます。
その『学生村』はいったん消滅したのですが、平成17年、白馬村に修学旅行にきた十数名(数十名?)の生徒達の希望で、おやきやそばうちの体験希望に応えたのが、農家民泊として再出発するきっかけとなったそうです。
で、翌年の平成18年5月から農家民泊として4校600人を受け入れたのが嚆矢となって現在に続いている。

最初は受け入れ希望家庭がなく、募集のためにチラシを村全戸に配布したり、個別にお願いに行ったりという活動を続け、こうしたなかから(地域の要請なので)「しぶしぶ」や「しょうがない」、「1泊ならいいか」(『学生村』は高校・大学への受験勉強のため、最低1週間、通常は2週間、長いものは1ヶ月の滞在)ということから徐々に増やしていった。
こうした努力と、受け入れ家族と協力した地域住民のとの間で地域共通の話題ができ、明るくなり、つながりもできてきて軌道に乗り出した、ということだそうです。



鬼無里の取り組みの経過は以上のようですが、受け入れ家庭からの個々の経験談も話してくださいました。

この話の中で参考になったことを箇条書きにし、カッコ内で私の感想を書きました。
① 受け入れた学校の行事のバザーに『隊』として参加している(受け入れ家庭と生徒の交流という個対個でなく、『隊』対『学校』としての交流を続けている)
② 食事は来る生徒はすべて違うから、受け入れごとに同じものにする(受け入れは予想以上に物理的精神的時間的負担が大きい。この負担軽減策は大きい)
③ 神楽の笛・太鼓を体験させる。(その通りだと思う。伝承された神秘性の宿る民俗芸能の一端に触れることはその土地への愛着がいや増す。ましてや都会の子どもたち。感激することでしょう。いや、大人もきっとそう)。
④ アトピーを持っている子どもに対しては、子どもの親に直接電話して注意点を聞く(なるほど、引率の先生に聞くより確実だ)
⑤ 農業体験もいいが、あまりこのことにこだわらず、信州の中山間地の自然の豊かさ、美しさを体験させるのもいい(自然に飛んでいるホタルを見るだけでどれだけ喜ぶことか。満天の星空でも興奮する)
⑥ 受け入れ家庭が複数集まって一つの体験をさせる(A家庭ではすでに田植えが終わっていたら、まだ終えていないB家庭で体験させる)。
細かい点はまだまだあるが、主だったところはこんなものでしょうか。


私自身、大阪にいるときに山村や農村によく出かけたものの、ただそこにはお金を出して利用できる施設はあってもただそれだけのことで、常になにかしら不満足でした。
訪れた農村に、ふと立ち寄れる「気が置けない場」が欲しかった。同じような思いを持つ人は多いと思う。
この民泊活動(あえて民泊『活動』といいます)を通じて、私自身が思い描いてきた「気が置けない場」の姿を追い求め、今私が住んでいるこの地で具体化できれば…と願っています。


研修会(というより、「交流会」に近かった)が終わった後、近くの温泉施設(奥裾花温泉 鬼無里の湯)に行き、我が『民泊受け入れ会』としての懇親会が開かれ、有意義な一日を終えました。
(参考までに参加家族は29、参加人数が50弱。夫婦連れが多くて単独の私はおとなしく隅っこに)

明日から大寒波襲来とのこと。ご自愛下さい。

七味温泉

2011年12月20日 22時28分52秒 | Weblog
2011年12月20日(火)記

寒さが続きますね。
昼前でも1℃にはならず雪がちらつく中、せっせせっせと汗かきながら用水路を直していますが、夜間はともかく昼間はもう少し気温が上がって欲しいですね。
この寒さ、週明けまで続くそうです。

でも、この寒い冬の信州にも極楽はあるのですよ。この極楽があるから、信州の冬を乗り切れているのかもしれません。
寄る年波にとっては極楽=温泉。というわけで今回のお便りは温泉です。


18日の日曜日、北信の高山村の温泉に行ってきました。高山村は須坂市の隣村、家から約1時間のところです。

信州暮らしも8年目に入っているのですが、まだ県内での“距離感”“時間感”が身についておらず、
「高山村…遠いなぁ」という印象なのですが、実際クルマを走らせると思ったより早く行けます。


さて、この高山村は温泉の宝庫です。
松川という川に沿って、子安、蕨、YOU遊ランド、山田、松川渓谷、五色、七味、山田牧場、奥山田と温泉が目白押しです。
このうち、かなり奥の七味温泉に行ってきました。

道中は雪が残っていて寒々とした風景ですが、秋は全山紅葉、それはそれは見事です。



目的地の日帰り温泉施設の玄関です。熱湯が勢いよく流されています。私は根っからの貧乏性。まず「勿体ない」。次に「何かに利用できないかな」「発電は?」と頭の中を駆け巡ります。


玄関を入ると写真のようなお知らせがテーブルの上に置かれています。のんびりしたものです。


内風呂も露天風呂も硫黄の香りがし、色も緑白濁で美しい色でした。


写真に写っている人は、湯から上がっては体を冷やし、冷えればまた湯に入りと心から温泉を楽しんでいる様子です。
外気は氷点下の冷たい空気でしたが、それがまた火照った体には心地よく、これが露天風呂の醍醐味と言えますね。
寒い信州の雪の中の温泉は、やっぱりいい。必ず満足しますよ。皆さんも是非いらっしゃい。

(温泉に入った夜はオマケがつきます。つまり、どんなに寒い夜でも、夜中トイレに起きなくて済むんです! これも私たち“老”夫婦にとっては嬉しいこと!)

剪定講習会

2011年12月19日 23時20分37秒 | Weblog
2011年12月19日(月)記

今日は19日で月曜日。北朝鮮の金正日総書記死亡の大きなニュースがあって、報道番組はそれ一色です。別に今日のニュースに限らず『B層』と言われないよう、『B層』にならないよう、これからますます私達のメディア・リテラシーが求められてきます。
その意味で、TVや新聞の記事の「鵜呑み」には気をつけたいものです。

さて今日のお便りは17日の土曜日のこと。
この日の明け方、全国的に寒かったようですね。ここも随分冷え込みました。金曜日には積雪・凍結予報がでていたので、あわててスタッドレスタイヤに履き替えて、滑り込みセーフです。


この日の午前中は、JAによるリンゴとモモの剪定講習会。もちろん参加してきました。

私の栽培方法でも剪定は極めて重要で、こうした講習会には今までに何度も参加しています。
その内容も、初級向けから、上級向けまで。講師も青森から来ていただいた方、県果樹試験場の先生、JAの営農指導員と、さまざまです。

参加するといつも新しいことを学べます。
思い込んでいたことが全く見当はずれであったり、自己流でやっていたことが最新の技術と同じだったり、教えられていたことに何年もずっと「なぜ?」と抱えていた宿題が突然解決したり、さらに講師によってやり方が違ったり、理解しやすかったりと、とにかく面白い。
かさねて、こうした勉強の機会を与えられることに感謝しています。

さらに「いいリンゴを作りたい」という一念で参加されている何十年も作り続けてるかなり年配のプロの方々、それも男女を問わず、そうした方々の受講の姿に接すると自分の甘さが反省させられ、身の引き締まる想いがでてきて刺激になってまたいいものです。
そして、講習会場となる他人の農園を見るのも勉強になり、ヒントが与えられます(私の農園も、一度講習会の会場として提供したことがありましたが、講師先生の開口一番「害虫が発生していますね」。この時は恥ずかしかった)。

勉強すればするほど、勉強したくなります。

いろんな方々から頂いてくるリンゴを食べては「お父さんのリンゴの味が忘れられない。これも美味しいけれど、やっぱり違う。一つでも食べれるものはないの」と連れ合いから言われますが、今年もダメ、と言っています。
自信の持てるリンゴを来年こそは、来年がだめなら再来年にと思いながら、勉強会や講習会にせっせせっせと参加して研鑽に努めています。

それにしても寒かった。雪が積もっていれば足元からジンジンと。雪がなければ体全体から熱が奪われていくのを実感できます。
この日はおひさまが出ていても0.5℃でした。


終了後、冷え切った体を温めるために温泉にでもと思いましたが、久しぶりに町に寄り道するとやっぱり本屋に寄ってしまいました。
久しぶりの本屋さん。うーん6冊購入。
このお便りを書く時間も作れない昨今、結局「積読(つんどく)」の予感、です。


追伸
前回のお便りで『モンサント社』について、少し触れました。
このモンサント社について、私のツイッターに情報が提供されました。なんと卑怯な!
CBCニュースで「モンサント社の社員食堂では遺伝子組替え作物は提供されていない」だって!
http://www.cbc.ca/news/world/story/1999/12/22/gmfood991222.html#.Tnem9oJyjKd.twitter

遺伝子組み換え作物(GM foods)の危険性が解っているのでしょう、きっと。なんという会社だ、儲けのためには圧力をかけて輸入させ、そして自分たちは食わない。
しつこいと思われるかもしれないが、遺伝子組替え作物が無制限に、無表示で入ってくるTPPは、このことだけでも反対しなければならない条約なのです。

種子(タネ)

2011年12月14日 09時45分48秒 | Weblog
2011年12月13日(火) 記

今日やっとやっと、ダイコンをすべて収穫しました。
今日の天気予報で「明日は快晴で気温も10℃を超える」と出たので、これは水仕事の最後のチャンスと思い、寒いし(温度計で2℃)月の出が遅いので早く暗くなったのですが、とりあえず収穫してしまいました。

毎年、野沢菜やダイコンを洗う日に限って、不思議と寒くなるんですよ。冷たい水はこたえます。体の芯まで冷えてしまいます。
「こんなとき野沢温泉村はいいなぁ。温泉の共同浴場が「お菜」洗い場になるし、それに温泉水でなお一層美味しくなるんだから」と、羨みます。
でも、手前味噌の言葉があるように、自分宅で漬けた野沢菜、ヌカ漬けは一番です。だから寒さも辛抱しなくては、うまいものを喰うために。

信州の漬物は「お茶うけ」の要素が大きい。で、どうしても「甘味(あまみ)」を効かせる。そのためにザラメや白砂糖、三温糖、柿の皮を大量に加える。
いっぽう大阪出身の私にとって漬物とは、「ごちそうさん」をするまえに茶碗に残した半分のご飯にちょっと渋めのお茶を注ぎ入れ、そしてこの時のために残しておいたふた切れのたくあんのうちの1枚を箸でつまんで…。
うーん、これは絶対欠かせない。どんなに美味しい会席料理がでたとしても、スーツ着用義務のあるどんな正式な所でも、この押さえがなければ食った気がしない。従って私には甘い漬物はダメ。




(撮影は14日早朝)
上の写真は種取りのために残したものです。この1本を残した時に、「しまった!」と気づきました。2~3本は残すべきだった。さらに先に収穫した「信州地大根」や「大蔵」「宮重」も残しときゃよかったと、反省しきり。今となっては後の祭りです。

「地大根」を除き、他のダイコンの種子は案外高価です。
特に新品種や独自の性格をもったもの(例えばトウ立ちしにくい、トンネルとマルチを使うと春早くから栽培できる、ことさら肌が白い、連作に強い、芯が赤い、などなど)は、結構いい値段をします。

自家採種は、カボチャは食べて美味しかったもの、オクラ、キュウリ、長ネギ、マメなどはやっているのですが、保管はしているものの播く時期になると違った品種を探すのも楽しく、やはり新しく買ってしまいます。
本当は、特にダイコンなどは何年も続けて自家採種していけばその土地にあった品種になっていくということなので、そうすればいいのですが、ね。



さて、このお便りを受け取っている君よ、あなたよ、たかが種子と云う勿れ! 種子を制するものは世界を制す。悲しむべきことに今はそんな時代になりつつあります。グローバリズムとはそうした一面も持ち合わせているのです。さらに「新自由主義」とは全く強い者勝ち、負けたものは「自己責任」の世界なのです。

種子について、看過できない記事を紹介します。
1年前のものですが、決して古くはなく。むしろ1年経ってますます私たちに直面してきた内容を持っています。
『アメリカで「野菜栽培禁止令」発令!』
http://www.asyura2.com/10/senkyo101/msg/305.html

そして、TPPで日本を虎視眈々と狙っている、そして経団連米倉会長と仲のよいバイテク会社モンサント(遺伝子組み換え作物の種子の90%以上を持っている)が入ったインド農民の惨状についての記事2本。TPPの農業分野での危険性が解ると思います。

『インド綿花生産者の自殺とモンサントの戦略』
http://indiesatellite.jp/?p=446
『モンサントと農民自殺』
http://www.youtube.com/watch?v=246VHBgsXHo

遺伝子組み換え作物。かなり危険らしいです。
私達は「遺伝子組み換え大豆は使っていません」という表示を見て、これで安心できると思っていたら大間違いですよ。
加工食品や飼料として輸入されているものには表示も不要ですし、使ってもいいことになっています。
このことについては、機会を作ってお便りします。

じゃ、また。


追伸
あ、そうそう誰からか聞かれたことを思い出しました。同じ疑問を持っている人がいると思いますので、書いておきます。

タネ袋を見ると、生産国がアメリカやイタリア、中国、スペイン、韓国などなどさまざまな国になっている。これって、外国製?

理由は2つあります(と、私は思う)。
一つは日本国内では他の品種と交配しやすく純な種子が取れにくいため、外国で栽培、採種してる。
二つ目。これは私の知り合いから話を聞き、実際に見せてもらいました。つまり種子会社の要請(依頼?委託?)でカボチャの種子を取るために栽培したのですが、これも異種交配を避けるため、朝は4時前に起き、すぐに畑に行って時には懐中電灯を使いながら雌しべに受粉させ、終えるとすぐに他の花粉が入ってこないよう雌花の一つずつを紙(その時は紙でした)で包み、さらに…と、大変な手間がかかるわりに報酬が少ない。で、やる人が少なくなってきている、ということしょう。

他に理由があれば教えてください。

田んぼ再生

2011年12月13日 00時00分47秒 | Weblog
2011年12月12日(月) 記


ここ2~3週間、他の作業の合間を縫って田んぼを再生しています。
おコメを作らなくなって丸4年。田んぼは年に1~2度草刈をしていたのですが、水路は荒れ果てていました。

(草刈機のベルトの下、若干くぼんでいるところが用水路)

この荒廃は普段の手入れを怠っていたということも一つの原因ですが、やはり最大の原因は昨年の梅雨最終日に襲った局地的集中豪雨でした。
集中豪雨は、あちらこちらで土砂崩れを起こして水路を破壊してしまった。そしてこの被害が想像以上にひどく、この春からのお米作りは諦めざるを得なかった。
でも「ま、じっくりやっていこう、リンゴもあるから忙しいし」と、比較的鷹揚に構えていました。


しかしこの秋の野田総理によるTPP交渉参加表明で、事態は一変です。
この表明で、尚一層「食べものはできる限り早く自分で確保できる道筋を作っておかねば」と考え、再開を早めたのでした。私の係累はもちろん、親類、友、そして縁ある人たちにとってのセフティー・ガードにならなくては、と思ったのです。



もう50年近く前か、暗殺されたアメリカ大統領ケネディが尊敬する政治家として山形米沢藩の藩主『上杉鷹山』(うえすぎようざん)をあげました。それはなぜ?
藩政改革をなしえたから。
ではその改革の中身は?
一言で言えば『徹底した自給自足』と『殖産興業』でした。
特に『自給自足』について、藩単位から国家単位に換えれば「自給率の向上」に他ならない。この施策を成し遂げた鷹山をケネディは高く評価し、尊敬したのです。


TPPに参加することによって農産物は、「価格」の一点だけを取り上げれば、安くなるかもしれない。私は、<価格が安いこと=善である>とは思っていないけれど、百歩譲って良しとしても、それは「価格」という1点だけであって、「品質」「安全性」「生産者への正当な報酬」「国家戦略」「国土保全(治山治水)」「環境」「風景・景観」「水」「国民の健康」「フードマイレージ(輸送エネルギー消費を含む)」「ポストハーベスト」「遺伝子操作」「独占企業による国家支配」等々、数え上げればいくつもあるが、何一ついいことはない。
(物価が下がること、即ち賃金が下がる、といえば万人の心に届くだろうか?)

鷹山の話から横道にそれてしまいました。
つまり私がいいたいのは、外国産と対抗するために農地を集約化して規模拡大し、農産物を特化すればするほど、負けて悲惨な目にあってしまう。これは予言しておく。そして確実に生き延びるのは集約的小農の家族経営なのです。

今回はどうもうまくまとまりませんでした。
コメは今でも安いのに、TPPでさらに安くなるといわれているのに、なぜこんな時にコメ作りを始めるのか。
このことについてまたお便りしたい。あれもこれもと思い溢れてしまって…。今日は失敗です。

最後にこの言葉を添えておきます。同盟、同盟というけれど、本心はここにあり、ということかな。


「アメリカの穀物は武器である

食糧はアメリカが持つ外交上の強力な手段です。
とりわけ、食糧を自給出来ない日本には有効です。
日本に脅威を与えたいのなら、穀物の輸出を止めればいいのです。
                          
                     元農務長官 アール・バッツ」

日向ぼっこ

2011年12月09日 11時41分39秒 | Weblog
2011年12月10日 記


あっという間に1ヶ月以上経っていました。ホントに申し訳ありません。
いま皆既月食を見ながら、このお便りを書いています。

小学校高学年の頃、「フォン・ブラウン博士」だの「ヴァン・アレン帯」だのから宇宙に関心を持ち始めたけれど、どういうわけかアメリカの「月面着陸」から急速に興味をなくしてしまいました。
で、こんなことを言うと非難されるかもしれないけれど、「イトカワ・はやぶさ」にも「へぇー」と思ったもののそれ以上ではなかった。

でも、今日は違いますね。
信州の中山間地で、なおかつ明かりもないところで月食や満天の星を見ていると、「私はいま地球に立っている感」がすごくします。
宇宙から地球を眺めると、「地球は浮いている」のが理解できるそうですが、別に宇宙に行かなくともこの地上でも実感できます。
さらに夜空を眺めていると「塵網の中(じんもうのうち)に落ちている」(『帰園田居』陶淵明)昼間が自覚できます。それだけでも星降る夜は、いい。



さて、今朝は寒かった。ここは氷点下6℃まで下がりました。そちらはどうでしたか。

写真は、今年はじめての積雪があった、昨日の朝の風景。

畑の作物の収穫はまだだし、再生している田んぼの水路もほんの少し枯れ草を刈っただけなのに、このまま根雪になってしまうのじゃないかと心配していたのですが、幸いにもきのう1日で消えました。でも日陰の畑は、今日の昼を過ぎても凍ったままでした。

こんな気候になると、わが同居人たちは日向ぼっこに余念がありません。
女の子の「テン」ちゃんは、稲わらの上でなおかつ日当たりのいいところ。まずは一等地です。
この子は明け方、薪ストーブの火が消えるころになると連れ合いの布団に入ろうとして追い出され、結局私の布団の中に入ってきて「添い寝」してくる、なんとも寒がりな子です。


男の子の「クー」ちゃんは、この秋植えたユズの囲いビニールの横。


「ナナ」ちゃんは少しでも小屋の陰を避けてお日さまにあたるようにと、子牛ほどもある大きな体を玄関への通路途中に横たえます。


私は、ダイコンの遅すぎる収穫です。このダイコンは『信州地大根』。形が面白いでしょう。青首など4種類を植えているのですが、ヌカ漬けにはやっぱりこれがいい。


じゃ、また。