2011年12月21日(水)
今日、21日は農家民泊の視察研修会が開かれ、これに参加して来ました。
私達の地域では、今年から本格的に取り組み始めたばかりなのに予想以上に評判がよく、来年は受け入れ校も生徒数もかなり増える見込みです。これについてはたしか以前にお便りしました。
そこで今年の反省会はすでに開催したものの、より一層生徒達にとっても受け入れ家庭にとっても充実したものにするため、農家民泊の先進地区に行って勉強しようという訳で、この研修会が開かれました。
我が地区の近辺で先進地域といえば、鬼無里(きなさ)です。
鬼無里では『鬼無里修学旅行受け入れ隊』という会を結成して民泊に取り組んでいます。
写真は研修会が開かれた長野市鬼無里支所(このなかにJA支所や地域活性化センターが同居しています。研修会の模様は残念なことに撮り忘れました)。
鬼無里は昭和40年代に『学生村』を開設して、学生の受け入れをしていたそうです。そういえばこの『学生村』、信州のあちこちにあったことが思い出されます。
その『学生村』はいったん消滅したのですが、平成17年、白馬村に修学旅行にきた十数名(数十名?)の生徒達の希望で、おやきやそばうちの体験希望に応えたのが、農家民泊として再出発するきっかけとなったそうです。
で、翌年の平成18年5月から農家民泊として4校600人を受け入れたのが嚆矢となって現在に続いている。
最初は受け入れ希望家庭がなく、募集のためにチラシを村全戸に配布したり、個別にお願いに行ったりという活動を続け、こうしたなかから(地域の要請なので)「しぶしぶ」や「しょうがない」、「1泊ならいいか」(『学生村』は高校・大学への受験勉強のため、最低1週間、通常は2週間、長いものは1ヶ月の滞在)ということから徐々に増やしていった。
こうした努力と、受け入れ家族と協力した地域住民のとの間で地域共通の話題ができ、明るくなり、つながりもできてきて軌道に乗り出した、ということだそうです。
鬼無里の取り組みの経過は以上のようですが、受け入れ家庭からの個々の経験談も話してくださいました。
この話の中で参考になったことを箇条書きにし、カッコ内で私の感想を書きました。
① 受け入れた学校の行事のバザーに『隊』として参加している(受け入れ家庭と生徒の交流という個対個でなく、『隊』対『学校』としての交流を続けている)
② 食事は来る生徒はすべて違うから、受け入れごとに同じものにする(受け入れは予想以上に物理的精神的時間的負担が大きい。この負担軽減策は大きい)
③ 神楽の笛・太鼓を体験させる。(その通りだと思う。伝承された神秘性の宿る民俗芸能の一端に触れることはその土地への愛着がいや増す。ましてや都会の子どもたち。感激することでしょう。いや、大人もきっとそう)。
④ アトピーを持っている子どもに対しては、子どもの親に直接電話して注意点を聞く(なるほど、引率の先生に聞くより確実だ)
⑤ 農業体験もいいが、あまりこのことにこだわらず、信州の中山間地の自然の豊かさ、美しさを体験させるのもいい(自然に飛んでいるホタルを見るだけでどれだけ喜ぶことか。満天の星空でも興奮する)
⑥ 受け入れ家庭が複数集まって一つの体験をさせる(A家庭ではすでに田植えが終わっていたら、まだ終えていないB家庭で体験させる)。
細かい点はまだまだあるが、主だったところはこんなものでしょうか。
私自身、大阪にいるときに山村や農村によく出かけたものの、ただそこにはお金を出して利用できる施設はあってもただそれだけのことで、常になにかしら不満足でした。
訪れた農村に、ふと立ち寄れる「気が置けない場」が欲しかった。同じような思いを持つ人は多いと思う。
この民泊活動(あえて民泊『活動』といいます)を通じて、私自身が思い描いてきた「気が置けない場」の姿を追い求め、今私が住んでいるこの地で具体化できれば…と願っています。
研修会(というより、「交流会」に近かった)が終わった後、近くの温泉施設(奥裾花温泉 鬼無里の湯)に行き、我が『民泊受け入れ会』としての懇親会が開かれ、有意義な一日を終えました。
(参考までに参加家族は29、参加人数が50弱。夫婦連れが多くて単独の私はおとなしく隅っこに)
明日から大寒波襲来とのこと。ご自愛下さい。