信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

もう、ええかげんに しいや

2007年11月16日 07時51分41秒 | Weblog
今日は柿についての『山里だより』のつもりでしたが、急遽変更。
なんとまあ、ホント、てんやわんやの大騒ぎ。ネコ4匹もいると、ああややこし。

夕方6時30分。オカンを迎えにバス停まで。このままスーパーへ行くこともありますが、献立も決まっていたので、今夜は家に直行。
で、玄関から土間を通ってダイニングキッチンに入ると、子猫3匹の様子がおかしい。なに?と、そのうちの1匹がTVの前で、他の2匹をけん制しながら何やらひものようなものを咥え、時に口から離しては右手でチョイチョイ、左手でチョイチョイ。で他のネコが寄ってくると再び咥える。まあ、よくある行動なんですが、そのひも状のものを目を凝らして見ると、な、な、なんとヘビ。
ヘビが一番嫌いな私は「わあっ、オカン、ヘビやヘビ。ヘビ咥えとる。はよ(早く)捕まえてくれ」
ヘビはなんともないオカンが「何かつかむものは? 箸でやろか」「あかん、あかん。咬まれたらどうすんねん。待って!」
とハソミ(鉄火箸のようなもの)を取りに行ってる間に、「お父さん、外へ行った!」。

外は真っ暗闇。このまま見失ってしまったらやっかいや、と懐中電灯を持って裏に回りかけると、咥えているネコを追って他の2匹は追いかけてるわ、イヌの『ロク』も一緒にいるわ、で幸運にもすぐに発見。先ほどと同じように、他をけん制しながらヘビをいたぶっている。
すぐにビニールハウスにある三角ホーを取って戻り、咥えられているヘビを気味悪く思いながら、「ゴメンな」とつぶやいて、ぎゅーっと地面に押さえつけ「オカン捕まえた。オカン、オカン、オカーァーン」と叫んでも聞こえず。で三角ホーを固定して、家の中にいるオカンを呼びに行き二人で外に出ると、今度はヘビを咥えたまま、破れた、というか普段からネコの出入り口になっている障子の穴から家の中へ。

で、結局オカンと私、どちらが捕まえたのだろう、全く覚えが無い。3匹の子ねこ『キュウ』『テン』『イチ』のどの子が咥えていたのかも覚えていない。

レジ袋に入れられたヘビはかすかに動いている。その袋を持ち上げてオカンはじっと見つめる。
「あぶないで、マムシ違うか、この文様は」「そうかなと思って、頭見てるんやけど、見る!」と目の前に突き出す。「わあっ、アホ、そんなんすんな。なんとかせえや」「どうしよう」「ちょっと待って、土に埋めるわ」「ロクやこの子達が掘り返せへんか」「そやな。そんじゃ、あのドラム缶に入れとこ。あこからは出られへんで。明日なんとかするわ」

寒い今じぶん、ヘビが何で? 誰がどこで捕まえた? ネコはマムシにかまれてもなんとも無いの? 

そう言えば『ハチ』(今はこの3匹の親猫になっている)を飼いだしてから、ヘビの姿は見なくなった。それ以前は家の回りでよく見たし、サクラの木から私の目の前に落ちて、のうしんとうかなんだか知らないがしばらくよう動かないヤツもいた。今年は春先のヤマカガシ以来の、たった2回目。

食事も終わり、薪ストーブの前でロクも3匹の猫も頭を並べて一緒に寝ている。かわいい時だ。初冬の夜がゆっくりと流れる。
で、私は風呂から上がってストーブの前でくつろぐ。超珍しくオカンは早寝。

と、それまで姿を見せていなかった母親ネコの『ハチ』が、なにやら咥えて入ってくる。寝ていた3匹の子猫ががぜん起き上がって一斉に『ハチ』の方へ。『ハチ』はウーとうなってけん制。子猫たちは追いかける。『ハチ』は逃げる。
わぁっ、今度はネズミや。
(2007.11.15記)

平年並みの天気になぁーれ

2007年11月15日 08時06分33秒 | Weblog

ここ数日天気が悪く、雨だったり曇りだったりのすっきりしない天候が続いていました。天候がすっきりしないことは、気温が高い、ということになります。これが困ります。リンゴにとっては色づきや甘みの乗り具合に影響します。それに加え、信州人には絶対欠かせない野沢菜にとっても影響が大きい。わが里もほとんどの家庭が自家用を栽培しています。中には当地で作ったものは柔らかくおいしい、という評価があるので委託されて栽培しているおばあちゃんもいます。早く播種した人にとっては、ちょっと苦戦か。

少し横道にそれますが作物はデリケートですね。1mにも満たない小川を隔てた右と左で、作物の質が違ってくる。わが里からほんの50m上がるか上がらないかの里では、超有名な辛味大根の名産地なのに、わが里では全くできない。同じ種を播いても辛くはならない。この地方で有名なのは、犀川の左岸(北側)では、これまた有名な西山大豆という名品ができるが、右岸は全く一般的なダイズしか取れない。

さて話は戻ってこの野沢菜。早く播いたものはかなり大きくなってきていて1m近い。そろそろ収穫すこそこの人は、ゆったり構えて、収穫時期をいつごろにしようか、その10日か2週間前くらいには尿素をくれてやらねば、まあそのころまでには霜の1回や2回は降りるだろう、なんて考えている。春の天候不順は比較的影響が少ないのだけれど、秋のそれはてきめんにくる。

わが家の野沢菜は少々ばて気味。つまり初期成育は良かったけれど、お向かいの92歳のおばあちゃんが作っている野沢菜のほうの生育に追い越されてしまいました。
これは天候ではなく技術の差。
昨年も大きくならないうちに生育が止まってしまって、やむを得ず小さいまま漬物にして食べたのですが、一部まだこれから大きくなるだろうと期待を持って年を越したものは、結局春になって小さいまま「菜の花」漬けとなって、ボクの胃の中に。

天候。どんな天候にしろ、われわれはそのまま受け入れるしか仕方ないですよね。
ただこの数日の天気の悪さが北アルプスの山嶺にとっては化粧の時だったのか、からっと晴れた今日、ハッとする美しさを見せてくれました。
わが家へ行く道の、今日の午後12時30分頃の美しい風景(右よりのピークは白馬鑓ヶ岳。左へ天狗の大下りから不帰嶮です)。
(2007.11.14 記)

山の手入れ

2007年11月14日 17時35分46秒 | Weblog

(どうもパソコンの調子が悪く、アップしようとするとページエラーがでて、フリーズします。それを繰り返していると時間が迫って中止。再度挑戦。あきらめ。この繰り返し。こんな状態が続いています。以下の内容は、11日の日曜日のことです。時計を戻して読んでください。よろしく)

今朝の5時半ころから、ポツリポツリと雨音。時間が経つにつれて本格的な降りになってきました。ひょっとすれば今日の区有林の下草刈りは中止かも、と希望的観測。しばらく囲炉裏で火を焚いて暖を取りながらゆっくり過ごしていました。
ところが開始時間の8時に近づくにつれて、時折雨粒が落ちてくるものの雨上がりの状態になり、「これは微妙」と、とりあえず集合場所には行くことに。
雨合羽を着込み、腰には鉈とノコギリ、手にはカマを持って集合場所にいくと、決行だとのこと。雨で中止と判断した人が多かったのか、参加者は少なかった。幸い今日実施の区有林は一方に比べて随分小さいらしい。
ここにきた過去3年半の間で2回目なのだが、前回は雨で中止のため僕もはじめての参加である。
集合・点呼をすますと早速杉林の下草刈りを開始。下の川までというので、小さいといってもかなりあり、傾斜も急でとっつきから「えーっ、こんなとこ!?」。角度が何度あるのか滑り台以上である。写真は下から撮っているのでわかりにくいかも知れないが。
作業中、滑ってまた這い上がってくる人もいれば、コロンとひっくり返る人もいる。草、笹をつかんだり木の根元に足を支えて滑落を防止しながら約2時間半。なるほど、ムラの人が「小さいところ」というように思わず早く終わった。しかしあまりいい木は無いように思える。枝打ちや間伐が不十分だからだろうか、よくわからないが。もう一箇所の区有林はかなり広くカラマツが植えられて、これは立派な木が林立している。

さて作業終了後、組(くみ。都市部で言えば自治会の班にあたるか。行政区では小字)に一人ずつ指名された植林委員(私もその一人)が公民館に集まって欠席者の確認。そしてこれらの人たちから出不足金を徴収するために『徴収通知書』を作成し、後日徴収しに行く。今日の場合、半日の動員なので4,000円になる。

ちょうど今、長野県では森林税を導入するかしないか議論沸騰中で、この事務作業が落ち着いたあとの雑談では、この話で持ちきりでした。
「われわれのムラのような中山間地で、規模も小さいところに(森林税からの補助金が)回ってくるのか?」「ともかく山が家のそばまで動いてきている(藪が迫ってきている)。早く食い止めねば」「シカ、イノシシ、サルが多くなった。それ(森林税)がつかえるのか」などなど。
森林税は県民一人500円。月曜か火曜日には村井知事が結論を出す。

信州の森は美しい。しかし近隣でも急激に悪化している。誰かが何らかの方法で守らねば、と思う。
でも今日の草刈り、最初は「えーっ」と思い、少々きつかったが、やったらやれる。たいしたものです。

JA祭

2007年11月10日 22時14分37秒 | Weblog
夕暮れ時から急に冬になってきました。
この近辺では山に遮られてあまり吹かない風が、枯葉を舞い上げて割りと強く、冷たく吹いてます。時折、窓の隙間から吹き込んできます。まるで絵にかいた木枯らしのようです。皆さんの所はいかがですか。

前回「平(タイラ)の何がしという武将が、戸隠村(現在は合併されて長野市戸隠地区)に住む鬼女」のあと(『紅葉(もみじ)』という名)を入れるべきを忘れていました。補足します。
 鬼女である紅葉を狩るから『紅葉狩り』ということでした。

さて、今日の話です。
10月末の土日からしばらくは近辺のどこかで『○○祭』が開かれています。今日は私の属するJAの『JA祭』。
日にちが重なることもあります。私の住む長野市○○町には2つのJA支所があるのですが、今日同じ日の開催です。
また主催はJAであったり自治体であったり。あるいは『巨峰まつり』や『サンふじ祭り』のような農産物そのものを銘打ったものもあります。ま、収穫祭のような、あるいはイベントのようなものでしょうか。

私も今日は朝8時から夕方まで、野菜の売り子として参加してきました。今年でもう3回目。早いものです。まったく知らない人から「○○さん、この長芋ちょうだい」と名前を呼ばれて「えっ」と思ったり、「いつもお世話になってます」と声をかけられて「こちらこそお世話様です」と言いながら「???」だったり、買ったものを「あとでとりにくるから、置いておいて」といわれて、「なんという名前の人?」とJA職員に聞いたり(お客さんは私のことを知っているので、私もお客さんのことを知っている、と思っているのでしょうか)、「これと、これと、これと。口座から落としといて。品物は配達ね」など、それはそれはまあなんというか面白い雰囲気の中でやってきました。

この時期は農産物の収穫を終えておカネも入ってきた近隣のお百姓が、自分では作っていない野菜や保存の利く魚類(塩サケやタラなど)、保存食の材料を買います。これはおカネがあるから、という理由だけではなく冬の準備のためでもあるのです。この様子を見ているとスーパーや商店街での買い物というよりも、ずっとずっと昔の「市場(いちば)」とはこんなものじゃないかなと髣髴とさせます。

でもこの祭りも私が参加しているこの3年間だけでも急速に変化してきています。
まず、購入する量が極端に少なくなってきています。最初の年など、ゴボウ、長芋、キャベツ、ニンジン、ハクサイ、セロリなどこんなに買ってどうするのか、他人事ながら心配したものです(室での保存、ベト(土)に埋める、漬物にするなど、その保存方法には都市住民には驚きです)
次に、種類も減ってきた。
そして「市場」の雰囲気から、店舗の大売出し的な雰囲気に変わってきている。

いくつかの理由が考えられます。
一つは家族が減ったこと。子供たちは都会に行き、残ってるのは老夫婦か、独居老人だけでは量もそんなにいらない。
次に、食べものはいつでも買える状況になってきた。AコープやJAの生活センターが、少々不満はあるけれど冬でも日々の生活にはまあまあ事足りるようになってきた。
さらに、(クルマの運転や道路状況の)交通の便が良くなったために繁華街や郊外の大型店へは簡単にいける。今、長野駅まで30分程度のこの地域でも、昭和30年代後半でさえ長野中心部に出るのは大変だったらしい。特に冬は。)
また、保存食の作る量も減ってきた(でも今日も塩何十K、砂糖も何十Kと買う人がいましたよ)。

写真で見るとおり、この建物の裏にも店はあるもののホントに規模は小さい。すっと行けば裏を回っても5分はかからない。でもお年寄りには昔の高揚した気分を思い出させるものがあるようです。1日に何度も来る人。体が動かないからと、普段外に出てこない人でも杖を突いてやってくる。孫と来たおばあちゃんは、おばあちゃん、おばあちゃんしている。

また、この建物の2階ではうどんが振舞われ、近隣の人たちによる書、絵画、手芸など文化的な作品の展示も行われています。

これも近い将来なくなるでしょうね。地域の高齢化と人口減。生活様式や意識の変化。そしてJAの合理化、支所の統合(だってあの郵便局ですら民営化されたんですから)。

スーパーの清潔で合理的で便利なところもいいけれど、おカネを払っているのかいないのかわからない(でも、ちゃんと払って、だれも誤魔化さない)、清潔なのかそうでないのか、高いのか安いのか、雑然として、不統一で、それでいて親しみのあるこのJA祭。いつかお客として店を覗きまわりたいと、少々疲れた体と頭で思っています。

余談2話。
その1.今これを書いているさなか、すぐそばの中条村と小川村の境を震源とする地震が連続して起き、この古家も揺れています。
その2.この原稿を書いていて急に『家族』という映画を思い出しました。父親である三国連太郎が、都会に出た息子に会いに行く。そのエピソードを描いた映画です。子ども2人に会った後、雪深い家に帰るのですが、それが昔日の出稼ぎから戻ってきた幻想場面になり、囲炉裏を囲んで食事をしている年老いた親、妻、子どもたちが笑顔で自分を迎え、子ども達にお土産を渡し…、ふと我に帰ると誰もいない暗い寒い家の中。ひとりブリキの薪ストーブに新聞紙を入れて火を起す。そんな映画でした。
私が一人になったら? あるいは家内が一人になったら?ちょっと寒く感じます。

さて、明日は朝から区有林の山仕事。今日は夜更かししてしまいました。また、あした(書けるかな?)

紅葉狩り

2007年11月08日 21時17分40秒 | Weblog

今日は立冬。こちらは最低気温3℃を切りましたが、昼間は暖かいのでそんなに寒くは感じないです。長野市での平年の初霜は10月26日、初氷は11月2日。今日はすでに8日になりますが、氷はおろか霜もまだですので随分遅れています。
一方、紅葉はこの山里でもピークは過ぎたのですが、まだまだキレイです。
この付近は県歌『信濃の国』にも歌われている景勝地で紅葉の名所。毎日何人かはカメラ片手に紅葉狩りにこられます。車のナンバーを見ると長野ナンバーばかりですので、県外の人には知られていないのかもしれません。写真は2枚目の田んぼからの風景です。

さて、紅葉狩りというと普通は紅葉見物の意味ですが、ちょっと謡曲の話を。謡曲?そう、能の謡曲です。
能(謡曲)に『紅葉狩り』というのがあります。実は信州戸隠が舞台です。
平(タイラ)の何がしという武将が、戸隠村(現在は合併されて長野市戸隠地区)に住む鬼女を退治する話ですが、この地方の伝説としても残っていてこの鬼女の住んでいたとされる洞窟もあります。これは数少ない「般若」が登場する演目です。ちなみに般若は女性が怒ったときの顔ですが、聞くところによるとネコが怒って「フーッ」と吹いた時の表情だといわれています(真偽不明ですが、うちのネコを見ていると、特に口元なんぞそうかなとも)。

ローカルのTV番組で知ったのですが、面白いのはここからです。
鬼女は「きじょ」とよみますね。漢字で「貴女」と書いても「きじょ」です。
で、戸隠村の隣の鬼無里(きなさ。同じ日付で合併されて長野市鬼無里地区)では同じ女性が「貴女」として慕われていた、ということです。この話から村名が『鬼無里』となったかどうかは不明。

ちょっと『山里だより』から外れました。
今日はミョウガ畑にモミガラ投入。少々広く作っているのでまだ終わらず。この地方はショウガができないので、ミョウガが主です。軟白なものを作ってみたい(うまくいけばブランドものに!)と考えて今年初めての試みです。
午後は2枚目の田の修復。写真の田です。
ではまた。

500g195円の殻付き落花生

2007年11月06日 14時08分14秒 | Weblog
 今日は直売所の担当日。午前9時から12時 までの3時間。外は冷たい雨もやんだのですが、寒い日です。こういう時はお客さんも少ないので、それを利用してこのブログを書いています。
 先ほどまで常連さんの一人が「今日は仕事が休みなので遊びに来た」といって、ダルマストーブに自分で火をつけて雑談し、何も買わずに帰ったところです。

 ところで皆さんは青山学院の福岡伸一という分子生物学の教授をご存知ですか。私も知らなかったのですが、最近出版された『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)がベストセラーになって注目されているそうです。
 この時点ではまったく興味は無かった。生物学はともかく『分子』と聞くともうダメ。
 ところが、たまたま定期購読している雑誌に『「安さ」と引き換えに失ったものは何か?』という題で一文を寄せられていました。
 普段から食品の安さに疑問を持っていたので、題を見て興味津々。「へえ~」と感心しながら読みました。ちょっとかいつまんで紹介します。

○戦後間もないころの日本人のエンゲル係数は60%、現在では20%そこそこ。これはただ豊かさが増大したことの指標ではなくその背景には、私たち自身のありかた、つまり食べ物に関して、1円でも安ければそれを迷わず選び、あるいは遠い方のスーパーに出かけるという消費行動がかくされているのではないか。

 そして生物学者ルドルフ・シェーンハイマーの実験を紹介する。

○彼はネズミを使って、今、食べた食べものがどこへ行くかを調べた。そのために食べものを構成する分子一つひとつに目印をつける、アイソトープという技術を用いた。ここではマーカーで色を塗ったというふうに理解していただければよい。それをネズミに食べさせると、食べものの分子は、ネズミの尻尾、目の中、骨、心臓、肝臓などあらゆるところに散らばってそこにとどまった。一方、ネズミの体重は1gも変わらなかった。これはいったいどういうことを意味しているのか。それはこういうことである。今、食べた食べものの分子は体の一部に取り込まれ、体の一部になった。そして同時に、それまで体を構成していた分子は分解されてからだの外へ排泄されてしまった、ということだ。じつは、分子レベルで見ると私たち生物の体は、絶え間ない分解と合成の真っ只中にある。いま、私たちを形づくっている分子は半年か1年後にはもうここにはない。すべて食べものの分子と置き換わってしまう。

 ズバリ食べものが体を作る、ということなんでしょう。また狂牛病を防ぐには、実に簡単。「牛を正しく育てればよい」、とも言う。

 教授は命の捉え方についても言及していますがそれは割愛(正直、私には理解不能の分野)。でもいろいろと考えさせられる一文でした。
 頻発する食品会社の偽装事件も大きな動機が「コストを抑える」「儲けを出す」「安ければ消費者が買う」(ミートホープの社長が言ってましたね「安いものを選ぶ消費者も悪い」と)。

 ところで私はというと、500g195円の中国産殻つき落花生。基準以上の農薬が出てきたということなのでしばらくは食せず、また店頭からも姿を消していました。でも最近また並べられているのを見ると、自分でもわかってるし、オカンにも止められるんですが、どうしても「わかっちゃいるけどやめられない」。つい手が出てしまいます。
それでは千葉県三里塚産のは、というと「う~ん、手が出ないなぁ」。

 で、「失ったもの」とは「生産者から受け手にいたるプロセスの可視性である」と(この辺が学者の表現)。要するに「生産者と消費者の顔の見える関係が失われている。製造過程であり流通過程をふくめて」ということでいいのかな。
 まさに「安さ」の追求が、今私達が抱えている食べものに関する諸問題とかかわっている、と理解しているのですが、あなたはどのように理解しました?

カメムシ

2007年11月05日 15時59分37秒 | Weblog
日曜日、温泉からの帰りに立ち寄ったスーパーで、ワインの「新酒」がずらっと並んでいるのを見ると飲みたくなって、コンコード(赤)を1本買いました。塩尻産のワインです。
国道19号線が山の中の木曽路から平坦にでた!、というところが塩尻市の桔梗が原で、そこがブドウの産地です。『五一ワイン』『アルプスワイン』『信濃ワイン』などのローカルなワイナリーだけでなく、サントリーなどのメジャーも生産しています。
で、二人でいい雰囲気でワインを飲みながら食事。ワインの味なんてわからない私ですが、美味しかった。
小布施町、信濃町など北信にも小さいけれど個性的なワイナリーがあって、それが世界的に『SHINSYU WINE』として評価されているようで、世界的な賞も数々受けています。
ま、私なんぞ選ぶ基準の最たるものが値段なので、いつかは飲みたいなとは思いつつも、いつになるやらわかりませんが。
大阪にも好きなワインがありました。それは『蝶矢』(チョーヤ、でなく蝶矢)の1升瓶に入った赤。1升瓶のでなければダメ。これが好きでした(やっぱり、値段最優先かな)。

ということで、昨晩はそのまま爆睡。
で今朝、起きてきたオカンが開口一番「きのう、寝てるとカメムシがズボンの中に入ってきて。取ろうと思ったら潰れてしまって、臭くって臭くって。で、また寝ると今度はカメムシに追いかけられる夢を見て、最悪やった。虫に追いかけられる夢を見たらええこと無いて言えへん?」「えっカメ?」「カメムシ」「カメかいな」「カメムシ!」「カメか!」「さっきからなんやのカメ、カメって。カメムシって言ってるやん」「カメは男のあれや。あれに追いかけられたんかなと思って」「アホ。このエロおやじ。話にならんわ」
しまった、朝から怒らせてしまった。今日から2~3日オカンの言葉や態度、胸にチクチク刺さってくるなぁ。まあ、自分が播いたタネやからしゃあないけれど。くわぁーっ。

冬支度

2007年11月04日 10時41分42秒 | Weblog
急に寒くなってきましたが、みなさんの所はいかがですか。
信州の山間部も随分冷え込んできました。先週から最低気温は4℃から6℃の間を行ったりきたり。ただ昼間の気温は15℃以上ですので、まだストーブもこたつも入れていません。ご近所もそうみたい。寒がりのオカンも今年はまだブーブー言ってないですね。でも冬の準備はしておかなくっちゃ。

ということで今日の昼間、暖かいうちに漬物用の樽を洗いました。50数リットルの樽が3つ。30リットルが2つ。それ以外にホーロー製のもの2つ。これをダイコンの糠漬けと野沢菜漬けに使います。
ダイコンは漬物にうまい『信州地大根』という短いものを漬ける予定。昨年は『源助大根』(これも短い)。これはホントにうまかった。今年は2種類植えればよかったと後悔しています。
野沢菜もおいしい。信州人は「茶と野沢菜漬け」が無ければ長い冬を越せない、といっても過言なし。一昨年は気温2℃のところで樽も野沢菜もダイコンも洗ったのは、さすがに辛かった。で、樽だけでも暖かいうちに洗っておこうとした訳です。菜は霜に2~3度あててからでないとおいしくないので、結局寒い中で洗うのは仕方なし、というところでしょう。漬ける野沢菜もダイコンもただいま家の前の畑で成長中。
そろそろ柿も収穫して、干し柿の準備をしなくては。

こうして少しずつあわただしく冬の準備をしているのですが、耕耘機を小川村の農機具屋さんに持っていった10月23日には、早々とお地蔵さまも冬支度をしていました。
ここは信州新町と小川村の境の峠。
きっと地元の方が編んでくださったのでしょう、真っ赤な毛糸の帽子とマフラーで暖かそう(右端のお地蔵さまなんて、ほんと「くるまっている」という表現がピッタリですね)。
まるで民話の「傘地蔵」そのもの。山村にはこんな風景がまだまだごく普通に生き続けているのです。
このあたりも『限界集落』。やがてこういう風景もなくなっていくのでしょうか。
(2007.11.03記)

おコメを作ること

2007年11月03日 07時27分40秒 | Weblog
今年の秋は寂しい秋でした。というのも稲刈りがなかったからです。当然ですよね、コメを作らなかったんですから。自分の作ったコメを食べれないことよりも稲刈りが出来なかったのが寂しかった。作っているときは粘土質のベト(信州弁。土のこと)なのでしんどい作業なのですが。
でも来年は再開しようと、少々荒れた田んぼの修復に取り掛かりました。写真は草を刈り整理してからの耕耘の途中のです。田や畑は耕され、作物が作られているからこそ美しい。
ボクなんぞ田んぼを耕しながら振り返っては曲がりくねった耕耘の跡でさえ、「やっぱりいいなぁ」。少々疲れて目を周囲に泳がせると、紅葉の山が。これまた「いいなぁ」。今年の紅葉は特に美しく感じます。

いまじぶん修復、なんで?かというと、耕耘機を修理というか点検というか、農機具屋さんに預けていたのです。なにしろ1年以上使っていなかったものですから。で機械が戻ってきたので早速作業、というわけです。

さて、この農機具屋さんに行って驚いたこと。まだまだ使える田植え機、耕耘機、刈り取り機(バインダー)が10数台、野ざらしで放置しているのでした。理由を聞くと今年限りで稲作をやめる人たちが置いていった、ということです。そこは小川村。典型的な中山間地です。
理由は簡単。米価の下落。何しろ最初は60Kg7,000円。これは大ショック。ま、最終的には概算で10,450円になったのですがこれでも利益はムリ。なにしろ新潟コシヒカリに応札ゼロなんて記事があったんですから。
「今に食料不足がくる。このままじゃ増産する時には作る人がいなくなってしまう。どうするんだろ」とこの農機具屋さん。まったく同感だ。
政府が鳴り物入りで導入した『担い手』(集落営農や認定農業者─もちろん大規模で単作)ですら、制度が始まった今年の1年目で借金を背負うなどの頓挫の気配。

こんな日本のコメ状態の中での自給率ダウンでついに39%。
これに危機感を持って欲しいのか、気づいて欲しいのか立て続けにNHKが以下のような番組を放送しました。
10月14日(日) NHKスペシャル『ライスショック あなたの主食は誰が作る』 第1回
10月15日(月) 同上 第2回
10月19日(金) 『地域発!どうする日本 「食と農業 未来につなぐには」』
10月20日(土) 『日本のこれから 「どうしますか?わたしたちの主食」』
この4番組を見ていて驚いたのは20日に出ていた東京大学大学院教授の本間正義。
曰く「食料自給率の向上よりも貿易自由化でいろいろな国とお友だち関係をつくっておくほうがいい。そのほうが食料の安定供給につながる」
曰く「わが国は農業に見切りをつけ、農業・農家も市場メカニズムの中で調整されるべき」
唖然。呆然。愕然。これが将来の日本のリーダー・超エリート養成機関の教授のことば?

で、この本間正義さんとはどんな人?と調べると、なるほど納得、例の『経済財政諮問会議』の「農業・EPAワーキンググループ」メンバーでした。これなら仕方ない。でも下記のニュースを知らないわけないと思うのですが。

ちょっとボクの手帳を見ると
『9月7日 食料インフレ ○イタリアのパスタ、米・中の食料価格上昇 ○日本、10月輸入小麦政府売り渡し価格10%上げる ○ロシア、小麦禁輸準備 世界第5位の輸出国 国内価格上昇を抑えるため』
このほかメキシコで「トウモロコシ(主食)寄こせ」。これらはたぶん新聞か何かのニュースを見た時のメモ。
そして今日付の日本農業新聞のトップ記事が『穀物輸出 規制広がる 6カ国が禁輸、課税 相場高騰で自国優先』(ロシア、ウクライナ、セルビア、ベトナム(意外にも世界第2位のコメ輸出国)、インド、アルゼンチン)

農業は農政の逆を行けばよい、とは昔からの教え。小規模・複合・自給が百姓の本道。これまでもこれからもそれは真実、と信じてます私は。
(2007.11.02記)

シカの害

2007年11月02日 05時40分12秒 | Weblog
写真はお隣のダイコン畑なのですが、よく見てください、糸が張り巡らされているのがわかりますか?(この写真をクリックすると大きな写真になりますので、やってみて下さい)
糸を張るなんて、今年が始めてだそうです。それもダイズやトウモロコシとかなんかじゃなく、ダイコンなのです。まさに「ダイコンよ、おまえもか!」です。

その原因は『シカ』。
昨年までは年に1回程度姿を見ることはありましたが、ハクビシンなど一部を除いてシカの直接な被害はそんなに聞かれなかった。ところが今年は天候もよくて餌も豊富にあるにかかわらず、ダイコンでさえ被害を受けるようになってきました。見る回数も3~4日前、そして昨日と頻発出没。昨日なんぞクルマの前を堂々と横切って行き、こちらがブレーキをかけて「お通し」します。
これは間違いなく個体数が増えているんですよ。私でさえ識別できるのが最低4頭。いやぁ、困った。それは農作物の食害だけでなく、体についているダニ、ヒルも撒き散らして行くからなんです。
わが家のすぐ近くにはイノシシ道に加え、シカ道も2本出来てしまいました。今日『あら起し』した田んぼにも、シカの足跡が転々と。
この夏、イヌと私の二人で2頭のサルを追い払ったのですが、これからはシカです。
幸い私宅ではイヌを放し飼いできる環境に甘えていますので今のところ直接の被害は受けていませんが、これからどうなるかわかりません。

中山間地は、動物が人間の領域をどんどん侵食し、農作物の被害も多くなってきています。新聞でシカ、イノシシ、クマなどの野生動物の被害記事を目にすることがありますが、この地も現実の問題でますます深刻になってきています。山が荒れ、里には人が少なくなり、耕作放棄地が増え、猟友会も激減しているからなんでしょうか。
(散弾銃1丁あげるから猟友会に入らないか、と誘われたことがあったのですが「寝てる間に、嫁ハンに撃たれると困るんで」と断ったんですケド)
そうそう『有害鳥獣負担金』を支払っているので(中山間地住民には、こんな負担金も負っているんですよ)、今のうちになんとかしておかなくっちゃなんて、お隣の畑に張り巡らされた糸を見て今日改めてそう思いました。
(2007.11.01記)