4月24日(土)
お久しぶりです。
一昨日(木)、昨日(金)と寒い冷たい雨。今朝など0℃でした。
でも、りんごは若葉が出かかっているのに、剪定はまだ半分というあせりもあって、昨日は氷雨の中、りんご園に行って2本だけですが、剪定してきました。
今日は気温は低いものの、よく晴れて気持ちのいい天気です。寒さのためかサクラもまだ散らず、モモは満開に近く、前回『パステルカラー信州』と思いついた言葉を言いましたが、今日など外を車で走っていると「言い得て妙」と、自分自身感心しています。春真っ盛りの信州の観光キャンペーンとして『パステルカラー信州』は使えないかな、と思います。
さて前回、『山神講』のたよりをしてから以降、もう少し詳しい内容を書けば良かったかな、と今だ心に引っかかっています。
というわけで、今日の便りは面白くないかもしれませんが、山の神講についてもう少し書かせてください。
山の神を祭る日は、明治以前の旧暦の時も、新暦になってからも4月17日です。信州は比較的旧暦を大切にしている土地柄で、例えば今でも「月遅れの桃の節句」「旧正月」という言葉をよく耳にしますが、わがS組山神講は、安政の頃も平成の今も4月17日となっています。旧暦、新暦には約1ヶ月のずれがあるのですが、このあたりの調整はしていないようです。
ところで、なぜ4月17日なのか?
山仕事が始まる前で田んぼや畑仕事に差し障りのない時期、ということでしょうか。あるいはなにかのいわれ、伝承があって、この日になったのでしょうか。興味深いことです。ただし、ここ10年程前から17日以降の次の日曜日となっていて、これは勤め人が多くなったので、致し方ないことでしょう。
このようなことは、私が今年当番になり古い記録を読める機会を得たのでわかった事でした。もちろんここで生まれ住んでいる人は、改めて意識することではないかもしれません。「よそ者」の私だからこそ興味を持ったことだと思います。そういう意味でも「よそ者」の視点は大切と自負しています。
写真は、わが家で虫干し中の『山神講』関係の古文書(こもんじょ)。おいおい読解して、面白いものは紹介していきます。
これらの記録を読み返した折、ついでに最近の平成元年つまり22年前から今回までの当番と、講を出入りした人を整理して、その一覧表を作ってみました。
この一覧表から推察するに、平静になってからも元年から14年目でやっと当番が一巡しています。つまり14人が参加していた、ということです。
平成になったのは私にとって、あるいはこのお便りを読んでいる方々にとっても、つい最近のことと思う人も多いのではないでしょうか。この平成以降のわずか20年のうちに『講』の構成員が著しく減ってしまったのみならず、わがムラではS組を除いて他の4つの組では消滅してしまっているのですから、「消える」というスピードは思いのほか速いものと実感しました。
これは『講』についてですが、日本国中の中山間地にある多くのムラもいずれ「限界集落」から「消滅」へと向かっていくのが、案外想像以上に早いかもしれません。
次に当番の仕事について少し書いておきます。
『山神講』は日曜日の午後2時からなので、10時頃にS組公民館の掃除と食器類の用意、そして吹流しの掲出。たまたま公民館の近くにある実家に来ていたヒデヒコさんと出会って四方山話。その中で講への復活の話がでました。
12時すぎ、前々日に予約しておいたオードブルを町の食品店に受け取りに行き、あわせてウーロン茶やおつまみ、茶菓子、お酒を購入。
帰宅後すぐ、酒を持って『山神様』へお参り。
お参りの仕方は、御社(おやしろ)を清掃した後、酒の封を切ってサカキやイチイなどの常緑樹の小枝をビンに挿してお供えし、拝礼。となるのですが、私の失敗は、酒の封を切らずに1升ビンそのままをお供えしたこと。あとで教えてもらいました。
下の写真は、『山の神』と言われているもの。
上は不動明王さまに、中は阿修羅さまに似ています。下は棒状のようなもので、盗難にあってそのまま、と言う人もいれば、これがそう、と言う人もいるので、はっきりしたことは分りません。写真を公開していいのかどうか随分迷いましたが…。
いったん家に帰り、買っていたものと、オカンに作ってもらった「ツクシの卵とじ」「レタスとベーコンのサラダ」「野沢菜漬け」も持参して公民館へ。これが2時15分ほど前。少し遅く、他の人は数人すでに来ていました。
なお、あえてツクシを持って行ったのは、この近辺の人はツクシを食べないので珍しかろうと思ったからです。信州の人は『ゲテモノ食い』『山菜とキノコには目がない』と言われますが、ツクシは食べないと聞いて、不思議な気がしました。
皆が揃ったところで、お参りの報告と出欠の確認。この時、来年からヒデヒコさんが復帰することを披露すると、皆が「よかった、よかった。また賑やかになる」と大歓迎です。
次に来年の当番を決めます。
ヒデヒコさんが戻ってくると、平成元年からの順番からすればヒデヒコさんになるが、戻ってすぐに当番というのもおかしく、次の当番のマサカズさんと交代すればどうか、との意見も出て、結局彼の意向を聞いたうえで判断することに決め、私が意向を確認する、ということになりました。
続いて会計報告です。
オードブル 1,500円が2個。ウーロン茶や茶菓子などが1,492円。お酒が1,890円。
このお酒は本来、前回の『山神講』からの申し送りで2本買わねばなりませんが、2本だとかなり余ってもったいないので、家にある酒を1本寄付しました。案の定2本目は殆ど飲まず、です。皆さん、昔は随分飲んだそうですが。
これらの合計が6,382円。前年の繰越金が813円あったので、支出は5,569円。これを出席者8人で割ると一人当たり700円。残余の31円は来年の繰越とする、ということです。
計算も終わり、飲みだしてワイワイいっている最中に、ヤスヨシさんの分は?と某さんから疑問の声。この『山神講』は欠席しても当日の会費は支払う、という決まり=規則があるそうです。知りませんでした。
こういうことなので、ヤスヨシさんの会費分は繰越に回す、に決定。後日頂きに行くのですが、ちょっと苦手です。
以上が『山神講』のおおまかな流れです。
ながながと、皆さんにとって迷惑かもしれませんが、私の胸のつかえがなくなりました。読んでくださって、ありがとう。
話はとんで、今日4月24日(土)は、ムラのお寺「光明寺」の『大般若会』です。2年前S組の組長をしていた時や、休みには参加していましたが、今年は仕事で欠席です。この報告は光明寺というお寺の紹介と共に来年にいたしましょう。皆さんにご報告できる話がいくつかあります。
写真はS組の組長として参加した時のものです。今は小さな「お堂」のようになっていますが、ご本尊は釈迦如来さまだったか、お薬師さまだったか。左のお堂が、お寺です
奈良県桜井市の長谷寺(真言宗豊山派)の末寺です。その昔、割と大きなお寺だったそうで、「大般若経」全巻が揃って木の箱に入っています。私も、バラバラバラ(大般若経を読んだことになります)とやりました。
明日25日(日)は朝6時から町内のゴミ拾いです。出欠は任意(ここでいう町内とは、地区といった方がぴったりします。我がムラのようなものが16,7集まった地域で、かつては独立した村から町になりそして長野市に吸収合併されました)。
参加できるかどうか。参加したいし、すべきなんですが…。
小さなムラもなかなか忙しいです。
追伸
「ようよう246」さん、お便りありがとう。気がつくのが遅く申し訳ない。
古い御柱がどうなるのか、気になさっておられたようですね。
わがムラでは丸太になります。これを知って私も少なからずショックでした。だって「里に下りて神となる」とか「神の御柱 国柱」と木遣りで唄われているのに、役割を過ぎた、ということであってもあまりにもその落差が大きすぎて。
一方、諏訪の御柱は違うようですよ。下の写真は某会社の玄関フロアに飾ってあるものです。これは前々回の御柱(つまり12年前の御柱)で、前回に新しい御柱が建てられたのちこのような形で残されたものです。これがいいですよね。
参考になれば幸いです。またお便り待っています。
ほかの皆さんも、お便りお待ちしています。
ではまた。さようなら。
お久しぶりです。
一昨日(木)、昨日(金)と寒い冷たい雨。今朝など0℃でした。
でも、りんごは若葉が出かかっているのに、剪定はまだ半分というあせりもあって、昨日は氷雨の中、りんご園に行って2本だけですが、剪定してきました。
今日は気温は低いものの、よく晴れて気持ちのいい天気です。寒さのためかサクラもまだ散らず、モモは満開に近く、前回『パステルカラー信州』と思いついた言葉を言いましたが、今日など外を車で走っていると「言い得て妙」と、自分自身感心しています。春真っ盛りの信州の観光キャンペーンとして『パステルカラー信州』は使えないかな、と思います。
さて前回、『山神講』のたよりをしてから以降、もう少し詳しい内容を書けば良かったかな、と今だ心に引っかかっています。
というわけで、今日の便りは面白くないかもしれませんが、山の神講についてもう少し書かせてください。
山の神を祭る日は、明治以前の旧暦の時も、新暦になってからも4月17日です。信州は比較的旧暦を大切にしている土地柄で、例えば今でも「月遅れの桃の節句」「旧正月」という言葉をよく耳にしますが、わがS組山神講は、安政の頃も平成の今も4月17日となっています。旧暦、新暦には約1ヶ月のずれがあるのですが、このあたりの調整はしていないようです。
ところで、なぜ4月17日なのか?
山仕事が始まる前で田んぼや畑仕事に差し障りのない時期、ということでしょうか。あるいはなにかのいわれ、伝承があって、この日になったのでしょうか。興味深いことです。ただし、ここ10年程前から17日以降の次の日曜日となっていて、これは勤め人が多くなったので、致し方ないことでしょう。
このようなことは、私が今年当番になり古い記録を読める機会を得たのでわかった事でした。もちろんここで生まれ住んでいる人は、改めて意識することではないかもしれません。「よそ者」の私だからこそ興味を持ったことだと思います。そういう意味でも「よそ者」の視点は大切と自負しています。
写真は、わが家で虫干し中の『山神講』関係の古文書(こもんじょ)。おいおい読解して、面白いものは紹介していきます。
これらの記録を読み返した折、ついでに最近の平成元年つまり22年前から今回までの当番と、講を出入りした人を整理して、その一覧表を作ってみました。
この一覧表から推察するに、平静になってからも元年から14年目でやっと当番が一巡しています。つまり14人が参加していた、ということです。
平成になったのは私にとって、あるいはこのお便りを読んでいる方々にとっても、つい最近のことと思う人も多いのではないでしょうか。この平成以降のわずか20年のうちに『講』の構成員が著しく減ってしまったのみならず、わがムラではS組を除いて他の4つの組では消滅してしまっているのですから、「消える」というスピードは思いのほか速いものと実感しました。
これは『講』についてですが、日本国中の中山間地にある多くのムラもいずれ「限界集落」から「消滅」へと向かっていくのが、案外想像以上に早いかもしれません。
次に当番の仕事について少し書いておきます。
『山神講』は日曜日の午後2時からなので、10時頃にS組公民館の掃除と食器類の用意、そして吹流しの掲出。たまたま公民館の近くにある実家に来ていたヒデヒコさんと出会って四方山話。その中で講への復活の話がでました。
12時すぎ、前々日に予約しておいたオードブルを町の食品店に受け取りに行き、あわせてウーロン茶やおつまみ、茶菓子、お酒を購入。
帰宅後すぐ、酒を持って『山神様』へお参り。
お参りの仕方は、御社(おやしろ)を清掃した後、酒の封を切ってサカキやイチイなどの常緑樹の小枝をビンに挿してお供えし、拝礼。となるのですが、私の失敗は、酒の封を切らずに1升ビンそのままをお供えしたこと。あとで教えてもらいました。
下の写真は、『山の神』と言われているもの。
上は不動明王さまに、中は阿修羅さまに似ています。下は棒状のようなもので、盗難にあってそのまま、と言う人もいれば、これがそう、と言う人もいるので、はっきりしたことは分りません。写真を公開していいのかどうか随分迷いましたが…。
いったん家に帰り、買っていたものと、オカンに作ってもらった「ツクシの卵とじ」「レタスとベーコンのサラダ」「野沢菜漬け」も持参して公民館へ。これが2時15分ほど前。少し遅く、他の人は数人すでに来ていました。
なお、あえてツクシを持って行ったのは、この近辺の人はツクシを食べないので珍しかろうと思ったからです。信州の人は『ゲテモノ食い』『山菜とキノコには目がない』と言われますが、ツクシは食べないと聞いて、不思議な気がしました。
皆が揃ったところで、お参りの報告と出欠の確認。この時、来年からヒデヒコさんが復帰することを披露すると、皆が「よかった、よかった。また賑やかになる」と大歓迎です。
次に来年の当番を決めます。
ヒデヒコさんが戻ってくると、平成元年からの順番からすればヒデヒコさんになるが、戻ってすぐに当番というのもおかしく、次の当番のマサカズさんと交代すればどうか、との意見も出て、結局彼の意向を聞いたうえで判断することに決め、私が意向を確認する、ということになりました。
続いて会計報告です。
オードブル 1,500円が2個。ウーロン茶や茶菓子などが1,492円。お酒が1,890円。
このお酒は本来、前回の『山神講』からの申し送りで2本買わねばなりませんが、2本だとかなり余ってもったいないので、家にある酒を1本寄付しました。案の定2本目は殆ど飲まず、です。皆さん、昔は随分飲んだそうですが。
これらの合計が6,382円。前年の繰越金が813円あったので、支出は5,569円。これを出席者8人で割ると一人当たり700円。残余の31円は来年の繰越とする、ということです。
計算も終わり、飲みだしてワイワイいっている最中に、ヤスヨシさんの分は?と某さんから疑問の声。この『山神講』は欠席しても当日の会費は支払う、という決まり=規則があるそうです。知りませんでした。
こういうことなので、ヤスヨシさんの会費分は繰越に回す、に決定。後日頂きに行くのですが、ちょっと苦手です。
以上が『山神講』のおおまかな流れです。
ながながと、皆さんにとって迷惑かもしれませんが、私の胸のつかえがなくなりました。読んでくださって、ありがとう。
話はとんで、今日4月24日(土)は、ムラのお寺「光明寺」の『大般若会』です。2年前S組の組長をしていた時や、休みには参加していましたが、今年は仕事で欠席です。この報告は光明寺というお寺の紹介と共に来年にいたしましょう。皆さんにご報告できる話がいくつかあります。
写真はS組の組長として参加した時のものです。今は小さな「お堂」のようになっていますが、ご本尊は釈迦如来さまだったか、お薬師さまだったか。左のお堂が、お寺です
奈良県桜井市の長谷寺(真言宗豊山派)の末寺です。その昔、割と大きなお寺だったそうで、「大般若経」全巻が揃って木の箱に入っています。私も、バラバラバラ(大般若経を読んだことになります)とやりました。
明日25日(日)は朝6時から町内のゴミ拾いです。出欠は任意(ここでいう町内とは、地区といった方がぴったりします。我がムラのようなものが16,7集まった地域で、かつては独立した村から町になりそして長野市に吸収合併されました)。
参加できるかどうか。参加したいし、すべきなんですが…。
小さなムラもなかなか忙しいです。
追伸
「ようよう246」さん、お便りありがとう。気がつくのが遅く申し訳ない。
古い御柱がどうなるのか、気になさっておられたようですね。
わがムラでは丸太になります。これを知って私も少なからずショックでした。だって「里に下りて神となる」とか「神の御柱 国柱」と木遣りで唄われているのに、役割を過ぎた、ということであってもあまりにもその落差が大きすぎて。
一方、諏訪の御柱は違うようですよ。下の写真は某会社の玄関フロアに飾ってあるものです。これは前々回の御柱(つまり12年前の御柱)で、前回に新しい御柱が建てられたのちこのような形で残されたものです。これがいいですよね。
参考になれば幸いです。またお便り待っています。
ほかの皆さんも、お便りお待ちしています。
ではまた。さようなら。