信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

畑からの贈り物

2011年07月31日 09時20分22秒 | Weblog

2011年7月31日(日)記


今日は朝6時から、集落内市道の草刈。
受け持ち区域の半分以上は私一人で少し前に済ませていたので、今日は1時間半で終わりました。

さて今日は、収穫についてのたよりです。今まであまりしてなかったかもしれませんので、たまには畑からの贈り物を紹介します。



写真は昨日の収穫分です。トマトは4種類。キュウリは2種類。ピーマンと「なんばん」という激辛のピーマンに似たものも、画面の上に見られます。「なんばん」は信州に来てはじめて知った野菜で、辛い辛い。飛び上がるくらい辛いです。

このざるの中にはシシトウ、ナス、インゲン(平さや。モロッコインゲンなどの商品名で流通しているようです)は入っていません。
ほぼ毎日、これ位収穫できるので、誠にもったいないことですが、家族で食べ尽くすことは困難です。

タマゴは毎日5個産みます。つまり産卵率100%。
当初、よくて70~80%の見込みだったので予想外で困っています。「こんなに生まなくていいのに。もっとゆっくりでいいよ」と産卵箱で採卵する時、いつもニワトリたちに声かけしているのですが、やはり毎日5個あります。こんな小さな体で毎日毎日、実にけなげで可哀相になります。お尻をふりふり足元にまとわりついてくる可愛さもあいまって、彼女達を大事にしてあげたい想いが日々強くなる(潰して食べる、なんて今は考えられない)。

市販の配合飼料は、強制的にタマゴを産ませるための栄養配分になっていると素人なりに考えているので(根拠はありません)、できるだけタマゴを産まなくてよいようにと(そうすれば長生きできそう)、私は周辺に生えている草や収穫しきれない畑の野菜(特にニラが好きですね)スーパーで捨てられるキャベツの皮(?)などを刻み、ミキサーで粉末にした煮干し、近所のコイン精米機で出る米ヌカなどと、これもミキサーで潰して液体状にした納豆で混ぜて与えています。

本当に私は素人なので、ニワトリの栄養バランスのことも考えて、特にわからない必要微量要素のことも考えて配合飼料も少し与えるのですが、これも彼女達は確かに食べますが、どうもこの時は草をよくついばむような気がします。
小屋の扉を開けると扉外に密生している固いスモウグサめがけて我先にと突進してついばみ始める。
数日前、目を離したスキに6羽全部が知らないうちに畑に入ってしまって、ダイコン菜がほとんど全滅。醤油で味付けしたダイコン葉とジャコの炒めものをメシにかけると2杯は軽くいくほど私は大好きで、それを食べたいばかりに育てていたのに残念)。

そうそう、これはぜひ書いておかなくては。
糞の匂い、養鶏場の持つ悪臭がまったくしない。もう2ヶ月になり、夏で雨が多いにもかかわらず。これもエサと関係するのかな。

野菜の収穫の話をするつもりがニワトリになってしまいましたが、了解の程を。
さらに2つのエピソードを聞いてください。

その1。
野菜に畑のシュンギク(関西ではキクナといいます)を使った日のこと。
シュンギクは初めてだったので彼女達の食べっぷりはどうだろうと、えさ箱のそばでいわゆる便所座りして観察していると、最初はよく食べていたのに急に食べなくなって6羽全部がえさ箱から離れだした。
シュンギクはダメかな、と思った瞬間、1m50以上はあろうアオダイショウが私の足元からか股間からか、シューっと抜けていったではないか! どっちからだって? 気が動転してそんなもんわからん。

びっくりするやら、怖かったやら、ヘビが大嫌いな私にとって考えたこともない恐ろしい体験でした(しかし綺麗でしたよ、去っていく姿を見ると)。
ニワトリたちはヘビが近寄ってきているのを知っていたんですね。それでヘビが向かってきたのでえさ箱から離れたのだ。彼女達、知っていたんだから教えてくれてもいいのに、ねーぇ。
それから以降、便所座りは決してしていません。いつでもすぐに動ける体勢をとっています。
シュンギク、好物のようでした。

その2。
私がトリ小屋(といっても、ビニールハウスを転用したものなので15坪以上はあります)に入ると、オンドリだけは私に対し常にある一定の距離を保っていますが、彼女達は足元にまとわりついて離れようとしません。
で、5羽もまとわられるとあまりにも邪魔になって歩きづらいのでそのうちの1羽の尻尾を掴んだ途端、なんとなんとオンドリが私に体当たりしてきたのです。これにはびっくりしました。

オスは自分の遺伝子を残そうと、すなわちメスを守ろうとしたんでしょうね。メスにはこうした意識がないのかも知れません。これは動物一般の普遍的な行動でしょうね、そう思います。

これを人間に当てはめてみると、イケメンや西洋系外国人に無防備に憧れるオンナどもをみて、「チェッ」と苦々しく舌打ちしながらでも、いざというときにはオンナを守らなしゃーない(仕方ない)オトコ、ということでしょうか(この意見に対しては責任をもてません。念のため)。

『農家民泊』─中学生がやってきた(4)

2011年07月29日 10時11分31秒 | Weblog

2011.07.29(金) 記


あれ、1ヶ月も更新していなかったのですね。中学生からの礼状を紹介してそれっきり…。どうもスイマセン。

昨日に引き続き、今日も雨。今月中になんとかリンゴの摘果を終わらせたいのですが。でないと来春、花が咲かなくなってしまうので、本当に限界。タイムリミットです。
それにしても今年で完全無農薬4年目なのによく結実してくれています。食酢、木酢液、乳酸菌、納豆菌なども一切散布していないのでいろんな病気が出ています。従ってまだまだリンゴは食べるまでにはいきませんが、無農薬にすると通常数年間は花も咲かない(当然実も成らない)といわれているのに、花が咲き、実も数多く成っています。それにハダニの害は散見するものの害虫がほとんど見えない。
何がいいのでしょう。雑草を一切刈らないから、か? それとも、7年間続けている無肥料のおかげ、でしょうか?



さて今日は前回の続き。少々間が伸びていますが。

一泊して翌朝、彼らを迎えに行った同じ『M健康スポーツセンター』へ送り届けました。ここでの別れの様子はこれまた皆さんにお知らせしたい別れの様子があちこちで見られました。

「この夏休みには帰っておいで、待ってるからね」と、ぎこちないけれどハグをしながら別れを惜しむ、中学生の娘(孫?)と長野のお母さん(おばあちゃん)。
「今度来る時は、ここにお嫁入りの格好で戻ってくるんやで」「うん。わかった」と応える子ども。
手を握り合いながらなみだ目になっている子。
これらはみんな女の子。

我が家に泊まった3人のうちの一人は、別れ際にはあまり目を合わさなかったけれど、バスが動き出した途端、窓越に私の顔を見つめて手を小さく振ってくれた。
二人きりになったとき「一度ゆっくり、お母さんと二人でおいで」と言ってあげた彼だった。


たった一泊しただけなのに、中学生の心に、そして受け入れた私達の心に何が生まれたのだろう。今言えることは、単なる「お客さま」ではないことは確かだ。

振り返って私自身のこと、私の子ども達のことを考えると、中学生時代は精神的に一番悲惨な時代だった、と記憶している。それは今の子どももあまり変わっていないと思う。
そんな不安定な時期にその身を置いている彼らに、こころ安らかにと、自分自身を大切にするようにと、種が芽を出し成長し花が咲いて実を結び、そして自然と枯れていく植物のようにと、ただただ念仏する。



彼らが去ってすぐ、次の宿泊予定の中学生3人の「自己紹介カード」が届けられた。

「好きな食べ物」「何をしたいか」等々、5~6項目ある自己紹介の欄にまったく同じ内容を書く男子3人。「これはこれは。次はちょっと今回とは様子が違うぞ」との思い。クセがありそうだ。ま、中学生にはよくあることだけれど。


こうしてこのシーズンは6~7回、中学生を受け入れる予定だったのですが、大阪の実家に緊急の所用ができたため残念ながら、また事務局の方には誠に申し訳なかったけれど、以降のすべてを辞退しました。
この新たな3人には気の毒だったけれど、急遽別の家で受け入れていただくことにしました。

1回きりだったけれど、『農家民泊』やって良かった。いい経験をした。来季もできるものならやりたいと思っている。

じゃ、また。

あ、そうそう、なぜ3人か? だって?
それは簡単。ウチには軽トラックと軽乗用車しかないから。ほれ、運転手を除けば3人しか乗れないっしょ。
もしこちらに遊びにくるなら大歓迎ですが、その積もりで、ね。