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「シャドウ」 道尾秀介 東京創元社

2012-10-17 | 読書




図書館に返そうとして、あれぇメモしたかな?
忙しいと頭まで混乱する。

このごろまた読み始めて止める本が多くなった、評判の本でも、好みはそれぞれだと実感する。
娯楽小説・エンターテインメントという言葉は、楽しむ読書のことだと思っていたが、楽しみ方もそれぞれだといまさらながら思う。途中で読むのを止めるのに、いささか忸怩たる思いがあるので、自分への言い訳だ。

余談になるが、若いころ、初めて井上靖の「満ちてくる潮」という大衆小説と呼ばれる本を読んだ。
どういう経緯で手に入れたのか忘れたが、井上靖は詩人だと思っていたのでいささか面食らった。そのとき、浮世離れ気味の私は、詩人は小説を書くのだということにやっと気がついた。この恋愛小説は初めて出会った娯楽小説だったと思う。面白かったが、そのころの印象では軽い作品だと感じた。
その後「敦煌」「楼蘭」「天平の甍」などを読み、井上靖が詩人であるのはすばらしいことだと思うようになった。肩書きにこだわるわけではないが、ノーベル賞候補でペンクラブ会長でもあった方に失礼なことをした。
そして、現代詩人だと思っていた伊藤桂一さんも「蛍の川」で直木賞、清岡卓行さんが「アカシアの大連」で芥川賞、あぁ詩人はすばらしい作家でもあるのだと気がついた。
その後、ジャン・ジュネが詩人で泥棒であったことも知った、ひとつのことに気づくと関連して理解が深まる、当然のことだけれど。


退職して、ミステリが面白いことに気がついて読み始めた。
ミステリ初心者なので、知っていて当然の有名な作品も知らないで、今頃読んでいるのかとあきれられることもしばしばだが。
昔の探偵小説と違って、ミステリにもジャンルがある。言い切ってしまうのもどうかと思うけれど、長くなるので、勝手にそういうことにしておく。

この「シャドウ」は、よく出来たミステリアスなストーリーで、主人公の凰介は小学六年生である。「死」というものが理解できないながら、次々に周りで起きていく「死」に翻弄されつつ、大人が「死」をえらんだ意味にたどり着く。
今の小学生は知識の点でも世間知においても、このくらいの思考は出来るものだと思う。それだけに彼の悲哀がよくわかる。

面白かった。

道尾さんの作品は「向日葵の咲かない夏」と「光媒の花」を読んだ。解説にも出てくる有名な「向日葵の咲かない夏」は後半が少し安易にまとまった感じがしたが、この「シャドウ」は構成も、登場人物も、読者をミスリードさせるストーリーもよく出来ていた。

登場人物の書き分けが、人物ごとに独立した見出しになっていて、時間的に重なることもある。それぞれ本人にしかわからない込み入った事情が、出会って重なるとき、少しずつ謎が解けていく。
構成が優れている。

* * *

主人公、小学校六年生の凰介は、母を癌で失った。
通夜に父、洋一郎の友人で院生の同窓生だった水城とその妻が来た。母も水城の妻とは大学時代の同級生だった。
子供の亜紀と凰介もクラスは違うが、同じ学年だった。
水城は医科大学にある精神医学の研究室ではたらいている。付属の大学病院神経科の医師でもある。
その水城の妻が、夫の研究室棟の屋上から飛び降り自殺をする。
夫婦は水城の嫉妬から長く不和であった。そのことが自殺の原因となったような妻の遺書が見つかる。
折悪しく、娘の亜紀も交通事故にあう。
父の洋一郎の神経は総合失調症に侵されたことがあった、それはすでに治ったものと思われていたが、最近になって不審な言動を繰り返し、凰介には、また病気が再発したように思われた。
父の病気のことを、信頼している教授の田地に相談に行く。

* * * 

凰介の見る不可解な夢に暗示されるような出来事もある。

亜紀の秘密の過去に洋一郎はかかわっているのだろうか。

このあたりが旨い。

それぞれの過去と現在が、父親の病気に関連して展開する、後半は特に面白い。




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