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「パーク・ライフ」  吉田修一   文春文庫

2014-06-18 | 読書


以前、話題になった「悪人」を読んだ感想で、可もなく不可もない話だと書いた覚えがある。被疑者にされた恵まれない育ちの素朴な青年と、電話で知り合った女性が逃げているうちにお互いに情が湧く、ストックホルム症候群的いきさつだろう。それがそんなに話題になるほどいい小説なのか、長いし。と思って感想を書いた。

この「パーク・ライフ」を読んで、自分はとんだ勘違いで、浅い読み手だったと反省した。いい話だった。
取り立てて驚くようなこともなく、公園でふと知り合ったサラリーマンと、何処かに勤めているが(尋ねもしない)自然体の女性が、顔見知りになり、時間を共有する。そんな話だった。

初めて出会った時、
僕はドアに凭れたまま、ガラス窓の向こうに見える日本臓器ネットワークの広告をぼんやり眺めていた。広告には『死んでからも生き続けるものがあります。それはあなたの意思です』と書かれてあった。(略)
 「ちょっとあれ見て下さいよ。なんかぞっとしませんか」
ガラス窓に指を押し当て、僕は背後に立つ見知らぬ女性に笑みを向けてしまった。

先輩が電車を降りたのを忘れていた。女性がなにごともないようにこたえてくれた。そいうことで知りあって、いつも行く日比谷公園のベンチで再会する。それから時々会っては、ベンチに座って、持ってきたスタバのコーヒーを飲む。いつも気球を上げている老人に話しかけたり、人体解剖図に興味を持ったときは、二人で町の店に入り人体模型を手にとって見たりする。
 写真展に誘われると、その写真は彼女の育った所の風景だった。それまで聞きもしなかったが秋田の角館の人だとわかる。
 平凡なような、ちょっと変わったような淡々とした男女の付き合いがある、公園の中の出来事や、公園の中の出会いが書いてある。
 それでどうなったかと言うものでもなく、自由で行動的な彼女は「よし決めた」と言って人混みの中に消えていく。
 なんだかいい。ちょっと普通でないようだけどそんなことも普通にあるかも知れない、そんな時間がとても奥行きがある表現で書かれている。静かに読むにはいい話だった。

 もう一編、「frowers」がある。
 この話は、また違った奇妙な重みがある。
 墓石屋の仕事を辞めて上京して、水の配達をする会社に入る。そこで「元旦」と言う名前の水配達人の助手になる。
 社長は2代目でわがまま放題、常に部下の一人を目の敵にして叱りつけている。部下も弱みがあるので見苦しく従っている。
 「元旦」はその妻と不倫中なのだが、そこに呼びつけたりする。
だが、無骨な「元旦」が生花をしていて床に飾るのが抵抗なく感じられたりもする。暑い暑い日、疲れ切った運転手の男たちが、混み合ったシャワーで汗を流している。外から社長が、中にいる部下を怒鳴り始める。もう、汗の匂いと疲れた男たちと、怒鳴り声と、それをやめさせようと土下座する「元旦」と、たまらない様子が、息苦しい。暮らしの中で様々なことが起きる。短い中に暑い夏の、人のつながりが書き込まれていく。

そして突然「元旦」がやめ、それでも日が過ぎ、田舎を出る時結婚した女優の卵の妻と相変わらずの暮らしを続けている。「元旦」から年賀状が届く。

謹賀新年 元旦

 たぶんこの「元旦」というのは、自分の名前のつもりなのだろうと、空白の多いその紙面を眺めた。どこかで元気にしているわけだ。

 

 毎日重い墓石を運んでいるとふわっと飛んでみたくなる。
 夕立に濡れながら歩き回って花の無い墓石を探し、泥が跳ねた足元を見て「東京へいってみようかなぁ」と思う。
 心の動きの小さなゆれが伝わってくる。平凡な日常がふと遠くに思われたり、何か変化があればいいと思ったり、そして暮らしを変えてみても変わらない日々が続いていく。


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