写真を載せるほどのものではないですが…こんな感じで作ってみました。第4夜。
今日のラジオでは、そろそろ外食を!と宣いましたが、自宅に戻り冷蔵庫を開けてみれば、豚肉さん、人参君、馬鈴薯様、玉葱殿。
これら基本的具材を使用すれば、豚汁だってできる!!カレーだってできる!!そう、シチューだってできる!!
ふと、思うのです。
これは、皆さんの感覚で各々異なるとは思うのですが、僕自身が考えるしょーもない話です。
カレーは白飯の上にルーをかけ、なんら違和感なくカレーライスとして食すのに、何故にシチューは、それと同じくルーをかけて食すということ自体に、若干の違和感を覚えてしまうのだろうと。
多分、それは「言葉」で言えば、「ありがとうございます」の過去形「ありがとうございました」には何ら違和感をおぼえはしないのだけれど、「おめでとうございます」の過去形「おめでとうございました」には若干むず痒くなる、あの感覚に近いものでありましょう。
シチューライス。
僕が知る限りにおける話ですが一体どうして、シチューライスは、カレーライスのような市民権を得られないのでしょうか。カレーライスの方が美味しいからという理由は論外として、シチューは白飯とは別に、お皿に盛って食すものというのは、TVCM等によって作られたイメージによるものが大きいという見方はできないでしょうか。
その、知らず知らず作られたであろうイメージに囚われがちになるのも、わからなくはないのですが、いっぺんシチューライスとしての食し方を試みるという、ごくごく簡単なtryを一度してみれば、見えるものがあるはずなのです。
それを、実際に触れてみてもいないで「えぇ?シチューライス?なにそれ!」と露骨なまでに嫌悪感を抱き、表面上だけで判断を下してしまうほど、残念なことはないのです。
だからこそ、僕は思うのです。それ自体に魅力がある美味しいものは、たとえどのように食したとしても、美味しいと感じることができるものであるはずと。
そうして一度、食してみて首を捻る結果になったのであれば、二度とシチューライスを食さなければ良いのです。それだけのことです。
僕は、シチューライスは好きです(笑)
このシリーズ、おしまい。
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今日のラジオでは、そろそろ外食を!と宣いましたが、自宅に戻り冷蔵庫を開けてみれば、豚肉さん、人参君、馬鈴薯様、玉葱殿。
これら基本的具材を使用すれば、豚汁だってできる!!カレーだってできる!!そう、シチューだってできる!!
ふと、思うのです。
これは、皆さんの感覚で各々異なるとは思うのですが、僕自身が考えるしょーもない話です。
カレーは白飯の上にルーをかけ、なんら違和感なくカレーライスとして食すのに、何故にシチューは、それと同じくルーをかけて食すということ自体に、若干の違和感を覚えてしまうのだろうと。
多分、それは「言葉」で言えば、「ありがとうございます」の過去形「ありがとうございました」には何ら違和感をおぼえはしないのだけれど、「おめでとうございます」の過去形「おめでとうございました」には若干むず痒くなる、あの感覚に近いものでありましょう。
シチューライス。
僕が知る限りにおける話ですが一体どうして、シチューライスは、カレーライスのような市民権を得られないのでしょうか。カレーライスの方が美味しいからという理由は論外として、シチューは白飯とは別に、お皿に盛って食すものというのは、TVCM等によって作られたイメージによるものが大きいという見方はできないでしょうか。
その、知らず知らず作られたであろうイメージに囚われがちになるのも、わからなくはないのですが、いっぺんシチューライスとしての食し方を試みるという、ごくごく簡単なtryを一度してみれば、見えるものがあるはずなのです。
それを、実際に触れてみてもいないで「えぇ?シチューライス?なにそれ!」と露骨なまでに嫌悪感を抱き、表面上だけで判断を下してしまうほど、残念なことはないのです。
だからこそ、僕は思うのです。それ自体に魅力がある美味しいものは、たとえどのように食したとしても、美味しいと感じることができるものであるはずと。
そうして一度、食してみて首を捻る結果になったのであれば、二度とシチューライスを食さなければ良いのです。それだけのことです。
僕は、シチューライスは好きです(笑)
このシリーズ、おしまい。
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