ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

勝利を我らに・ハングル版?

2007-02-04 01:22:43 | アジア

 今は快調に韓流ドラマとやらを世に送り出している大韓民国ですが、実はしばらく前は軍人出身の大統領が独裁的権限を握り戒厳令が引かれたりの国情で、北の将軍様をあれこれ言える状態ではなかった訳で。そんなのを思えば、隔世の感があります。いや、今日のかの国の裏の実情とか、知りませんがね。

 その頃、韓国からのニュースを見ていて妙に印象に残った一場面がありました。当時、詩人の金芝河という人が政府批判の詩をおおやけにしたかどで囚われ、極刑の危機さえある、なんてことが国際的なニュースとなっていた。で、その金芝河氏の罪を裁く公判が開かれるというので、その応援者や家族たちが裁判所を取り囲んで、氏の公判の行方を見守っている、そんなニュースを私はテレビで見ていたのでした。

 (あっと、金芝河氏の”反体制詩人”としての評価とか、私には出来ません。あんまり興味が持てなかったんで、彼の詩とか読んだこともなかったし。ただ、当時の韓国政府は、一人の詩人の詩行を排除する必要を感ずるほどの代物であった、ということですね)

 するとそこで、後援者や家族たちが”勝利を我らに”を、韓国語で歌う場面に出くわしたのです。私は、「へえ、韓国の人たちは”勝利を我らに”を自国の言葉で歌う事を可能にしていたのか」と、まあ、感心してしまったのです。とりあえず。

 ”勝利を我らに”、つまり、“We shall overcome”といえば、1960年代のアメリカ公民権運動を象徴する”戦いの歌”であり、その後もフォーク集会やらデモ行進の際などに戦いの”宣言歌”として、大いに歌われて来た歌でした。とりあえずアメリカでは。その歌詞をあえて直訳風に記すれば、

「我々は勝利するだろう 我々は勝利するだろう いつかある日
おお心の奥深く私は信ずる 我々がある日 勝利する事を

我々は恐れない 我々は恐れない 今日、この日に
おお心の奥深く私は信ずる 我々が勝利する事を」

 2節目は、アメリカの社会派フォークの大御所であるピート・シーガーが、「この歌のもっとも大事な部分」といっていたのが印象に残っていますが。

 ともかく、こんな詩を賛美歌のメロディに乗せて、アメリカの”公民権運動家”の人々は戦っていたわけですね。具体的には、彼らのデモ行進を殴り倒してでも阻止しようと隊列を組む警官隊の列に、彼等はその歌を歌いながら突入して行った。
 
 でもこの歌、日本ではそのようには歌われなかったというか、ともかく使い物になるような日本語詞を付けられることがなかった。というか、誰も思いつけなかった。
 いや、とりあえず付けられた詞はありますよ、「勝利の日まで 勝利の日まで 戦い抜くぞ~ おおみんなのその手で」とか言う、なんとも迫力のないものが。

 昔々、私がそれをはじめて聞いたとき、それは確か森山良子が歌っていたのだが、まだ若かった彼女のお上品な歌声にこそ良く似合うものであって、それで”戦いの炎”なんて心中に燃やす気分になれる者は、まずいなかったんじゃないだろうか。

 これってさあ、文化上の興味深い問題だと思うんですよ。なぜ、”勝利を我らに”は日本語に馴染まなかったのか?その後、そんなアメリカの反戦歌に影響を受けて作られた”日本語のフォーク”の歌詞など聞いても、この問題って、見て見ない振りをして置き去りにされて来ていたと私には見えて仕方がないんです。

 その一方。アメリカの文化が異文化であるのは同じ事であろう韓国の人々は、どうやら”勝利を我らに”を自国の言葉にしていたようだ。しかもそれは、反体制派の詩人が命を賭して戦っている現場で歌えるほどの切実さを持ちえていたようだ。この違いってなんなの?

 いやまあ、韓国語版の”勝利を我らに”がどのようなニュアンスの歌詞であるのか、もちろん私は知りません。もしかしたらたいしたものじゃないかも知れないです、森山良子が歌っていたのといい勝負だったりして。
 そしてまた、たとえそのありようを説明されたって、そんな微妙な問題が理解可能かどうか、はなはだ怪しいものですが。

 まあとりあえず、そのような事があった、それを私は目撃したとだけ、ここに記しておきたい。
 この件に関して何かご存知の方、ご教示いただければ幸いです。