ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ピアノ伴奏要りますか、君が代に?

2007-02-28 02:59:56 | その他の日本の音楽

 え~と、小学校の入学式で「君が代」の伴奏を求められた音楽教師がそれを拒否して懲戒処分を受けた件で裁判が行なわれていて、その結果が出たようですが。あ、今回、政治の話ではありませんので。先に申し上げておきますが。

 では何の話かといいますと、最高裁のサイトにある判決理由の一部に、こんなのがあるんだそうで。あ、判決理由全文は確認してません。すべてネットに公開されているのかどうか知らないし、されていたとしても読み通す根気はないです、すみませんが。
 で、え~、下のような文章です。

”なお、上告人は、雅楽を基本にしながらドイツ和声をつけているという音楽的に不適切な「君が代」を平均律のピアノという不適切な方法で演奏することは音楽家としても教育者としてもできないという思想および良心を有するとも主張”

 このケースでそんなこと言っても特に裁判結果に意味を持つとも思えないけど、音楽の話としては突っ込んでみるのも一興かも。

 つーか、もう少しぶっちゃけた話、”君が代”歌うのにピアノの伴奏要りますか、あなた?”平均律のピアノで”ってあたりに抵触するのかなあ、あの歌をピアノの伴奏で歌うのって、なんか変じゃないか?あの歌にピアノは合わないでしょう。どんなアレンジで弾いても違和感漂う感じだ。

 まあ最近、”君が代”が歌われる現場にあんまり居合わせないので実態が良く分からないんだが、たとえば学生時代なんかは君が代はやっぱりピアノ伴奏で歌われていたんだろうか?あんまり昔で忘れちゃったけどさあ。
 歌われていたんだろうなあ。今の感性で想像してみると相当におかしなものだったろうと思うんだが、どんな具合だったのか、さっぱり思い出せない、ピアノ伴奏。イントロなんか、どんな具合だったのさ?

 ”ドイツ和声をつけている”ってのは、ひょっとして学校の行事ではハモって歌ってるのか?だとすれば、これはほとんどギャグでしょ。あのメロディを西欧風クラシックの理論にもとずくハーモニーとか付けて、似合わないピアノで伴奏までして”斉唱”するってのは。ほとんどブラック・ユーモアの世界だ。

 そのような醜態がいつ頃から晒されているのか知らないけど、これも西欧コンプレックス丸出しの無神経なお役人風日本の近代化劇の一幕なのでありましょう。
 などと考えて行くと、私は政治的意味とか興味ないですけどね、音楽的には、このピアノ伴奏拒否教師に一部賛同したくなりますわな。よくもそんな悪趣味なものを公の場で。

 でもこの教師、もし”国歌斉唱”に異議を持っているなら、あえてピアノを弾いて、その悪趣味に協力してしまうって手もあろうになあ。学校の請うがままに演奏を行なう行為がそのまま、君が代なる楽曲を侮辱することにつながるんだから。
 いや、”政治的意義”ってのは、そういうものじゃないのか。いい加減ですみません、ほんとに政治方面、あんまり興味ないもんですから。

 一方、スポーツの開会式なんかで君が代を聞く機会はいくらでもあるわけですが、こちらの方はおおむね無伴奏で歌手の独唱という形をとる。これが、あの”楽曲”に一番ふさわしい演奏形態って思えますね。

 で、こいつは私の美意識で言えばだけれど、あの歌、合唱そのものにもあんまり向いていないわ。声を合わせて歌われると、それが例の”ドイツ和声”を伴っていなくとも、なんか凄く雑な音楽って印象になる。
 基本、独唱用の歌じゃないのかと思う。これ、君が代の歌詞がもともと和歌であるから、とか想像してるんだけど、どうですかね?

 あと、関係ないけど、以前、右翼の看板掲げているけど実態はどう見てもヤクザ、って連中が君が代斉唱をしている現場に居合わせたことがあるんだけど、あいつら、君が代を思いっきりコブシをコロコロ廻して歌うのもどうかと思うぞ。場末のカラオケスナックじゃないんだから。ある意味、不敬罪にならんのか、あれは?

 ~~~~~

 ○<君が代伴奏拒否>教諭の敗訴が確定 最高裁判決
 (毎日新聞 - 02月27日 18:01)
 公立小学校の入学式で「君が代」のピアノ伴奏を求めた職務命令を拒否し、懲戒処分を受けた東京都の女性音楽教諭(53)が「伴奏命令は憲法が保障する思想・良心の自由を侵害する」として東京都教育委員会の処分取り消しを求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は27日、原告側の上告を棄却した。国旗・国歌の「強制」を巡る初の最高裁判決で「伴奏命令は思想・良心の自由を侵害しない」として、職務命令を合憲と判断した。同種訴訟に影響を与えそうだ。

S・H氏との論争

2007-02-27 05:31:11 | いわゆる日記


 ひょんなことから今日、思い出すハメになったのだけれど・・・絵本作家、S・H氏と手紙で行った「論争」、あれはもう何年前になるのかな・・・

 そもそもの発端は、彼が発行しているミニコミで述べていた「植民地主義肯定論」に私が反発を感じ、抗議の手紙を出したのが発端だった。そこで述べられていたS・H氏の「論」とは、このようなものだ。

 「ヨ-ロッパがアジアやアフリカ諸地域を植民地化したのは良くない事と言われているが、そうだろうか。良い面もあったのではないだろうか。すぐれたヨ-ロッパの文化が各地に広がり、新しい文化を生んだのだから。悪口を言うより、まず学び、誉めよ。これです」

 ちなみに、彼の主張には「ヨ-ロッパ文化の世界各地への伝播」に関する肯定はあるが、「他地域の文化のヨ-ロッパへの伝播」は無視されている。はじめから考えにも入っていない。ヨ-ロッパの文化を学び誉めよと言っているのであって、それ以外の地域に存在する文化を価値あるものと認めている形跡は、その主張の中には全く認められない。

 たとえば彼、フィリピン人がどこかで語っていたと言う、「スペインは宗教を、アメリカは教育をもたらしてくれた。日本人は、何ももたらさなかった」なる文言を掲げ、欧米によるアジア支配を擁護せんとするのだけれど、では、スペイン人が侵略してくるまで、フィリピン人たちには宗教がなかった、とでも言うのか?そうじゃないでしょ?土着の宗教を圧殺し、むりやりキリスト教を押し付けたんじゃないのか?

 この辺り、ヨーロッパ以外の地域文化の価値を認めず、その存在そのものから無視する、彼独特の論理構造があからさまとなっている。また、アメリカが教育をもたらした、とは何事か?それは、”アメリカに都合のいいフィリピン人”作成のための一行程だったのではないのか?その証拠に、アメリカのもたらしたと言う”教育”は、今のフィリピン人の幸せのために、いかなる貢献をしていると言うのか?

 そもそも、植民地にされる、という事がどんな事であるのか。オランダがインドネシアを領有していた時期、オランダ人の平均身長は数センチ増えた、という。逆に言えば、その分の苦渋を植民地の人々は被ったという訳だ。
 植民地にする、される、というのはそういった事だ。

 それを「ヨ-ロッパの文化が学べて良かったね、無知な土人の皆さん」と言うのか。そしてそもそも、植民地化された人々にはヨ-ロッパの文化に「影響されずにいる自由」はあったのか。それを好ましくない文化と判断し、拒絶する選択肢は、どうなのだ。奪われていたのではないのか。

 まあ、そんな事を書き送ったのですが・・・いや、本当はもっといろいろあったのだけれど、なんか、書いていて脱力してしまいました。全く何の話も通じない論争相手だったのでね。とにかく「ヨ-ロッパ文化は素晴らしい。学び誉めよ」の一辺倒で、他人の意見など聞く意思は全く無し。思い出すのも力が抜けてしまう不毛の一幕だった。

 彼の返事の末尾に書いてありましたよ、「あなたもこちらに来て、カトリックの宣教師たちと話し合ってみたらどうかなあ。皆、いい人ですよ。キリスト教への疑いも晴れるでしょう」と。
 呆れましたね。現場にいるセ-ルスマンの愛想がいいのは当たり前でしょう。

 まあとにかく、この論争を契機にキリスト教を信じる人々に対して私は、大いなる疑惑やら嫌悪やらを感ずるようになったのでした。あの絵本作家のような身勝手で独善的な考え方に、人をさせてしまう宗教であるならば論外であると。 

エチオピアの秋

2007-02-26 04:23:11 | アフリカ


 ”Zion Roots”by Abyssinia Infinite

 あれはもう20年近くも前になってしまうのか、ワールドミュージックなる言葉がまだ新鮮だった頃、それなりの”ワールドもの小ブーム”に乗って世界各地から渡ってくる珍奇な音を、もともとスキモノの私は大喜びで迎えたのだった。
 それらの中でも”最先鋭”と呼び声も高かったいくつかの作品は、現地の音にヨーロッパの、時にはアメリカの、稀には日本のプロデューサーが手を加えた、”ハイブリッド”なものである事が多かったと記憶している。

 それらの音楽の売り出し文句にいわく、「現地の伝統的な××音楽とヒップホップの出会い!」「民族楽器××と強力に渡り合う、スリリングなシンセの響き!」「まさに原始vs原子!」とかなんとか。
 こちらもまた、その惹き句をそのまま信じ、「このさんざめく民俗打楽器のハザマから沸き起こる現地語のラップの、なんと格好よいものか!」なんて感嘆の声を挙げていたものだった。

 が、”ワールドもの”を聴き重ね、自分なりのワールドミュージック感らしきものが確立されてくると、それらのものがだんだん空しいものに思えてくるのだった。なんか、無理やりの空騒ぎではないのか?
 その”話題性”は、その音楽が世界に向けて飛び出して行く際に人々の耳目を集めるため、必要なものではあったのだろうが、しかし、不自然な形で”いわゆる先進国”のプロデュースが加わることは、そんなにめでたい事なのだろうか?むしろ、音楽そのものを歪める余計なお世話だったのではないか?

 そんなものより現地の人々が日常、聴き馴染んでいる、なんでもない”港々の歌謡曲”のいなたい響きの方がずっと好ましい。
 それはもちろん、”ハイブリッド”な音作りのものにも傑作はあった、それはあったのだが。でもまあ私はかなりの数の”音楽の歴史を変える”筈だったアルバムを、いつのまにか色あせて感じられて来て、中古レコード屋送りとした。それも事実だ。

 さて、3年ほど前に出たこのアルバム。主人公の女性歌手ジジはワールドものの敏腕プロデューサーとして鳴らすビル・ラズウェルの奥さんであるエチオピア人である。現在、二人はニューヨーク在住らしい。となればこれも”時代の先端を行くハイブリッドな大傑作”なのかなあと、ある種、不安に駆られつつ聴いてみたのですよ。という感性も捻じ曲がったものかもしれないが。

 まずは、いかにもエチオピアな、まるで日本民謡みたいな感触の曲で始まる。尺八のようなフレーズで絡んでくるサックスとともに、”津軽平野に雪降る頃はよ~♪”みたいなメロディが歌われ、解説を読むと、これはエチオピアの民謡のようだ。

 分厚い響きの打楽器が空間を埋め、それに乗ってジジの歌声が流れる。恐れていた(?)満艦飾のきらびやかななものではない。とはいえ洗練された音作りではあり、エチオピアものに多いアクの強い響きではない、むしろ、なんとなくマダガスカルやらレユニオン、といったインド洋ものを思い出させる、淡い水彩画的な手触りがある。

 ここではアフリカは生々しいものではない。擦りガラスの向こう、そぼ降る雨のむこうから広大な大地が呼びかけてくる感じだ。
 ここでの、ジジにとってのアフリカは何なのか?ニューヨーク暮らしを続けているから、と言っても、そこにあるのは望郷の念でもなし。いずれにせよ、ラズウェルの手により抽象化された”アフリカ”をジジは演じている。

 音楽として好ましいものであるか否かと問われれば、好ましい感触はある、と言わざるを得ないだろう。だが、「これは一体どこの音楽なのか?」といった若干の落ち着かなさもまた、あることは事実だ。
 かって、ブーム全盛期(?)のような派手な演出ではない、むしろ”引き”の印象が強い作りのこの作品、”外国人が手を出した現地音”の新機軸であるのかどうか。
 現地エチオピアの人々には、この音はどう聴こえるのだろうか?このあたりの本音を尋ねてみたいと思うのだが。
 

我が心はハイランドにあり

2007-02-23 03:46:34 | ヨーロッパ


 先日、ブログ仲間の”まーさん”が日記に書いておられた。「セルティックは元々は、サッカーで得た収益をアイルランド移民に救済として寄与するためにできたサッカーチームなんです」と。その一言に、あっ、そうだったのかと膝を叩いた私だったのでありました。

 そうか、チーム名のスペルだって、”Celtic Football Club ”だものな。とっくに気がついているべきだった。

 セルティックとは、あの中村俊輔が所属している、スコットランドはグラスゴーを本拠地とするサッカーのクラブチームですね。検索してみると、確かにカトリック系やアイルランド移民の支持が多いなどの記述に出会います。セルティックは、英国連合が孕む政治的、民族的、宗教的な問題をある種象徴するチームなのですねえ。

 それにしても”アイルランド移民の救済目的”とは。

 ”大英帝国”の隣りに位置し、貧しい島国としてさまざまな辛酸を舐めてきたアイルランド。そして、古くからの”宿敵”たるイングランドに、英国島の主導権争いで敗れ、併呑されて”大英連合帝国”を形成する羽目になったスコットランド。

 そんな辛苦の歴史を刻んできたスコットランドとアイルランドはまた、失われた幻の民族たるケルトの血を引く”同胞”でもあるわけで。
 海峡を挟んで向かい合った”ケルトの末裔”たる両国が扶助の心を持って結ばれた証の一つがセルティックなるサッカーチームである。ああ、これは心中に熱いものが湧き上がる話であります。

 と、ここで、スコットランド人の心の故郷とも言うべき詩人のことなど思い出してみる次第です。ロバート・バーンズ。スコットランドの国民的詩人です。スコットランドの民謡を愛し、37年の短い生涯に書き残した多くの詩は、今でもスコットランドの人々の心に生きています。
 我々日本人に親しい話題としては、「蛍の光」「麦畑」などの原詩は、このバーンズによって書かれた、あたりでしょうか。

 冒頭に掲げたジャケは、そのバーンズ作品をスコットランドのトラッド界を代表する名歌手、アンディ・M・スチュワートが歌ったアルバムです。
 簡素な伴奏にのって、アンディ・M・スチュワートの暖かい歌声が描くバーンズの詩世界に心遊ばせ、ひととき、スコットランドの空を思う冬の日、なんてのがあってもいいですな。

 スコットランド北部に位置する山岳地帯、ハイランド (Highlands)は、ケルト民族の言語や慣習が残ることで知られています。スコットランドの人々の心のふるさとであるようです。最後に、ロバート・バーンズによるハイランドに捧げる詩などご紹介。

☆我が心はハイランドにあり

我が心はハイランドにあり,我が心は此処にあらず。
我が心はハイランドにありて鹿を追う。
野の鹿を追いつつ,牡鹿に従いつつ,
我が心はハイランドにあり,我何処へ行くも。
いざさらばハイランドよ,いざさらば北の国よ。
剛勇の生地よ,価値ある者の国よ。
我何処を彷徨うも,我何処を漂泊うも,
ハイランドの山を我永遠に愛す。

いざさらば山々よ,高く雪におおわれたる。
いざさらば渓谷よ,また下なる緑の谷よ。
いざさらば林よ,また生い茂れる森よ。
いざさらば急流よ,どうどうと流るる川よ。
我が心はハイランドにあり,我が心は此処にあらず。
我が心はハイランドにありて鹿を追う。
野の鹿を追いつつ,牡鹿に従いつつ,
我が心はハイランドにあり,我何処へ行くも。

中村為治 訳 「バーンズ詩集」 (岩波文庫)より

”Song for Megumi”に思う

2007-02-21 04:16:48 | その他の日本の音楽


 あの北朝鮮政府による拉致の被害者である横田めぐみさんに関する歌を、かっての人気フォークグループ、ピーター・ポール&マリーのメンバーだったポール・ストゥキーが作り、CDを出したとかで、めぐみさんの父母である横田夫妻や政府首脳の前でその歌を歌うポールの姿を、昨日から何度かテレビのニュースで見た。

 PPMといえば高校時代の友人たちには大人気だったグループで、高校の文化祭などはさながらPPMのコピー・バンド大会と化していたものだ。

 フォークソング好きばかりが集まった高校で孤独にロック少年をやっていた当方、うんざりして、「出てくる奴らが揃いも揃って”パフ”やら”500マイル”やら、おんなじ曲ばかりをやっている。お前ら、飽きるって事ないの?」などと悪たれをついてみたのだが、多勢に無勢、逆に「レベルの低いロックなんて音楽、いつまで聴いているつもりだよ」などとメチャクチャな論理で言い返されたりしたものだった。

 そんな思い出があるので、なかなかにむずがゆい思いでニュースを見ていたのだったが。

 しかし、考えてみれば日本のミュージシャンって、めぐみさんに関する歌とか作らないのかね?そんな話、まるで聞いた事がないが。それとも作ってはいるが話題にならないだけなんだろうか?”外人”にだけ作ってもらっている、という状況は情けなくもあるぞなどと、日本のフォーク関係者の顔数名分など思い浮かべたりする。

 連中、そのような発想もないのか、それとも何ごとかおいしい思いが出来そうな気配がなければ作っても仕方がないとの極めて芸能界的な都合により手を出さないのか。
 と、そこまで想像を進め、しかし、日本のミュージシャンの誰かがそのような歌を発表したとして、自分はそれを素直に受け取れるだろうか?なんて疑問も浮かぶ。

 それは売名ではないかとか、それは偽善ではないのかとか、そんな気持ちにしかならないような気がする。ポール・ストゥキーの歌に対してそのような反発を感じずに済んでいるのは、外国人であるがゆえに、その感触が生々しくないからだ。”お客さん”である外国人が演ずる”外国語の芸能”であり、ある意味、絵に描いた餅であるからだ。

 たとえば”さだまさし”あたりがもっともらしく、いつもの綿密な計算の元に作り上げた”めぐみさんの歌”とか歌い出したら、多分私はテレビの画面に唾を吐きかけたくなるだろう、確実に。

 そもそも”日本の歌の現状”を思うに、そのようなうさんくささを伴わずに、このような事態を歌う方法論といったものを持っていないのではないか。つまり、今、たまたまさだまさしを挙げたが、たとえ歌い手が誰であっても同じこと、うさんくさい結果にしかならないのではないかという気がしてならないのだ、私は。

 これは日本の歌文化が持っているべき何かを失っているのか、それとも歌というのはそのような事象を歌うためにあるのではなく、これはこれで当たり前の状態であるのか?いまだ、結論の出せない私であるのだが。
 

静岡空港建設に反対します

2007-02-19 04:03:15 | 時事
 よく利用させてもらっているレコード店の経営者、bbさんが、ご自身のお店の ホームページにある”店主のつぶやき”の2月18日分で、静岡空港の建設に異議を唱えられていたんで、私も同じ静岡県民として、あの、出来る前から無用の長物化が目に見えている、まったくの金の無駄使い物件に関して、一言言っておきたく思います。

 「羽田空港と中部セントレアという大空港が両隣にあるのに今から静岡に東京便もない半端な大空港を作ってどうやって黒字になるのか。恐らくは全国でもワーストの稼働率の空港になってしまうと思います」と、bbさんも書いておられますが、まったくその通り。
 そもそも、あんな中途半端な場所に大空港を作って、どこからどこへ行こうというのですかね。作ることだけに意義がある。建設によって甘い汁を吸える者たちだけにとって。見え見えでしょう。

 そもそも、国内の数港と繋ぐ、という構想の下に立ち上げられた計画なんだけど、「そうなったら良いな」というだけでどこかの航空会社と具体的に契約が結ばれているわけでもなんでもない。そこを追求されると知事は東京の第三空港の役割を、とかハワイやシンガポールと繋いで国際空港化、とかぶち上げるんだけど、これにも何の根拠もなし。ハワイから静岡にみかんでも買いに来るのかね、は静岡県民ジョークの定番。

 工事費用は1900億円と予定されていたが、まだ10数パーセントしか工事は進んでいないのに、もう半分の予算は使ってしまった。で、トータル5000億円以上かかるんじゃないかとか言われているんだけど、不足分はもちろん、借金を持って当てるわけですよね。

 知事閣下。ご自分が知事になってからだけでも1兆円を超える赤字を出し、その上、無用な空港建設でさらに5000億の赤字を積み上げてどうするおつもりですか。どうするもなにも、巨額の退職金を懐にニコニコと退職して行かれるのでしょう。

 あとに残されるのは、税金でその赤字(そして、空港開港後に生じ続ける巨額な維持費を)を返して行かねばならない県民の苦悩が残るだけです。維持費は、年間178万人の利用者が見込めるから大丈夫、というのが言い訳なのだけれど、その人数にも確たる根拠は無し。一事が万事、この通りで。

 県は、県民の要求した空港建設の是非を問う住民投票の実施を拒否して、空港建設に突き進みました。この事実も確認しておきます。
 私は、静岡県民を苦しめるだけの無用の長物、ゼネコンのゼネコンによるゼネコンのための静岡空港建設に反対します。
 

黄金の残響の中で

2007-02-18 03:35:35 | ヨーロッパ

 ”Vita ”by Unni Løvlid

 あれれ、こんな音楽のやり方もあったのかと意表を衝かれる思いなのだけれど、音楽そのものはきわめて誠実なものなので、キワモノと取る訳にも行かない。
 ノルウエイの中堅トラッド・バンド、”Rusk”のヴォーカリストである、Unni Løvlidのソロ・アルバムであります。まさにソロ、まったくの無伴奏で歌われる13曲。

 録音の場所は1920年代に美術館として建てられた建物。そこのホールで、彼女は何の伴奏も無しに歌を歌うのだけれど、そのホール、独特の残響があるんですね。淡々と歌い継ぐ彼女の歌声の周りにモクモクと雲のようなエコーが湧き出して取り巻く。それが非常に神秘的な効果を生んでいる。このエコーでは、普通は音楽なんて出来ない筈なんだけど、あえてその凄い残響を音楽に取り入れてしまうって発想に一本とられたというべきか。

 Unniの凛とした歌声で歌われているのは、ノルウエイの古い民謡や、音楽家だった祖父が古い詩に曲を付けたものなど。どれも非常に地味なものです。いかにも北欧らしい、ちょっと暗くて澄んだメロディが印象的な曲ばかり。

 知人は、使われている筈のないバイオリンの響きが聞こえてくるような気がした、と感想を洩らしていました。聴く人によって、あるいはオルガンの音、あるいはずっと遠くで奏でられるひそやかなオーケストラの音。

 そんな具合に、彼女の歌に一息遅れて湧き出し、ついてくる残響の雲はさまざまな幻想を巻き起こします。山間の教会の鐘の音が野山に反響して幾重にも聞こえる、そんな効果の内に。
 あるいは、歌の周囲に天使の羽のようなものが生まれ出て、黄金の輝きを放ちながら羽ばたいているような。
 
 録音の舞台となった美術館のホールは、ジャケの写真を見ると、キリスト教の宗教画らしきものが壁面から天井へとびっしり描きこまれて、それが柔らかな間接照明に浮かび上がる様は、まるで教会の中のような印象を与えます。そのせいで、ノルウエイ語を解しないこちらには歌われる歌ことごとくが賛美歌のように聴こえてしまうのだけれど、Unni自身が書いた解説を読むと、子供の遊び歌からベートーベンへの捧げ歌(?)まで、もう少し幅広いもののようだ。
 
 内ジャケの写真、宗教画の前で短いコートのようなものを羽織った短髪のUnniのシルエットが間接照明を背に浮かび上がった様などはなかなか神秘的で、この美術館におけるライブなど立ち会うことが出来たなら、それは素晴らしい体験だろうなあ、などと空想せずにはいられないのでありました。


小笠原古謡集

2007-02-16 03:34:25 | 太平洋地域

 ”小笠原古謡集”by Ring Links

 ”南の空のはて 波のはなさく島に 
  浮世を遠く見て 恋を語る二人よ
  こころは丸木舟に”

 2~3日前からクシャミと鼻水攻撃に悩まされていて、これが今年はひかずにすみそうだと思っていた風邪の先駆症状なのか、それとも早くもやってきた花粉症の症状なのかと。まあ、どちらにしても迷惑な話であります。

 こんな風に季節の変わり目の天候などに翻弄される日を送っていると、ただこの場所にとどまっているだけでも、一年、また一年と旅を続けているのだなあ、なんて妙な実感が生まれてくる。空を行く雲も季節ごとにさまざまに様相を変えて。我々は太陽の周りを一年かけて公転する、そんな地球の搭乗客である。そんな実感。

 まあ、いくら暖冬のなんのと言っても冬には違いないのであって、鼻水クシュクシュやりながら夢想するのは陽光溢れる南の島だったりするのでありました。

 ここに取り出しましたるは、”小笠原古謡集”といいまして、日本のはるか南、ミクロネシアの辺り、かって戦前の日本が”信託統治領”として”統治”していた南の島に生まれた不思議な歌たちの、日本のバンド、リングリンクスによる再演が収められています。

 歌の佇まいを簡単に表現すれば、ちょっと妙な、でも愛らしい響きの日本語の歌詞を持つ、素朴なハワイアンというか、ポリネシア歌謡とでも言いましょうか。

 かっての”統治者”であった日本人たちが残していった日本語で、日々の喜怒哀楽を歌った南太平洋の人々がいる、いや、今でもそれらの歌は南の島の日々の中で歌い継がれている、そのような現実を思うと、なんだかむずがゆい、申し訳ないみたいな気持ちになってきますな。(だって私ら日本人、そんなポリネシアの人々の”想い”に応えるなにかを心の中に持っているだろうか?)

 もともとは無人島であった小笠原の島々に最初に移り住んできたのはハワイ経由のハワイアンや白人系の人々。その後、明治の代になってから日本人も移り住み、とくに人種的、政治的な衝突もなく、島の人々はボヨヨ~ンとのどかに文化的混交を行ないつつ、日々の暮らしを送っているというのですが。

 そんな暮らしの中から生み出され歌い継がれてきた、実に愛らしい歌たちにも、”平和になったら二人はカボボして 新婚旅行は父島に行きましょう”なんて、厳しい歴史の影が差す瞬間があり、襟を正す気分になったりしてしまうのですが、南の島の歌は我々を指差して糾弾したりせずに、ただ心優しい微笑を浮かべながら南国の花の香の間を流れて行くばかり。

 人種や文化を超えて人々が交わりつつ生きて行く、そんな夢が可能となったひとときの存在証明としてのこれらの歌が、こうしてCDの上に残されたこと、なんだか嬉しくなります。そしてこの歌の魂がこの地球のどこまでも広がって行きますように。

 アルバムを製作した”リングリンクス”も、もう存在しないバンドとなってしまっているのが残念なのだけれど、リーダーの駒沢さんには「このような音楽を世に出しただけでも素晴らしいと思いますよ。良い仕事をしましたね」と、影ながらお祝いを申し上げたい。

 この、かってははちみつぱい~ムーンライダースでペダルスティール奏者として名をはせた人物、実は学生時代に私が所属していた音楽サークルの1年先輩でしてね。まあ、私はそのサークルを途中でやめてしまったし、駒沢さんがプロのミュージシャンになってからは付き合いも途切れ、さすがに駒沢さんも私のことなどおぼえてはいないだろうけど、それはともかく(笑)

 駒沢さん、まだまだこれからも素敵な音楽を作って行ってください。と、もう一言付け加えて終わりましょう。


MERRY WIDOW WALTZ

2007-02-14 02:03:36 | いわゆる日記

 私の町の桜が咲いてるよ、気の早い話だなあ。まあ、街の真ん中を流れる川のほとりには早咲きの特殊な種が植えられていて、そいつらはこの季節、とっくに満開状態になるんだけど、今年は普通種までがっ。

 連休も終わりで、我が斜陽の観光地もやっと道路がすいたので、気分転換に山間部の別荘地帯を軽く流してみたのだけれど、その辺りではあちこちで桜がもう咲き誇っていやがんの。いくら暖冬だからってなあ。

 ”春爛漫”という状態になってから別荘地帯の桜のトンネルを走り、その狭間から相模湾の波が陽光を反射して輝いているのを見たりしながら、その季節の銘柄指定盤、マントバーニの”イタリア・ミーア”を聴くのが春の日の楽しみだったんだけど、この分で行くと本物の春が来る頃には桜は皆、とうに盛りを過ぎて花も何もないって事になるんじゃないか。

 と、唖然としつつ早春の山を行く。

 あれはどこの会社だったかな、保険のコマーシャルで、中年からでも入れる保険、なんてのをやってるでしょう。いや、そんなの、あちこちの会社ではじめてますが、昨今。
 で、その一つでCMのBGMに”メリー・ウイドー・ワルツ”を使ってるところがありますな、私の聴き違いでなければ。

 「俺って糖尿病だからなかなか入れる保険がないんだよなあ」なんてCMのバックに”陽気な未亡人のワルツ”はないだろう、そりゃ悪趣味な冗談ってものだろう。と思うんだがね、どうなんだろうね。「どうせあなたもいずれコロっと行っちゃうんだから、奥さんのためにも入っておきましょうよ」かい?

 いや、いまどき”メリー・ウイドウ・ワルツ”なんて曲、誰も知らないからどうでもいい?いや、それにしても使った奴の真意って何なんだろうなあ。
 この文章を読んでいるあなたも、”メリー・ウイドー・ワルツ”なんて知らないでしょう?いや、クラシック好きの人は普通に知ってるのか。

 エレガントなワルツでねえ、旦那に先立たれた上品な中年のご婦人が、日傘をさしながらお散歩している様子が見えてくるような粋な曲で。昔は、こんな曲が昼下がりの雑貨屋の店先に置かれたラジオから、ひょっこり流れて来たりしたものだったけど。

 それにしても無茶だわ、この世の中。いや、私の聴き間違いだったら全面的に無意味なんだけどね、この文章。

 というわけで、当地では桜は部分的に満開であります。

ザ・バンドとしての李香蘭

2007-02-13 02:09:55 | アジア

 一昨日、昨日と上戸彩の主演で李香蘭の一代記をテレビドラマとして放映しておりましたが、まあ予期していたこととは言え、あんまり感心しない出来上がりとなっておりましたな。

 そもそもあの配役は何だ?上戸彩が李香蘭ってのは、誰が思いついたのか知らないけど、いくらなんでも無理があるでしょう。どちらかといえば”そこら辺にいるような子”であるがゆえに人気を博している感のある上戸彩と、ある種この世のものとは思えない桃里境を現出していた李香蘭なる”歌う銀幕スタア”では、その芸能人としてのベクトルがまるで逆であって、前者が後者を、どう演ずることが可能と考えたんですかね、関係者は。
 上戸彩の歌う李香蘭ソングをあーだこーだ言いません、いまさら。それはもう、何ごとか期待すること自体、無茶というものでしょう。

 川島芳子を演ずるのが菊川怜ってのもいかがなものか。私は川島のある種ファンだからますますしらけてしまった。菊川が妙に”女”を感じさせる演技を行なった辺りも納得できず。清朝皇室の血を引く皇女であり、日本の謀略に利用されつつ利用しての清朝再興を思い、自らの女の血を嫌悪して”男装の麗人”を演じていた川島の屈折は、もっともっと深くて入り組んだものでしょう。

 なにより、ドラマの底部から、日中戦争から第2次世界大戦の地獄へと運命に引きずりまわされて落ち込んでいった民衆の恐怖と恍惚がまるで響いてこなかったのが、あのドラマのつまらないところでした。恐怖と恍惚、です。足元に大きく口を開けた時代の深淵に飲み込まれて行く事への恐れと、それともにあった屈折した恍惚感と、その深淵の底から響いていた李香蘭の歌声。

 そのような要素を描けなかったのか、描く気も無かったのか知りませんが。
 あのドラマは、日本と中国、戦争と平和のハザマで幻の如くに揺らめいた共同幻想としての李香蘭の物語が、まるでスポ根ドラマの一種のように出来上がっていた。
 大体、時代の潮が流れ過ぎた史跡において、年老いた歴史の当事者とのんきな観光客の群れがすれ違うってエンディング、まんま”ラストエンペラー”のパクリではないか、恥ずかしくないのか。

 というわけで李香蘭の歌声ですが、私がまともにそれに対峙したのは、もう十数年前となります。中国百代から「時代曲名典」として、戦前戦後を飾った中国の大歌手たちの歌声がシリーズ復刻され始め、こいつは面白いとそれらを買い集めて行くと当然、李香蘭のレコーディングにも出会うわけで。

 濃厚な中国大衆歌謡の世界。李香蘭の歌声はその一方の完成形と感じました。この、CD復刻されたたくさんのアルバムの中で、もっとも美学としての中国歌謡を実現させていたのが実は日本人であった李香蘭であったとは皮肉なものだなあ、などと感じ、アメリカのルーツロックの一つの完成形を作り上げたのがメンバー5人のうち4人までがカナダ人である”ザ・バンド”であった件など、ふと想起したものでした。

 実際の”普通の中国人のメンタリティ”とは、同じく百代唱片に”葛蘭”なんて歌手がいますが、彼女あたりのラテンのリズムに乗り素っ頓狂な高音で歌いまくり跳ねまくる、あのあたりにあったのでしょう。
 そして李香蘭の”完全なる中国”ってのはすなわち、例は悪いがプロのオカマが本物の女より女らしい、あの法則(?)と近いものがあるんではないかと私は思っております。客観的なポジションから”理想の中国”をトレースする作業を行なった・・・
 それを中国の人々はほんとに無条件で受け入れたのか?違和感を表明した人などはいなかったのか?というのが、長年の私の疑問なんですが。

 それにしてもなんなんでしょうね、この”日本人の中国人なり切り願望”ってのは?昔タモリが好んでやっていた中国人ターザンをはじめとしてのなんちゃって中国人シリーズとか、いやもっと遡れば、故・藤村有弘が日活アクション映画の中で演じていた怪中国人などなど。あるいはまた、”蘇州夜曲”を頂点として、主に戦前、数え切れないほど作られた”中国ネタ歌謡曲”等の存在なども合わせ考えると、興味を惹かれてならないのですが。



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