ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

遥かなる誤爆王に寄せて(平岡正明のDJ寄席・平岡正明著・愛育社)

2010-09-29 03:26:53 | 書評、映画等の批評
 この本をいつ買ったのかあまり記憶がないのだが、平岡の訃報を聞いてからしばらくしてからであったのは確かだ。ああ、こんな本も出していたのか、と特に感慨もなく思い、それでもどんなことが書いてあるのか知りたいと言う気まぐれを出して本を買い込み、そしてそのまま未読本を突っ込んだ段ボールの中に忘れていたのだった。さっき、ふと気まぐれを起こして読んでみたのだが。まあ、私なりの何周忌かの法要代わりといったところかもしれない。

 彼の本をはじめて読んだのは十代の終わりころだったろうか。「この人物は何者だろう?一応ジャズ評論家らしき看板を掲げているのだが・・・?」何がなにやら分からなかったが、というか分からないゆえ面白く思えて読み続けた)
 悪巧みやら革命やら。レゲにサンバにタンゴに美空ひばり。談論は風発する。河内音頭に空手に後年は落語や新内や横浜野毛への思い入れ。ともかく、あちこちから見つけてきたガジェットの数々を獲物として振り回し、世界にケンカを売りまくる無茶振りがたまらなく快感で、たちまち愛読者となって彼の著作を追いかけた。

 彼の思想等に興味を持った事はなかった。ただその怒涛の暴言、嵐の独断が奔流となって暴れまわる、その文章のパワーと速度に身を浸しているのが快感だった。時折かます、思い込みによる誤爆さえも一つの愛嬌ある決まり芸として、愛することが出来た。
 山下洋輔たちと”冷やし中華同盟”など作って空理空論の乱打戦を行ったあたりが彼のもっとも華やかだった時代か。いや、その少し前に平岡は、山口百恵を菩薩に喩えた本で柄にもないベストセラーをものにしていたのだったか。

 皮肉なもので。そのバカ騒ぎが一段落するころに、私は彼の本を追いかけるのをやめている。なんとも説明不能なのだが、彼の発する波長と自分の内にある思いのリズムとが食い違うようになって来ていたのだ。時の流れの中で彼も変わったし私も変わっていった。
 それから何年かが経ち。彼の姿を久しぶりに見たとき、彼はジャズ喫茶の椅子に座り、テレビカメラに向って独白をしていた。
 「ベルリンの壁の崩壊時も、自分は関係なく過ごした。完璧なる鎖国である。それが証拠に自分は、こうしてジャズ喫茶の中で喧騒のジャズに浸るだけで、外の世界の存在が意識されることはない」
 そんな風に彼は自閉を語っていた。

 彼のような人でもやはりサヨクはサヨク、ソ連が崩壊し、赤旗の側に”負け”が宣告されたのはショックだったのかな、などとずいぶん意外に思えたものだった。
 それからさらに歳月は流れ、私は彼の訃報を聞く。まだ60代の早過ぎる死だったが、私には感傷はなかった。もう彼は私の思い出の中ではとうに片の付いてしまった人だったから。ひどい言い方ではある。

 そしてこの本の書評。のようなもの。
 これは、平岡がジャズ喫茶を借りきって気ままにレコードをかけながら彼の音楽論を集まった客を前に吹きまくると言う、ようするに本でやっていることのライブ版の宴の文字起しである。とりあえずレコードを廻して喋っているので”DJ”の名を冠せられてはいるが。
 読んでみると、やはりあまり迫力は感じられない。昔の話の蒸し返しも多いし、彼の突きつけてくる問題意識が、もう時代とずれてしまっているような気がする。そんなうら寂しさを感じた。

 その一方、今回の出版の企画には。この”DJ”なる一語にひっかけて、平岡を”ヒップホップ”のフィールドに囲い込もうとする若者の一群が絡んでいるようだ。
 今日の黒人文化の話題などを盛んに持ち出して平岡を焚きつける彼らは・・・「いやあ、ヒップホップ文化には俺も前から興味を持っていたんだよ。俺も真似してラップやっちゃおうかなあ」とか平岡に言わせたかったのだろうか。自分たちの”ムーブメント”に平岡のお墨付きでも欲しかったのだろうか?

 平岡は、そんな若者たちの思惑に対し、この催しを実行して彼を持ち上げてくれた若者たちの顔を立てて、一応話に乗るようなそぶりを見せつつ、が、いつもの平岡ワールドを展開して見せるだけである。そっぽを向くでもなし、安易に同調して見せるでもなし。
 いいぞいいぞ、平岡、などと思うのだが、いや、そのようにして若者たちを片手でひねって捨てたのか、それとのその頃の平岡には、そんな反応しか出来なかったのか。それは分からない。

 そして私は。読み終えたこの本を、ブックオフ行きの段ボール箱の中に押し込んだのだった。



マケドニアの娘

2010-09-27 05:00:42 | ヨーロッパ

 ”Makedonsko Devojče”by Karolina Gočeva

 カロリーナ・ゴチェバ。マケドニアの女性ポップス歌手であります。2000年にデビュー、ユーロビジョン・ソングコンテストのマケドニア代表になったり、旧ユーゴスラビア圏のあちこちでその地域の言語によるヒット曲のレコーディングを行なったり、バルカン半島ではそれなりに人気ポップス歌手ということになるんだと思うけど、今回取り上げるアルバムは、それとはあまり関係がないかもしれない。

 この盤は、おそらくマケドニアの高名な民謡演奏家と思われる人物のペンになる民謡色濃い曲ばかりを取り上げた、民族主義盤(?)なのである。アルバム・タイトルもずばり、”マケドニアの娘”となっています。
 いやなに、これまでも何度も言ってきたように私、ロシア民謡のメロディが好きなんだけど、このアルバムにはそれっぽいメロディの歌が大量に入っていると聞いたんで、そっちの興味で手に入れた次第。聴いてみると、うん、確かにこれは豊作。人の心をド~~~ンと凍りついた北国の大地に埋め倒すような、重い暗い淋しいの三拍子揃ったロシアチックなメロディが次々に飛び出てくるのでありました。

 小編成のロックバンドにアコーディオンやマンドリンが加わった、みたいな薄暗いバックバンドが奏でる地味な伴奏に乗せて、カロリーナは、ポップス歌手らしい華やかさを拭い去ったみたいな清楚な歌声で、東ヨーロッパの人々が辿った過酷な歴史を指で辿る、みたいな影あるメロディを切々と歌い継いで行くのであります。
 時々、メロディの流れに中島みゆきの面影が差したりいたします。子供の頃聴いた”山の娘ロザリア~♪”なんて歌を思い出したりします。
 人々はいつも口数も少なく、うつむき加減に歩いています。大事な人はなぜいつも、後ろ姿だけ記憶の中に残して行くのでしょう。なぜ、かけてあげる言葉が思いつけないのでしょう。いつも吹いているのは北風です。風景はいつも冬枯れています。

 しかし、ロシア民謡っぽいなんて簡単に言ったけど、つまりはスラブ民族っぽいメロディってことになるんでしょうね。このメロディ、バルカン半島の人々の心にも、こんな具合に”地の音楽”として、普通に生きているんだろうか?特に近代史においてロシアなる存在、バルカンの人々には微妙なものだろうし。
 いや、というか、この”ロシアっぽさ”なるものが実は、バルカンのどこか辺りに根っこを持っていて、私が今書いたことはまるで話が逆なんだろうか?
 などなど、ロシアのメロディが好きとかバルカンのサウンドに興味があるといいながら、このあたりの音楽知識、ろくに持っていないなあ、などと改めて反省する雨の夜なのでした。

 そんな事を言っているうちにも、カロリーナの歌うモノクロのバルカンのブルースは、ジメッと人の心に轍を穿ち、流れて行きます。マケドニアの老人の御す馬車は雪を頂いた山々を遥かに見ながら、車を軋ませて峠を越えて行くのでした。



アルメニア大通り

2010-09-26 03:03:42 | ヨーロッパ

 ”Heartbeat of My Land”by Inga and Anush

 しばらく前から興味を持ってチョコチョコ買っているアルメニア・ポップス。まだその概要さえ掴めずにいるのだが。そのなかでもひときわ気になるアーティストがこの二人、インガ&アヌーシュだった。
 どうやら姉妹らしいデュオ・チームなのだが、何よりそのきっちりアルメニアの民族衣装を身に付けて、楚々とした風情で佇む、アルカイックな微笑み付きで、なんてジャケ写真が強力な印象を残した。
 おそらく彼女らはアルメニア・ポップス数あるなかでも、より伝統派というか民俗音楽よりの音楽性を売り物にしているのではないか。

 なんだかアジアとヨーロッパの要素が複雑怪奇に入り乱れて、しかもそのミクスチュアは昨日今日に始まったことではない。そもそもミクスチュアでさえなくこちらが元祖、文化のすべてはここに発し、遠い昔にオリエントとヨーロッパに分かれて行ったのだ、なんて言い出しそうなアルメニア文化なのである。
 遠い歴史に連なる中央アジアの文化とヨーロッパ文化が、もう千年前からこうしているんだよ、とでもいいたげに当たり前の顔をして共存している。

 アルメニア文化をイメージで言えば、いかにも中央アジアらしい草原の遊牧民の素朴な暮らしのど真ん中に、中世からの歴史をそのうちに抱え込んだ中央ヨーロッパの城砦都市が、深い憂鬱の溜息のうちに沈み込むように広がっていて、最先端のファッションに身を固めた非行少年ご一行がその大通りを我が物顔に闊歩しているのだ。何かね、この世界は?
 その謎を解く鍵の、そのまたありかを解く鍵にでも出会えそうな予感が、彼女らにはあった。まあ、まだ彼女らのCDも手に入らず、ネットで写真を見ているばかりの頃に抱いた根拠のない幻想なのだが。

 そして先日やっと手に入ったインガ&アヌーシュのこのアルバムを今、聴いてみれば。それどころじゃない。そこには、これまで聴いたアルメニアポップス中でも最高に自由奔放、まさにやりたい放題の世界がクルクル目くるめく展開しているのだった。
 まあ、オープニングはそれらしく、イスラムの香りを湛えた中央アジアの草原を想起させる勇壮なリズムが、きらびやかな民族楽器の響きを伴って聴こえてくるのだが。

 そのうちエレキギターがハードロック丸出しフレーズをかき鳴らし、状況は一変する。
 二人の歌声も、慎ましやかな民俗調から、いつのまにかゴージャスなユーロポップスっぽい朗々たるスタイルへと姿を変えている。ドラムがファンクを脈打ち、あるいはジャジーにベースが唸り、ホーンセクションが吠え。気が付けばインガ&アヌーシュの歌声もソウル歌手そのものへと変化しきっているのだ。ともかくエネルギッシュ、民俗調の衣装の時のおしとやかな印象にすっかり騙されていたな。
 で、一騒ぎ終わったら、おしとやかにユーロ・トラッドっぽい憂愁のバラードが始まり、歩道の落ち葉を踏みしめて歩いているんだから、これはクセモノだよ。

 なんか非常に濃い遊園地遊びに引き込まれたみたいな混乱状態で盤を聴こえたのだが、う~ん、こいつは参った。すごいね、アルメニアポップス。ますます。ますます興味が出てきてしまったのだった。




ブラウニングの噂

2010-09-25 01:23:15 | 南アメリカ
 ツイッターでジャマイカにおける差別状況に関する話し合いがなされていて、興味を覚えて読んでいたんだけど、ちょっと疑問を覚えた発言があったんで、書いてみます。

 ジャマイカにブジュ・バントンという70年代生まれの歌い手がいて、90年代に入ってから、ヒット曲を連発して人気歌手の仲間入りをしたんだそうな。私、ジャマイカの今の音楽をまるで聴いていないんでよく知らないんだが。で、そんな彼が1992年に放ったヒット曲に”Love Me Brownin'”というのがあるそうで。
 ブラウニング、つまり肌の色の薄めな黒人娘を恋うる歌なんです。

 で、その歌に対し、島の娘人口の大半を占める肌の色の濃い女の子たちから大変な反発があった。「色が黒くて悪かったなあ」と。
 予想外の反応にバントンは、慌てて同じリズムを使った”Love Black Woman”なる、色の黒い子へのラブソングを作り、フォローにあいつとめたんだそうな。まあ、事件としてはこれですべてのようで。
 これを紹介者は”差別との戦いに勝利し続ける人々の美談”ってニュアンスで紹介してるんだけど、そうですかね?

 何のきっかけで異性に魅かれるかなんて、人それぞれの事情があるはずでしょう。バントンが肌の色の薄い黒人女をことのほか愛してしまう性格になってしまったのを、責めてみたってしょうがないじゃないか。
 問題の曲の歌詞を検めてみたけど、実にたわいないラブソングなのであって、別に「肌の色の薄い黒人女は人間的に優れている」とか決め付けている訳じゃない。それに、バントン自身だって黒人であるんですしねえ。そもそもこれって差別問題なんだろうか?この歌に反発したジャマイカの女の子たちも、反差別の戦いに立ち上がった、なんてつもりはあったのかどうか?

 なんかねえ・・・その種の”運動”がお好きな人物が、無理やり騒ぎを自分の都合の良いフィールドに持って行っていないか?なんて疑ってしまうんだが。
 むしろ私は、”薄い肌色”の子を賞賛してみたら顰蹙を買ってしまったんで、さっそく「黒い肌の子って良いよなあ」なんて曲を作って吹き込んでしまう、バントンのお調子の良くてたくましい芸人根性を賞賛したいと思うのよなあ。




カビールの哀歌

2010-09-24 01:25:46 | イスラム世界

 ”Hommes Libres”by Thissas

 もう10年以上前に入手して「不思議だなあ」なんて感想を抱いたアルバム。今聴いてもやっぱり不思議なんだけどね。検索かけても何も分からず。
 とりあえず北アフリカはアルジェリアの、カビール人の音楽らしいんだけど、これまで聴いてきたものとずいぶん様子が違う。

 まずパーカッションのアンサンブルで打ち出されるリズム。ことのほか穏便と言うか丸っこい感じのアクセントがあり、しかもシロフォンが一緒に演奏されるんで、何だかお洒落な印象もある。
 そこにストリングスやブラスが被り、どういう意味なのか子供たちのコーラスまで入ってくると、砂漠のなかに造成されたお洒落な庭園を見る感じになってくるのですな。
 そこにはいつものマグレブ音楽を味わう際の、砂漠の砂が口中に紛れ込むみたいな苦さみたいな感じではなく、むしろ甘酸っぱい”哀歌”のニュアンスが漂う。

 メロディラインが、いわゆるイスラム色があまり強くなく、むしろ日本民謡にも通ずるような音階が歌われており、イスラムっぽい神秘や甘美の色よりも、より感傷的な哀しげな表情が表に出て来ているわけで。
 行き交う人々がうつむきがちに、はじめて聴く筈なのになぜか不思議に聞き覚えのある、そんな嘆きの歌を口ずさみ通り過ぎる・・・不思議な秘密の花園に迷い込んでしまった気分なのでした。

 どうもカビール人の音楽というと、毎度愛好しているロボ声砂漠のファンク怒涛のノリ、みたいなものやダフマーン・エル・ハラシみたいな硬派の歌手を連想してしまうけれど、まだまだ奥行きのある世界なのかもなあと、まあ当たり前の事を再認識した次第。
 こんな音楽こそ試聴を貼りたいんだけれど、You-tubeには一つもありませんでした。残念だなあ。それにしても、なんだろ、この音楽。

雨上がりのソウルを散歩

2010-09-22 00:53:44 | アジア
 ”My Favorite”by Park Hye Kyung

 90年代の後半に韓国の”ロックの新しい波”をリードしたバンド、”The The”のボーカルをつとめた事もあるシンガー・ソングライター、パク・ヘギョンのソロアルバム最新作。
 なんでもトップに収められている”ハイヒール”がNHKの韓国語講座の”今月の歌”か何かで流されていたとかで、「その歌が好きだったので買いましたが、他にも可愛い歌がいくつもあって大事なアルバムになりました」なんて投稿文をどこかで見かけた。うん、現地韓国においても、女の子たちには共感をもって迎えられているのではないかな、このアルバム。

 問題の”ハイヒール”をはじめ、どの曲もメロディ、サウンド、アレンジ等々、”雨上がりの日曜日”っぽい爽やかさを感じさせる瑞々しいものがある。私などの世代の者は70年代初頭のアメリカの女性フォークシンガーなど連想してしまったり。初期のジョニ・ミッチェルとかね。
 音の隙間を生かした音作りで、エレキギターがソロを取っても、ホーンセクションやコーラスが入っても、”基本はギター弾き語り”と感じさせる軽やかさがサウンドの芯に一貫してあって、そこが快感なのだ。

 「家へ行く道」「幸せが送れました」「恋愛してみる?」「告白する日」「すべて好きになるつもり」「私魅力ないから」などといった各曲のタイトルからも想像がつくように、ごく普通の女の子のなんでもない日常に訪れる心の移ろいが歌詞のテーマとなっているようで、この辺も女の子のファンの共感を呼ぶのではないか。
 そういえば、このアルバムのタイトルは”My Favorite”なんだけれど、我が国にも昔、「私の好きなもの」なんてヒット曲があった。「雨上がりの匂い♪」などと言う歌いだしで、気ままに自分の快く思える事象を挙げて行くんだけど、あの歌がこの盤に入っていても何の違和感もないだろうな。

 しかし、パク・ヘギョンは見かけもその歌の世界も、年を取るごとに若くなって行くみたいだけど、どうなっているのだ。バンド脱退後のソロ・アルバムだって、これが7枚目を数える結構なベテランだってのに、この瑞々しさはどこから来る?不思議な人もいるものだ。




サンタルチアに還る日(ナポリの女神再訪・4)

2010-09-20 02:42:20 | ヨーロッパ
 ”Toledo E Regina”by Teresa De Sio

 何となく始めた企画、”初期のテレーザ・デ・シオを聴く”の、これをラストとしますが、この時代の彼女のアルバムで私が一番好きなのが、やっぱりこのアルバムですね。オリジナル中心にやって来たこの時期としては例外的な作品。ナポリの古い流行り歌や民謡ばかりを取り上げて歌っています。1986年度作品。

 ビブラホンやジャズィなサックスのプレイなどが目立つ小編制のバンドをバックに、テレーザは、特に個性を出そうとかフレーズに凝ろうとか、そんな気負いをうかがわせることなく、古くからナポリの人々に愛されて来た”小唄”たちのメロディを、非常に素直に歌って行きます。
 これらの曲、ナポリ育ちの彼女には馴染みの曲なんでしょうかね。それとも、街の古老たちが愛唱していたとか、あるいはもっと古い歌なんだろうか?歌うテレーザは、まさにメロディの流れにゆったりと身を任せきり、その上にプカプカ浮んで流れて行くみたいに見えます。

 どの歌も南イタリアの陽光と、ちょっと貧しいけれども人懐こくて、皆、それなりに人生を満喫している、そんな気の良いナポリの人々の笑顔が浮んでくるような、人の心の掌の上で歌われ愛されているうち、波打ち際の小石みたいに角が取れて丸くなった、そんな人肌のぬくもりを感じさせる歌ばかり。
 こちらも聞き惚れているうちに、ドサクサ紛れにナポリ育ちの悪ガキに姿を変えて古い町並みを駆け抜けて行きたい、その気になれば行ける、なんて気分にもなろうというもの。

 そしてクロージング・ナンバーである”セレナータ・ナポリターナ”の愛らしいメロディに、このメロディの流れがいつかカンツォーネという名でイタリア中に、いや世界中に流れ出し、人々に愛される事になったんだなあ、などと想いを広げれば、まさに万感胸に迫るものがあるのでございます。



地中海を越えて(ナポリの女神再訪・3)

2010-09-19 01:31:37 | ヨーロッパ
 ”Africana”by Teresa De Sio

 と言うわけで。ナポリ民謡界の名花、Teresa De Sioの初期作品群を、ユニバーサルから出たボックスセットから聴いていっている訳だが。今回はその4作目、ワールドミュージック・ファンなら注目せずにはいられないタイトル、Africana(1985作)である。

 まず、その気になるタイトル曲を聴いてみる。南アフリカあたりの民俗ポップスを手がかりとして作り出した、みたいなメロディとサウンド。いかにも、「アフリカ以外の土地の人がアフリカに憧れて歌うアフリカっぽい歌」って感じ。なんて書き方は嫌味になってしまうか。
 良い曲、良い演奏だが、この時点でテレーザはアフリカ音楽のマニアなファンではなかったし、そのような観点から作られたアルバムではないようだ、という意味だ。つまり、トーキングヘッズの”リメイン・イン・ライト”みたいな志向があるわけではない。むしろ、”アフリカ”というイメージを掲げる事によって自分の音楽にパワーを引き込みたい、みたいな、ある種の宣言が込められた盤というべきだろう。

 そんな彼女の意気込みに答えて、バックの音もバチバチと爆ぜるようで、胸のすくものがあるし、テレーザも気持ち良さそうに声を張り上げて歌っている。盤の隅々にまで、何事か新しいことが始まろうとしている、そんな心のトキメキがつまっている盤であり、聴いていて気持ちが良い。タイトルナンバーのリフレインが聴き終えても耳について離れない。

 作家の名前も作品のタイトルも忘れてしまったのだが、イタリアの小説にこんなのがあった。
 ”初夏の頃、地中海を越えてアフリカから吹き付けてくる熱風であるシロッコが吹くと尋常でない心持ちになってしまうレストランのウェイターが調子に乗って、店にやって来たギャングの親分に喧嘩を売ってしまい、シロッコがやんでから「大変な事をしてしまった」と恐怖に駆られて逃げ回る”
 といったコメディなのだが、イタリア人の血の中に潜む、アフリカのエコーに呼応して燃え滾る野生の魂、なんてものの存在を、このアルバムにも感じてしまったのだった。

 ここまで作って来たポップスっぽい音作りを越えて、より大きな音楽の鼓動を掴み取ろうとしているテレーザのクリエイターとしての魂の高揚が心地良い、美しいアルバムと思う。

 それにしても。この盤の音がYou-tubeのどこを探しても見つからない。一曲ぐらい誰か貼ってくれてもよさそうなものを。
 で、しょうがないからナポリ民謡復興ユニット、”Nuova Compagnia di Canto Popolare”の曲を下にとりあえず貼っておく。



街の灯を歌う(ナポリの女神再訪・2)

2010-09-18 01:06:22 | ヨーロッパ
 ”Teresa De Sio”

 さて、テレーザの初期作品群というかユニバーサル・レーベル時代を振り返る企画、本日は1982年発表のセカンドアルバム。彼女の名が記されているだけでタイトルはなし。こういうアルバムって話題にする時面倒なんだよな。

 まあそれはそれとして。ナポリ民謡界で活躍してきた彼女が”ポップス歌手”として評価を受け人気を得るきっかけとなったのがこの盤、なんて話を聞いたことがある。
 聴いてみればなるほど、よく出来たポップス作でお洒落なサウンド、各曲のメロディも親しみやすく美しいものばかり。親指ピアノの活躍するトロピカル調なんかずいぶん楽しいアレンジで、へえ、こんなアルバムも出していたのかと驚くばかり。
 テレーザの声も何だかいつもより若々しく響いている。このままアイドル歌手として通用するようにも思えるが、独特のコブシの廻りようが民謡世界から来た妖しの歌い手という出自を隠しようも無し。

 ああ、これなら皆に好かれる盤となったかも知れないと納得しかけるのだが、このアルバム、自作の曲をナポリ方言で歌ったもの、なんて話もあり、それはどうだろうか。こちらは正調イタリア語とナポリ方言の区別なんか付かないのだが、ナポリ以外の土地で売れるのに、それは障害にならなかったのだろうか。
 ともあれ。南イタリアの明るい太陽の光を十分に吸ったお洒落なポップス作。でもどこかに土俗民謡派のディープな血の騒ぎもそこはかとなく漂う、好アルバムといえよう。

 もっともリアルタイム、プログレやトラッドにガチガチに入れ込んでいた当時の自分がこれを聴いたら・・・この分かりやすさが逆に胡散臭く感じられ、反発していたかも知れないなあ。いや、めんどくさいものであります、人間の自我。あ、うんそう、このアルバム、聞き逃していたんだよね。



ナポリの女神再訪(1)

2010-09-17 02:56:17 | ヨーロッパ
 ”Sulla terra sulla luna”by Teresa De Sio

 ナポリの民謡界の女王とでも言うんでしょうか、Teresa De Sioの初期のアルバムを集めた6枚組ボックスが手に入ったので、これら作品群を改めて聴きなおしてみようと思う。
 テレーザ・デ・シオの名に多くの人がはじめて接したのは、あの元PFMのメンバーだったマウロ・パガーニのソロアルバム、我が国では「地中海の伝説」なる邦題で知られているあのアルバムへの客演によってでしょうな。

 あそこで、パガーニの奏でるブズーキの爪弾きに乗せて、「数千年前の情念、地中海の昼下がりに蘇る」みたいな、けだるくも神秘的なナポリ方言によってテレーザの歌う、蒼古のメロディがたゆたう場面は、忘れがたい一幕だった。
 それをきっかけとして私は、ナポリ民謡復興ユニット、”NCCP (Nuova Compagnia Di Canto Popolare) ”などを聴き始め、そのフェリーニの映画みたいな、というか極彩色の泥絵の具を塗りたくったみたいな南イタリアの濃厚な民謡世界に夢中になったりもしたのだった。

 そんな次第だったから、テレーザが1980年に世に問うたこの初のソロアルバム(厳密には、この何年か前に小レーベルから一枚出しているようだが)、”Sulla terra sulla luna”を私は、まさに胸をときめかせて手に取ったものだった。あのイスラム文明とキリスト教文明の激突する地中海音楽の大冒険が心行くまで楽しめるのだろうか、と。
 が。このアルバムは、NCCPの頃のように民族楽器がメインに音作りのされた、こちらの期待したようなオドロオドロの音楽絵巻ではなかった。

 レコードに針を置き聴こえて来たのは、明るい音色のフォークギターが鳴り渡る爽やかなサウンドだったのだ。なんだこれは。こんな風通しの良い音楽ではない、私の聴きたかったのは。私は拍子抜けしてしまい、何度か聴き返したがその音に納得が出来ず、ついにはアルバムをレコード棚にしまいこみ、そして何かの機会に売り払ってしまったのだった。

 今、それから気が付かないうちに流れ去っていたとんでもない量の時間をはさみ、私はこのアルバムと再開を果たした。レコード盤はCDへと姿を変えてしまっているが。
 しかし、こうして余計な期待を忘れて聴いてみれば、これはこれでなかなか快い音楽じゃないか。サウンドの中央でジャズっぽいフレーズで唸るベースがあり、その周りでアメリカン・フォークっぽいテクニックを駆使して跳ね回るアコースティック・ギターのプレイがある。
 そんなサウンドに取り巻かれたテレーザの歌声は、なんとも湯上りの爽やかさというか身軽さで、ナポリの民衆の喜怒哀楽を歌っているのだった。うん、ずいぶん新鮮な感触で、これはこれでいいんじゃないか。

 余計な先入観など持って分かったつもりで音楽を聴いたら損するぞ、という実例だろうか、これは。もっとも、くだらない思い込みにこだわり、変な音楽の聴き方をしてしまうのも、青少年の頃の特権かも知れないよなあ、などとつまんない事を呟きながら私は、その昔馴染みのような新しい知り合いのような盤を聴き進めて行くのだった。