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都知事選-予定調和のにおい
東京都知事選に浅野史郎氏が立候補することが確実となりました。
すでに東京都知事選を楽しむ方法というエントリーで基本点をのべていますので、この時点での率直な感想を簡単にのべておきたいと思います。結論めいたものを先にのべると、浅野氏の「立候補劇」に予定調和のにおいを感じるということです。
浅野氏をふくめて、いまのところ4人が立候補を表明しています。
石原現都政に賛成か、反対か、そしてこれを転換するのか否か、これが今回の選挙戦で問われるのではないでしょうか。
これにしたがえば、石原氏以外の3人の立候補予定者は、そのものいいに差異があるものの、すべて石原都政に反対の立場をとっているようです。共産党は吉田氏を推し、そして浅野氏が立候補を決めて民主党は同氏を推すようです。オール与党といわれる都議会にあって野党であった共産党は措くとしても、民主党はすべての議案に賛成してきたわけだから、今回、なぜ反石原の立場に立つのか、それを説明する公党としての責任があるでしょう。民主党はその理由を都民に説明しなければならないのです。そこから民主党は出発すべきです。
候補者それぞれは、同じく石原都政に反対の意思を表明しているようですが、それではいまの都政を転換できるかどうか、これがつぎに問われないといけないでしょう。その点では、それぞれの人物が過去にどんな立場をとって、何をやってきたのかをみる以外に、我われは判断する術をもちません。黒川氏は政治家としての実績なし。政治的信条は石原氏とどこが異なるのか、私にはよく分かりません。というか、どこが異なるのか正直区別がつかないのです。
浅野氏ですが、「マニフェスト」も当然発表されていないのに、同氏を推す人たちの理由は何だろうか、これにとても興味がありました。宮城県知事としての実績でしょうか。厚生官僚あがりだからでしょうか。しかし、集会をひらいたという市民グループについても報道によるかぎり、この点で説得力のある主張はほとんどみあたりません。同氏を推す立場と思われるブログを拝見してもこれは同じです。要は、勝てる候補者ということらしいのです。「まず勝つことだ」。なるほど選挙戦はいくさだから、勝たねばならないでしょう。しかし、そのいくさははたして何のためのものでしょうか。
石原よりまし。そうなのかもしれません。
しかし、浅野氏の実績をもってしても、そして立候補表明をめぐる経緯をみても、自民党や民主党と浅野氏のちがいはさしてあるとはいえないように思います。氏は「首をかしげる」(朝日新聞3・2)とはいいましたが、石原都政の転換などとは少なくともいまのところはいっていません。何か(分からないが)かわる、よりましと思ってえらんで、自民党政治の枠組みをいっこうに出なかったという経験は、過去の首長選で幾度となく繰り返されました。
ものさしが、石原都政からの転換にあり、そして非国民通信さんがのべたように、社会的弱者へのまなざしにあるのなら、いま予定している候補者から選ぶとすれば吉田氏しかいないと私は思います。
先の9・11衆院選は端的に小泉劇場という言葉で表現されました。それならば、石原都政にとにかくストップをかけたいという人びとの、浅野氏に落ち着いた今回の知事選の候補者えらびの顛末は、本人たちの意思とはかかわりなく、率直にいえば(石原と)代替可能領域内の物語とよぶにふさわしいものです。おそらく共産党の推す候補者は、あるいは推す候補者だから、彼らにとっては代替不可能でしょうし、支配層は当然そう思っています。
私が予定調和とのべたのは以上の理由によっています。
9・11は小泉の「改革にイエスかノーか」のアジテーションに有権者はなびきました。自民党に投票した人びとは、自らのその後の危機意識をどこに収めるのでしょうか。そして、都知事選でまたそれを繰り返すのでしょうか。対抗軸という言葉をもちいるのなら、弱者いじめの自民党政治と決別しうる候補者こそそれにふさわしいといわねばなりません。
ほぼ候補者がでそろった現段階では、誰が何をいってどんな行動をとるのか、大いに監視を強めることです。選んだ以上は、その行為にたいする主権者としての責任を有権者は引き受けないといけないのですから。
政策論議が大いに深まることを私は期待したいと思います。
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私のブログは、(「きっこの日記」よりも早く)浅野氏支持を鮮明に打ち出しましたが、基本的には、極言すれば「石原でなければ誰でも良い」という立場に立っており、浅野さんを推すのも、情報公開その他の点で評価できると思うほかに、最大の理由として、「一番石原に勝てる可能性の高い候補だから」という理由を挙げます。
それは、三国人発言やババア発言に象徴されるレイシストや女性差別者たる石原、かつて平然とベトナム人を殺そうとしたことからもうかがわれる、倫理観の破壊された人物であるとともに極右でもある石原が、首都の行政の長であるという恥辱にどうしても我慢ならないからです。
石原については、政策以前の問題だと思います。とにかく、この「国辱」を除去しなければならないと考えています。
石原は特定の部分が強調された保守政治家でしょう。しかし、その石原を選んだのも、また9・11衆院選で自民党を大勝させたのも国民ですよね。私もその一員であることにかわりはないのですが(笑)。
日本国民の政治的リテラシーがこの現実にあることをまず認めないといけないでしょう。要するにこれが総意といわれるものなのでしょう。
勝てる候補者に一票を投じたいというのが世の常でしょうが、この現実を少しでも変えようという方に私の心は動くのです。そのためには、政策論議に主体者として国民がかかわる「しかけ」をつくることだと私は思うのですが。ただし、妙案があるわけではない。
ブログ界に役割があるとすれば、私は現実をどこかに動かす、少なくともそれを喚起する、この点にあるように思うのです。
勝てる候補者を選べ、と呼びかける立場は十分了解の上でのことですが、それだけでは事態は何も結果として動きようがない。その歯がゆさがある。
歴史のくりかえしはこのことを教えているようでなりません。
私のブログでも浅野氏の出馬を支持することを当初より明言してきたのですが、私の場合もkojitaken さんがおっしゃっているのと同様、「石原都知事に最も勝てる可能性の高い候補者」だからという理由であることは確かです。もちろん、浅野氏が宮城県知事時代に情報公開や福祉行政に力を入れてきたことも評価していますが、当時の浅野氏については地元での評価は賛否両論に割れているようなので(地元紙『河北新報』の記事などを参照しました)、その評価についても一筋縄ではいかないのかもしれません。
私も石原都知事についてはもはや政策以前の問題であり、石原都政を終わらせること自体に意義があると考えていますが、だからといって政策論争が置き去りにされることはやはり望ましくないわけで、今後は浅野氏の掲げる政策、マニフェストに注目していきたいところです(特に東京五輪についての考えが気になります)。この論点については『非国民通信』さんの記事も大いに参考になりましたが、「選挙の勝敗」という目先の現実的な目標と、「政策論争」という本質的に重要な課題とを、どのようにバランスを取って両立させていくのか、それこそがいま問われているのではないでしょうか。
※当分の間、私のブログの記事の更新を休止することになりますが、個人的な事情によりしばらく多忙な日々が続きそうなことによるものです。しばらく一休みした上でまた記事の更新を再開したいと考えておりますので、これからもどうぞよろしくお願いします。
浅野氏の評価についてはこれから明らかになるでしょう。宮城県民の評価は実際どうか聞きたいところです。
その浅野氏がなぜ東京都知事選に出馬するにいたったのか。とくに浅野氏が都政にたいして厳しい主張をされてきたとは承知していませんので、エントリーでふれたような「筋書き」を感じるのです。
ともあれ、石原氏が「特異な人物」であることは誰もがみとめるでしょうから、とにかく変えないとという思いは十分すぎるほど分かるのです。
極端な例をあげますが、ナチス党の進出はこうした閉塞感を逆手にとったものでしたね。
それだからこそ、shigeto2004さんものべられているように、政策論議が必要だと思うし、国民もその訓練を受けないとだめなような気がします。すでに情報操作されていると思うのは私だでしょうか。
ココロさんのいまの石原都政をどうしてもかえたいという強いお気持ちはよく分かります。けれど、ここはいったんたちどまって考えてみる必要がある、と思います。
勝てる候補者がいない、要するに浅野氏以外に選択肢はないということなのですが、多数派に人心を集中させることに、いまの政権・財界の選挙戦略があるのではないでしょうか。
そもそも小選挙区制度がそうですね。そしてメディアもつかい二大政党を強力におしすすめようとしているのが今ですね。
別の角度からみると、吉田氏以外に立候補を表明していない段階で、なぜ共産党をふくめた石原打倒の共闘論議ができなかったのでしょうか。浅野氏にラブコールを送った市民グループといわれる人びとの動きは、これとはちがった文脈でとらえないといけないでしょう。ようするに選択肢に、共産党は入っていない、共産党だから入っていない、分かりやすくいえばこうでしょう。
私の都知事選の考え方は2つのエントリーで示しましたので繰り返しませんが、非国民通信さんが主張する社会的弱者へのまなざしという判断基準に強く同意します。
浅野氏がどんな立場にたつかも明確でない段階で、これしかない、勝つためだ、とは本末転倒もはなはだしいと正直思います。あえていえば、浅野氏は反石原の立場にはたてないと私は思っています。本来、弱者の立場に立っいいはずの人たちが少数派を排除していく姿を、私は無視できないのです。
こんな候補者選考の顛末を私は「予定調和」と表現したのです。
TBを送らせていただこうとしましたが、何度試しても送れなかったので、コメントを入れさせていただきます。よろしくお願いします。
http://kawausoblg.cocolog-nifty.com/index/2007/03/post_5f32.html
そんなことがあった暁には、民主党も推薦をしなかったにしても積極的にかかわったあおりを受けて、せっかく集めた無党派の勢力も失いかねません。民主党は最大野党ですから、野党共闘の視野も含めて大きな責任もあり、きちんと推薦した候補者を立てるべきでした。海江田さんが出ようかと打診していたといいますが、むしろその方が民主党にとってよかったのではないでしょうか。
以上、浅野さんと民主党に対して否定的側面を書きましたが、浅野さん含めてどの候補にもがんばってほしいと思うところもあります。また私は重要な第三勢力として民主党に伸びてほしいと思っていますので、残念な結果にならないようにしてほしいものです。政策で勝負の面も大きいので、もっと明確・かつ具体的なマニフェストを書き都民の真を問うべきでしょう。注目を集める候補者の政策がわからないのは、有権者にとって最大の損失ですからね。
私がもし都民なら、現状の候補者なら政策の点で吉田さんに投票すると思います。その観点からみれば、残念ながらマスコミは「浅野 対 石原」しか注目してませんね。この点マスコミもすべての候補者の政策を公平に紹介してほしいですね。それこそ候補者が石原と浅野の二人しかいないかのような報道をすることで、都民の選択肢を狭めているといえなくもないかと考えています。
これは知りませんでした。
民主党の評価はmxさんと私はやや異なるようですが、それはともかく、浅野氏がいまの石原都政、つまり自民党都政にどんな評価をするのかは決定的だと思うのです。
自民党都政の転換を、現状で浅野氏に望むのは私は無理だと思う。石原氏をかえればそれだけでよいのか、これはずっと問い続ける必要があると思っています。
貴重なご意見ありがとうございました。
二大政党が良いというのは政策にはっきり違いがあるから言えるのであって、まぜこぜだったら、それこそおっしゃるように、自民党と大差ないということです。政策で一致して二大政党であることを望みますね。
その意味で言うと二大政党ではなかったが、20年前の「自民・社会・公明・共産・社民連」の枠組みがいかに明確でわかりやすかったか、ということでもあります。国民も無理して二大政党制にこだわる必要もない、ということでしょう。
私としては、民主党が増えることで自民党が完全崩壊し、民主党がそれにあわせて発展的に解党、再度、政策(特に経済政策、防衛政策、憲法観)によって一致できるようにするのが理想ですね。(出来れば昔のようなわかりやすい感じになってほしい。)そういったビジョンが描ければいいのでしょうが、まあ難しいでしょうがね。
というより、私は二大政党という枠組みそのものが支配層の思惑の枠内にあると考えています。最近の御手洗氏の発言、経団連の動きをみればその意向がますますはっきりみえてきますね。
民主党のなかに、護憲派とよばれる部分があることを否定しませんが少数で、参院選までに、私は政党再編もありうると思っています。大局的にみると自民党に糾合される可能性すらある。そこまで政策的には区別がつかなくなっている、溶解しているというのが私の感想です。
ある面でいうとmxさんが仰っていることと同じことかもしれません。
でもいまの問題は、全体的な護憲派の退潮が問題と思いますね。たとえ民主が崩壊しようが、自民が崩壊しようが、同じだということになる。
良心的な国民はジレンマに陥っています。「憲法を守れば、少数政党しかない」という状況で国民が選ぶには少し酷な感じがします。憲法を変えたくはないが、生活の苦しさから早く逃れたいと改憲勢力と知りつつも民主に入れざるを得ない、という気持ちもわかるのです。
私などは、かなり前から仕組まれたことであるように感じられているわけです。共産党は以前からしんが強く原則をほとんど変えていませんが、自民党の妨害もあり数は少ないですね。社会党は自民党に騙されて、原則も危うくなり崩壊しました。社会党が崩壊したのは大変痛いものです。護憲、労組、おかげで骨抜きになりました。
自民党内の「護憲派」と呼ばれる慎重派の人たちも、かなり影が薄い。巨大な自民党の中の「ブレーキ役」が、機能しなくなったわけです。さらに公明党など、もともと平和の党であったはずですが最悪です。自民党の数合わせに成り下がっています。それに加え国民の中にも、自民党主導の嘘っぱちの改憲論が浸透しつつあります。
国民が小泉に期待したことは郵政改悪などの小泉の政策ではなく、「自民党をぶっ壊す」というその言葉だったのではないか、とおもうのです。良心的な国民はその言葉に騙されたのでしょう。まったく壊さなかったばかりか、その反対の結果になりました。(明らかに嘘であると思いましたから、私は最初から支持しませんでした。)
少なくとも「自民」だけは瓦解してほしいですし、国民も何とか一人ひとりが自民党を壊す道を探すべきではないかと思います。
おそらく自民党の政治に疑問を感じ現状をかえたいと思う有権者の多くは民主党に投票しているのでしょう。
けれど、民主党の結党そのものが第二保守をめざしたものであり、そうした期待にこたえられないだろうと思います。民主党の現在もまさにそうだと思っています。
別のエントリーにのべましたが、上流を社会秩序の担い手として育成する必要から社会的優遇を図りつつ、そして中下層にたいしては二大政党制をもちいて体制内化を図り、一方でそれに抵抗する勢力には治安維持体制を強めていく、分かりやすくいえばこのような方途をたどっているととらえています。一連の構造改革によってこの基盤はつくられつつあるように思います。
こう考えると、自民党の「瓦解」はなく、自民党と民主党の間の再編こそが可能性としてはあるように私には思えるのです。それだけ、両党の間にすでに境界はなく溶解している。地方もまた、しかり。
護憲の課題では、自民党というより、保守系の人びとのなかにも憲法をかえてはならないという部分はあるわけで、大きな共同は可能だと思います。いまは九条の会がそうした役割の一面を担っているのではないでしょうか。