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伊吹発言-閣僚の過放牧と孤立を恐れる心理
問題発言だととりあげること自体が馬鹿馬鹿しく思えるほど、驚くような発言がつづく。中川秀直幹事長がタガを締めたのは、いったい何であったのか。
閣僚の過放牧状態。このように今の安倍内閣を表現できるのではないか。
当事者の伊吹文明氏当人の認識は、まことになげかわしい。
この一語に尽きる。いまどき、日本を単一国家などと認識しているとは時代錯誤もはなはだしい。アイヌ系住民や在日の朝鮮・韓国の人びとの存在はだれもが知っていることだろう。伊吹氏の認識は、マイノリティにたいするまなざしをもとより欠いている。
しかし、日本が単一民族で成り立っているというのは、ナショナリストの専売特許だと思われがちだが、ナショナリストにかぎらず日本人のマイノリティにたいする姿勢と通底しているところがはたしてないのだろうか。日本人の共同体意識をどことなくくすぐる発言と読み取れなくもない。この伊吹氏の発言を聞いて思ったのはそのことである。
たとえば、孤立を恐れる心理をどのように考えるのか。
マイノリティに対する態度は、孤立を恐れる心理と深くかかわっているような気がしてならない。ものごとをすべて内輪だけの島宇宙に帰してしまう傾向。別の言葉でいえば、楽屋落ちとはこのことを指しているのだろう。そして、政治でいえば、少数政党にたいする、その存在そのものをまるで否定するかのような思い上がりの態度。本人の主観は別に措くとしても、これらは左派・リベラルという言葉でくくられるブロガーのなかにさえあると率直に私は思う。
これらの心理は、誤解を恐れずにいえば、まさに「沈黙の螺旋」論で明らかにされた、あの心理に通ずるものだ。いうまでもなく「沈黙の螺旋」とは、エリザベス・ノエル・ノイマンが唱えた。
たとえばマスメディアが特定の意見を優勢と報じれば、それと異なる意見のものの沈黙を生み出し、その沈黙がメディアの報じた判断の正当性を裏付けるというものだ。特定の意見がらせん状に増殖し、当初の姿とは異なる多数派形成がつくられていく。
世論とは、論争的な争点に関して自分自身が孤立することなく公然と表明できる意見である。あるいは、世論とは孤立したくなければ、公然と表明しなくてはならない態度や行動である。
このきわめてシニカルな反語は、ナチズムの記憶と密接にむすびついている。
あえていえば日本のいまもまた、当時のドイツの言論状況と相似する。改憲への手続きがもう、そこに迫ろうとしているのに。
そして閣僚のこうした過放牧を許しているのは、二大政党制とよばれる国会の政党配置にあることはいうまでもない。