今ごろになると、あちらこちらから喪中ハガキが屆く。私の年齡だと多くは當人の訃報といふよりもその家族、主に御兩親といふのがほとんどであるが、先日私の友人の訃報が屆いた(もちろん本人から屆くはずはなく、弟さんからのもであつた)。夕刊や郵便物一式を手にしてエレベーターに乘り、その葉書を何となく手にして讀んで愕然とした。驚きと共に深い哀しみが一瞬にしてこみ上げて來た。さう言へば、十一月の留守先生の講演會にも來られなかつた、そんなことも思ひ出された。
早稻田大學御出身の右山先生は、松原正先生の講義を聽かれてゐたと言ふ。それで何度か松原先生の講演會で御會ひした。またその後偶然にも同じ同人誌に書いてゐる仲間であることを知り、仕事上のことで依頼を受けたこともある。個人的な御附合ひがあつたわけではなかつたが、今年の年賀状には福田恆存や松原正についての意見をじつくりとうかがひたいと書いたと思ふ。
それが二月二十八日には亡くなられてゐたといふ。
大阪體育大學教授を經て、平成十八年から帝塚山學院大學教授になられてゐた。教育哲學が御專門で、ブーバーについても興味をもたれてゐた。手元にある右山さんの「福田恆存小論」の最後にはかう書かれてゐる。
「肝心な事は、答へをあわてて見つける事ではなく、考へ拔かれた問ひを立てることなのだ、と。私が些やかなりとも福田恆存から學んだとすればこの事なのだ。」
「 問ひを立てる」ことが「答へをあわてて見つける事」よりも優先すべきだ――この當り前のことをいい加減にして、とにかく嘘でも「答へ」を出す事に汲汲とするのが、戰後の私たちの流儀である。胡麻化し胡麻化し彌縫策に彌縫策を重ねてドン詰りに至つた、それが近年の状況であり、私たち日本人の精神世界の姿でもあらう。
私の知つてゐる右山先生は、大人しくて、それでゐて頑固で、だから不器用な方であつた。享年五十五、早過ぎる、もう御會ひ出來ないのが殘念でたまらない。
合掌
すばらしい感想をありがたう。人生には問ひが必要だ。如何に問ふかといふことを探つていくことのうちに、答へが見つかるものかもしれません。問ひ續けることが私たちを成長させてくれるものだと信じてゐる。青くさいけど本當だと思ふ。
私は体育大学時代に右山先生にお世話になったものです。
右山先生がいつも口にしていた言葉があります。
「答えの出ないことにこそ、考える価値があるのだよ」と。
在学中も暇を見つけては、いろいろなお題で、先生と議論を交わしていた頃が懐かしいです。
また、先生と議論を交わしたかったです。
右山先生のことを思ひ出しました。思ひ出された言葉も右山先生らしいお言葉です。いつまでもうれしい師の言葉ですね。
Se Eun
コメントありがたうございます。
私は詳しい情報を持っているわけではありませんが、ささいなことでも個人的なことについてはグログで公開するのは控へたいと思ひます。もしよろしければ、私のプロフィールの欄に記載してあるメールアドレスに御連絡をください。
右山先生と過ごした時間は30年近くたった今でも大切な愛おしい思い出となってひっそりと胸に残っております。心から感謝いたします。ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。